いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

テキサス・キリングフィールド

テキサス州南東部、ヒューストンからメキシコ湾を臨むガルベストンにかけて南北に伸びる州間ハイウェイ45号線の周辺地域はいつしか「キリングフィールド」という悪名で知られるようになった。

狭義には4女性の遺体が発見されたある荒れ地を指したが、広義には1970年代初頭から2000年代にかけて多くの若い女性たちが行方不明となり、30体以上の遺体が発見された犯罪多発地帯を意味した。

キリングフィールドの関連事件には何人もの加害者、複数の犯罪が重なり合っていると考えられている。本稿ではNetflixの犯罪ドキュメントCrime Sceneシリーズ『Texas Killing Fields』等を参照しつつ、いくつかの解決/未解決事件を見ていきたい。

 

クリスタル・ジーン・ベイカー事件

1996年3月6日午後4時半、テキサス州チェンバース郡バイユーカントリーを通る州間ハイウェイ10号線「トリニティ川橋」の橋脚付近で少女の遺体が発見された。

第一発見者は釣りに訪れていた二人組だった。遺体は川岸から130~140mの場所にうつ伏せに倒れており、着衣は乱れ、全身がアザや擦り傷だらけで靴を履いていなかった。首には絞め痕とみられる大きな擦過傷があり、殺人事件であることは明白だった。

身元の分かる所持品はなく、懸命の捜索にもかかわらず周辺は不法投棄や漂着物ばかりで遺留品は見当たらなかった。犯人は少女を別の場所で殺害し、死体だけを橋の下に遺棄したものと考えられた。

一帯は野鳥保護区域の湿地帯で民家ひとつなく、現場に足を踏み入れるのはバードウォッチャーか釣り人くらいのものだった。近郊で合致する少女の捜索情報はなく、当時は行方不明者と身元不明遺体を照合するための情報ネットワークが構築されていなかったことから、身元の割り出しに日を要した。

 

2週間後、少女は約80km離れたトリニティ湾のほぼ対岸に位置するガルベストン郡テキサスシティで行方不明届の出ていたクリスタル・ジーン・ベイカさん(13歳)と特定される。保安官から呼び出しを受けたクリスタルの母ジーニーさんは、全身あざだらけの遺体写真を見せられて絶句し、見覚えのあるそばかすを認めて涙を流した。

少女は両親と離れて祖母と2人暮らしで、過去に短い家出の経験があった。3月5日の午後、クリスタルは友人の家に遊びに行くと言って、それを止めようとする祖母と口論になり、家を飛び出した。最後の目撃は午後5時ごろ、最寄りのコンビニエンスストアから電話を掛ける姿を店員が目にしていたが、その後は接客に追われて見失ったという。

ジーニーさんは「彼女は典型的なティーンネイジャーでした。天使のようなあどけない表情も見せることもあれば、ときに反抗的な面もあります」と語る。

調べにより、このとき友人に宿泊の許可を得ようと電話を掛けていたことが判明する。また母ジーニーさんとも電話で話しており、そのとき仕事中だった母親は「とにかくおばあちゃんのところに戻って、謝るように」と娘を諫めていた。だがそれから1時間ほどして、ジーニーさんの母親から「クリスタルが戻らない」と電話が入ったという。

すぐに地元警察に届け出たが、「家出の公算が高い。またすぐに帰宅するのではないか」と楽観視され、まともに取り合ってもらえなかった。

今日のアメリカでは児童の連れ去りに関して厳格な取り決めがなされ、社会全体で犯罪者から尊い命を守るために発覚・通報の段階から早急な対処が求められている。だが当時は地方のティーンネイジャーが家族に反発して家出するなど「当たり前」という風潮も根強かった。

 

検死の結果、死因は絞殺による窒息死で、膣の裂傷、つまり性的暴行の痕跡が認められた。警察は犯人の痕跡が残されている可能性に希望を託し、ワンピースや下着、少女の爪の一部をDNA型鑑定に回した。

爪から第三者の痕跡が検知されたが、当時は技術的に極微量しか検出することができず、構築から間もない犯罪者DNA型データベースでも一致する該当者は出なかった。

Krystal Jean Baker

家族はクリスタルのまばゆい笑顔やその美貌を「マリリン・モンローそっくりね」とよく褒めていたという。真偽は不確かながら、身内の間ではマリリン・モンローことノーマ・ジーン・ベイカーはクリスタルの大叔母にあたると語り伝えられているという。

警察では頼りにならないと感じた家族は私立探偵にも調査を依頼する。家族も少女の交友関係をしらみつぶしに当たって手掛かりを得ようとした。

クリスタルの友人男性の一人は、ジーニーさんと会った際に「15歳」と自称し、そのあどけない顔に彼女もすっかり騙されていたが、実際には19歳の妻帯者であることが判明した。母親はその青年に強い疑いを抱いたが、彼の勤め先で事件当日の完全なアリバイが確認されたため、引き下がらざるをえなかった。

家族の希望も空しく、物証も目撃者も出ないまま新たな容疑者は浮かぶことはなく、5年、10年と月日は流れ、犯人検挙は絶望的に思われた。

 

ローラ・スミザー事件

約1年後の1997年4月3日、テキサス州フレンズウッドでは12歳の少女が忽然と姿を消した。車で30分と近い範囲で同年代の少女が行方不明となり、クリスタルの事件との関連がにわかに取り沙汰された。

 

午前9時頃、ローラ・スミザーは、母ゲイさんが朝食のパンケーキを支度していると、「朝食の前にジョギングに行ってくる」と言い残して自宅を出たまま消息を絶った。

幼い頃からスポーツ万能だったローラは当時、週6日はバレエダンスに打ち込んでいた。焼き上がる頃には戻るものと思って母親は気安く外出を許した。父ボブさんも「あと何分かすれば帰ってくるんじゃないか」と何度か口にしたが、パンケーキがすっかり冷たくなっても彼女は戻らなかった。

周辺を探しまわったり知人に連絡をとったりしたが、どこにいるのか消息はつかめず、すぐに警察に通報し、日が暮れるまで地域住民らと捜索を続けた。ヒューストンに勤める中流家庭の多いフレンズウッドは過去に「国内で最も治安のよい地域」のひとつに選ばれたこともあり、住民の動揺も大きかった。

父ボブさんは会見を開いて「家族は皆さんの助けを必要としています。あの朝、だれかが何かを目にしたに違いありません」と情報提供を求め、母ゲイさんは「連れ去り犯は、また別の子どもを同じ目に遭わせる可能性がある。私たちはみなさんにこんな思いをしてほしくありません」と世の親たちに協力を呼び掛けた。

ローラの捜索には警察も迅速に動員され、地域社会の反応も大きかった。2週間で6千人のボランティアが捜索活動やビラ配りに参加し、ヘリによる上空捜索や海兵隊による一斉捜索、騎馬警官による荒野での探索なども続けられたが、有力な手がかりは得られなかった。

ローラ・スミザーの捜索ポスター

4月20日、誰もが望まぬ報せがもたらされた。自宅からおよそ20km北に位置するパサデナの貯水池付近の湿地帯でローラの遺体が発見されたのである。

第一発見者は犬の散歩をしていた父子だった。父親は発見時の様子について「貯水池の周りを歩いていて、はじめ異臭に気づきました。私は『水生動物の死骸かなにかか?』と口にしました」「すると息子が『いや、ちがう。動物なら靴下なんて履かない』と人間の亡骸に気づいたんです」と語った。

遺体は靴下をのぞく衣服を剝ぎ取られており、首を切断されて腐敗が進行していた。しかし指にはローラ・スミザーの大切にしていたリングが残されていた。

イカーの母ジーニーさんは、報道でローラの遺体発見を知ったとき「娘と同じ犯人だと直感した」と語る。

管轄の警察でも連続犯との見方が現実味を帯び、過去の犯罪記録が比較検討された。行方不明者の再プロファイリングが行われ、3か月前に遺体となって見つかっていたアンバー・ヘーガーマン事件との関連が疑われた。500km離れたアーリントンで起きた事件だったが、彼女は当時9歳で、ローラと同じく靴下だけを残して全裸姿で発見されていた。

連続事件だとすれば、すでに別の犠牲者が出ているかもしれず、検挙できなければ再び同じような凶行が繰り返されるおそれがあった。

 

ジェシカ・ケイン事件

そして不安は現実のものとなった。

8月17日には、クリアレイク地区で駆け出しの舞台女優ジェシカ・リー・ケインさん(17歳)の行方が分からなくなった。ジェシカは役者仲間たちとレストランで午前1時半近くまで公演の打ち上げを楽しんだ後、父親から借りていたトラックで帰宅途中だった。

テキサスシティのすぐ南に位置するティキ・アイランドで家族と暮らしており、母親は2時半を過ぎても戻らないことにパニックを起こし、父親が捜索に出掛けた。

彼女が乗っていた白いフォード車は自宅から数マイルの州間高速45号線沿いに放置されていた。車内に財布が残されており、店を出たあと一度は彼女が乗車した様子が窺えるも、なぜ車を降りたのか、どこへ向かったのかは見当がつかなかった。

友人のひとりは「あの子は、どこへ出掛けるにも必ず仲間に連絡を入れてくる子なんです。何も言わずに突然姿を消すなんて絶対に何かおかしい。必ず見つけ出さないと!」と早期発見を訴えた。だれしもの脳裏に連続連れ去り事件の疑いがよぎっていた。

 

行きずり犯による連れ去りか、それとも近しい人物に狙われていたのか。拉致するにせよ犯人はどんな方法で彼女を引き留め、車から連れ出したというのだろうか。

辺鄙な土地柄、沿道からヒッチハイカーを装って声を掛けたとも考えられた。またひとつの仮説として、走行中の車を停車させたり、乗り換えさせたりするのに適した職業として「警察官説」も実しやかに囁かれた。

だがある目撃者は彼女がトラックから降りて、傍に停まっていた赤色のいすゞ・アミーゴに近づいていくのを見たと話し、警察官説を打ち消した。

「私たちは、家族がどんな状況に陥っているのかよく理解できました。私たちが周囲の方々から助けてもらったのと同じように、今度は自分が助けに行く番でした」

まだ悲しみの癒えないサウザー夫妻も集会や捜索活動に駆けつけて、ジェシカの家族を励まし、彼らに代わって「ひとつでも情報を」と訴え、人々に連帯と協力を呼びかけた。立て続けとなる事件にマスコミも動向を注視したが捜査に大きな進展はなく、時間だけが過ぎていった。

 

古くから交通の要所として発展し、全米一の外国貨物取扱量を誇る海港を擁するヒューストンは、2020年現在人口230万人を抱える全米第4の大都市である。20世紀初頭から石油や天然ガスの産出で急成長し、世界最大の医療研究機関であるテキサス医療センター、NASAジョンソン宇宙センターなど先端医療や宇宙科学といった成長著しい産業がその後の成長を支えてきた。

とりわけ70年代の建設ブームによって100万人都市となって以降は周辺人口を大きく増やし、肉体労働者から知識階級まであらゆる人々が仕事と自己実現を求めて都市部に集まった。週末ともなればビーチリゾートを求める若者や家族連れ、はたまた期間仕事を求めるヒスパニック系の移民が頻繁に移動を繰り返す地域でもある。近郊は広大な郊外型ベッドタウンが商業圏を形成し、ガルベストン湾沿岸には新旧多くの石油化学コンビナートやリゾート施設がそびえ立つ。

80年代以降、余所からの流入者たちが都市や工業地帯に集まる一方で、周縁地域に数十マイルも足を伸ばせば、手つかずの荒涼とした湿地帯が延々と広がっていた。数多の淡水湖が「自然の楽園」を今に伝え、クロコダイルなど野生動物が多く生息する地域であった。

厳しい自然環境は人の侵入を遠ざけ、遺留品はだれにも見つかることなくすぐに朽ち果て、犯罪者が死体を処分するにつけても都合のよい場所と考えられた。気候の面でも数年に一度は大型ハリケーンが直撃して、沿岸地域は大規模な浸水・流出被害を受ける。文字通り、時が経てばすべてを水に流してしまう土地なのだ。

 

ローラ・ミラー事件

ローラ・スミザー、ジェシカ・ケインの捜索時、両家族の傍にはティム・ミラーの姿があった。行方不明者の捜索支援を行う非営利団体Texas EquuSearch創始者で、2024年現在はエグゼクティブ・ディレクターを務める人物である。

「テキサス・エキュウ・サーチ」はこれまで国内48州、国外11か国の児童行方不明の現場に立ち会い、家族への精神的な支えとなり、捜索活動の進め方や具体的な方策など知見を伝えるなど必要に応じたボランティアを20年以上続けてきた。

かつてゼネコンで成功を収めたティム・ミラーが乗馬探索から始めたその活動は、今日までに延べ2600件以上の事案をサポートし、800件を解決に導いてきた(うち生存者発見は444人)。その貢献は大統領や各州の捜査当局から度々栄誉を預かり、その道では広く知られている。

過去エントリで扱ったナタリー・ホロウェイやケイリー・アンソニーなど名だたる行方不明事件の現場にはいつも彼の姿があった。そんな彼もまたキリングフィールドで愛娘を失った遺族の一人であった。

長年無償で捜索支援を続けるティム・ミラー

1984年9月10日午後、テキサス州リーグシティにあるコンビニエンスストアの公衆電話で通話する姿を目撃されたのを最後にローラ・リン・ミラーさん(16歳)の行方が分からなくなった。

ミラー一家は新居に引っ越してきたばかりで、まだ固定電話の回線をつなげていなかった。その日、ローラ・ミラーは「恋人のバーノンを家に招いてもいい?」と両親に承諾を得ると、「BBQの準備をしなくっちゃ」と大張り切りだったという。

公衆電話を求めて800m程離れたコンビニまで母親が車で娘を送っていった。少女は「少し話がしたいからお母さんは先に行ってて。私は歩いて帰るから」と言い、母娘はその場で別れた。

その後、自宅で両親が待ちわびていると、やがて娘の恋人バーノンが来訪した。

「あれ?ローラは?…」

少女にはてんかん発作の持病があり、日に2回の投薬を必要としていた。

「帰宅途中に発作を起こして倒れているのでは?」

「誰かに見つけてもらって、病院に担ぎ込まれているのかも」

パニックになったミラー夫妻とバーノンは自宅からコンビニ一帯を探し尽くし、近郊の病院や周辺の牧場主などにも確認を取ってみたが少女の行方は杳として知れない。捜索の目星もつかず、無事の帰宅を祈りながら夜を明かし、翌朝、地元警察に助けを求めた。

だがひとしきり話を聞いた警官は「年頃の少女の家出」と見当付け、「どこかで友達と一緒にいるんでしょう」「家で便りを待つように」と言って夫妻をなだめた。

一家がディッキンソンから近郊のリーグシティに転居した理由のひとつは、ローラに悪友がつかないようにしたいという両親の希望が大きかった。

音楽好きで社交的なローラの周りにはマリファナを愛用する級友もおり、悪影響を懸念して別の学校に通わせたかったのだ。その話を聞いた警官は、ローラ本人の薬物使用を疑ってかかったという。

 

ハイディ・マリー事件

ローラ・ミラー失踪の11か月前には、若いシングルマザーの失踪も起きていた。

10月7日、バー従業員のハイディ・マリー・ビジャレアル・ファイさん(25歳)はローラ・ミラーと同じコンビニで電話している姿が目撃されたが、その後の消息を絶っていた。

その秋、ハイディ・マリーは古いトレーラーを譲り受けて恋人に修繕を依頼していた。シティリーグの実家の裏庭にトレーラーハウスを置いて、家賃や生活費を抑えながら貯蓄をつくりたいと考えていたのだという。彼女には赤ん坊がおり、将来を見据えての計画だった。

同じ地域で失踪したハイディ・マリー

ハイディ・マリーは「トレーラーハウスができたみたい。ヒューストンまで取りに行ってくるね」と家族に言い残し、近所のコンビニに向かった。友人に車を出してもらうつもりだったとみられているが、彼女は完成したトレーラーハウスを見ることなく忽然と行方をくらませてしまった。

家族から捜索を求められたリーグシティ警察は「彼女は大人だ。心配はいらない。待っていれば必ず戻る」と言って捜索に前向きではなかった。車を持たないヒッチハイカー、水商売の「こぶ付き」女、それも貧しいトレーラー生活者が家を出るなど日常茶飯事、犯罪に巻き込まれない方がおかしいとでも言うかのように、ハイディ・マリーの失踪は警察からも地域社会からも無視された。

だが家族や知人たちからすれば人間関係は良好で、赤ん坊を捨て置いて家出する理由など考えられなかった。

とくに昔から彼女を可愛がっていた祖父は気が気でなく、車で毎日捜索を続けていた。夜になれば近郊のナイトクラブを一軒一軒訪ね、孫娘を知らないか、素性を偽って働いてはいないか、と聞いて回る日々が続いた。

その手には孫娘がクリスマスプレゼントにくれたテープレコーダーが握られ、来る日も来る日も知人や見知らぬ人々への聞き込みが繰り返された。いつか事情を知る人や話の矛盾に行き当たるかもしれないというかすかな希望に掛けて録音を欠かさなかった。気づけば録音テープは20本近くに上っていたが手掛かりらしいものには行きあたらなかった。

 

しかし半年後の84年4月6日、州間ハイウェイ45号線が通るリーグシティの町はずれ、カルダー通り近郊のトレーラーハウスの住人が、飼い犬の運んできた奇妙な「おみやげ」に仰天して、警察に通報した。犬はボール遊びでもするかのように、どこからか女性の頭蓋骨を転がしながら帰ってきたのである。

周辺はかつて油田開発が不調に終わり、発展から「取り残された」区域であった。未舗装の道路と草木が生い茂る荒れた湿地帯ばかりで、安い土地を求める牧場主やトレーラー移住者がわずかに点在していた。

歯型鑑定によってほどなく女性はハイディ・マリーと特定され、捜索により荒れ地の一画から残る遺体が発見された。遺体は獣に荒らされており、検視によって複数の肋骨骨折が確認されたが死因までは特定できない状態だった。

警察の初動捜査の鈍さが事態の悪化を招いたことは明白だった。積極的な捜索によりせめてもっと早く遺体に辿り着けていれば、詳しい死因や犯人が残した痕跡をつかめたかもしれない。

 

うってつけの場所

しかしそうした事情を知ってか知らずか、リーグシティ署の警官は半年後のローラ・ミラーの捜索にも全く前向きではなかった、とティムは振り返る。

彼が関連を疑ってハイディ・マリーの件を警察に問い詰めても、「捜査状況は他人に口外できない」「彼女は成人でローラとはかかわりがない。全くの別件だ」と斥けられた。

ティムはハイディ・マリーの家族にも接触しようとしたが、面会を拒絶された。後年、調査したジャーナリストによれば、マリーの家族は事件や捜査状況を口外しないように警察から口止めされていたという。

ローラ失踪から17か月後の1986年2月2日、ハイディ・マリーの遺体が発見された荒れ地で自転車遊びをしていた2人の少年が木の根元に再び女性の遺体を発見した。身元確認のために検死局が歯科記録を調査し、ティムの娘ローラ・ミラーであることが特定された。

「全くの別件」どころか二人の遺体は僅か数十mの距離に打ち捨てられていたのである。これも腐敗の進行により死因は特定できなかった。

一緒に青色のチェックのシャツが捨てられており、血痕と思しきシミから犯人の遺留品とも考えられたが、DNA鑑定のない当時、犯人につながる「線」とはならなかった。

さらに悪いことに、同じ荒れ地内を捜索したところ、新たに別の女性の遺骨も見つかった。女性は前歯に広い隙間を有する特徴があり、骨格をもとに復顔図も作成されたが身元は特定できず、身元不明女性「ジェーン・ドゥ」とされた。背中には22口径の銃撃痕が確認され、連続殺人であることは決定的だったが、犯人につながる道筋は依然として見えなかった。

現場は私有地で柵が設けられてはいたが、そこらじゅうに不法投棄が転がり、悪路と障害物を求めるダートバイク少年たちの遊び場だった。未開発で袋小路だらけのこの一帯に若い女性たちが自ら足を運んだとは到底思えない。犯人が人目を避けるため、粗大ごみを不法投棄でもするようにして遺体を捨て去ったにちがいなかった。

住民もまばらで、防犯カメラも普及していない当時のこと、その土地はまさしく「人殺しにうってつけの場所」だったのである。

 

ティム・ミラーは何度となくカルダーロードの荒れ地に足を運び、やがて墓標代わりに木製の十字架を建てた。近くにできた教会の敷地に地域住民たちが犠牲者を悼んで墓所を設置したが、ティムはどうしても彼女が眠っていたその場所から離れることができなかった。

17か月もの間、孤独と絶望にさらされていた娘の魂に会うため、父親は何年も何年もその場所に通い、自問自答を繰り返した。なぜもっと早く見つけ出してやれなかったのか、なぜ無理にでもハイディ・マリーの発見現場を聞き出しておかなかったのか、どうしてもっと自分の力で探そうとしてこなかったのか。新居に固定電話を手配しておかなかったことを悔い、なぜ彼女をこの町に連れてきてしまったのか、と自身の人生そのものさえも呪った。

当然、死も脳裏に過った。ハイディ・マリーの父親はほどなく心を病んで亡くなったと聞く。自分は最愛の娘のために、失われた彼女の命のためにこのさき何をしてやれるのか。娘の後を追うより先にしておかなければならないことが見つかった。目の黒いうちに犯人を見つけ出すことが最重要だった。

 

一方、リーグシティ署では慣れない殺人事件が立て続けに起こり、あまりに手掛かりのない状況に頭を抱え、その間も若い女性の失踪事件は頻発していた。

サンタフェでは14歳の少女が自宅から不可解な失踪を遂げた。ソンドラ・ケイ・ランバーさんは上着やバッグなど何も持たず、玄関を開けっぱなしのまま忽然と姿を消した。オーブンの中には焼きかけのクッキーが残されたままだった。

エレン・レイ・シンプソン・ビーソンさん(29歳)はリーグシティの「テキサス・ムーン・クラブ」で友人たちと遊んだ後、自宅に戻らなかった。人当たりがよく社交的だった彼女を嫌う人間はだれもいなかった。その晩、彼女は店で知り合った男と意気投合し、友人たちは先に店を出ていた。

エレン・ビーソン

ミシェル・ドハーティ・トーマスさん(17歳)は仕事を終えてサンタフェの自宅に一度帰った後、ガルベストン島のナイトクラブに遊びに出掛ける途中で失踪した。店で友人と落ち合う約束だったが姿を見せず、その後の調べで、途中にあるコンビニエンスストアで二人組の男たちの車に乗っていたという目撃があった。

シェリー・キャスリーン・サイクスさん(19歳)はガルベストンのシーフードレストランに勤務していたが、深夜の帰宅途中に姿を消した。州間ハイウェイ45号のアクセスポイントでぬかるみに嵌った状態の彼女の車が見つかっており、運転席の窓が割られ、多量の血痕が残されていた。

スザンヌ・ルネ・リチャーソンさん(22歳)はガルベストンにあるコンドミニアムで夜勤事務員として働いていた。午前6時頃、オフィスの上の階で寝ていた同僚が女性の大きな叫び声を耳にしていたが、その後オフィスに戻ってみると彼女の姿はどこにも見えなかった。別の証言者は、叫び声と車のドアが閉まる音、猛スピードで敷地から走り去る音を聞いたと言う。

 

疑惑の男;ロバート・アベル

3人の遺体が見つかった荒れ地の周辺も1980~90年代にかけて土壌の改良や道路整備に伴い宅地開発が進められて周辺住民は増えていった。

そんな1991年9月8日のこと、カルダーロードの牧場で馬を借りた2人組が件の荒れ地へと足を伸ばした。すると過去にも警察が捜索したはずのその場所で新たに第4の女性の遺体が発見されたのだ。

検死局の調べでも女性の身元は特定できず、先に見つかっていた身元不明女性「ジェーン・ドゥ」と区別するため、「ジャネット・ドゥ」の仮名が冠された。同じように復顔図が作成され、情報提供を求めたがどこのだれかは明らかにできなかった。

カルダーロードのその荒れ地が3人の遺体発見現場であることを知る人物が、ジャネット・ドゥを新たに遺棄したと考えられたが、86年から91年にかけてのブランクは何を意味しているのか。

犯人がその間に町を離れたり、服役していた可能性も考えられた。一方で過去の報道を参照して、別の殺人者愉快犯的に、あるいは連続犯に見せかけるために同じ場所に遺棄したとも考えられた。

証拠に乏しく捜査はまたしても行き詰まり、移住してきた新住民たちは神経をとがらせ、犯人検挙を強く求めた。犯人は街からやってくるのではなく、すぐ近くで暮らしているとも考えられた。

リーグシティ警察はFBI連邦捜査局に協力を依頼し、犯人像のプロファイリングが作成された。

リーグシティ近郊に土地鑑を有し、異性と関係を築くことに問題を抱え、動物や女性を虐待する男

特定できている犠牲者ハイディ・マリーとローラ・ミラーとの間に、年齢・体格・見た目などの共通項はほとんど見られず、犯人の好みや癖などは不明とされた。犯行の手口や移動経路なども一切分からず、ひどく抽象的なプロファイリングがますます住人たちを疑心暗鬼にさせた。

リーグシティ警察とFBIは犯罪歴や近隣住民の情報を基に2000人以上からなる容疑者リストを作成してふるいに掛け、現場近くで乗馬牧場を営むロバート・ウィリアム・アベルを容疑者として絞り込んだ。

以前はNASAでロケット開発に携わっていた元宇宙工学者で、常日頃から暴力的な人物とは見なされていなかった。だが元妻や元恋人は、彼が虐待的な性格で性的搾取があったと告発した。「彼は馬をパイプで殴り殺し、そのまま放置していた」と密告が入るなど、陰険な二面性が疑われていた。

聴取を受けたロバート・アベルは事件への関与を一切否定し、むしろ地域住民として早期解決のため捜査に協力したいと申し出た。牧場や自宅の家宅捜索や鑑識を受け入れ、刑事たちと遺体発見現場を訪れてメモを取った。

そうした男の態度は真実から目をそらすためのカモフラージュのようにも思われ、住民たちはアベルを疑惑の目で眺めるようになった。男に前科はなかったが、連続事件に関する切り抜きをファイリングし(以前から収集していたものではなく、嫌疑を受けてから調査のために集めたものと説明された)、22口径拳銃を所持しているなど疑わしい点もあった。

しかし殺人犯と断定するには決定的な証拠がなく、アベルが逮捕されることはなかった。1994年、アベルはリーグシティ警察の刑事パット・ビットナーを名誉棄損で告訴したが、裁判所は、複数の通報を元に容疑者と指名したもので刑事の発言や調べに違法性はないと判断し、訴えを退けた。

 

ティム・ミラーは、当局がロバート・アベルを容疑者として追っていることを知ると、警察よりも前のめりに「犯人」の証拠を掘り起こそうと躍起になった。本人への詰問ばかりか、本業で雇っていた従業員らと敷地に押し掛けて粗探しを始めたり、12頭の捜索犬を伴って牧場の内外を勝手に掘り返したりと次第に行動をエスカレートさせていった。

1999年には地元紙テキサス・マンスリーの取材に対して、ティムは「彼は悪魔のように感じる」「あそこまで行って彼の頭に銃を突き付けてぶっ放してやろうかと思う日もあります」と完全に敵意を剥き出しにしている。

地域住民たちは過激化するティムに便乗するように、アベルをあからさまに殺人犯扱いし始め、嫌がらせ行為を繰り返した。アベルはティムの「行き過ぎた正義の行動」を止めさせてほしいと警察に保護を訴えていたが、最終的には村八分のような格好でその地を離れることを余儀なくされた。

2005年7月、65歳となったアベルはゴルフカートで走行中、近くの線路で突然停止してそのまま轢死した。彼の死は孤独を疎んじての自死だと考えられている。

後年、ティム・ミラー自身も当時は追い詰められて過激な行動に走ったことを反省し、詫びているが、地元では今もアベルが真犯人だと信じている人々が少なくないという。

 

強姦魔;ウィリアム・リース

1997年5月17日、19歳のサンドラ・ポーはテキサス州ウェブスターにあるコンビニエンスストアの公衆電話から友人と近くのレストランでの待ち合わせを取り付けた。

車を発進してまもなく、彼女は何か足回りの違和感に気付いた。すると後方から接近してきたトラックの運転手が「おい、タイヤがパンクしているようだ。俺が見てやるよ」と声を掛けた。

気が動転したサポーは車を路肩に停めた。トラックを降りた男はタイヤを一瞥するなり、「何か雑巾に使える布はないか?」と彼女に尋ねた。サポーは言われるまま車内を探していると、男は徐に近づいてナイフを突きつけた。

「言うことを聞け。従わなければ殺す」

男は自分のトラックに彼女を乗せ、乱暴しようとした。だが彼女が強く抵抗すると、一旦手出しを諦めて運転席に戻り、来た道を戻るように州間ハイウェイ45号線を北上し始めた。

後から思い返せば、それは先程までいたコンビニに停めてあったトラックだった。男はじっとこちらの隙を窺い、タイヤに細工をしたに違いなかった。

(どこかに連れ去られてレイプされるだろう。大人しく従っても間違いなく殺される…)

命の危険を感じたサポーは走行中のトラックから飛び降りた。身動きが取れなくなった彼女は後続車に助けを求め、近くの公衆電話から911通報した。

「見知らぬ男に車で拉致された。車から飛び降りて(ケガで)動けない」

「男は30代の白人、金髪で、くちひげを生やしていた」

 

救助されたサポーは命には別状なく、打ち身や擦過傷のため数日間入院した。ウェブスター警察ではPTSDを鑑み、記憶を呼び起こす法医学催眠術の訓練を受けたディートリッヒ・ナンス刑事の協力を取り付けて慎重に事情聴取を進めた。

ナンバープレートの記憶こそなかったが、車両の特徴を聞き出し、かなり鮮明なかたちで容疑者の情報が得られ、過去の犯歴データから容疑者はすぐに浮かんだ。

ウィリアム・ルイス・リース(当時38歳)である。

ウィリアム・リース

オクラホマの貧しい家に育ったウィリアム・リースは、同年代の少年少女が青春を謳歌するのを尻目に、学校を辞めて農場労働者として働くことを余儀なくされた。20歳で結婚して2児を授かったが、男は酒に溺れ、家庭内暴力が絶えなかった。

1982年、妻は「夫にナイフとショットガンで殺すと脅された」と警察に駆け込み、まもなく離婚した。2度目の結婚も一年と続かなかった。

86年4月、リースは保安官代理の19歳の娘を誘拐した。

当時トラック運転手をしていたリースは、彼女の車がエンストしているのに出くわし「近くの公衆電話まで乗せていこう」と声を掛けた。運転手は女性を自分のトラックに同乗させると、にわかに劣情を催し、拘束してレイプに及んだ。その場で解放せずに男は彼女をモーテルへと連れ込んだが、女性はトイレを使うふりをしてその場を逃げ延びた。

保釈金で刑罰を免れたリースだったが、その1か月後には別の女性を強姦して再逮捕された。有罪が決まり懲役25年を宣告されるも、判決を不服として控訴。幸か不幸か、控訴審で当局の手続き上の誤りが明らかとなり、刑期が短縮されて1996年10月に仮釈放となっていた。

釈放後はオクラホマの母親の家に移り住み、運転免許証を取り戻すとテキサス州ヒューストン近郊に移り住み、馬具の蹄鉄工や建設作業員として働き出した。事件の4か月前のことである。

 

1998年、ウィリアム・リースはサポーに対する誘拐罪で有罪判決を受け、懲役60年の刑を宣告された。

当局ではリースが他にもヒューストン近郊で多数起きていた誘拐・殺人に関与しているのではないかと疑っていた。朝ジョギングに出掛けて姿を消したローラ・スミザーの自宅は、リースが行き来していた建設現場から目と鼻の先にあった。しかし犯行を裏付ける決定的な証拠がなく、当面の公訴は見送られた。

 

ケイティ・サピッチ事件と「ケイティ法」

その後、テキサスシティから西に1300km離れた場所で起きた全く別の事件が、いくつかの事件を動かすことになる。

2003年9月1日、ニューメキシコ州立大学に通う大学院生ケイティ・サピッチさん(22歳)がラスクル―セスにあるゴミ埋立地で遺体となって発見された。

8月31日の未明、ダンスパーティーに訪れていたケイティはボーイフレンドと口論となり、一人で歩いて会場を後にした。しかし31日朝、ルームメイトは彼女が帰ってこないことを心配し、行方不明を通報した。

不可解にも、ルームメイトは明け方近くに不審な物音を聞いており、寝室の窓の外でケイティが履いていた靴が見つかった。

翌日、埋立地で見つかったケイティの遺体には絞殺と性的暴行の痕跡があり、部分的に焼かれていた。あまりの惨状から犯人は常軌を逸した異常者か、彼女に相当な憎悪を抱いての犯行を思わせた。

Katie Sepich〔NBC『Dateline』より〕

3人きょうだいの長女だったケイティは優しく社交的で、物事を計画して前進することを好む姉御肌な性格で知られていた。きょうだいは彼女を尊敬し、学友やルームメイトも彼女の華々しい活躍ぶりを称え、ときに自ら冗談のネタになって自然と周囲を笑顔にさせる人気者だった、と振り返っている。

警察は、口論が目撃されていたボーイフレンドのジョー・ビショフに尋問を行った。動機の面から、怒り鎮まらぬ彼が彼女の後を追って、家に逃げ戻ろうとするところを襲った可能性はだれしもが疑うところだった。

しかしその後のアリバイがあり、犯行の物証がないことなどから容疑は晴れ、捜査はたちどころに暗礁に乗り上げてしまう。

この事件が再び動いたのは3年後のことだった。

2006年12月に窃盗、公務執行妨害、賃貸物件の返還拒否の罪でラスクルセス在住のガブリエル・アビラが逮捕された。有罪判決を受け、収監時にDNA型鑑定が行われた結果、ケイティ事件で検出されていたサンプルと一致したのである。

アビラ受刑者は再聴取を受け、3年前の夏の明け方、トラックで走行中に若い女性を轢きかけたことを証言する。彼は衝突を回避した後も、女性が無事かどうかを確認するため、立ち去る様子をその場でしばらく眺めていたという。

やがて彼女が無事に帰宅できるかどうか気掛かりになり、車で女性の後を追尾した。彼女が自宅に到着したと見るや、男は「突然我を失い」、襲い掛かって車で拉致に及んだ。無抵抗になるまで強姦を繰り返し、首を絞めて遺棄したことを自白した。

2007年、アビラ被告はケイティ事件以外の余罪と併せ、仮釈放なし・69年の懲役刑が言い渡された。

 

アメリカ刑事司法におけるDNA型鑑定は1988年から法制化が進められ、94年からデータベース化が行われてきた。だが推定無罪の司法原則と、遺伝情報は究極のプライバシーとして人権保護が必要との配慮から、本人の同意なしにDNAサンプルを採取することは原則禁じられた。

DNA型の採取・登録は殺人などを犯した重犯罪者に限定されたため、窃盗、暴行、違法薬物などの軽微な罪に関しては(証拠として必要不可欠とみなされなければ)DNAは収集されていなかった。

遺伝子検査の開発当初は、予防医療や創薬、血縁鑑定、そして犯罪捜査などでの活用が目指されていたが、一方では、雇用や保険、結婚など「遺伝情報による差別」や悪用も懸念されており、厳重な保護規制と具体的な活用との間で法的問題が山積していた。

そして2004年、ヒトゲノム解析完了宣言を迎える。保護すべきか活用すべきか、どういう線引きが必要なのかは、国や地域によって今日でも議論が分かれている。

 

そんななかケイティの両親らによる議会への働きかけもあり、ニューメキシコ州では余罪追及のためにDNA検査の対象範囲を拡大する法案が提出された。2006年、「ケイティ法」を制定し、有罪判決なしに起訴された段階で一部の重犯罪者のDNAサンプル収集を義務化。2011年までにすべての重罪逮捕者がその対象とされた。

法案可決を後押ししたケイティの父親デイブさんは「娘の殺人犯と同じように、DNA採取によって逮捕・起訴・有罪判決の隙間をすり抜けることを防ぐ効果がある」と語った。

アビラを起訴し有罪へと導いたドニャアナ郡地方検事スサナ・マルティネスはその後、ニューメキシコ州知事に選出された。DNA検査の対象者拡大によって5年間で746人の容疑者を764事件の解決に結びつける成果を上げ、マルティネス州知事は「ケイティ法なしではおよそ400件しか解決できていなかったはずです」とその実績と有効性を内外に強くアピールした。

他州でも未解決事件の削減や身元不明者の特定に向けて、ケイティ法の導入やDNA型鑑定の活用に向けた議論が広がる契機につながり、10年間のうちに30州でDNA検査の法的簡易化が推進されることとなる。

 

突破口

クリスタル・ジーン・ベイカー事件の捜査に大きな進捗はなかった一方、その間もDNA型鑑定は技術的進化を遂げた。ケイティ事件をはじめとする難事件の解決や理解の促進に伴って、DNA収集のハードルは下がり、プロファイルは拡充されていった。

(※過去エントリでも取り上げているように、欧米では離婚率の高さや養子縁組などを背景として、自身の遺伝的ルーツを探るために、自発的な、民間事業によるDNA型鑑定が広がりつつある。集められた個人データを基に、どの地方に多い血統かなどの遺伝系図的な分布を調査し、血縁から身元不明人の個人特定につなげる捜索手法が実用化されている。)

 

2009年10月、チェンバース郡警察はコールドケースの再調査を開始し、犯罪研究所にベイカーの着ていたワンピースの再鑑定を依頼した。微量の精液の付着痕が新たに見つかり、爪から検出したDNA型と一致する「単一男性のもの」と判明した。

被害者は祖母と2人暮らしだったことからも、男は最後に接触した、限りなく犯人性が高い人物であることを示唆していた。

それからおよそ1年後となる2010年9月22日、ルイジアナ州リヴォニアで薬物の違法所持によりケビン・エディソン・スミス(40歳)が逮捕される。

ルイジアナ州では重犯罪のみならず一部軽微な罪でもDNAサンプルの採取が行われ、CODIS(Combined DNA Index System)への登録が義務付けられていた。スミスの口内から採取されたDNAは、ベイカー事件で得られていたサンプルとの一致を示し、テキサス州の捜査当局に報告された。

ケビン・エディソン・スミス

スミスは主に建設現場での溶接工として13年の間に4州17都市を移動していた。親しい友人はなく、一緒に働いた関係者たちは彼のことを「目立たないやつ」だと口を揃えた。

クレジットカードの履歴から、1996年3月当時はグローブスのベストバリューインに期間滞在していたことが分かり、近郊の製油所で下請け工事に携わっていたことが判明する。

当初、事件のあった3月5日は雨で業務が休みとなり、自宅近くのコンビニエンスストア付近で家出少女を車に乗せ、自宅に送り届けたと供述したが、その後、DNA型の一致を突き付けられてついに殺害事実を認めた。

www.youtube.comクリスタルの母親ジーニーさんは会見の席で犯人検挙までの長い道のりを「悪夢か白昼夢の中を彷徨っているようだった」と喩え、手掛かりに乏しく家族だけではどうにもできなかったと捜査関係者の労に礼を述べた。容疑者逮捕の報を聞かされたときは「天の思し召しに奇跡を感じた」と言い、「あとのことはただ神様の手に委ねるだけです」と心境を語った。

裁判では自白の録音テープが一部公開された。スミスは酒に酔った状態で少女を拉致したこと、車内でオーラル・セックスを強要したこと、当初は手足で殴る蹴るなどしていたがやがて首を絞めるために溶接バケツに付属する革のベルトを用いたことなど詳細が明らかとされた。

被告人は弁論台に立つことを拒み、陪審員の審議は僅か30分で有罪と決された。スミスは終身刑に当たる仮釈放なし・40年の懲役刑を宣告された。

時間の経過とともに「証拠」は失われていくものと考えられてきた事件捜査において、DNA型鑑定の飛躍的進歩・拡大は、多くの未解決事件や冤罪事件を動かす突破口と期待された。

 

2015年、先述したサンドラ・サポーの誘拐で捕まっていたウィリアム・リースのDNAが、1997年にオクラホマ州で強姦・殺害されたティファニー・ジョンストン(当時19歳)の犯人とみられる残留DNAと一致し、再逮捕された。

更なる余罪を追及されたリースは、同じく97年夏に行方不明となったジェシカ・ケイン、ケリー・コックスの殺害を認め、遺棄現場を示す地図を提出した。

翌2016年、リースは「最初の犯罪」としてフレンズウッド地区でのローラ・スミザー殺害を自供した。供述によれば、性的動機ではなく、雨天の走行時に誤ってはねてしまい、発覚を恐れて遺体を湖に運んだとしている(のちに首を絞めた殺人容疑を認めた)。

オクラホマ郡では裁判所施設の問題やCOVID-19のパンデミックにより公判の延期が続いたが、2021年5月に再開された。検察当局は死刑を求刑したが、被告弁護側は「死刑を免除するとの司法取引に基づく供述で自白内容は虚偽である」として無罪を主張した。

8月19日、オクラホマ郡裁判所は、司法取引は成立していないことを確認し、ジョンストン殺害で死刑判決を下した。判決後、検察はリースの自白には部分的に虚偽が認められ、真の動機、正確な情報が提供されなかったと述べた。また判決前に他の受刑者を介して携帯電話を購入していたことを明らかにし、訴追するとした。

2022年3月、リースの身柄は再びテキサス州に引き渡された。裁判では、3件の殺人容疑をすべて認め、6月、終身刑が宣告された。

 

疑惑の男;クライド・ヘドリック

ティム・ミラーはFBIが容疑者と見当付けたアベルへの追及を断念したが、別の地元男性にも注視を向けていた。

クライド・エドウィン・ヘドリックは屋根葺きなどの建設業を生業としており、親しい交流はなかったが、ローラ失踪当時、ティム・ミラーの二軒隣りに暮らしていた。不法侵入、窃盗、放火未遂、マリファナの不法所持、飲酒運転、性的暴行などに加え、死体損壊の前科があった。

 

クライド・ヘドリックは1985年に、前年7月に起きたエレン・ビーソン失踪に関して取り調べを受けた。身近な人間は彼のことを「だれとも打ちとけようとしない内向的な人間」だと見なしていた一方、夜の盛り場ではダンスホールに度々現れる黒いテンガロンハット帽姿の「ナンパ師」として知られていた。

調べに対し、ヘドリックはその晩ダンスホールで知り合ったビーソンを誘い出したことを認めた。男女はガルベストン郡の湖を訪れ、一緒に泳ぎ始めたと言い、「彼女は遊泳中に溺死した」として殺害を否認した。

病院や警察に知らせれば自分が逮捕されるのではないかとパニックに陥り、死体を車に乗せて彷徨い、オールド・コーズウェイ・ロード付近の人目につかない場所に棄てたことを認めた。

供述をもとに発見された遺体から死因は特定できなかった。ビーソンは「事故死」扱いとされ、男が殺人の罪に問われることはなかった。

裁判では元妻やかつての恋人にDVをしていたことが示されたが、ビーソン殺害を決定づける証拠はなかった。不法投棄の古タイヤやソファの下敷きにして遺体を傷つけたとして、ヘドリックには死体損壊罪が適用され懲役1年が言い渡された。

釈放後、男はダンスホールで知り合った子持ちの女性と結婚。妻の娘に対して故意に性器を見せつける、寝ている間に体を弄るといった性的虐待を行っていた。娘は母親に被害を訴えたこともあったが、母親は夫ヘドリックの言い訳を盲目的に信じ続けた。

娘が進学を機に家を離れると、ヘドリックの家庭内暴力がひどくなり、家の中は荒れ果て、夫婦は離婚に至った。元妻が片づけをし始めると、家具で隠れていた壁の一画に奇妙な穴があることに気づいた。その穴は、「娘の部屋を覗く」ために人為的に開けられたものだった。元妻は娘の訴えが真実だったと悟り、それまでの自らの行動を悔いた。

2011年、元妻は、ヘドリックがエレン・ビーソン殺害を頻繁にほのめかしていたことを警察に通報した。元夫は、ビーソンの死に麻薬取引の失敗が関わっていること、彼女を殺害したあとで死姦したことを公然と語っていた、と告発した。

当局はビーソン事件の捜査を再開し、2012年に遺体を掘り起こして再検視した結果、頭部に転倒などの事故では生じえない「殺意と認められる打撃」による陥没痕が確認された。

クライド・ヘドリック

 

2014年、クライド・ヘドリックを殺人罪で逮捕。事件発生から30年が経ち、70歳となっていた男は裁判で無罪を主張したが、陪審員は過失致死での有罪判決を下し、懲役20年の刑がつきつけられた。

「刑務所から一生出てほしくないとずっと願っていた」と何年も虐待を受けてきたかつての義理の娘は涙ながらに語った。

 

ティム・ミラーは、ヘドリックの元娘と接触して話を聞き、「娘のローラ・ミラーたちが発見された現場に心当たりはないか」と尋ねた。

その荒れ地に足を運んだヘドリックの元娘は、すぐには思い当たらなかったが、奥の沼地や古い鉄パイプの残骸を見て、養父に連れられて来たような記憶があると話した。彼はその場所で「草刈り」をしていたという。

ティム・ミラーは「他にも余罪があるのではないか」「ローラ殺害もこの男に違いない」と確信を深めていった。有罪となったクライドはハンツビル刑務所で州最高レベルの「超集中監視プログラム」と呼ばれる重犯罪者向けの管理下に置かれ、刑期を過ごしていた。クライドはローラ殺害を否認し、ティム・ミラーの面会要請を拒否し続けた。

しかし刑務所の過密状態緩和を目的とした州の「強制釈放法」改正に伴い、釈放条件の一部が緩和されたことによりクライドは8年足らずで服役を終え、2021年に仮釈放が認められる。元家族やティム・ミラーは刑期満了までの収容を求めてあらゆる異議を申し立てたが却下された。

クライド・ヘドリックは強制保護観察のもと、更生施設で暮らしている。ティム・ミラーは男を依然として地域社会の脅威であり、足首にGPSタグを付け24時間あらゆる監視と行動制限が必要だとメディアを通じて警鐘を鳴らした。

さらに2022年7月、ティム・ミラーはクライド・ヘドリックが拘留中にローラ・ミラーらの殺害をほのめかしていたとの情報を入手し、「4女性殺害の犯人はクライド以外に疑う余地はない」として民事訴訟を起こした。ティムが入手した証拠は明らかにされていないが、欠席裁判によりヘドリックに2400万ドル強の損害賠償が命じられた。

ヘドリック元受刑者に弁済能力はない。しかしティム・ミラーにとっては断じてお前を許すことはないという決意の表れであり、残りの人生を亡き娘に捧げるという父親の執念の行動と言えるだろう。

尚、2024年現在、クライド・ヘドリックはローラ・ミラー殺害に関して刑事告訴されてはいない。

 

過去の容疑者たち

ロンダ・ジョンソンとシャロン・ショー殺害の容疑で、ガルベストン出身者でガソリンスタンド店を経営するマイケル・ロイド・セルフが逮捕された。

少女たちは71年8月にガルベストンのサーフショップ付近で目撃されたのを最後に行方不明となり、72年の年初めに湖に釣りに来ていた少年らが頭蓋骨を見つけ、歯型によって不明少女の遺骨と特定された。

市議会議員をしていたロンダの祖父は警察に早期解決を強く求めており、グレン・ブライス市議会議員は「のぞき魔」の前科のあったマイケル・セルフへの疑いをガルベストン警察署に示唆していた。

マイケル・ロイド・セルフ

 

セルフは一旦は自白に至るも、裁判を前に撤回。長時間の拘禁や取調官が殴る蹴るばかりか、ビニール袋を被せて窒息させたり、警察署長がタバコやラジエーターで「根性焼き」を加えたり、警棒での殴打やピストルを突き付けての脅迫など、拷問による自白の強要があったと主張した。

被害者の服装や犯行日時、遺体の場所や殺害方法など、マイケル・セルフが署名した自白調書は、内容の変遷が大きく、客観的事実との間に明らかな矛盾が多数あったにもかかわらず、74年9月に有罪判決が下され終身刑とされた。

一方、1976年、ガルベストン署は数々の拷問や不正行為が明るみとなり、署長ドナルド・モリスらが逮捕・起訴される騒ぎとなった。モリスは懲役55年、次長トミー・ディールは懲役30年の刑を宣告された。

アメリカでは1966年のミランダ対アリゾナ州裁判の最高裁判決(ミランダ警告ミランダ権と呼ばれる)に基づき、拘留された容疑者に対して黙秘権や自己負罪拒否(法廷で不利になる証言はしなくてもよい)、弁護士に相談するなどの権利が認められており、それらを担保として供述の信用性が認められている(容疑者に対する人権が保障されていない尋問、強要された自白は信用できないとする考え方)。

取調官のデイブ・コバーンは、マイケル・セルフから自白の強要に関して相談されていたことを告白し、現にモリス署長らによる容疑者への拷問を目にしたこともあると主張した。しかし裁判所はミランダ警告を無視して、セルフに対する尋問は適法で供述は自発的だったと認定し、控訴を認めることはなかった。

セルフが言及することはなかったが、1980年にはテキサス州ハリス郡テイラーレイク・ビレッジに住む男が地元警察に出頭し、二女性殺害の真犯人であると主張した。被害者の一人の近所に暮らしており、殺害に電気コードを使用したなどの自供があったが、男は精神病を患っていたとみられており、起訴されることはなかった。

1993年3月30日、最高裁はセルフの再審請求を却下。翌年には仮釈放の審査も却下され、控訴を断念した。2000年、マイケル・セルフはガンにより52歳で獄中で息を引き取った。

 

エドワード・ハロルド・ベル

 

1993年2月にパナマで逮捕された殺人犯エドワード・ハロルド・ベルは懲役70年の刑を宣告された。

彼は過去にも数々のわいせつ犯罪で前科があったが、78年8月、テキサス州パサデナで女児たちが遊んでいるなかに下半身を露出して現れ、追い払いにきた女児の親戚で海兵隊員の男性に対して22口径ピストルで胸を4発と頭部を1発放ち、その命を奪った。保釈金を払って釈放され、裁判を待たずして逃亡し、指名手配犯に指定されていた。

92年末に犯罪捜査番組『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』で取り上げられると、中南米パナマシティでの目撃情報が舞い込み、再び御用となった。

 

エドワード・ベルは1998年に獄中から、テキサスで過ごした70年代に7人の少女を手に掛けたとする内容の手紙をガルベストン郡の検察官宛てに送っていた。しかしその告白は公にされることなく、2011年に殺人課の元刑事フレッド・ペイジによって紹介された。手紙の一部には、犯人しか知りえない詳細の一部が含まれていたという。

手紙の再発見でヒューストン・クロニクル紙のインタビューを受けたエドワード・ベルは、海兵殺しのほかに11件の殺人を犯したと語った。一部の捜査員は彼の主張を裏付ける証拠があるとしたが、当の手紙は紛失しており、検察局は新証拠とはならないとして告訴に踏み切ることはなかった

ベルによれば、71年当時はバイユー近郊でトレーラー暮らしをしながら、ガルベストンのサーフショップ経営に参画し、白いバンを所有していたという。店に出入りのあった有名な「サーフガール」デビー・アッカーマンとマリア・ジョンソンのほか、名前は知らないが似たような2人組の殺害を示唆しており、デビーたちより数か月前に姿を消したロンダ・ジョンソンとシャロン・ショーではないかと考えられている。

エドワード・ベルは父親や身近な人々から受けた「洗脳プログラム」によって露出狂や強制わいせつ、殺人を強いられたのだと主張し、起訴免除が認められるならば殺害の新証拠を提出する準備があると記者に語った。狂人の承認欲求や司法取引を求めているだけだとして相手にしない者もいるが、元刑事のペイジらは何年にも渡って調査や検討を続けた。

ベルは国外逃亡中にわいせつ犯罪を犯していないと主張したが、パナマ当局は国内で起きた4件の強姦殺人の容疑者とみなしていた。2019年、ヒューストン近郊のウォレス・パック・ユニットで心不全により79歳で亡くなった。

 

テキサス・キリングフィールドでどれほどの事件が起こり、埋もれ、流されていったのか、その全容は分からないが、多くの痛ましい血が流されてきたことだけは確かである。地理的条件、景気や開発、人口流動といった側面以外にも、他の未解決事件と同じく捜査機関の脆弱さ、怠慢や不祥事も遠因に数えられよう。

時代が流れ、町がその景色を変えてしまっても、残された人々の涙が完全に乾ききることはない。犠牲者のご冥福をお祈りします。

 

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