有力な目撃情報があり、監視カメラにもその姿が捉えられていたが検挙につながらないまま早10年が経とうとしている。犯人の不可解な足どり、執拗なやりくち、その動機は一体何だったのか。
神奈川県警では、事件直後にJR湯河原駅に現れた不審な人物の防犯カメラ映像を公開して情報を求めている(下のリンク。人物については後述)。
風貌、歩き方、荷物や特徴的な動きなどを確認いただき、よく似た人物を知っている等お気づきのことがあれば、神奈川県警察小田原署 捜査本部 0465-32-0110(代表)までご一報されたい。
事件の発生
2015年(平成27年)4月21日(火)午前6時頃、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下の木造平屋民家で火災が発生し、「窓から煙が出ている」と近隣住民が119番通報した。30分程で火は消し止められたが、約50平米の建物は全焼。焼け跡からは一人暮らしの住人女性平井美江さん(66歳)とみられる他殺体が発見された。
遺体はニットの長袖の上着にスパッツ姿で、着衣の乱れはなかった。
寝室のベッドに仰向けに横たわり、頭まで布団をかぶせられた状態で、額の右側には包丁が柄の部分まで深く突き刺さっていた。頭部や顔面に傷が集中しており人相が分からないほどで、首より下に傷がないこと等から寝込みを襲われた可能性があると考えられた。
玄関や窓のカギは全て施錠されていた。火元は隣の居間と見られ、遺体のあった寝室はそれほど焼けていなかった。居間では油分が検出され、ストーブやポリタンクがあったことから灯油をまいてから火を点けた可能性が見込まれている。また焼け跡から見つかった平井さんのポーチには現金が残されており、犯行は金銭目的ではない可能性も考えられた。
平井さんには軽度の知的障害があり、10年以上前から町内の障害者向けの作業所に通っていた。作業所の車で朝・夕の送迎を受けており、20日も朝から元気な様子で働き、午後3時半頃に帰宅していた。
近年は足が弱り、車いすや杖を使って生活しており一人で出歩くことはなかった。交友関係は広くないが明るい性格で料理上手だった。作業所の仲間を家に招いたり、近隣住民からお裾分けをもらうなど人付き合いに長けていた。人を元気づけるような朗らかな人柄で、他人から恨みを買うようなことは決してないという。
過去に平井さんからトラブルの相談などはなく、警察では殺人放火事件と断定して小田原署に捜査本部を設置した。
平井さんの自宅は、JR湯河原駅から駅前駐車場を挟んで200メートルほどの細い路地にあった。
過去のストリートビュー(下)で見ると、焦げ茶色の棟が寝室、ドアを挟んでベージュ色の棟が台所・居間となっている。建物の裏手(画面右手)は茂みになっており、その向こうに東海道本線の線路が通っている。勝手口はなく、掃き出し窓があった。
また路地を挟んで家の向かい側は、パチンコ店の裏手に当たり、店の駐車場と換金所が目の前にあった。パチンコ店の防犯カメラには、推定死亡時刻直後、平井さん宅の玄関から出てきて駅方面へと立ち去る人物が映り込んでいた(後述)。ただちに映像解析に掛けられたが不鮮明で人定には至らなかった。
湯河原と聞くと伊豆半島の付け根に位置する温泉地がイメージされるが、駅周辺に温浴・宿泊施設はそれほど多くない。高級旅館などが立ち並ぶ温泉街は、東海道本線よりも西に位置する千歳川の中上流部となる。
平井さん宅のあった駅の南側や、東の沿岸部にかけて広い住宅街が形成されている。尚、平井さんは長年両親や姉と一緒に同じ家で生活してきたという。
司法解剖の結果、死因は頭がい骨骨折に伴う脳挫滅。死亡推定時刻は午前5時頃とされた。顔や頭部には鈍器による殴打痕、刃物による10数か所の傷があったが、腕に防御創などはみられなかった。煙を吸い込んだ形跡がなく、犯人は殺害後に火を放ったと推認された。
凶器の刃物は平井さんの自宅にあったものとみられ、遺体近くに「フライパンが落ちていた」とも伝えられている。犯人の指紋は検出されず、消火活動で荒れてしまった影響もあってか、現場から犯人につながる物証は得られなかった。
4月30日、DNA型鑑定の結果、遺体の身元が平井さん本人と特定された。
平井さんには離れて暮らす姉がおり、弁護士を通じて「最初は自分(平井さん)の粗相で火事を起こしてなくなったのかと思いました。それが事件に巻き込まれて亡くなったのだと知り、彼女がどういう気持ちで最期を迎えたのかと思うと可哀そうな気持ちでいっぱいです」とコメントを発表している。
捜査関係者は「あまりに凄惨な手口。強盗目的でないのなら、足が不自由な平井さんをなぜそこまでして殺害したのか」と話す。平井さん宅は平屋建てで周囲の家よりも狭小に見え、強盗が目を付けるような家には似つかわしくないように思われた。
執拗な犯行は怨恨を思わせるものだが、周囲の人間関係からもそれといった相手は浮上せず、なぜ彼女が、この家が狙われたのかはっきりしなかった。
事件は長期化し、遺族は1年後に「愛する妹と思い出の家を奪われ、悔しくて寂しくてたまりません」とコメントを発表して、捜査の進展を願った。
い
もうひとつの事件
平井さん宅の火災発生よりおよそ6時間前、南に約350メートル離れた湯河原町土肥の3階建て集合住宅で、押し込みに入った見知らぬ男に住人男性(61歳)が襲われる傷害事件が起きていた。
犯人の男は長さ50~60センチの水道管のような細い鉄パイプで二度殴りかかり、何も取らずに逃走した。住人男性は30針以上を縫う重傷を負った。
警察では傷害などの容疑で男の行方を追うとともに、両事件に関連があるのではないかとして調べを進めた。
住人男性によれば、仕事を終えて21日午前0時前後に帰宅しようとしたところ、アパート近くの電柱に身を潜めるようにしている男を見掛け、一瞬目が合って「変な奴だな」と感じた。そのまま2階の自室に入り、無施錠のまま部屋で座っていると、先ほど路上で見掛けた男が急に押し入ってきたという。
「あんたを殺す」
犯人は身長170センチくらい、痩せ型体型。パーカーのフードをすっぽり被って紐を縛っており、口元をタオル(「手ぬぐい」とも)で覆い隠して目だけ出した状態。下は黒っぽいジーパンのようなズボン。鉄パイプを手にし、手袋代わりなのか、両手に靴下をはめていた。
男性は見知らぬ男の襲撃に驚き、「どこの者だ」と尋ねると犯人は「地元の者だ」と答えた。「いちいち通報しないから、帰れ」と説得しようとしたが、それに応じず、犯人は一方的に自分の話や持論を語り始めたという。
「両親は俺を生んですぐに捨てた(親に棄てられた)」
「ガキの頃からシャブ(覚醒剤)を打ってきたんだ」(※「売っていた」の可能性はないだろうか)
「仲間に入らないか」
「金を持っている汚い人間が世の中に多くて嫌だ」
「持ってるやつから奪えばいい」
といった発言があったと言い、二人のやりとりは約10分ほど続いた。
犯人は部屋を見まわして住人男性に同情したのか「あんたから盗るものはないな。でもあんたを殺さないといけない」などと、どういう訳か殺意を曲げなかった。
やがて「カギはどこだ」と言われて、住人男性が床のカバンに手を入れた瞬間、後頭部を思い切り殴りつけられた。犯人を抑え込もうとして5分程度揉み合いになり、さらに前頭部も鉄パイプで殴られたという。
男性は出血で目が利かなくなると、辛くも部屋を逃げ出して、階段を下り、右方向に走って助けを求めた。続いて犯人も下りてきたが、住人男性と逆方向に出て、すぐに右折していったという。
その後の捜索で、現場となった集合住宅から200~300メートル西にある「桜木公園」で凶器の鉄パイプが発見された。
住人男性は「何の目的で侵入してきたかも分からず、殺されるかと思った」と険しい表情で語った。犯人が酒に酔っていたり、違法薬物をやっているようには見えなかったと言い、「20代だろうと思う。外国人じゃない」と述べている。アクセントや訛りの特徴、鉄パイプ以外の所持品などの情報は伝えられていない。
平井さん宅の事件の話を聞いて、「あいつ、やりやがった」と瞬時に同一犯と確信したという。
また住人男性への取材記事で「犯人は駅方向に行った」という内容が伝えられているが、犯人が湯河原駅まで真っ直ぐ向かったものとは考えにくい点に留意が必要である。
犯人が住宅の左手に出て、すぐに右折したのを住人男性は目にしたことから「駅方向」という表現になったと考えられる。だが近くの公園で鉄パイプが捨てられていたことから、犯人はそのまま駅へと北進せず、すぐに左折して公園方向に向かったと推測される(上のマップの青点線ルート)。
住人男性との揉みあいによって犯人はかなりの返り血を浴びていたはずで、鉄パイプを捨てるために公園に行ったというより、水道で血糊を洗い落としたかったのではないかと筆者は感じた。
一方で、公園の100メートル先には「湯河原交番」があった。交番と現場の間の公園で犯人は長らく潜伏していることは不可能だったと考えるのが自然である。現場に出動していく署員の動きを確認してか、あるいは隙を掻いくぐって移動したものと推測できる。被害者男性が語った「犯人の発言」の全てが事実とは俄かには信じがたいが、公園や交番の位置関係を把握していたとも考えられ、土地鑑を有した犯人像が浮かび上がる。
男性襲撃の通報を受けて、21日未明には小田原署が緊急配備を敷き、逃走犯への警戒態勢のなかで、早朝に平井さん宅の火災が起きたことになる。小田原署は湯河原駅からおよそ20キロメートル離れており、車でおよそ30分を要する。通報のタイムラグなどを考えれば応援が駆けつけたのは午前1時近くになってのことと推測される。
人口2万5千人余りの小さな町で一夜のうちに立て続けの凶行が発生したことから、周辺住民たちも「次の事件が起きないか心配だ」として恐怖に包まれ、直後のゴールデンウィークの観光客減少にもつながったとされる。
両事件が同一犯による犯行とすれば、男性襲撃のあった午前0時から平井さん殺害までの午前5時までのブランクについてはどう判断するべきだろうか。犯人は警察が警戒中の町をさまよいながら350メートル先の小さな家に狙いを定めたというのだろうか。鉄パイプで強打し、男性が外に助けを求めに行ったことを知りながら、なぜ犯人は遠くへ逃げのびようとせず、第2の犯行へと向かったのか。
防犯カメラと目撃情報
平井さん宅の前では火災発生より前に不審な人物の目撃があった。
近隣住民が午前5時10~15分頃、普段しない足音に気づいて注意を向けると不審な男が駅の方に向かっていったという。男の服装は「スーツか黒っぽい上下」で、こちらを振り返ったときにほくそ笑んでいたように見えたと話している。
「振り返った時にほくそ笑んでた」不審な人物を目撃した住民「普段しない足音が駅の方に…」湯河原殺人放火発生から9年【モクゲキ!】|FNNプライムオンライン
一方、消火活動中にもほくそ笑みながら現場から立ち去る男の目撃情報もある。消火作業は概ね6時~6時半の間である。服装は上下グレーのウインドブレーカーだったと言い、年齢は「30代前後」とされている。
放火犯の特徴として、素知らぬ顔で現場に舞い戻り、その被害の大きさや消火活動の騒ぎを見物することを好む性質はよく知られている。犯人は施錠して一度平井さん宅を離れ、騒ぎが大きくなるのを見計らって現場に戻ってきたのであろうか。
人間の心理として極度に緊張すると顔がこわばってしまい、ほくそ笑んでいるように見えることもあるかもしれないが、早朝の1時間ほどの間にほくそ笑む男が現場で立て続けに見られているのも不可思議な話である。
先述した通り、平井さん宅の向かいのパチンコ店に設置された防犯カメラが、死亡推定時刻近くに玄関から出ていく不審者の姿を捉えていた。正確な撮影時刻は公表されていないが、初期報道では「午前5時すぎ」「午前5時ごろ」とする記事もある。
人物の画像は小さく不鮮明だったとされる。横浜での観測にはなるが、4月21日の日の出時刻は5時2分。平井さん宅のある裏通りはまだ薄暗かったと推測されるが、犯人は空が白む頃合いを見計らっていたのであろうか。
そして湯河原駅でもパチンコ店と同一とみられる人物が構内の防犯カメラに捉えられており、事件の1年後になって動画が公開された。
県警では「容疑者」とまでは断定しておらず、現段階では事件の事情を知る人物とみて行方を追っている。一見すると、くせ毛頭の20歳代男性のような印象を受けるが、性別についても伏せられている。
公開されているのは、①切符を改札口に通して通過していく姿、②上りエスカレーターに乗る姿、③上りエスカレーターからホームに出てくる姿の三か所の映像である。
人物は上下とも黒系の服装で、白マスクで顔が隠れている。黒リュックを背負い、左手にチェック柄(白・水色系)の紙袋の荷物を持っている。返り血は見て取れず、荷物の多さから見ても衣服を着替えている可能性が考えられる。一部には、ウィッグ(かつら)の使用を疑う声などもあるが、映像の荒さからはっきりとは断定できない。
こちらも撮影時刻は公表されていないが、公式には午前4時40分~6時頃のものとされている。始発時刻から火災発生までの間というぼやかした表現である。
だが事件5日後の産経新聞では「午前5時すぎ」と報じており、「東海道線は午前5時台までは小田原や横浜方面の上り電車しか走っておらず、5時45分発の東京方面、宇都宮駅(栃木県)行き電車に乗った可能性が高いと見られている」と報じている。
参考までに、JR湯河原駅の上り線(小田原・横浜・東京方面)は始発が4時40分で以降およそ15~20分おきに停車し、終電は23時13分。下り線(熱海・伊東・沼津方面)の始発は6時9分で、こちらもおよそ15~20分間隔で、終電は0時36分となっている。
これが確度の高い情報だとすれば、公開されていない湯河原駅のホームのカメラで「乗車する姿」が捉えられていたか、別の駅のホームのカメラに乗車中の姿が映り込んでいて逆算して電車時刻が割り出された可能性がある。しかし降車駅の情報は公開されておらず、移動途中で見失われたものと思われる。
過去エントリ、東京葛飾区に住む18歳の女学生が大学の帰りにいなくなり音信不通となった事件では、当初は自発的失踪扱いされていた。だが家族・友人らの要請で警察が行動追跡を行うと、キャンパスのあった文京区湯島からなぜか100キロメートル近く離れた茨城県の鹿島神宮駅まで電車で移動していたことが判明して謎を読んだ。
このときは電子マネーSuicaの利用履歴、各駅の監視カメラを辿って追跡する「リレー方式」と呼ばれる捜査手法が採られた。女学生は鹿島神宮駅からさらにタクシーで隣の神栖市へと移動していたこと、ゲーム内のチャット機能を通じて見知らぬ相手とも連絡を取り合っていたこと等から犯人の男が浮上した。
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21日早朝の状況を総合して考えると、午前5時過ぎに平井さん宅を出る姿がパチンコ店裏の防犯カメラに映り込み、近隣住民に目撃されてほくそ笑み、駅構内のカメラで再び捉えられたというのがスムーズな流れだ(消火作業中にほくそ笑んでいた男はどうしてもタイムラインに当てはまらない)。
しかし煙が上がって119番通報に至るのは午前6時である。この小一時間のギャップをどう説明するか。
死亡推定時刻は、司法解剖による所見のほか、現場検証や目撃情報、防犯カメラ映像などを踏まえた上で推認される。警察は午前5時ごろに家を出ていく玄関の映像を元にして殺害された時刻と推認したのであろう。
単に火を点けてから40~50分後に燃え広がったのかもしれないが、灯油を撒いた状態でそのような時間差が生じうるものだろうか。豊明母子殺害事件のように、犯人は時限着火装置のような仕組みを駆使したのだろうか。
また事件直後から男性襲撃との関連性は一度も否定されたことはなく、被害者男性も駅構内の映像を確認したものと考えられ、映っていた人物を犯人と認めた(少なくとも否定はしなかった)とみてよいだろう。
通例、警察では先入見を与えて情報提供の幅を狭めないために、不審人物の似顔絵や不審車両の情報を出すことを躊躇する(多くの長期未解決事件で「情報公開の遅れ」が指摘される)。
一年での映像公開は他の事件に比べると比較的早いアクションであり、目撃者情報やパチンコ店裏の防犯カメラ映像の人物とみて相違ない、支障がないということの裏返しとなる。つまり両事件の犯人は公開映像の人物と見てほぼ間違いない(少なくとも捜査機関はそのように考えている)ということであろう。
公開映像の人物の挙動について、筆者は特段異様さや不自然さを感じなかった。何もない所でけつまづいたり、ポケットに手を入れっぱなしで移動している人も大して珍しくはない。そうした点は各人でご確認いただくとして、映像ではっきりと指摘できる不審点は、こども料金の切符を購入していることである。
人物が改札口を通過する際、切符を入れると画面手前に見える白いランプが点灯する。これは大人料金の半額のこども切符を使用した目印で、通常は改札係が通過時に利用者を確認しているが、このときは係員が不在だったのか、特に注意を受けることもなく通過している。
警察でも紙切符を回収しようとしたと思うが、はたして降車駅の確認ができず見つけられなかったのか、回収したが指紋採取にはつながらなかったのか、指紋も押さえているが情報を伏せているのだろうか。
通常の逃走犯であればなるべく目立たない行動を取るように思われるが、人物はなぜあえてこども料金で乗車しようとしたのか。見た目には明らかに「中学生以上」で、おとな料金の範疇に見える。
考えられる理由として、平井さん宅で金を得るつもりがポーチの金が見つけられず、やむなく手持ちの金で買えるこども料金の切符を購入したこと。いわゆる「キセル乗車」で降車時も強引に突破しようと考えていたのか、あるいは最寄り駅の定期などを持っており、とにかく乗車ゲートさえ抜けてしまえばよいという考えだったのか。
別の角度から考えると、この人物は日頃からおとな料金で切符を買うことがなかった可能性があり、たとえば50%割引(こども料金)が適用される障害者なのではないかという見方ある。
JRでは身体障害者、知的障害者の第一種・第二種手帳を持っている人は(介護者も含めて)50%割引を受けられる制度がある。また児童養護施設や更生施設など社会福祉施設の入所者にも適用される。
JRの指定を受けた施設の入所者が、JR及びその連絡社線を利用する場合に5割引となります。
捜査本部では発生から1か月で現場周辺1800人以上から聞き込みし、被害者の関係者ら337人から事情を聞いて回った。交通機関やコンビニエンスストアなど77か所の防犯カメラの映像を確認したが、さらなる追跡や不審人物の特定には至っていない。
検討
何の目的で侵入してきたのか分からない、得も言われぬ殺意を持った男が立て続けに事件を起こした。「流し」による犯行の可能性が高く、その動機は怨恨でもなければ金銭でもなく、殺人行為そのものを目的とした「通り魔殺人」に近いものではなかったか。
思い出される事件としては、自転車で友人宅に向かっていた男子学生が通りで刃物を持った男に襲われた京都精華大生通り魔事件の犯人像とイメージが重なる。複数の目撃者によれば、犯人は自転車で移動しており、目の焦点があっておらず「あほ、ボケ」などと因縁をつけていたという。
近郊に暮らす、奇行が目立つタイプの若い犯人のように思われるが、こちらの事件も該当者は見つからないまま15年余が経過してしまった。
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相違点として、精華大事件の犯人は刃物を携行していたが、本件の犯人は1軒目では現地調達とみられる鉄パイプ、平井さん宅では家にあったとみられる刃物、フライパンを凶器としており、強い殺意の割に計画性がやけに低いように思われる。おそらく指紋をおそれてのことと考えられるが、手に靴下をはめるなど、周到さとともに稚拙さも目に付く。
以下では、通り魔的犯人による同一犯との見立てと憶測で、犯人の行動を描いてみたい。
第一事件後
事件前の4月20日は午後から雨が降り出し、21日未明ごろまで断続的に降り続いた。犯人は、男性を襲撃した第1事件後も遠方に移動していないことや駅構内に現れた点から見ても、バイクや自動車などはなく電車で湯河原を訪れていた。
第1事件の正確な時刻は不明だがすでに終電がないと思っていたか、血糊が付いた着衣のまま駅に立ち入るのはまずいと考えたのであろう。公園には雨宿りできそうな屋根付き遊具はなく、トイレにずっと籠っていても人が来たら逃げ場がない。
目と鼻の先には交番と第1事件の集合住宅があり、見る見るうちに騒ぎは大きくなっていく。そのまま公園にも留まっていられないと感じた犯人は少しでも駅の近くへと移動を開始した。移動は小田原署から応援のパトカーが駆けつける1時よりも前だったのではないか。
殺害
平井さんは朝から夕方まで作業所通いがあるため、普段それほど夜更かしではなかったはずだ。1時過ぎともなれば就寝中だったにちがいない。また施設関係者によれば、日頃からドアの施錠を怠ることはなく、平井さんから呼び出されて家まで訪問した際、ノックをしてもすぐに開けようとはせずに「だあれ?」と相手を確認する用心深い面があったという。
もちろんこの日に限って、玄関や窓が無施錠だった可能性は排除できない。逃走中の犯人はおそらく始発まで安全に待機していられる避難場所を求め、表通りから裏通りをさまよっていた。そんななか、戸外に車も置かれていない小さな平屋建ての家屋を見つける。「年寄が単身で住んでいそうだ。それならば制圧できる」と考えたのではないか(あるいは事務所や倉庫など住人がいない建物と誤認したかもしれない)。
犯人は侵入可能な場所を見つけたか、あるいは家の周りで物色しているうち、中の住人から「だあれ?」と尋ねられ、咄嗟に「終電を逃して、金もなくて…少し雨宿りをさせてほしい」などと口走ったかもしれない。
困った相手を放ってはおけなかった平井さんは、知らない相手ではあったが中に通してしまったのではないか。見れば女性は足が悪く、犯人はすぐに凶行に及ぶのを躊躇した。彼女は「タオルがあそこにあるから使っていいよ」「着替えないと風邪をひくよ」などと世話を焼いたとも考えられる。
男は警戒させないように表面上は感謝を示してしばらくやりとりをして過ごした。やがて「横になっていてください」「始発で帰りますから」などと取り繕いながら女性を布団の中に留めた。やがて女性が再び寝入ったのを確認すると、おもむろに台所で凶器になりそうなものを物色した。
逃走
犯人は痩せ型体型で、都合よく平井さんはふくよかな体格だったこともあり、彼女の衣服をどうにか着ることができた。駅構内の防犯カメラ映像で、ズボンのすそが妙にすぼまっているように見えたり、ポケットに手を入れっぱなしにしていたのは、丈やウエストのサイズが合わなかったためではないか。
朝5時頃を目途に部屋を出ると、発覚を遅らせるために窓と玄関を施錠した。その姿がパチンコ店裏手の防犯カメラに映り込んでいた。
犯人は駅へ向かったが、まだ上り線しか通っていないこと、下り線の発車まで小一時間の猶予があることに気が付いた。駅から現場まで徒歩2~3分であり、再び現場に戻って証拠隠滅のために火を放つことを思い立ったのではないかと考えている。
人物像
犯人は第1事件の男性に「親に棄てられた」旨の話を一方的に語っていた。「棄てられた」のが事実か否かははっきりしないが、おそらく住人男性から「あんた家族はどうしてるの?」「コロシなんかしたら家族が悲しむよ」などといった言葉に反応して出た発言と推測される。
突発的にそうした虚言が出るとは思えず、少なからず犯人にはそうした親から見放された感情があった、あるいはどこかの養護施設か少年院等更生施設に入所経験があり、施設を出されて生活苦に陥っていたなどの境遇も想像される。身をやつして実際にプッシャーの手伝いをさせられたりしていたことがあったかもしれない。
さらに「金持ちから奪えばいい」というような反社会的な発想からも生活困窮者の性格の歪みが感じられる。「ガキの頃から覚醒剤を打ってきた」のではなく「売ってきた」人物だと仮定するならば、売り上げに手をつけて組織を逃げ回る逃走者といった線はないだろうか。そうした表社会とのつながりに乏しい人物であれば容易に情報が出てこないことも理解できる。
また前述のように、こども料金での乗車と障害者とを結びつける見方も捨てがたい。自暴自棄とも思えるような不可解な犯行様態、「殺さなければならない」という自己完結的な殺意など、知的障害の影響と捉えると首肯できる。「知的障害者は犯罪者予備軍だ」といった主張ではないのは無論のことである。
「殺さなければならない」という切迫した殺意が、強迫神経症や精神疾患の妄想などの影響によるものとすれば、額に包丁を突き立てるという行為も「成し遂げた」「敵を倒した」といった達成感の表れと捉えることもできる。この事件は、若者が起こす「人を殺してみたかった」経験殺人や残虐行為に快楽を感じる猟奇殺人ではない。
しかし当時20~30歳代とみられた犯人がそれほどの凶暴性をひた隠しにしながら事件後10年間もおとなしく過ごせるものだろうか。希死念慮につながる線は見えづらく、適切な治療や保護を受けられなければまたどこかで暴発している可能性は大いにありうる。別の地域、別の犯罪で収監されているのではないかというのが筆者の考えである。
殺される謂れのない理不尽極まりないこの事件を未解決のまま忘れてしまってよいはずがない。捜査の進展を願い、犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
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湯河原殺人放火 駅のカメラに不審な男、遺体の包丁に指紋なし - 産経ニュース