いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

殺人ピエロになった女

ピエロは中世の宮廷芸人や喜劇に登場するステレオタイプのひとつとされ、元来は滑稽な格好や言動で周囲の人を楽しませる愚者、のろまなおどけ役とされてきた。

世界的飲食チェーンのマスコットキャラクターなどでもその造形が採用されているが、コミックや映画などではしばしば「悪役」としても採用される。スティーブン・キング原作の小説『IT』ではピエロに嫌悪感や恐怖心を催す「道化恐怖症(Coulrophobia)」の少年が登場する。

道化師クラブに所属していた連続殺人鬼ジョン・ゲイシーはピエロ姿のまま犯行には及ばなかったが、本件の加害者はピエロに扮して殺人を犯した。

 

事件の発生

1990年5月26日(土)午前11時前、フロリダ州の東岸、パームビーチ郡ウェリントンの高級住宅街エアロクラブ地区に住むウォーレン家の呼び鈴が鳴らされた。

応対に出たマーリーン・ウォーレン(40歳)は玄関を開けて、歓声を上げた。

「…あら、なんて素敵!」

彼女の声がリビングまで届いたその瞬間、一発の銃声が鳴り響いた。

リビングにいた息子のジョー・アーレンズ(当時21歳)が玄関に駆け寄ると、母親が血を流して床に倒れ、目の前にはピエロが立っていた。

オレンジ色のかつらをかぶり、白塗りにスマイルペイントと「赤い鼻」が施され、その大きな瞳は深い茶色だった。

ジョーは崩れ落ちた母親を抱きかかえて助けを呼び、リビングにいたジョーの友人たちもすぐに駆けつけたが、ピエロは無言で悠然と歩いてその場を後にした。

カラフルな道化の衣装、白い手袋と黒い靴を着用しており、そのまま近くに停めてあった白いクライスラー製レバロン・コンバーチブルに乗って走り去った。

大理石にできた血だまりの上には篭入りの花束が残され、その上にはバルーンが浮かんでいた。

 

現場状況から、被害者はピエロから花束とバルーンを手渡されて喜びの声をあげ、その瞬間、ピエロに間近から顔を銃撃されたものと推定された。

息子のジョーは足を骨折していて、その日は快気祝いに友人3人が集まっていた。犯人に心当たりはなかったが、「母は花束とバルーンを見て、(快気祝いの)贈り物だと思って喜んだのだと思う」と話した。

 

目撃情報を総合すると、身長は概ね180センチ台半ば、比較的やせ型で、当初は男性ではないかと推測された。

また逃走車のナンバープレートは外されていたという。直後に友人たちは慌てて車で追いかけようとしたがピエロの車を見つけることができなかった。

マーリーンは銃撃後、すぐに近くの病院へと搬送されて手当てを受けた。しかし回復の見込みなしと判断され、家族は生命維持装置の停止に同意し、2日後に死亡が確認された。

 

家族

パームビーチ郡当局の調べで、マーリーンは夫マイケル(当時38歳)との夫婦関係に溝ができていたことが明らかとなった。

夫婦はおよそ18年前に結婚。マーリーンには離婚歴があり、息子のジョーは前夫との間に生まれた一人息子だった。

その後、マイケルは中古車販売やレンタカー事業を手掛ける「バーゲン・モーターズ」の経営で大きな成功を収め、1エーカーの敷地をもつ邸宅を建て、裏の格納庫には自家用飛行機を保有していた。マーリーンは事件当時100万ドル相当の賃貸物件を管理していた。

マイケルとマーリーン

息子のジョーは「実父のことをほとんど知らないため比較はできないが、義父(マイケル)は良い父親だった」と語っている。

だが夫婦関係には亀裂があったらしく、マーリーンは夫の浮気を確信しており、息子に「もし私に何かあれば、それはあなたのお父さんのせいよ」と口にしたことさえあったという。ジョーが「ありえない、お父さんに限って浮気なんて絶対にしない」と反論すると、彼女は「そのことでお父さんを問い詰めたりしないで」と口止めしたという。

マーリーンの両親も、娘から夫の浮気の相談を聞かされており、その後の警察の聞き取りでは「撃たれたと聞かされてまずマイケルを疑った」と話した。

仮にマーリーンが夫に浮気の証拠を突き付けて離婚訴訟に踏み切っていれば、資産家の彼はかなり大きな代償を払わなければならなかっただろう。捜査当局はその線が犯行動機になりうるとにらんだ。

銃撃事件が「殺人」事件に切り替わって数時間後には警察にはマイケルへの捜査を求める匿名通報が入っていた。

しかし当のマイケルは銃撃の発生当時、友人たちとマイアミ・ガーデンズのカルダー競馬場に向かってハイウェイを走行中だったとしてアリバイが特定される。

 

遺留品のバルーンは赤いハート型と片面が白い丸型の2種類があった。ハート型には「You’re the  Greatest(君は最高だ!)」と書かれ、丸型には「白雪姫と7人の小人」がプリントされていた。

保安局が流通経路を調査すると、郡内で同様の製品を扱っているのはミリタリー・トレイルの一画にある「パブリックス」(食料品販売チェーン)1店舗のみだと判明する。店員は10時過ぎごろに「茶色い長髪の女性が購入していった」と説明した。

近郊のコスチュームショップでは銃撃の2日前にピエロのコスチュームが販売されており、やはりこちらも若い長髪の女性が購入していたことが確認できた。身長は5フィート10インチ程(177~178センチメートル)とされた。

 

不倫と夫婦

マイケル・ウォーレンを知る人たちは、実業家としても人間的にも彼は魅力的だと口を揃えた。

警察がバーゲン・モーターズ社内の調査を進めていくと、「彼の思いやりや共感力に惹かれる女性たちもあったようだ」との声が挙がった。不倫相手として「バーゲン・オート・レンタルズ」に勤務するシーラ・キーンの名が浮上し、中には検事に「シーラ・キーンを取り調べるべきだ」と口添えする関係者もあった。

シーラ・キーンは半年ほど前から夫と共に同社で雇われており、優しく、陽気な人柄でありながら、車を差し押さえる回収業のタフな仕事を担当していた。

車両の差し押さえは、相手によって激しい抵抗、ときには暴力さえ予想される危険を伴う仕事で、彼女は自衛のために銃を携行して業務にあたっていた。要は、彼女の主な業務はレンタカー屋というより「取立屋」だった。

また彼女の自宅はバルーンを販売していた「パブリックス」のすぐ目の前にあった。

別居中だった彼女の夫リチャードも、妻とマイケルとの不倫関係を知っていた。シーラ・キーンの暮らすアパートの住人は、マイケルさんの姿を頻繁に目にしていたので二人は結婚しているのかと思ったとさえ口にした。

Sheira Kien Mugshot [Broward Country Sheriff's Office]

また警察は犯行車両についてもバーゲン・オート・レンタルズと関連があると見て、該当車両の鑑識を行い、車内から「オレンジ色の合成繊維」と「茶色い人毛」が検出された。

だがその繊維がピエロのかつらに使用された材料だったとして、それ以外の用途はなかったのか、全米で幾つの関連商品が販売されてきたのか、を考えれば殺人の証拠としては極めて脆弱だった。

また当時のDNA型鑑定技術は未成熟で、1本の頭髪から個人の識別につなげることができなかった。「白人女性の茶髪」と判別できても、国内におよそ4%の適格者がいることになる。

捜査員たちはシーラ・キーンに対してほぼクロに近い心証を得ていたが、殺害に使用された銃や(おそらく血痕が付着したであろう)ピエロの衣装の行方は突きとめきれなかった。

たとえ車内の遺留品がピエロのかつらと一致し、シーラの頭髪と断定されたとしても、直接「殺害の証拠」と結びつけるのは難しく、州検察局は起訴に踏み切れずにいた。

調べに対し、男女は不倫関係について否認し続けていた。保安官たちは継続的に二人の動向を追っていたが、事件後、二人は一緒にランチをとるのを辞めたこと、マイケルはシーラに対して距離を置こうとしているようだが彼女は「それが気に入らないようだ」という報告しか得られなかった。

 

シーラ・キーンはフロリダ州グレーズ出身で、20歳年上のリチャードと3年前に結婚し、数か月後に男児を出産していた。

夫リチャードはKKK(クー・クラックス・クラン。白人至上主義を唱える秘密結社)の元リーダーで、マリファナの密売により服役した経験のある人物だった。二人を知る人物は、彼女は贅沢な暮らしを好み、彼は拝金主義者だったと語る。

リチャードが出所後、夫婦はトレーラーハウスで暮らしており、シーラは当時の勤め先だった雑貨店でピエロのコスチュームを着て同僚の子どもたちをもてなしたことがあった、と当時の従業員は語っているがその真偽は不明である。

夫婦はマイケルの下で雇われる以前にも自動車の取立屋を生業にしていたことが分かった。

しかし、シーラ・キーンは銃撃についてはもちろんのこと、ピエロの衣装を着たことや、事件当日、パブリックスで買い物したことについて否認した。普段通り、車の取り立てに回っており、レイクワース、ボイントンビーチ、リビエラビーチ界隈を移動していたと話した。だが具体的な取り立て先の住所については明かさなかった。

彼女の家族や友人たちに話を聞いても「あんな優しい娘が、そんなこと起こすはずがない」と驚きを隠せない様子だった。

マーリーンの実家には2枚のピエロの絵が飾られていた。彼女が14歳頃に描いたもので、母シャーリーは「私は元々ピエロが嫌いだった訳ではないの」と話し、絵を描いていた当時のマーリーンとの楽しい記憶がよみがえってくることもあると話した。

 

男と女

マイケル・ウォーレンは自宅とマーリーンの管理していた物件を売却し、いくつかの不動産を義子ジョーに譲渡した。

ジョーは事件のショックからなかなか立ち直れず酒や麻薬に溺れる日々を送り、残っていた住宅ローンを支払えず、最終的にそれらの不動産を失った。

義父とは疎遠になり、その後、アイオワ州に移住して、2000年代には小さな建設会社を営んでいることが伝えられた。

マイケル・ウォーレン

射殺事件の5か月後、警察はマイケル・ウォーレンの自動車ビジネスを精査した結果、走行距離計の改ざん、窃盗、恐喝、保険金詐欺などの容疑が浮かび、逮捕に踏み切った。

彼の弁護士は、検察側が殺人罪の証拠が集められなかったが故の不当逮捕(別件逮捕)だと非難した。

裁判の準備中、マーリーン殺害の犯人について問われたマイケルは、夫婦が手掛けるビジネスの競争相手か、「不動産の入居者か、車の購入者」など顧客による逆恨みと推測した。

殺人容疑で起訴されることはなく、92年8月、マイケルは自動車関連で併せて43件の有罪判決を受けて懲役9年を宣告され、保釈が認められるまで3年間服役した。

世間ではシーラ・キーンが実行犯だと目されたが、事件は「証拠不十分」のまま収束するかに見えた。

 

シーラは自由な生活を続けたが、2000年にリチャードと離婚。そして事件当時「不倫関係はない」としていたマイケルと、2002年にネバダ州ラスベガスで結婚した。登記簿の記録によれば、2004年に彼女の名義でバージニア州アビンドンにおよそ60万ドル相当の邸宅を購入したとされる。

興味深いことに、シーラ・キーン・ウォーレンは毛を金髪に染め、周囲の人間に子どもの頃の愛称「デビー」と呼ばせるようになったという。

ウォーレン夫妻となった二人は「パープル・カウ」という名のハンバーガー店を経営した。また同店の元従業員は「デビー」が非常に意地悪だったと語り、ハロウィンのときに彼女が仮装した写真を捜査機関に提供した。

夫妻は2017年にレストラン事業を売却し、バージニア州の自宅でリタイア後の生活を始めた。

シーラ・ウォーレン・キーンのハロウィン仮装姿 [第15司法裁判所]

2017年9月26日、マーリーン殺害から27年後、当局は自宅近くで車を運転中のシーラ・キーン・ウォーレンを第一級殺人罪の容疑者として逮捕、その後起訴した。

彼女は逮捕直後に「夫も逮捕するつもりなの?」と尋ねており、捜査当局では何の罪で逮捕されたかに心当たりがあるとの心証をますます強めた。

CBSテレビはウォーレンの自宅に直撃インタビューを行ったが、マイケルは自分も妻も殺害計画への関与はなかったと主張した。

2013年に新任検察官リード・スコットが車内で見つかった毛髪の再鑑定を命じ、ミトコンドリアDNA分析(長期的に鑑定可能な母系遺伝を調べる手法。個人の同定まではできない)によってシーラのものと矛盾しないと判定された。だが前述の通り、レンタカー店の従業員だった彼女の頭髪が車内に残っていても殺害までは断定できない。

キーン・ウォーレンの弁護人グレッグ・ローゼンフェルド氏は、直接犯人と対峙したジョーが事件当時「ピエロは男性だと思う」と証言していたことを強調し、ピエロメイクであっても男女を間違えるはずがないと主張した。

さらにパームビーチ郡保安官事務所の証拠保全状況を写真に収めて告発した。アメリカでは証拠品の多くは紙袋に包まれてテープで封をして保管されるが、本件の証拠品ボックスはぐちゃぐちゃの紙袋がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、捜査員が店で購入してきたかつらも、車内から検出された化学繊維も一緒くたにされていた。

封のテープも半開きのものが大半で、素人目にもそれが証拠汚染(コンタミネーション)の原因になることは想像がつく。つまり証拠能力が低いと印象付けることに成功したのである。

凶器や犯行時の着衣といった決定的証拠は存在せず、さらに既存の状況証拠さえケチがつけられたような状態で、もはや逮捕した検察側の方が追い詰められているかのような有様だった。

シーラ・キーン・ウォーレンの裁判は延期に延期が重ねられ、ようやく2020年2月、検察当局は死刑を求刑せず終身刑を争う方針を発表する。

 

COVID-19の流行により裁判は6度目の延期に陥ったが、その間に発見、むしろ捜査当局の失態も明らかになった。

長年行方不明となっていた近隣住民による「ピエロ目撃」のファイルが全く場違いな場所から見つかったのである。そのファイルが紛失されていたことで当時の目撃者に検察側のみならず、弁護側もずっと再調査を行えずにおり「証拠隠し」ではないかと糾弾していた。

実際には35件の目撃証言が記載されていたが、すべて事件とは明らかに無関係なピエロの目撃情報だけだった。

キーン・ウォーレンが逮捕されてから5年半が経過した2023年4月25日、裁判開始が2週間後に迫ったその日、またしても予想外の出来事が起こった。司法取引が成立したのだ。

彼女は無罪答弁をする予定でいたが、検察側が第二級殺人罪の扱いを提示し、ここにきて有罪答弁を行うことに同意したのである。

第一級殺人(周到な準備に基づく殺人や強盗・強姦などを目的とした殺人。いわゆる謀殺)を争った場合、情状酌量は認められず死刑か終身刑かが争われることになり、それだけに検察側が立証すべきハードルは極めて高くなる。第二級殺人とは一般的な故殺、あるいは強盗・強姦などを目的とした過失致死などが含まれ、最長刑で禁固40年である。

たしかにピエロの犯行には明白な計画性があるが、事実上、警察側は合理的な疑いを超えての証明は難しいと考え、最悪の場合「無罪」となってしまうことを避けるために司法取引を持ち掛けたと見るべきであろう。

弁護人は依然としてシーラ・キーン・ウォーレンが殺人犯であることを認めなかったが、彼女は残りの一生を刑務所で過ごすか否か、あくまで無実を訴え続けてこの先また何年も裁判を戦い続けるかといったリスクを天秤にかけて、殺人罪を認める決意をした。

最終的にその量刑は懲役12年とされたが、それまでの6年近い拘置期間の差し引きや州法による模範囚への減刑措置により、都合16~18か月で仮釈放が認められることになる。2025年に出所した後、彼女はマイケルと再会することになるだろう。

マーリーンの母シャーリーは、シーラ・キーン・ウォーレンが罪を認める前の2023年3月に息を引き取った。マーリーンの息子ジョーは判決を受けて「神が彼女と共にあらんことを」とただ一言口にした。

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Marlene Warren murder: Florida "killer clown" case ends with unexpected twist after three decades - CBS News

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True Crime: Clown killer accused of murdering Marlene Warren

Wellington’s infamous clown murder is still unsolved 27 years later