北九州連続監禁殺人事件(2/2)

2002(平成14)年に発覚した福岡県北九州市の連続監禁殺人事件について記す。

前半では事件発覚からの報道の流れを俯瞰し、松永・緒方の略歴、いくつかの結婚詐欺と第1の殺人を扱った。後半となる本稿では、緒方家6人への監禁殺人、犯行の性質などについて見ていきたい。

 

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■湯布院事件・門司駅事件

少女の父親の死後、松永らはHさんを新たな「金主」として結婚詐欺を行ったが、前述のように逃走を許してしまう。その後、次の標的が見つからず苛立つ松永は緒方に対して「今度はお前が金をつくる番だ」と150万円を工面するよう命じた。

緒方は「指名手配をされているので逃走資金が必要だ」と母親を頼ったが、すでに親類への詐欺やこれまでの度重なる無心によって、このとき新たな借金の要請は退けられる。

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1997年4月7日、松永が別の潜伏先に移動した際、緒方は自分で稼ぐしかないと決意して、1歳になったばかりの次男を親類へ預け、単身で大分県の湯布院へ向かった。

旅館や飲食店で住み込みの仕事を数日かけて探し歩き、14日、一軒のスナックを紹介された。スナックの女将は、物静かな女の様子に訳アリだとは感づいたが働いてもらうことにした。しかし翌日、緒方は店へ出てこなかった。店には便箋が一枚置いてあり、「主人が亡くなったので急遽帰らなければならなくなりました」と丁寧な字で手短かな詫びと礼が述べられていた。

緒方は湯布院に来てから子どもの様子を聞くために実家に連絡を取っていたが、面接を受けた翌日、妹から「松永が飛び降りて亡くなった」と聞かされた。父・譽さんも「亡くなったのは本当だ。とにかくすぐに帰るように」と言い、こどもたちの心配もあって慌ててスナックの女将に詫び状をしたためるとすぐに小倉に戻った。

 

マンションでは緒方の家族が待っており、和室に遺影が置かれ、線香が焚いてあった。現実とは思えなかったが、遺影に手を合わせ、渡された遺書を読んだ。出会った頃の思い出に始まり、「これからのことをよろしく頼む」と父娘の件について後を緒方に託すかたちで締めくくられていた。自分がいなくなったことで松永をそこまで思い詰めさせてしまったのかと考えると涙がこぼれた。

残念だったな

押し入れから出てきた松永が殴り掛かって号令をかけると、緒方は家族総出で羽交い絞めにされ、暴行された。その後、何日も松永から凄まじい制裁を受けたはずだが緒方はしばらくの間、解離症状にあったと見られ当時の記憶を喪失している。

松永と離れてからのあらゆる出来事を分刻みで詰問され、質問に答えても通電、答えられなくても通電、本当のことを言っても「嘘をいうな」と通電され、それからことあるごとに手足、指、顔面、乳首、陰部などあらゆる箇所に通電を浴びせられる日々が続いた。顔への通電は激痛が走り、一瞬でも意識が遠のいて目の前が真っ白になり恐怖を感じた。足への通電が繰り返されたせいで、親指の肉は欠け、薬指と小指は癒着した。松永は緒方に対しても、少女の父親と同じように死ぬんだと言い放った。

周到にも湯布院で世話になったスナックの女将などに嫌がらせの電話を掛けさせて、つながりを断絶させている。またこのときにも「裏切ったけじめを取れ」と緒方に命じ、ラジオペンチで両脚の小指と薬指の爪を剥がさせていた。こうした執拗な虐待も裏を返せば松永は緒方の逃亡、裏切りを最も恐れたからだと見ることができよう。

 

どうやって松永が緒方家の面々を取り巻きにおいたのかは明らかではない。だが家族には、緒方の度重なる無心、親類や地元の知人に対する詐欺行為や嫌がらせ電話など、これまでの身勝手な行いによって信頼関係が崩れており、被害者意識さえあった。

松永はそうした家族の歪みを見抜いて巧みに煽情し、「緒方が殺人を犯して逃亡した」「警察に見つかれば大変なことになる」と緒方家を強請り、戻らせるためにひと芝居打たせたことは想像に難くない。松永としては緒方が心変わりして事件が表沙汰になることを是が非でも阻止しなければならなかった。

裁判傍聴を続け、事件を追ったノンフィクション『なぜ家族は殺し合ったのか』を著した佐木隆三氏は、「“純子は殺人を犯している”“守ってくれるのはもはや松永さんしかいない”と父親(譽さん)は思っていたと思う。松永は(緒方の)逃走があって、家族を巻き込むことに成功した」と述べている。

 

家出によって緒方が“序列”の最下層に置かれると、いささか奇妙にも感じられるが少女の立場がやや好転する。父親亡き後、浴室に監禁されていたが、理不尽な虐待からは免れて中学に通うことを許され、帰宅してからは家事や子守りを割り当てられた。松永の子どもと同じ食事をし、テレビを見、入浴することができるようになった。緒方の食事や排泄、こどもと接近していないか等を少女が見張って松永に逐一報告する係とされた。

 緒方がようやく外出を許されたのは、約1か月後の1997年5月、松永の新たな交際相手への手紙を投函するために下関へ出たときで、このときも見張り役に少女が付き添った。執念深い松永は事あるごとに「自分に歯向かった者には10年くらいは同じことを蒸し返す」と自負していたため、緒方はこんな生活が10年も続くのかという絶望が脳裏をよぎった。

役目を終えて電車が門司駅に着くころには、誰にも見つからないように自殺しようと決意を固め、駅のホームで2度の逃走を試みた。だが松永の指示で足元がサンダル履きだったこと、少女が忠実に見張り役を遂行したことから未遂に終わり、帰宅後にはそれまで以上の制裁が待ち受けていた。

「なぜ逃げた」と詰問する松永に、緒方は「電気が怖かったんです」と答えると、「お前だって(亡くなった少女の父親に対して)電気を通したじゃないか」と責められた。「電気は私の友達です、と言って笑え」と命じ、緒方が言われたとおりにすると松永は嬉しそうにそれを見て笑った。緒方は1か月にも渡って度々失神するまで通電を受け、この時期も記憶を失っており、後から松永に吐血していたことなどを知らされるほどに虐待は苛烈を極めた。

 

■布石

緒方の由布院逃走をきっかけに、松永は緒方一家への関与を再び深め、門司駅逃走未遂によって改めて“標的”とされていく。松永の「思うままにならない相手」に向けられる報復感情や執着心も顕著だが、一方で結婚詐欺は思うように捗らず、少女の父親の殺害などによってフラストレーションが高まり、暴力の“リミッター”が壊れたタイミングだったと見ることもできる。

少女の父親がいなくなり今までのように安易に転居を繰り返せないとなると、逃亡潜伏と結婚詐欺を続けていくやり繰り自体も困難になる。発覚逃れのために殺してしまうくらいならば、いちどきに大金を得たいとする方針転換もあったのではないか。

 

松永は緒方の母・静美さんが「もう金がない」と送金を断るようになったことから、父親を引きずり込もうと画策する。緒方に命じて、3月末にアパートの家財道具を売却するよう静美さんに依頼した。後になって松永が「知らないうちに家財道具を売り払われた」と静美さんを糾弾し「窃盗罪で逮捕される」と脅迫した。強引に“弱み”を握って、狙いの本丸を呼び込もうとしていたのである。

由布院逃走後、「別れるなら別れるでいいから、お前の両親も交えてきちんと話をしよう」と言われ、父・譽(たかしげ)さん、母・静美さん、妹・理恵子さんが久留米から北九州に頻繁に呼び出されるようになった。仕事を終え、片道2時間近くかけて到着するや深夜2時頃まで緒方の処遇について議論が交わされた。

詳細は緒方も聞かされなかったため分からないが、松永は家族の不満や憤りの矛先を巧みに回避しながら、自分たちの安泰を守るためには金銭的解決が一番だというように誘導していったことは言うまでもない。

 

恨みこそあれ血のつながった身内が目の前で通電の拷問を受けるさまを見せつけられた緒方一家の恐怖は想像を絶する。冷静な判断力があれば、すぐに警察への通報や法律家に相談するのが当然と思うかもしれないが、そんなことをすれば次は自分たちが緒方のような悲惨な目に遭わされるかも分からない。かねてから松永は右翼や暴力団員とのつながりもあると吹聴されていたため、緒方の家族は体面と身の安全のために逆らうこともできなかった。

さらに松永はここでも緒方の“弱み”であるこどもをダシに、「離縁するならばこどもたちは引き取る」と条件づけた。緒方家としては、跡取りは妹夫婦になっており、松永と縁が切れるのならばそれでも構わないと思ったかもしれない。だが緒方の自子に対する並々ならぬ執心を松永は熟知しており、その読み通り「子どもを取られるくらいなら」と松永についていくことを決断するのである。

そして緒方家は、いわば犯罪者である緒方を松永が保護してきた経費と迷惑料、今後も時効まで匿ってもらうためにあらゆる金策を繰り返す。1997年4月から12月にかけて緒方家は総額5200万円以上を捻出したとされる。

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とりわけ一家の主である譽さんは勤めの農協団体で次期理事長とも目される実直な人物だった。一族本家の家長たる自負や生真面目さ、世間体を気にする性格は松永に目を付けられた。緒方に落ち度があれば一家が連帯責任を負う等とする念書を多数取らされたことに加えて、遺体解体現場の配管交換を行わせて証拠隠滅に加担させたことで、告発をより困難なものにした(だが実際には解体後に緒方が既に交換していた)。

春から急に仕事を休みがちになり、普段身なりもきっちりしていた譽さんが着の身着のまま髭も剃らず、サンダル履きで現れるなどの明らかな変調が見られるようになると、職場の人間たちも度々気に掛けたが、本人は大丈夫と言うばかりで弱みを見せようとはしなかった。

譽さんは緒方のために多額の金が必要だと説明して親戚中に借金をして回った。親類から高齢の父親(緒方の祖父)を一人残して連日連夜家を空ける理由を聞かれても「話せばお前たちにも迷惑をかける」と頑なに説明を拒んだ。

急激な生活変化や心労のためからか、7月には病院で不安やストレスによる緊張性頭痛と診断され、8月には十二指腸潰瘍穿孔等で緊急手術を受け、9月後半まで自身も入院を余儀なくされた。しかしその間も、夏には高齢の父親を一時入院させ、8月29日には本家の土地、建物を担保に農協から3000万円の借り入れを行った。

9月23日に親族会議が開かれ、若夫婦らはどこに行ったのか、長年緒方家にまとわりつく松永に騙されているのではないかと親類たちから追及もあった。しかし譽さんは「悪い人ではない」と松永を擁護するだけで、居場所や金の使途を明かそうとはしなかった。

退院後も自宅へ帰ることはなく度々欠勤を繰り返し、11月28日を最後に人前に姿を現さなくなった。職員が電話で確認した際にも「もう出ていけない」と返すだけだったという。

 

緒方の妹の夫・主也(かずや)さんに対しては松永も慎重にならざるを得なかった。主也さんは緒方と血縁関係になく、1986年に婿養子に入ったため緒方と直接面識がなかった。結婚の際にも電話で罵詈雑言を浴びせられるなど「家族に迷惑ばかりかける義姉」という印象を抱いており、緒方に同情心を抱かないことが予想された。さらに前職が警察官であったため、体力に加えて正義感の強さや犯罪に抗する防衛力があることも懸念されていた。

当初は客人として丁重に迎え酒宴でもてなして親睦を深めた。すでに緒方の父母、妹から聞き出した情報を頼りにしながら、「養子に来たあなたに緒方家の土地を譲渡する約束が不履行なのは騙されているからだ」と不信感を植え付けていき、やがて妻・理恵子さんの男性遍歴や過去の妊娠・中絶を引き合いに出して「理恵ちゃんにも騙されているんですよ」と煽った。

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やがて主也さんも「仕事から帰ると静美さんに野菜の収穫作業を手伝わされた」等の緒方家での小さな不満を挙げるようになると、松永は「よき理解者」として援護射撃を行った。成婚時に緒方家が約束してそのままにされていた田地譲渡の念書を譽さんに作成させる等している。

かたや理恵子さんが夫に対する愚痴や不満を発すれば松永もそれに乗じて主也さんを非難し、あたかも仲介人であるかのように両者の言い分、暴露を引き出した。夫婦関係は急激に悪化していき離婚話に誘導するなど、主也さんを家庭内で孤立させるために松永が巧みに裏で立ち回った。

誉さんが農協から3000万円の借り入れを行う際、主也さんは連帯保証人となっている。だが松永は主也さんの記載の誤りを指摘して「文書偽造罪になる」と脅した。その後、誉さんのときと同様に浴室タイルの張替を手伝わせて証拠隠滅の負い目を背負わせている。そして8月に小倉で祭りが行われるタイミングで、彩ちゃんと優貴くんを連れてくるように誘い、まんまと人質にとったのだった。

8月末、優貴くんの通う保育所に主也さんが訪れ、職員に「熊本に引っ越すので退園します」と涙を浮かべて残念そうに告げた。妹一家は本籍や住民票の移動を行い、9月にはそれまで彩ちゃんが通っていた久留米市内の小学校から熊本県玉名市内の小学校に転校させたが、この年は延べ8日しか登校しなかった。 付き添いの「母親」を名乗る女性は学校側に、親戚を名乗る者から聞かれても住所は絶対に明かさないように、たとえ他の者が迎えに来ても引き渡さないようにと厳命し、登下校も車で送迎していたという。

 

■同居

9月26日、松永、緒方は緒方一家を伴なって親類(母・静美さんの姉)の家を訪れている。一時間ほど世間話をした後、松永が「緒方家の跡取りは誰か」と緒方家の面々に執拗に問いただし、緒方家の跡取りは緒方純子であり、その跡取りは長男であると何度も声を揃えて唱えさせた。

親族は何が起きているのか内情までははっきりしないが松永が緒方家を取り込もうとしていることを察知し、このままでは本家の財産が丸ごと奪われると強く危惧し、調査や警察への相談も行っている。 

10月には親戚筋の警察官2名に一家の捜索を依頼。妹一家の転居先である熊本県玉名市内のアパートを突き止めたが、家族と会うことはできなかった。部屋の家賃、光熱費などは支払われていたが、居住実態はなく、松永の指示による偽装工作のひとつだったとみられる。

親族らの働きかけにより11月頃にはかつて詐欺容疑の担当だった柳川警察署も捜索を再開し、緒方家周辺で張り込みや聞き込みを行っていた。このとき緒方の母・静美さんや妹・理恵子さんと接触することができたが、結局松永らの所在を突きとめるには至らず。警察の動きを知った松永は片野のマンションから距離を置いて却って警戒を強めた。

誉さんの兄弟らは、まだ担保にされていなかった緒方の祖父名義の田地を売却させまいと、11月に所有権移転の仮登記を行っている。 緒方は仮登記抹消を求めて交渉したが親族らは断固としてそれを拒否した。

 

主也さん一家は9月頃から片野のマンションで監禁生活をさせられるようになり、10月末で仕事を退職。誉さん、静美さん夫婦はホテル暮らし等の後、12月頃にはそこに加わった。

少女や緒方の証言では、監禁されて以降の緒方一家は少女の父親と同様に奴隷のように扱われた。外出の制約はもちろんのこと、台所に布団も与えずに寝かせ、家族間で話し合いをさせるとき以外は会話も禁じられ、一日一度の食事やトイレ使用の制限、何時間もの起立や蹲踞の姿勢を強制するなど生活全般に渡って虐待を加えた。

通電は、一家がマンション通いをしていた6月頃から緒方の逃亡に関与したとして静美さんに対して始まり、最終的には共同責任として幼い優貴くんを除く全員が対象となった。理恵子さんが返事をするときに出る「あっ、はい」という癖が耳障りだ、彩ちゃんが食べかけのお菓子を許可なく食べた等といった理不尽な理由での通電もあった。

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10月頃に松永は主也さん一家とホテルに宿泊した際、当時“序列”の最下位におかれていた理恵子さんをけしかけて偽計を仕掛けている。盗聴器を部屋に仕掛け、主也さんの口から松永の悪口を引き出したり、緒方殺害を仕向けるように命じたのである。主也さんは簡単に誘導にはなびかなかったものの、理恵子さんに怒って暴力を振るった。言うまでもなく松永に「妻を殺害しようとした」と上申書を作成させられて脅され、その後の通電理由に度々用いられた。

家族を罠にかけるほどまでに松永の命令は絶対的であり、善悪の道理や合理的判断ではなく「松永の一存」を最重要とする集団心理に陥っていた。こうした集団管理の術は松永がワールド時代に身につけたものである。通電虐待に加え、いつどんなかたちで自分が最下位にされるか分からない相互不信によって家族関係を崩壊させ、実権を掌握していったのである。

 

■「おじいちゃんなんてしんじゃえ」

親類らに土地を売買させない「仮登記」をされたこと、さらに警察の捜査が再始動していることにも松永の苛立ちはあったにちがいない。12月の同居以来、譽さんが親類に仮登記の入れ知恵をしたのだろうと連日の電気責めで無理矢理口を割らせようとした。土地を売ることもできず、借金もとうに限度額になっており、全員が無職となった緒方家は、詐欺師にとってもはや吸い取る旨味もない“用済み”の存在となっていた。

 

1997年12月21日、例によって緒方家の今後の身の振り方や金策について話し合いをさせるため、松永は一家を部屋に集めた。松永は「口のきき方」や「偉そうな態度」を理由に譽さんに電撃を加え続けた。

翌朝、誉さん、静美さん、主也さん、理恵子さんの4人は別の物件にある荷物を回収するよう指示されて熊本へ出掛けた。緒方は4人からの電話連絡を受ける役目であったが、松永から風呂に入る許可が与えられて入浴した。

その間、松永は彩ちゃんに冷蔵庫から調味料を持ってくるように命じたが、見つけることができずに立腹し、急遽誉さんたちが出先から呼び戻された。彩ちゃんは日頃、冷蔵庫を開けたことはなく、普段から使っている少女でも調味料を見つけ出すことができなかったという。

後に緒方は、彩ちゃんが調味料を見つけられないことを織り込み済みで松永は指示を出し、それを口実に通電をする心づもりだったのではないかと推測している。

 

誉さんたちを帰宅させると、松永の説教が始まり、連帯責任からかやがて彩ちゃんではなく譽さんが通電を受けることとなった。指と腕に始まり、次々とクリップの位置を変えて通電が行われたが、誉さんはいつも通り目をつぶって無言で耐えた。両乳首に通電する段になって、松永は代われと言って緒方にその任務を押し付けた。

緒方はこれまで何度も通電を代行した経験はあったが、他人の乳首に通電するのは初めてだった。「大丈夫かな」と不安を漏らす緒方に「大丈夫、大丈夫」と松永は促す。このとき緒方には父親に憎しみの感情はなかったが、本心でなくとも精いっぱい非難し、プラグをコンセントに刺した。すると正座のまま微動だにしなかった誉さんの上半身がゆっくりと斜め前に倒れ、額を床に着けた。

緒方は自身の乳首への通電経験から、身悶えこそすれ床に頭を着けて倒れ込むというのはオーバージェスチャーではないかと思い「何をしているんだ。顔を上げろ」と老父を叱責し、再び通電した。慌てて松永が通電を制すと、彩ちゃんが声を上げて泣き叫んだ。松永が人工呼吸をし、他の大人たちには心臓マッサージや足を揉むように指示したが、息を吹き返すことはなかった。

 

遺体を囲んで話し合いがもたれ、緒方家は当然葬式を挙げることを望んだ。だが遺体が他人の目に触れれば警察沙汰になることは当然予想され、松永は「緒方が捕まれば親戚にも迷惑が掛かるぞ」と脅して、少女の父親のときに行った処置をほのめかした。

緒方は、自分は捕まってもいいから葬式を挙げてやりたいと心中に思ったが、少女の父親を解体して遺棄した手前、手前勝手な言い分を口に出すことができなかった。

緒方家に選択肢などなかった。静美さんが「そうします」と答えると、松永はやり方は緒方に指示を仰ぐように伝え、「借用書」を書かせて解体道具の費用を立て替えた。優貴くんは玄関に締め出されていたため祖父の死に立ち会うことはなかった。少女はこどもたちと一緒に旅館で過ごすように指示された。

しかし松永は、祖父の死に立ち会っていた彩ちゃんだけをマンションに呼び戻した。かつて聞き出していた久留米で生活していた頃のエピソードを悪用して、「彩ちゃんが神社で『おじいちゃんなんてしんじゃえ』とお願いしたから死んじゃったんだよ。彩ちゃんのせいで死んだんだ」と言い聞かせ、10歳の少女に解体現場に立ち会わせて罪悪感を負わせ、口止めを行った。

緒方、静美さん、主也さん、理恵子さん、彩ちゃんの5人は約10日間かけて解体、血抜き、煮込み、ミキサー、ペットボトル詰め、投棄の作業を進め、その間、松永は和室に閉じこもったきりだった。

 

裁判では、通電が日常的に行われていた範疇の虐待であり、事前に解体準備などもされていなかったこと、事件直後の蘇生行為などから、2人に殺意はなかったとされ、傷害致死罪とされた。

 

■母の前歯

年が明けると、電撃の標的は主に静美さんに替わった。松永は少女を助手のように使って、手足、顔面、陰部などに通電虐待を繰り返した。半月ほどすると、静美さんは食事や水、薬を一切受け付けなくなり、「アア」「ウウ」と奇声を発し、会話や意思疎通が成立しなくなった。松永は「頭がおかしくなった」と判断して、浴室に移動させた。

静美さんは無抵抗に浴室で監禁されていたが、奇声を上げ続けた。松永はしきりに「声が漏れて通報されるかもしれない」と危惧し「早く始末しろ」などと怒って、1月20日頃、静美さんの処遇について緒方、主也さん、理恵子さんが台所に集められ話し合いの場が設けられた。

緒方らは、他のアパートへの転居や精神病院への入院などを提案した。しかし、松永は「外に出して余計なことを喋られれば警察に通報される」「借金だらけのくせにそんな費用がどこにある」と悉く緒方らの出す案を却下し、「知恵と金を貸してやったのは俺だが、俺は関係ない。(譽さん殺害が発覚して)困るのはお前たちだ」「あと1時間で結論を出せ」と言い残して和室に入った。「あと何分だぞ」と松永が3,4回顔を出して急かしたが、3人は松永を納得させられる案が思い浮かばず議論は堂々巡りを繰り返した。

やがて制限時間が迫ると、松永は「金は貸してやってもいい」と言った。これまでの静美さんを外部に移す案が否定されていたこと、誉さんの解体に際して解体道具の購入代金を松永が立て替えていたことなどから、緒方が「これは“殺せ”ということかな」とつぶやくと、夫婦のいずれかがうなだれたまま「多分そうでしょうね」と言った。自ら犯行のすべてを明確に指示するのではなく、真綿で首を締めつけるように相手に忖度を迫って意思決定させる松永の責任回避の手口、性格が見て取れる。

無論、3人には静美さんを殺したい動機があった訳ではなく、松永を納得させてその場を収めるため、指揮者の望んでいるであろう“最適解”を導き出したに過ぎない。提案すると、松永は満足げに「お前たちがそうしたいならそうすればいい」と答えた。

 

松永は「いつやるんだ」と言ったため、主也さんは慌てて「良くなるかもしれないので、もうしばらく様子を見ましょう」等と猶予を求めると、怒った口調で「これ以上酷くなったらどうするんだ。暴れる様になったら困るのはお前たちだろう。やるんだったら早くやれ」と即時決行を求めた。3人は異論を唱えることができなかった。このときはじめて確定的殺意のもとに殺害が実行されることになった。

殺害方法についても話し合われ、刃物は血が飛ぶし、刺される方も苦しみが長引くとして、電気コードで絞殺することに決まった(譽さんの場合は偶然が重なって亡くなったと考えていたため、「通電で殺害する」という発想は出なかったと緒方は証言する。また松永は日頃から暴行を加える際、血液が飛び散ることを極端に嫌っており、口にティッシュを詰めさせてから殴るほどだった)。

松永から電気コード借用の許可を得ると、「主也さんは首を締めなさい。理恵ちゃんは足を抑えて」と松永が分担を決め、緒方と彩ちゃんは「何もするな」と指示されたため、洗面所で様子を見ていた。

主也さんは浴室で寝ている静美さんの肩付近にしゃがんで、電気の延長コードを首に一重に巻き付け、理恵子さんは膝付近にしゃがんで体を覆いかぶせるようにして足を抑えた。主也さんが義母の寝顔を見つめた後、手に力を込めて絞め上げると、静美さんは「グエッ」と声を上げて脚をじたばたと動かし、しばらくして動かなくなった。事前に松永から「動かなくなっても絞め続けるように」と言われていたため、主也さんは5分か10分かして「もういいですか」と背後の緒方に許可を求めてからコードを緩め、和室で待機していた松永に「終わりました」と報告した。

 緒方は法廷で悲しいとかかわいそうとかそういう感情すら浮かばなかったと殺害状況を克明に語った。母親の死に顔を目の当たりにしたとき「母の口から前歯が出ていました。自分も前歯が出ていますから、『私もあんな風に歯が出た状態で死ぬんだろうな。私のときは口にガムテープを貼ってもらおうか』という気持ちになった」と心情を述べた。

 

彩ちゃんも駆り出され、4人はほとんど不眠不休で解体作業に追われた。静美さんの遺体は脂肪がついていて切断しづらく、大腸には多量の便が残っていたので悪臭がひどかった。遺体の状況を松永に報告するのは緒方の役割で、「ペットボトル容器を半分に切って絞り出せ」と指示されたため、腸の中味を絞ってトイレに流した。匂いを誤魔化すため、大量の茶葉を入れて煮込み、生姜を混ぜてミキサーにかけた。

少女は和室で子供たちの面倒を見ていたため静美さん殺害と解体の一部始終にこそ立ち会ってはいないが、緒方家と松永の様子、解体時の匂いで静美さんがいなくなった理由は察しがついた。作業は一週間ほどで完了し、跡形もなく消えてしまった。

 

■感情の振り子

1998(平成10)年1月末、少女、主也さん、優貴くんを片野のマンションに残し、松永、緒方、緒方の長男と次男、理恵子さん、彩ちゃんは東篠崎のマンションへ移動した。

その理由について、部屋が手狭で松永が風呂に入れなかったこと、妹一家を分断することで逃亡を防ぐためではないか、と緒方は推測している。夫婦が結託することもできなくなり、一方が逃げればもう一方の人質がどうなるか分からないため、むやみな行動は抑止される。主也さんと少女の行動を制限するため、毎日駐車場に車を移動させるなどして逃亡のないことを確認した。また片野のマンションの見張り役となった少女に対し、松永は主也さんへの色仕掛けをやってみろと指示していた。

 

松永は買い物など家のこまごまとしたことを理恵子さんに指示するようになり、それ以外のときは彩ちゃんと共に浴室へ閉じ込めていた。起きている間は裸同然の姿で洗い場に立たせ、寝るときは浴槽で体育座りを強制、食事はマヨネーズを塗った食パン数枚、菓子パン、カロリーメイト等を与え、排泄の制限も行った。

緒方によれば、このとき理恵子さんは急激に痩せ細り、耳が聞こえづらくなっていた。松永の指示は事細かすぎたり、気まぐれに変わったり、あるいは「それくらい自分で考えろ」と曖昧に指示したり、聞き返して松永の気を損ねれば通電されるなどしたため、理恵子さんは益々萎縮し、命じられた指示を度々取り違えた。四つん這いにさせられ、膝を床に着けない姿勢のまま、両顎や性器に通電された。恵理子さんはランク付けの最下位に置かれていたのである。

 

浴室にいるよう指示したのは自分であるにもかかわらず、松永は「理恵子らがいるから風呂に入れない」と難癖を付けるようになった。だが緒方が2人を移動させて浴室を清掃すると言っても、あれこれと自分勝手な都合を挙げて入ろうとはしなかった。また同時期に、「理恵子は頭がおかしいんじゃないか」「母親みたいになったらどうするんだ」などと少なくとも4、5回は口にしていたという。

緒方は「(指示が通じないのは)耳が悪いからではないか」と答えたり、理恵子さんを叱責する等してその都度取りなしていたが、同じようなことを何度か聞かされるうちに松永は妹を殺そうとしているのではないかと考えるようになった。

 

2月9日深夜、松永は「今から向こうに行く。“向こうに行く”とはどういうことか分かるだろう」と緒方に目配せした。「向こう」とは距離にして数百メートル離れた場所にある片野のマンションを指している。緒方は、松永のこれまでの理恵子さんに対する言動、また東篠崎のマンションは音が外部に漏れやすく、煮炊きするコンロがなく、ユニットバスで作業しにくいなど、殺害・解体には不向きであることから「殺害のための移動」を示唆しているのだと察した。

主也さんを呼び出して全員が片野の部屋へ移動し、到着すると松永は「理恵ちゃんは風呂場で寝とっていいよ」と言った。緒方、主也さん、彩ちゃんを台所に集めると、「俺は今から寝る。緒方家で話し合って結論を出しておけ」と言って3人を洗面所に押し込むと、「俺が起きるまでに終わっておけよ」と松永はドアを閉めた。

 

離れて暮らしていたため事情を呑み込めない主也さんに緒方は東篠崎での経緯を聞かせ、松永の指示の意味を確認し合った。

「“殺せ”っていうことよね」「そうでしょうね」

殺害は、静美さんを絞めた電気コードが処分するつもりで玄関に置いてあったため、再びそれを用いる手筈となった。それでも主也さんはすぐには納得できず、母親と生活していた彩ちゃんに「本当にお母さんは頭がおかしいと」と尋ねた。彩ちゃんはその日の夕方、松永の指示を巡って母親と激しい口論になったことを伝え、「たしかにお母さんは頭がおかしいみたい」と結論付け、緒方もそれに同意する説明を加えた。

主也さんは松永の出した指示の意味を呑み込みつつ、「優貴はお母さん子で懐いているから、殺されたらどんな思いがするだろう。母親がいなくなったことを優貴にどうやって説明すればいいんだろう」と嘆いた。緒方も本心では妹を殺害したかったわけではないため、それを聞いて何とか殺害を回避したいと思った。

松永の指示は例によって婉曲的だったため、「話し合いで殺すかどうか結論を出せ」ということか「起きるまでに殺しておけ」という意味なのか不明瞭だった。そこで主也さんは「もう一度尋ねてみたらどうか」と提案した。連絡役となる緒方は、寝ている松永をいちいち起こして「指示が分からない」等と言えば機嫌を損ねて自分が通電されると即座に思った。

しかしこの場で殺害を回避するには聞き直すほか手段はない。3人で話し合い、松永の責任逃れの性分から「“今すぐ殺せ”ということなのですか」という風に聞けば、「そんなこと言っていない」と返答することが予想され、時間稼ぎになると考えた。窮余の一策として、緒方は「これ以上の名案はないと思った」旨供述している。

 

しかし意を決して緒方が洗面所から出ようとすると、ドアノブが動かない。コードを取りに出た際には正常に動いたものがびくともせず、主也さんが力を込めても微動だにしない。元々その洗面所のドアは調子が悪く、同じようなことがしばしばあった。緒方は公判で「天に見放されたような気持ち」になったと話している。

すでに洗面所に押し込まれてから2、3時間近くが経過していた。松永が起き出して「終わって」いなければ、自分たちが通電されるという恐怖が蘇ってきた。もし一時的に殺害を回避できたとしてもいつかは自分たちが手を下さなければならなくなることには変わりなく、その分、ひどい虐待が続いて妹が苦しむのではないかと言い訳めいた考えが緒方の頭を錯綜した。沈黙を破って緒方がその思いを2人に告げると、主也さんが「それだったら自分がやります」と答えた。

父親はコードを手にして浴室のドアを開け、娘に横たわる母親の膝元を抑えるように指示した。首元にコードを掛けようとしゃがみ込むと、衰弱した妻は目を開き、夫が手にした電気コードに気付いた。

「かずちゃん、わたし、死ぬと」

「理恵子、すまんな」

細い首元にコードを交差させると、父親は両腕に力を込めて引っ張り、10歳の娘は母親の両膝を体重をかけて抑え込んだ。

3人の様子を洗面所側から見ていた緒方は、主也さんに任せるのは申し訳ないという思いと共に、目の前の家族に対して疎外感を感じていたという。姉は妹のつま先を持ち、「先に逝って、待ってて」と小さくつぶやいた。公判でも語られているが、緒方は松永に共謀を強いられる中で「どうせ自分自身も殺されるから」という気持ちが常に頭のどこかにあった。死に際の妹は声を出すことも脚を動かして抵抗することもなかったという。

主也さんは5分か10分程してコードを緩め、「とうとう嫁さんまで殺してしまった」と洗面所ですすり泣いた。彩ちゃんは、静江さんが亡くなった際に松永が「亡くなった人が迷うことがないように」と胸元で両手を組ませていたのを思い出し、母親の手を組ませた。その後、3人は無言のまま呆然と時が流れるのを待った。

 

30分程して、外側から洗面所のドアが開いた。松永である。男は浴室内を一瞥すると怪訝そうな表情で「なんてことをしたんだ」と言った。主也さんと緒方は驚いたように顔を見合わせた。緒方は「ひょっとしたら自分の勘違いだったのではないか」「主也さんに悪いことをした」と罪悪感に駆られた。

「なんでやる前に聞きに来なかったんだ」と説明を求められたため、緒方は逡巡して確認を取ろうとしたがドアが開かなかったことを伝えると、「そんなことだろうと思って、早めに目が覚めた。お前は運が悪いな」等と言った。

「運が悪い」とは、ドアの故障だけでなく、譽さんが死亡した際もたまたま緒方に通電の役目を替わったタイミングだったことを含んでいた。緒方はこの口ぶりから、やはり松永は殺害を指示していたと確信し、白々しいなと反感を抱いた。責任転嫁はいつものやり口だと知っていてもこのときばかりは緒方も強い嫌悪感を感じたと証言する。

和室で寝ていた少女が松永に起こされて洗面所に顔を出すと、「こいつら理恵ちゃんば殺しとるばい。関りにならん方がいい。行こう、行こう」などと言って再び部屋に帰した。少女によれば、こどもたちを寝かしつけて自分も寝ようとしたところ、松永も横で寝ていたように思うとし、松永は殺害には直接関与していなかったことを証言している。

緒方は松永に解体の相談をすると、「こんなところで解体されても困る」等と言う一方、「持ち出して外でばれたら俺が迷惑だ」等と言って、3人に解体の許可を求めるように仕向けた。また遺体の手が胸元で組まれているのを見咎め、「死後硬直が始まると外れなくなるからすぐにほどけ」と指示した。

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「お前たちが勝手にやったことだ。巻き添えにされてこっちは迷惑だ」と松永は「予期しなかった」殺害を口では咎めつつも、3人に懲罰を加えることはなかった。

明るい時間帯は外出を禁じたため、2月10日夜になってから解体道具を購入。解体の最中も松永は「急がないと通電するぞ」と言って主也さんの二の腕にクリップを付け、電気コードを首に巻かせて作業させた。

普段は食パンなどを与えられていたが作業中の食事はクッキーやコーラ、ジュースに一時切り替わることもあった。粉々にした骨片や液状にした肉片を詰めるため、大量のクッキー缶やペットボトルが必要とされたからである。

 

裁判では、少女が主に別宅で過ごしており経緯の把握が困難だったこと、殺害・解体時はほぼ別室にいたことなどから、概ね緒方の供述が採用された。松永は理恵子さん殺害を示唆するような発言は一切しておらず、寝て起きたら事が終わっており、後に主也さんから「緒方に指示されて殺害した」と聞かされたと述べた。

しかし、少女の断片的供述と緒方の証言が合致することや、静美さん殺害における松永の指導的立場やこれまでの言い逃れと責任転嫁、相手に婉曲的に指示する“処世術”と照らし合わせても、緒方の証言は大きく矛盾しないものとされた。

 

公判で松永は、緒方の母・静美さんのみならず妹・理恵子さんにも迫られて、97年に(あるいは学生時代にも)肉体関係を持ったと証言している。

また緒方によれば、松永は理恵子さんを寵愛するようなことはなかったが、98年頃には「誘われたが関係を持たなかった」「ふくよかな方が好みだからしなかった」等と男女関係を否定する発言を行っていた。だが緒方の経験上、松永には誤魔化すためにこちらが気付いていないことまで口火を切って話し出す癖があり、これは裏返しに理恵子さんと「肉体関係があった」ことを示す発言と認識していた。

 緒方はトイレの監視役だったため、生理用ナプキンを渡すのもその役割のひとつだったが、夫婦が不仲となる時期から死亡するまでの間、理恵子さんに生理がなかったという。松永は理恵子さんの生理について気に掛けたり、生理がないと報告すると「急に痩せたり体調変化で止まったりすることもある」と自分を納得させるように話すこともあった。

同居当時は気付いていなかったが、後にして思えば理恵子さんへの集中的な陰部への通電は流産させるため、殺害を急いだのは妊娠発覚を免れるためだったのではないかとして、理恵子さんが松永の子どもを宿していたとの見方を緒方は述べている。

 

■ビール

理恵子さんがいなくなった2月下旬から“標的”とされたのは主也さんであった。

あるとき階下の住人が「うちの部屋の前の通路に大量の小便をして悪臭がひどい。足跡がこの部屋まで続いていた」と苦情を言いに来る出来事があった。応対した緒方は機転を利かせ、長男を引っ叩いて謝罪してその場を収めた。報告を受けた松永は激怒して、主也さんと彩ちゃんに通電して「お前たちのどちらかがペットボトルの小便を捨てたんだろう」と追及し、数日後に主也さんがそれを認めた。

小便の溜まったペットボトルを流しに行くのは緒方の役目だった。緒方いわく、ペットボトルが一杯になってしまい自分で中味を捨てるしかない状況だったが、勝手にトイレを使えば音で松永が目を覚まして怒られるし、外出すればいつ見つかるかも分からないため遠くに捨てに行く余裕もないと考え、慌ててマンション通路に流さざるをえなかったのではないかと推量している。

主也さんもそれまでの家族と同様に、陰部を含む身体各部への通電・虐待が繰り返され、衣食住のあらゆる場面、外出、姿勢などすべてに過酷な制約が課された。かつてはがっちりしていた体格も、日に一度マヨネーズを塗った食パン6枚と水だけを与えられる生活になって劇的に痩せ衰えた。浴室内で生活させられ、連日立たされ続けるせいで脚はむくみ、太腿の肉は削げ落ちてふくらはぎと同じくらいの太さになり、膝が異常に大きく見えた。

 

主也さんは時間ごとに車を別のパーキングへ移動させる役目を命じられていた。しかし3月下旬、歩行が困難な状態になり、どうにか車の移動を終えたものの、帰ってから「きついので横にならせてもらえませんか」と松永に申し出た。同居が始まってから約半年ほどの間、主也さんは弱音らしい弱音を吐いたことはなく、余程の変調をきたしていたと考えられる。

ときを同じくして嘔吐と下痢も続いていた。松永は勝手にトイレを使うことを許可しなかったため、ビニル袋に吐いたものを緒方がトイレに流す役割だった。パンの枚数は4枚に減らされていたが、吐き気で時間内に食べきれないと容赦なく通電にあった。下痢がひどくなると大人用おむつを履かせたが、漏らせば「おむつがもったいない」と言って通電が加えられ、おむつに付いた大便を食べさせることも何度かあった。

 

しかし4月に入ると主也さんの下痢や嘔吐の症状はやや落ち着きを見せた。そのため、7日、松永は大分県中津市に住む愛人に会いに行く際の車の運転を主也さんに命じた。依然具合は悪そうではあったが「大丈夫です」と言い、約2時間ほどの道程を運転した。

松永が逢瀬の間、主也さんと監視役の緒方と次男の3人は家族を装い、飲食店で夕食を取りながら待機した。主也さんは丼ものとミニうどんのセットを時間をかけて完食。食後も飲食店に残っていたが、松永から「もう少し食べていていい」と連絡が入る。主也さんはメンチカツを追加注文し、残さず食べた。その後、4人はマンションに帰宅し、主也さんはいつも通り浴室のすのこの上で横になった。

 

翌朝、彩ちゃんが「お父さんが昨夜これだけ吐きました」と吐瀉物の入ったビニル袋を3つ差し出した。緒方が浴室を覗くと、「寝ていい」と言われたとき以外はいつも直立していた主也さんが、そのときは横になったまま上半身を少し持ち上げるだけだった。心配して「大丈夫ね」と安否を尋ねたが返事はなく、代わって彩ちゃんが「ずっと吐いてるんです。様子が変なんです」と訴えた。

報告を受けた松永は「欲張って脂ものなんて食べるから具合が悪くなるんだ」と非難し、市販の胃腸薬を1日3回と水道水を与えるよう緒方に指示したが、主也さんはいずれも口にして30分もすると全て吐き出した。

翌10日には自力で上半身を起こすこともできないほど衰弱し、彩ちゃんが顔の横にビニル袋を出す役割になった。「どうせ吐くなら与えなくていい」と松永は薬の服用をやめさせ、与えられた食パンや栄養ドリンクは主也さん自ら断った。通常なら拒否などすれば通電制裁の対象とされるところだが、このときは松永も「無理に食べさせないほうがいいだろう」と許可した。

それ以前の体調不良の症状は一進一退だったため、9日朝の嘔吐もいずれ良くなるだろうと楽観視していた、と緒方は語っている。「でも翌日には、病院に連れて行かない場合の死の危険を感じました」と述べ、母・静美さんの入院を拒否されていた前例から病院には連れていけないものと考え、自らの未必の殺意を認めている。

その後も主也さんは水や栄養ドリンクを飲んでもその度にすぐに吐くを繰り返した。浴室が静かになると松永も「もう死んでるんじゃないか」等と口にした。

13日、松永はオールP(カフェイン等を主成分とする眠気覚まし・強壮ドリンク)と缶ビールを与え、世話をしていた彩ちゃんは「オールPは全部飲んだ」と緒方に報告。それを聞いた松永は「水や他の商品は吐くのにオールPは吐かんのやけんな」と揶揄した。その後、松永は洗面所から空のビール缶を持ってきて「ビールも飲んだぞ」と緒方に言った。尚、ビールを能動的に飲んだのかどうかは誰も確認していない。

それから1時間か90分ほどして緒方が浴室を覗くと、彩ちゃんが「お父さんが死んだみたいです」「30分くらい前に気付いたら息をしていませんでした」と無表情のまま小声で言った。腹を抱えるように体を丸めて横たわった姿勢で眠ったような穏やかな表情で息を引き取っており、ビールなどを吐いた形跡はなかった。報告を受けた松永は「でもビールも飲んだから、これで本望だろう」と自分に言い聞かせるように言った。

少女の証言では、主也さんが亡くなる前、洗面所にいた松永がビールを持ってくるよう命じており、主也さんの死後に「死ぬと思ったけん、最期にビールを飲ませてやった」と語っていた、と述べている。事実であれば、松永にも主也さんが生命の危機にあると認識していたこと、病院に連れていって保護すべき作為義務を看過したことを示しており、松永にも未必の殺意があったことになる。

松永は、その日のうちに緒方と彩ちゃんに解体作業を開始させた。開腹すると、少し緑がかった粘着性のあるタールのような液体が腹部全体に広がり、腐敗臭のような重い臭いがした。2人での作業は難航し、松永はトイレの度に状況確認に顔を出し、断片が大きすぎると指摘したり、「急げ。電気を通すぞ」と作業を急がせたりした。 

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1997年6月に片野のマンションに通い始める以前の主也さんの健康状態は概ね良好であった。しかし7月には「食べると腹が痛い。食欲はあるが吐き気がする。全身に倦怠感がある」等の症状を訴えて病院で診察を受け、40日間ほどの間に何度も通院している。血液検査の結果、肝機能に異常あり、中性脂肪が高く、飲酒によるアルコール性慢性肝炎と診断され、内服薬の処方や点滴を受けていた。点滴の際には5分も経たずにいびきをかいて眠った。だが8月末を最後に通院しなくなっていた。 

 司法鑑定に当たった医師の所見では、約半年の間、主也さんは著しい低栄養状態に置かれたため「高度の飢餓状態」にあったとされる。また虐待による過度のストレス、免疫力の低下、肝機能障害から(閉塞や穿孔といった)何らかの胃腸管障害が生じ、体内の消化吸収や食物運搬が不能となり、反射的に嘔吐や下痢を引き起こしていたと考えられ、死因を「胃腸管障害による腹膜炎」と推認した。

通常、腹膜炎には激しい痛みを伴うものの、「弱音を吐かない」主也さんの我慢強い性格や痛みを訴えたところで更なる虐待を受ける可能性が想像されたことから3月下旬まで口に出せなかった可能性は高い。また半年もの間ずっと慢性的な腹痛が続いていたことで更なる異変に対して鈍くなっていた、あるいは栄養失調等の影響で神経伝達に異常が生じて痛みを感じづらくなっていた可能性も言及されている。

 

■家族

主也さんの遺体の解体は4月末ごろまで続いた。5月に入ると、松永は緒方家の遺児2人の今後について思案を始め、「緒方家の問題だろう。お前が何とかしろ」と緒方に言うようになった。松永にとってこどもたちは大人たちを監禁支配しやすくするための“枷”であり道具でしかなかった。その大人たちがいなくなった今、そのまま養育を続ける意義はなくなる。

緒方の中では2人は聞き訳がよく手がかからないため、面倒を見てもいいという考えもあった。だが松永は「手許にいると生活費がかかる」と言い、「緒方家(親戚)に帰してはどうか」と提案したこともあったが、「やったことを喋ったらどうするんだ」「こどもだけ帰して他の大人たちが帰らなければ追及される。他言しない保証が持てるのか」と否定されていた。

 

5月10日頃、「優貴くんは殺害を直接見た訳ではないから解放しても大丈夫ではないか」と緒方が言うと、松永はようやく本音を漏らす。「今は知らないと言っても彩が事の経緯を告げれば、復讐しようとするかもしれない。どちらかを生かすにはどちらかを殺さなければならない」と、源平合戦で平家がこどもに情けをかけて逃したものの後々義経に復讐された例に挙げ、「早めに口封じしなければならない」と申し向けた。

緒方は松永の復讐される話を真に受けた訳ではなかったが、自分が家族を巻き込んだ負い目、2人を遺児にしてしまった責任、自分に金策がないことから反論ができず、「そうするしかないでしょうね」と同意した。法廷では「松永に反論する言葉を持っていなかった。優貴くんを助ける方法ではなく、殺害を自分自身に納得させることにしか頭が働きませんでした」と打ち明けている。

 

松永は緒方に優貴くん殺害を納得させると、彩ちゃんの説得を始めた。

「これからどうするね。緒方の家に帰るのか」

彩ちゃんは2人で緒方の家に帰り、祖父母や両親については他言しないことを約束した。松永は親族からこれまでの所在や何をしていたのかなど聞かれたらどうやって答えるのかと執拗に次々と問い詰めていった。

「彩ちゃんが何も言わなくても優貴くんは大丈夫か。何も言わないと責任が持てるのか」

当初は毅然と「何も言わせません」と答えた彩ちゃんだったが、「何も知らないからこそ正直に答えてしまうこともある」「優貴くんが何か口走って警察が動いたら、彩ちゃんも捕まってしまうよ」「俺にとっても不利益が生じる。その責任を彩ちゃんは持てるのか」と追いつめられ、沈黙してしまった。

「もし彩ちゃんが生きていたいんだったら、優貴くんを殺した方がいいんじゃないか」

「お父さんお母さんもいないし、生きていても可哀想じゃないか。優貴くんだってお母さんに懐いていたんだし、お母さんの所に連れて行ってあげた方がいいんじゃないか」 

 何も言えなくなった10歳の女児は、最後に「そうします」と男に同意した。

 

事前に解体道具を多めに購入して準備を整え、5月17日午後、松永は二人に決行を指示した。緒方は静美さん、理恵子さんのときと同様に電気コードを用いて自分が首を絞めるといった。しかし松永は頑として「2人で絞めろ」と命じ、ぐったりしてからも更に念を入れて絞めること、絞め終わったら心音で死亡を確認することを指示した。さらにこのときは少女にも現場に立ち会うように命じている。

姉は弟を台所に呼び寄せ、「優貴、お母さんに会いたいね」と語りかけると、弟は「うん」と言って頷いた。姉は弟をその場に寝かせると「お母さんの所に連れて行ってあげるね」と言って、首の下に電気コードを通した。それまで殺害の場面を目にしたことがなかった5歳の男児は不思議そうな顔で姉の動作を見ていた。

左右に姉と緒方がしゃがみ、コードの先端が交わるように受け渡し、足元には少女が覆いかぶさった。緒方は、男児になるべく不安を与えないように急がなければという気持ちだったと振り返る。両側からコードが引っぱられると、男児は足をばたつかせたが、やがて動かなくなった。姉と緒方が心音が停止していることを確認し、松永に報告した。このとき緒方は松永の言を信じ、これで彩ちゃんは助かる、これ以上身内を殺さずに済むと思った。

 

少女はしばらく子守り役のため和室で生活していたが、優貴くんの解体作業が終わると松永は「もう甘くしない」と追い出し、彩ちゃんと一緒に台所で眠るように命じた。

少女は基本的に緒方家の人間と親しくすることはなかったが、彩ちゃんとは年齢が近かったこともあって束の間の親交が芽生えたと話す。97年夏に訪れた当初は、一緒に部屋の掃除をしながら当時の人気アイドルグループの歌を唄ったり、テレビを見ながら好きなバンドの話をしたり、みんな一緒に和室で眠りにつくことも許されていた。父親を失い、孤独と恐怖を深めるなかでささやかな救いのひとときであったと想像される。

松永は連日彩ちゃんに通電して「告げ口するつもりじゃないか」と責めたて、「何も言いません」と訴える日々が続いていた。緒方はそれを口止めのための“再教育”だと受け止めていた。少女もこの時期は通電される機会が増えていたが、居眠りやおねしょ、返事をしないといった細かなことで彩ちゃんに対する通電の方が激しかったと証言する。

緒方によれば、当時松永は彩ちゃんを頻繁に洗面所に連れ込み、一日に何回も、毎回一時間以上かけて何かを言い聞かせるようになった。会話の内容は分からなかったが、緒方家に帰した時のことを打ち合わせているのだと緒方は思っていた。

10歳の少女はすでにがりがりに痩せ細り、2歳児の次男の紙おむつが入るほどであったが、松永はそれまでの食パン4枚の食事をさらに減らすよう緒方に指示した。理由を尋ねると「太っていたら大変だろ」とだけ答えた。

緒方は自分の希望的観測は誤りで、優貴くんのときに解体道具を多めに購入したのは松永が“次”を見越していたからなのだと察した。 

食事を減らしてから数日後、洗面所から出てきた松永は「彩ちゃんもそうすると言ってるから」と一緒にいた彩ちゃんに同意を求めた。俯いたまま小さく頷いた。

彩も“死にたい”と言っている

 緒方は通電と詐術によって催眠的に自死を受け入れるように誘導していたのではないかと推測している。またこのときには緒方も殺害を止めさせようとはしなかった。自分自身が生きていてもつらいだけだし早く殺してほしい願望をずっと抱いてきたことから、彩ちゃんがそう思ったのだとしても仕方がない、と思ったという。実行を任されることになる「自分への言い訳」ではなく本心だったと筆者は思う。

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 98年6月、緒方と少女に彩ちゃんの殺害が命じられた。姉は3週間前に弟が息を引き取った台所の床に自ら横になり、黙って電気コードが首に巻きつけられるのを受け入れた。緒方と少女は左右からコードを引っ張ったが、少女の力が弱かったため、頭が徐々に緒方のほうにずれてきた。「ちゃんと引っ張らんね!」と緒方が叱りつけ、少女も精いっぱいの力でコードを引っ張り続けた。目は閉じたまま暴れもせず、眠ったように「白くてきれいな顔」をしていた。遺体を浴室に移してから次第を報告すると、松永は解体前にこどもたちを連れて別のマンションへと移動した。

緒方は少女とともに電気コードで「絞殺」したと供述したが、少女はやや異なる証言を行った。その日、少女は別のマンションに移動するために荷造りや運び出しを行っていた。台所で松永と緒方が彩ちゃんへの通電を始め、少女は移動作業中にその様子を見たという。太腿に通電を受けた彩ちゃんはひくひくとしゃっくりをするように音を立てて痙攣を始めた。30分ほどして音がしなくなり、目を閉じて全然動かなくなったので「死んじゃったかもしれない」と思った、というのである。

松永は「息を吹き返すかもしれんけ見とけよ」と緒方に言い残してマンションを移動し、少女に「あんたも逃げたら(緒方のように)一家全滅になるよ」と脅した。少女は祖父母のことを思って恐怖した。片野のマンションに戻るよう指示されたが解体を手伝わされると思って気が重かった、とそのときの心境を振り返る。部屋では緒方が遺体の顔に白い布を被せて待っており、首に巻きつけた紐を一緒に引っ張っるように命じられた、と話した。二人の話に齟齬があった理由は分からないが、解体についての内容では再び一致を見せた。

松永は解体現場のマンションには近づかなかったが、頻繁に電話を掛けてきて「急がないと(暑さで)腐る。とにかく急げ」と命じたり、「なんで俺が子どもたちの面倒を見なくてはならないんだ、お前の子どもだろ」と緒方に当たったりした。

 

緒方家から収奪した資金もやがて底を尽くと、松永は結婚詐欺を再開。緒方は子どもを人質に預かり、少女が幼子の面倒を見る生活が続けられた。やがて少女が中学を終え、祖父母の許へと脱走する日まで。

 

■判決 

2005年3月2日の論告求刑で検察側は「善悪の箍(たが)が外れた発案者・松永と盲目的に指示に従う実行者・緒方は“車輪の両輪”」と表現し、両人に死刑を求めた。(これに対して佐木氏は著書の中で両被告の関係性を「鞭を振るう御者と走る馬」と表現している。)

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同年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部(若宮利信裁判長)で開かれた一審判決では、2人に死刑が言い渡された。少女の父親に対する殺人罪、Hさんに対する監禁致傷、強盗、詐欺罪はすべて認められた。緒方一家6人については全て殺人罪が求刑されていたが、上述の通り、緒方の父・誉さんについては傷害致死罪とし、母・静美さん、妹・理恵子さん、義弟・主也さん、甥・優貴くん、姪・彩ちゃんの5人については共謀による殺人罪を認定。一部の犯行には緒方一家も加担させて行われたものとした。

松永を「首謀者」として「責任を全て緒方被告らに押し付け、反省の態度もない。残虐性が顕著で嗜好性さえ疑われ、矯正の見通しは立たない」と断じ、緒方を虐待の被害者でもあったこと、謝罪の気持ちを示して自白し、真相解明に寄与したことを認めた。しかし、松永に完全に同調し、主体的・積極的に加担しており、矯正不可能とはいえないが情状をもってしても死罪に余りあるほどにその罪責は並外れて大きいと説明。

「不自然で事実を歪曲している」として供述のほとんどを退けられたかたちの松永は判決を不服とし、即日控訴。緒方本人は死刑判決を受け入れるつもりでいたが、事件の核心である虐待支配の構造や心理操作・影響の追究を求めた弁護団に説得され、10月11日付で控訴に踏み切った。

 

 控訴審では、一審で罪を認めていた緒方側が「心神耗弱による無罪」を主張。松永が緒方に対して行ったDVについても取り上げられ、緒方の心理鑑定を行った精神科医中谷陽二氏が出廷し、被虐待者としての心理状態・心神耗弱が詳らかにされ、DV被害者支援の専門家・石本宗子氏によりDV被害者の受ける心理的抑圧の様子や、合理的判断が困難となり犯罪に加担することもありうることが示された。

豊田氏によれば、これは緒方が「一切の罪を認めない」と言いだしたわけではなく、弁護団側が犯行実態のさらなる究明(なぜ家族同士で殺し合わなければならなかったのか)と被虐待者の「責任能力を争点とするための狙いだったと推測している。これにより、なぜ緒方たちには松永の犯行を止められなかったのか、逃げ出せなかったのか、抵抗できなかったのか、という被害者心理の核心部にまで迫ることができた。

2007年9月26日、福岡高裁(虎井寧夫裁判長・やすお)は松永の控訴を棄却。2人に死刑を言い渡した1審での判決を破棄し、「虐待により強い支配や影響を受け、正常な判断力がある程度低下していた」ことを認定しつつ、善悪の判断能力に問題はなかったとして緒方に無期懲役の判決を下した。松永を恐れて追従的に関与し、事件後は「真摯に反省し人間性を回復している様子」が窺え、情状は松永とは格段の差があるものとして、獄中での贖罪の機会を与えた。

10月9日、福岡高等検察庁は緒方の無期懲役判決について、責任能力と共同正犯を認めながらの死刑回避は判例違反だとして最高裁への上告を行った。高井新二次席検事は「7名の命を奪う殺害行為の中心人物であり、松永被告との関係を優先し、幼い子どもらの死体を切り刻んだ行為は著しく人道に反する」と指摘し、虐待被害は死刑回避の理由にはならないとした。

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2011年12月12日、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)はこれまで通りの主張を繰り返した松永の上告を棄却し、死刑が確定。27歳になった監禁されていた元少女は「死刑判決だけでは許せない。みんなが受けた苦しみと同じような苦しみを感じて、刑を受けて罪を償ってほしい」とコメントを発表した。

検察側からの緒方に対する上告についても同日付で棄却が決定。「被告自身も異常な虐待を受けて正常な判断能力が低下していた」「証拠が極めて乏しい事件を自白し、事案解明に大きく寄与した」などとし、「量刑が甚だしく不当とはいえない」として検察側の上告を退け、無期懲役が確定した。



■所感

筆者は、松永を虐待者、あるいは姑息な詐欺師だと捉えている。その供述調書には、自分で責任を負わないために直接手を下さない、他人にやらせてその旨味だけを食い尽くす、という男の“人生のポリシー”が述べられていた。既述のように松永の目的は金銭の剥奪に始まり、発覚や逃走のリスクから根こそぎ収奪して金主を殺害・抹消した方が割に合うのではないか(いざというときは緒方に責任を被せればよい)と方向性をシフトさせていったようにも見える。

暴力団からは逃げ回り、騙せると踏んだ相手は金づるにした挙句、骨の髄まで貪り尽くすように加虐性欲の餌食にした。結果として猟奇殺人者にしてしまったのは、虐待者・詐欺師の段階で逮捕できなかった、野放しにしてしまった結果と言えなくもない。だがたとえ若い時分に逮捕されて数年服役したとて男の加虐性向や支配欲といった歪んだ性衝動、詐術による責任転嫁のやりくちが「更生」できたかどうかは疑わしい。

警察の目をくらまし、被害者の心理を掌握する自らの狡猾さに溺れ、殺人の事実すらなきものにしようとした小心者の詐欺師は破滅への道を突き進んでいった。男は逮捕から免れるスリルを、検察との「死刑」を巡る攻防を、ゲームを攻略するかのように心底楽しんでいたのではなかろうか。どのような心情であったにせよ、被害者を手玉に取り、人道を著しく逸脱した諸々の犯行は到底許されるものではない。

よく比較される尼崎連続殺人死体遺棄事件もそうだが、被害を最小限に抑えるためには初期の段階で警察への通報や法律家への相談を行う以外になく、どうすれば発生を防ぐことができるかは社会に突き付けられた課題である。

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学生時代、“腕っぷし”で「支配者」にはなれなかった松永は、自らの力を自分より弱い相手や女性たちを言いなりにさせることに心血を注ぎ、自分の“ワールド”を築こうとした。ワールド時代に巡り合った電気ショックは使い勝手の良い拷問器具であった。殴る蹴るといった暴行よりも省エネで、即座に恐怖を植え付けやすいとすぐに感じ取った。

「通電」による精神的影響は人体実験することもできず詳しい研究が進んでいるとはいえないものの、物理的暴力とは異なる刺激をより直接的に脳に伝達することから恐怖の植え付けなど一層深刻な影響を及ぼすと考えられる(緒方は顔面への通電で「思考判断が奪われた」と述べている)。ラットの恐怖条件付け実験のごとく、「電気通すぞ」と言えばワールドの従業員たちは恐れおののいて命令に従った。

松永らは物証に電気コードを残してはいたが、刃物や銃火器、鈍器と違い、被害者に火傷の痕跡はできるが血飛沫を飛ばすこともなく、「凶器」となった証拠を残しにくい点も都合がよいと考えていたかもしれない。

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監禁下での心理については、ミルグラム実験スタンフォード監獄実験を例に挙げるまでもなく、過酷な環境下に置かれると自己保存のための防衛反応によって倫理や道義に反した状況判断さえも行うことは広く知られている(いわゆるストックホルム症候群のような広義のセルフ・マインドコントロール状態といえるかもしれない)。 

緒方自身、松永の命令を聞き逃したことを感づかれると懲罰を受けるので、命令を推量して手加減したと思われないように、相手により強烈な必要以上の暴力を課すこともあったと話している。被虐待者には社会通念や合理的判断などよりも「どうすれば制裁を回避できるか」「危害を免れるか」が最優先され、結果として“庇護者(加虐者)”の意思を忖度して動くようになる。

 状況は異なるが、以下のような他の監禁事件の被害者たちも様々な「見えない枷」を負わされ、意識や行動規範の変容が見て取れる。被虐待下や生命の危機が迫る極限下において、それまで通り平静を保てる人間などいないのである。

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さらに目的や規模こそ異なるが、集団の相互監視や身内の遺体処理などの非人道的な管理手法はナチス下での強制収容所のあり方を想起させる。松永は過去の犯罪や集団心理にも通じていたことから“下敷き”にしたことも考えられる。

1930年代末からヨーロッパ各地でユダヤ人らの強制収容が活発化すると、親衛隊(SS)の人員だけで収容所全体を管理しきれなくなった。そこで親衛隊人員の代役として囚人の中からカポKapo(班長)を抜擢し、使役の監視など囚人管理を代行させた(囚人機能システム)。

他の囚人からすればカポは「SSの犬」であり裏切者として恨みを買った。他の囚人とは別の居住区を割り当てられ、機能的人材と見なされれば食事や煙草、衣服といった特権を与えられたため、カポは評価を上げることに心血を注いだ。冷酷に任務を遂行し成績を上げれば武装親衛隊に取り立てられる者さえいた。処刑執行の業務こそ任されてはいなかったが、カポとなった犯罪者らはこぞって暴力的に振舞ったため、ときに死者さえ出すこともあった。

またゾンダーコマンド (特命部隊)に配置された囚人は、処刑された囚人の遺体処理を専門業務とさせられた。ガス室の遺体を運び出す係、毛を剥ぎ取る係、歯を抜く係、焼却係、遺骨を砕く係、灰を川に捨てる係…と分業されていた。彼らは大量虐殺を認識している「機密保持者」だったことから他の囚人たちから隔離され特権が与えられたが、中には家族や同胞たちの処理を強制されることもあり、自殺する以外に任務から離れる方法はなかった。

(※余談。公的文書こそ残されていないものの、ゾンダーコマンドになった囚人自らが地中に埋めるなどして残した手記などはアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所博物館に収められている。余談にはなるが、ネメシュ・ラースロー監督によるゾンダーコマンドを題材にしたハンガリー映画サウルの息子』(2015)は、主人公の周囲で何が起きているのかを映像的・音響的に極限的心理を表現しており、「ホロコーストドラマの新形態」として高い評価を得ている。)

 

緒方の無期懲役については、「追従的立場」とはいえ全事件に関与した中心的人物と見るか、松永による「精神支配」を受け続けた被害者性を重視するか、によって意見が分かれるところだとは思う。 

緒方の行為自体は許されざるものには違いなく、減軽ありきの、いわゆる司法取引的な誘導で証言したという見方をする人もいるかもしれない。だが仮に緒方ひとりを野に放ったとて再犯性は非常に低いと推量される(横領詐欺くらい考えそうなものだが、金策尽きて湯布院で職探しするような人間である)。いくつかの監禁事件と比較しても、松永によるマインドコントロールは「犯罪史上まれにみる冷酷、残忍な」手法であり、こどもも人質にとられた状況にあっては強烈な拘束力を持っていたことは間違いない。

裁判所が人間性の回復を十分に慮る場所でなければ、機械に裁かせればよいのであって、「死刑回避」というよりも松永と同じ「極刑」に躊躇せざるを得ない事情を酌んでの量刑判断と理解される(たとえば死罪の中にも等級があったならば松永より等級の低い死刑にされたかもしれない)。

DV被害によってパートナーに従属化して犯罪に加担する事件や、いじめの中心人物からの報復を恐れて協力したり黙認されるケースは今日でも少なくない。2001年10月にいわゆる DV防止法が施行されたタイミングということもあり被虐待者に対する量刑判断を特に重要視したとも考えられるが、前代未聞の犯行、その後にも大きな影響を与える判例であることを踏まえれば最善の判決だったと私は思う。 

 

 

参考

■小野一光氏による文春連載記事。

「5分以内に爪を剥げ」監禁少女の脱走に激高した男はラジオペンチを手渡した | 文春オンライン

 

連続殺人犯 (文春文庫)

連続殺人犯 (文春文庫)

 

■豊田正義氏による渾身の犯罪ノンフィクション。

■Electrical Abuse and Torture: Forensic Perspectives, Ryan Blumenthal and Ian McKechnie,2017 https://www.researchgate.net/publication/319402365_Electrical_Abuse_and_Torture_Forensic_Perspectives

■一審判例https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/111/008111_hanrei.pdf

北九州連続監禁、緒方被告の無期懲役確定へ: 日本経済新聞