宇田川敬介『震災後の不思議な話』文庫版感想

未曽有の大災害から10年が経った。行き過ぎた「自主規制」の弊害か、「不謹慎」警察の横行か、震災や原発を巡る報道は「風化」し、やや画一的にさえ感じられるようになった。招致時には「復興五輪」などとも言われたというのに、コロナ禍は世の中をフラットにしてしまった。

 

怪談界隈でもクレーム回避の傾向からなのか、3・11絡みの「震災・津波怪談」というものはそう多くは語られないし、放射能絡みの(たとえばかつての「人面犬」のような)ネタは事実上タブー視されている。

いくつかのオカルトブームとオウム事件以後の「オカルト弾圧」を知る業界では尚更注意を払っており、2000年代後半のネット怪談から火が付いた近年の怪談ブームに水を差したくないという心理も働いているかもしれない。

 

その一方で、事件・事故の背後に新たな「怪談」を求めるのが怪談フリークの性であり、無論、死者への冒涜や悪意のある過度な表現などはあってはならないが、時間の経過とともに震災に関する怪談話への渇望も湧いていた。

筆者は普段「怪談本」を読まない俄か者だが、やはり震災怪談への興味が高まっていた。書店では震災特集として報道の写真集や復興論などが平積みされており、その中でなんとなく手に取ったのが本書、宇田川敬介氏による『震災後の不思議な話』増補文庫版である。

震災後の不思議な話 三陸の<怪談>【増補文庫版】
 

 

二者択一的に結論だけ言えば、 怪談好きが読む怪談本としてはハズレという感想であった。著者略歴や過去の著作、出版社や中味、評判について吟味していなかったのだから自業自得である。

当然この本を面白いと感じる読者もいるとは思うので、参考までに感想として記してみたい。

 

■著者

著者の宇田川氏は破綻前のマイカル(かつて全国展開していた総合スーパー。2001年に経営破綻し、その後イオングループ傘下)法務部で企業交渉などを担当。退職後、出版業界に入り、経営コンサルタントや選挙コンサルタントもされていた経歴を持つフリー・ジャーナリスト。

『2014年、中国は崩壊する』(2014,扶桑社新書)、『庄内藩幕末秘話』(2014,振学出版)、『パナマ文書公開とタックス・ヘイブンの陰謀!』(2016,青林堂)など著作多数。現在はブログ『宇田川源流』等で執筆中。

 

本作では著者が震災直後からボランティア活動に参加するなかで、被災地や仮設住民、被災者遺族などから収集した怪異譚を多数収録している。

 

■文章のスタイル

著者の平文と現地の人から聞いた話(を著者が「物語」として再構成した文章)が交互に繰り返されるスタイルで、シンプルに「怪談」を読みたい欲求が強く、「物語と解説」スタイルに不慣れな私にはこれがどうにも読みづらかった。

物語前段に置かれる“枕”や背景、事象の意味といったものは物語から読者が読み取るものと考えているので、懇切丁寧な講釈は“校長先生のお話”を聞かされているような倦怠感を感じた。

怪談を読もうという人は「もっと簡潔にしてほしい」といった感想になるかと思うが、被災者への配慮や犠牲者に対する畏敬がなされており、出版物としてはそうした“クッション”を挟む体裁が必要だったとも受け取れる。

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■内容について

短い物語が三十数編入っており、その奇異を「虫の知らせ」「生死を分けたできごと」「津波」「親子」「帰巣」「死んだことに気付いていない」「引き込む霊」など十種程度のテーマに分類して紹介している。

事象を伝承や神話と接合すること自体に異論はないものの、霊性や神について著者の思想や主観のために引用しており、やや「日本人論」的ニュアンスに傾きがちな点は個人的にはマイナスに感じた。もちろん主義主張が合う人であれば、そうした広範な視点や著者の考えも面白く読めると思う。

 

怪談そのものについては、「珍奇さ」「異様さ」「不気味さ」の側面は(おそらく意図的に)和らげられており、「不思議さ」「物悲しさ」「人間味」を感じさせる物語になっている。

一般的な怖い「怪談本」としての価値よりも、震災下で人々はこのような生活を送り、犠牲者についてこんな心持ちで日々を過ごして弔ったのだ、という“震災エッセイ”のひとつとして、怪談に怖さを求めない読者や震災をあまり知らない若者が当時のことを知るきっかけとして読む分には良いかと思う。

 

7割がたが著者の平文になるため、どうしても著者の存在感が立ってしまう。そのため性格の悪い怪談フリークからすると、「聞き取りして書いている割には、登場人物の会話や行動がやけに生き生きと描かれているな」「おいおい、なぜ取材者がここまで感情を読み解けるんだい」などとツッコミを入れたくなる場面もあるかもしれない。

私は怪談は創作でも実録でも伝聞でも構わない主義ではあるが、物語は小説的スタイルを取っているものの、平文によって迫力や緊迫感が損なわれて、読者として没入していくことができなかった。神話や民話を引用しつつも客観的な論証ではなく、感情論や印象論に陥ってしまう。

本書を外から眺めればよいのか、中に入ればよいのか、どっちつかずに振り回されてしまったというのが全体を通した読後感である。