リチャード・ラミレスについて【ナイト・ストーカー】

“ナイト・ストーカー”の異名で知られるアメリカのシリアルキラー、リチャード・ラミレス(1960~2013)について記す。

 

■生い立ち

1960年2月、リチャードはテキサス州エルパソのメキシコ移民の家で7人きょうだいの末っ子(五男)として生まれる。鉄道会社に勤める父親は敬虔なカトリック教徒で勤勉に働いたが、家庭内では妻子に暴力を振るった。

リチャードは2歳の頃、タンスによじ登ろうとして転落し、前頭葉損傷の大怪我を負った。さらに5歳の頃にはブランコが頭に直撃したことをきっかけにてんかんの発作を起こすようになった。虐待被害やこうした頭部への衝撃・損傷は、多くのシリアルキラーに見られる共通の兆候だと解されている。

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Richard Ramirez, mugshot, 1984

幼少から家族と教会のミサに通っていたが、皮肉なことに信心深い父親と神の教えである聖書は、彼を悪の道へと導くことになる。

 

成長

リチャードは少年時代から窃盗や軽犯罪の常習犯だったが、他の少年たちと積極的に徒党を組むことはなかった。後に獄中で回答したアンケートでは、「友達に好かれていると思うところは?」という質問に対し、「友達はつくらない、付き合うだけだ」と記している。

だが10歳頃になると、ベトナム帰りで元グリーンベレーの従兄弟ミゲルと関係を深めた。ミゲルは少年にマリファナの味を教え、戦地で女性に対して行った強姦や首の切断などの虐待について、写真を交えて語り聞かせた。

73年5月、ミゲルは家で妻と口論となり撃ち殺したが、目の前にいた13歳の少年が元軍人の犯行を止められるはずもなかった。男は精神障害とされて実刑を免れ、4年ほど保護施設に収容された。

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孤立を深めた少年はハードロックやホラー映画、大麻LSDを好み、聖書に書かれていた「悪魔」に魅せられ、悪魔崇拝へと傾倒していった。だが“アシッドキング”として知られるリッキー・カッソ(※)が“黒円の騎士団”で仲間とつるんでいたようなものとは異なり、グループ活動や儀式・魔術などの実践は行っていなかった。

(※リッキー・カッソも10代で悪魔崇拝者となった。1984年、17歳のとき、麻薬トラブルをきっかけに友人ゲイリー・ラウワーズを滅多刺しにし、目玉を切り裂いて殺害。“悪魔が殺った”“使い魔のカラスが食べた”と友人たちに吹聴して、森に埋めた遺体を見せて自慢した。事件発覚当初、黒円の騎士団はカルト教団だと報じられていたが、実態はヘヴィメタル・ロックやオカルト趣味を介してドラッグ売買をする不良グループだった。彼は逮捕の2日後に房内で首つり自殺した。)

 

以来、父親と反目して家から追い出され、姉夫婦と暮らすようになる。しかし姉の夫は性倒錯者で、女性を狙ったストーキングや“覗き趣味”を少年に仕込むことになる。

学校を中退してホテルに勤めるようになったが、客室への侵入と窃盗を繰り返し、レイプ未遂が発覚して職を追われた。

 

■LA

1982年、リチャードは故郷を離れ、カルフォルニアに移り住むと、コカインと強盗を繰り返すホームレスの日々を送った。路頭に迷いながら、車が見つかれば車上荒らしをしてそのまま座席で眠り、侵入しやすい家を見つけては金品を奪い、金ができれば簡易宿舎でドラッグに溺れ、自動車窃盗などにより短い服役を3度繰り返した。

 

当時、ロサンゼルス・ダウンタウンスキッド・ロウ(LAのドヤ街、犯罪多発地域)にも出入りし、セシルホテルでの滞在歴があったことでも知られている。

セシルホテルは1924年に開業後、27年にパーシー・オーモンド・クックが妻子との和解の失敗を苦に拳銃で自殺したことをはじめとして、2015年までに確認されているだけで16人に及ぶ自殺者・他殺による犠牲者・不審死が出ている。壁に狂気が宿る“The Suicide(自殺ホテル)”などと呼ばれるようになり、その荒んだ空気は新たな悲劇やシリアルキラーたちを呼び込んだ。

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男は14階の一部屋に一泊14ドルで滞在した。

知られるかぎり部屋の中で殺害したり、遺体を部屋に持ち帰ったことはなかったが、事後に血まみれになった衣服を路地裏のダンプスター(ゴミ集積用の大型容器)に捨て、裸足に血だらけの下着だけという姿で部屋に戻ってくることはあった。だがそんなやらかし立てほやほやのイカれた狂人にちょっかいを出す“愚か者”はそのホテルにはいなかった。

 

ホテルは600室ある半分が長期居住区・半分が通常の宿泊施設とされている。

かつて長期居住していたケネス・ギヴンス氏は、エリサ・ラムさんの失踪を追った犯罪ドキュメンタリー『事件現場から;セシルホテル失踪事件』(Netflix, 2021)に出演し、1980年代当時の無法状態について語っている。

「自分は6階より上に行くことはなかった。セシルの場合、大抵は高層階から死人が出た。やつらは野郎を捕まえてくると、部屋に拉致ってぼこぼこにしたあと、窓から放り投げることさえあった。気を付けていないと、翼なしでその高さから飛ぶ羽目になる」

 

(尚、2013年に同ホテルで起きたエリサ・ラムさんの事件、ラミレスに倣って同地で宿泊し3人のセックスワーカーを殺害したと見られている“ウィーンの絞殺魔”ジャック・ウンターヴェーゲルについては別稿をご参照いただきたい。)
sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

 

 

■ナイト・ストーカーの誕生

84年6月28日、リチャードはロサンゼルス市郊外グラッセルパークのアパートの一室に侵入するも、大きな成果が得られなかったために住人のジェニー・ヴィンカウ(79)を強姦の上、めった刺しにして殺害した。この凶行により男は暴力の味を知り、やがて見境なく犯行を重ねていくことになる。

 

85年3月、リチャードはコンドミニアムのガレージに待ち伏せ、車で帰宅したマリア・ヘルナンデスを22口径で銃撃。続けて部屋の中にいた同居人デイル・オカザキを銃殺した。しかしマリアは発砲を受けた際、手で咄嗟に頭を庇い、奇跡的にも手に持っていた車のキーに銃弾が跳ね返たため、致命傷を負わずに済んだ。侵入者は顔を晒していながらも、命乞いする彼女を残して立ち去った。現場には男が被っていたロックバンドのキャップが残されていた。

その40分ほど後、モントレーパークの路上で一台の車を止めると乗っていた学生ツァイ・リアンユーを引きづり下ろして射殺し、車を強奪して逃走した。

その10日後の深夜未明、郊外の住宅街に住む夫婦宅を襲撃し、就寝中の夫ヴィンセント・ザザラの頭部を撃ち抜くと、妻マキシンに金品を要求。マキシンは侵入者が目を離した隙をついて防犯用ショットガンを身構えたが、弾丸が装填されていなかった。これに激怒したリチャードは彼女を射殺し、胸を切り裂き、目玉をほじくり出して持ち去った。

深夜のロス郊外で立て続けに強盗、強姦、殺人を繰り返す残忍な犯行に対し、メディアは“Valley Intruder(谷の侵入者)”と呼んで報道した。

 

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その後も、12歳の子どもをクローゼットに閉じ込めて母親をレイプする、高齢姉妹に瀕死の重傷を負わせながら女性の太腿や壁に口紅で「逆五芒星(悪魔のシンボル)」を描く、マチェーテ中南米で用いられる山刀・鉈)で喉を掻き切る、襲撃に用いたハンマーやバールをそのまま捨て置く、脅迫の際に悪魔への忠誠を誓わせるといった様々な手口が用いられ、多くの痕跡が現場に残された。

(後に彼の所持品として数多くのブロマイド、エロ写真が発見され、SMの加虐趣味やいわゆる“脚フェチ”だったことも知られている。)

 

猟奇性と大胆さはエスカレートし、LAの夏の夜を恐怖のどん底に陥れた。闇に紛れて家々を襲う黒づくめの殺人鬼、毛むくじゃらで虫歯まみれの悪臭を漂わせる不潔な悪魔は、新たに“ナイト・ストーカー”との異名が冠された。

 

彼の犯行はほとんどがその場の思いつきに過ぎなかった。生かすも殺すも気分次第、顔を見られても気にしなかった。当然コカインなどの影響で暴走していたこともあるだろう。

性犯罪には比較的、加害者の性向(被害対象者の人種・年齢・性別、外見的特徴、犯行手段など)が現れるものと考えられていたが、彼の標的は一貫性を欠いていた。従来のプロファイリングに当てはまらない性質だったことで、各犯行のつながりを発見するまでに大きな遅れを取った。

しかし現場に残された数々の証拠品、被害生存者の証言や周囲から得られたタレコミ、当時導入されたばかりの“指紋解析”により、前科のあったリチャード・ラミレスに容疑が絞り込まれていった。

 

■逮捕

アリゾナ州ツーソンにいる兄弟の元を訪れたリチャードは、不在と知ってやむなくLAに戻った。85年8月31日、男はエル・マトン(殺人者)と共にリカーショップに立ち寄ると、新聞に載った自分の指名手配写真を見て一貫の終わりだと悟った。潜伏を試みようとヒスパニック系住民の多く住む地域に立ち入ったが、住人たちはナイト・ストーカーを匿うことはなかった。

事件のせいで住民たちは警察や周囲から一層睨まれる生活を余儀なくされており、むしろ同じヒスパニックの面汚しとして、子どもや老人を犯した鬼畜として、犯人である彼を憎んでいた。住民らは市中で男を追い回し、横っ面に鋼棒で一撃を浴びせると、身柄を拘束してリンチに掛けた。彼らの怒りはすさまじく、冷血な犯行を繰り返して指名手配を受けた極悪非道な男は、その後駆け付けた警官に対して助けを請うたほどだった。

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 その後の彼は、悪びれる風もなく裁判やメディアを翻弄した。弁護士の選任や裁判所の地域に難癖をつけて公判を遅らせ、取材カメラを見つけると微笑みながら左手にある逆五芒星のタトゥーを掲げ「Hail Satan」と叫んでアピールした。挑発や罵倒といった悪態の限りを尽くし、神も社会も恐れぬ悪魔的言動によってグルーピー(狂信的ファン、追っかけ)を生み出した。

逮捕から3年以上経ってようやく審理が開始されるも、痴情のもつれから陪審員の一人フィリス・イヴォンヌ・シングルダリーが愛人に殺害されるなどトラブルが相次ぎ、「リチャードのために悪魔が裁判を妨害している」といった声すら聞かれた。

89年9月20日、13人の殺害、5人の殺人未遂、11人の性的暴行、14件の強盗による有罪判決を受け、延べ12回分の死刑と59年の懲役刑が下された。

 

死刑判決後、リチャードは記者団に対し「Hey, Big deal. Death always went with the territory. See you in Disneyland.(いやー、大したもんだ。人に死はつきもの。ディズニーランド(「刑務所」のスラング)でお会いしましょう!」 と述べた。

 

2009年、DNA鑑定の結果、それまで未解決となっていた9歳の少女メイ・レオンへの強姦殺人にも関与していたことが判明。グルーピーの一人だったドリーン・リオイは男の無実を信じて85年から75通もの手紙のやりとりの末、96年に獄中結婚していたが、少女に対する罪が明らかになるとパートナーに別れを告げた。

リチャードは獄中での多くの時間を再審請求に費やしたが、2006年に州最高裁はそれまでの死刑判決を支持、米最高裁は再審請求の最終棄却を決定し、ガス室送りを待つ日々を送った。2013年6月7日、男はB細胞リンパ腫(白血球のガン)による合併症によって、53歳で生涯を閉じた。彼の死後、遺体の引取手はしばらく現れなかった。

 

 

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・参考

US serial killer Richard Ramirez dies in hospital | US crime | The Guardian

戦争の闇を背負った子供たち アメリカで連続殺人鬼が多い理由 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)