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肝を潰せ!Netflix映画『ザ・コール』感想【ネタバレ】

Netflixで配信されているサスペンス映画『ザ・コール(콜、THE CALL)(2020、韓国、1時間52分)について、内容+感想など徒然なるままに記します。一言でいえば、 胸糞映画ファンにはたまらない刺激に満ちた傑作なので万が一見ていないのなら「読む前に見ろ」の一択です。

 
■公式紹介文

古い電話の向こうから聞こえてくるのは、運命を変えようとする連続殺人犯の声。20年という時間をこえ、同じ家に暮らす2人の女の人生がいま大きくゆがみ始める。

■日本版キャッチコピー

過去からの電話

目覚める殺意

彼女の標的は、私の過去

www.youtube.com

出演:パク・シネ、チョン・ジョンソ、キム・ソンリョン

製作:シド・リム(『お嬢さん』『オールドボーイ』)

監督・脚本:イ・チュンヒョン(『バーゲン』)

撮影:チョ・ヨンジク

 

主演のパク・シネさん(박신혜)は、日本では『美男(イケメン)ですね』(2009)や『オレのことスキでしょ。』(2011)などの恋愛ドラマでご存知の方も多いかもしれません。美貌と愛嬌を併せ持つ人気俳優さんです。チョン・ジョンソさん(전종서)は村上春樹原作の短編小説を映画化したイ・チャンドン監督作品『バーニング』(2018)で鮮烈なデビューを飾り、多くの映画祭で新人賞などの高い評価を受けています。クールな目元が印象的で、パクさんとはまた違った魅力の持ち主です。

20年のときを超えて交差する二人の女性、その対照性を見事に演じ切っています。

 

■イントロダクション

主人公ソヨン(パク・シネ)はかつて家族で暮らした田舎の古い洋館に移り住む。母親は脳腫瘍で入院しており、手術には莫大な費用がかかるため、死を受け入れる覚悟をしている。父親は1999年11月に焼死しており、ソヨンはその原因をつくった母親(キム・ソンリョン)を憎んでいた。スマホを失くしたソヨンは仕方なく屋敷にあった古いコードレスフォンを使い始めるが、ある女性から度々間違い電話が掛かってくるようになる。

スマホ”は実用的な反面、ドラマや小説などで「いや、スマホ使えや」「ググればすぐやん」と無粋なツッコミを入れたくなってしまうアイテムとなって久しいですが、現代の舞台で90年代式コードレスフォンを使うことの必然性をうまく持たせていると感じました。

そして主な舞台となる「宣教師が住んでいた」とされる田舎の洋館も、人口の約3割がキリスト教徒という韓国のお国柄が表れていて興味深いところです(CIAワールドファクトブック2015によれば無宗教56.9%、キリスト教27.6%、仏教15.5%)。説明はありませんが、忌まわしい記憶が残るこの家にソヨンが越してきた理由は母の看護のためでしょうか。

 

■地下室

 ある晩、ソヨンは壁裏に「地下室」が存在していることに気付く。そこで「1999年」の日記と写真を見つけ、そこには「霊を撃退するためだといってお母さんが私に火を点ける」と書かれていた。自分たち家族が越してくる直前に書かれたものと知ったソヨンは前の住人によって書かれた日記ではないかと察しをつけ、近所のイチゴ農家・ソンホおじさん(オ・ジョンセ)に尋ねる。だがソンホは、写真に映った女性の名を「ヨンスク」、その母親は「霊媒師」とだけ言って口ごもってしまう。

ソヨンは間違い電話の主・ヨンスク(チョン・ジョンソ)とコミュニケーションを図り、生きる時代は違いながらも同い年で同じ家に暮らす2人は親睦を深めたのだった。

地下室発見に至るシチュエーション、これは怪談好きにはよく知られている伊集院光さんの創作怪談『青いクレヨン』を彷彿とさせるものがあり、非常に恐怖心を掻き立てられます。いわゆる隠された“開かずの間”です。

また地下室といえば、ジャック・ケッチャムの“胸クソ”小説『隣の家の少女(The Girl Next Door)』(1989)、その元となったアメリカ・インディアナ州最悪の事件とされるシルヴィア・ライケンス殺害事件(バニシェフスキー事件とも)などとも繋がり、日本でいうところの「座敷牢」のように監禁虐待を想起させます。当然、『パラサイト 半地下の家族』のように、地上より下の世界はすなわち“地獄”のメタファーとも捉えられるでしょう。なお、ポン・ジュノ監督は高台に暮らす金持ち、半地下に暮らす貧困層を、黒澤明監督の『天国と地獄』からインスパイアされたと語っています。

 

本作では28歳の女性ヨンスクが義母からの被害に苦しめられています(さすがに児童虐待で描いたら世界配信できませんよね)。のちに明かされるよう彼女は境界性人格障害による入院歴があり、実の母親も精神病院にいるとされています。この障害は、衝動的行動や二極思考、極端な対人関係(他者を巻き込み混乱させるケース、対人恐怖のケース)、自己破壊行動(自傷、自殺、薬物の過剰摂取、過食、性的逸脱など)など、双極性障害(いわゆる躁鬱)に近しい特徴をもちます。統合失調症のように幻覚や幻聴は顕著ではありませんが、強い思い込みと過剰な自己愛によって、相手に対して一方的に「裏切り」「失望」を感じることが多いとされています。

義母はなぜヨンソクを引き取ったのか経緯がいまいち分かりませんが、ヨンソクの症状を独自の“悪魔祓い”メソッドによって克服させようとしている訳です。その点でもキリスト教的世界観-エクソシズムが用いられており、よいアクセントになっています。こちらも日本であればファンタジーとして見なされがち、描かれがちの設定で、宗教的素地の違いを感じさせます。『プリースト 悪魔を葬る者(原題:黒い司祭たち)』(2016)というエクソシスト映画が500万人を動員するメガヒットを放つ等、韓国はエクソシズムとの親和性が高いようです。

 旧エントリで、別のローマ・カトリックエクソシスト映画についても書いているのでよろしければご覧ください。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

 ヨンスクが好きな音楽グループをソヨンがYouTubeや本で学び、電話越しに“ダビング”することで親密になっていきますが、時間的跳躍という超常現象の渦中にあって、友好の築かれ方がまるで古きよき中高生の営みのように素朴に描かれているのが印象的です。

彼女たちが聞いていたのは、90年代の韓国音楽を代表するソテジワアイドゥルというアーティスト。彼らはグループとしての活動期間が92年から96年と長くはありませんでしたが、ダンスと韓国語ラップの融合、伝統音楽やヘヴィメタルへの転換など、ミリオンセラー連発の商業的成功だけでなくそれまでの韓国音楽界にはなかった革新性も高く評価されています。筆者は初めて聞きましたが、韓国文化に詳しい方には懐かしさや違った面白さがあるかもしれません。

 

■世界の再構築

不動産仲介業者が家族を引き連れてヨンスクと義母の暮らす家を訪れる。ヨンスクはそれがソヨンの家族だと察し、電話越しに“今は亡き父親の肉声”をソヨンに聞かせる。喜びに咽び泣くソヨンに対して、ヨンスクは父親を亡くすことになった火事を未然に防ぐことを提案する。

11月27日、20年前、火事のあった日。

ソヨンのスマホに着信が入る。着信?スマホは失くしたまま戻っていないのに?

すると火事で負った脚の古傷が消え、みるみるうちに時空が歪み、家の中がまるっきり現代風のものに切り替わっていく。片付いた部屋には暖炉が焚かれ、クリスマスの飾り付けがされている。庭の温室には病院にいるはずの母と、亡くなったはずの父の姿が。

ソヨンは家族との時間を取り戻したことでヨンスクの電話になかなか出られなくなっていった。かたやヨンスクは電話や外出していたことを義母に咎められ、地下室での更なる仕打ちの日々が続くのだった。

ヨンスクが“過去”の火事を食い止めたことで“現在”のソヨンの世界が歪み、新たな世界に再構築されるという新たな局面が提示されます。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『バタフライ・エフェクト』などでもおなじみのスタイルですが、「親殺しのパラドックス」に説明を求める性質の方には向いていない映画かもしれません。

私たちが目にするのは映画というひとつの世界にすぎませんし、今まさに直面している(「当ブログを読んでいる」という)世界そのものも無限の可能性から選択された現存在という係わり方しかありえません。Don't think, Feelのマインドで今を生き、映画を楽しみましょう。

余談ですが、過去に戻ることはできてもその帰結を変更することはできない、とする研究も存在するそうです。

タイムトラベルは理論的には可能…しかし過去を変えられるわけではない(BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

 

 ソヨンとヨンスクの時間を越えた通信を可能としているのが古びたコードレスフォンですが、2016年tvNで放映された韓国ドラマ『シグナル』でも非常によく似たギミックが用いられています(こちらもNetflixで見ることができます。また2018年、関西テレビ系列で坂口健太郎さん主演により日本版がリメイクされています)。ちなみに『シグナル』では無線機を使って現代のプロファイラーが過去の刑事と共に未解決事件を解決に導く物語でした。

が、本作はヨンスク(過去)側からしか掛けることができない制約があり、そううまくはいかないようです…(※エンディングに関わってきます)

 

■ヨンスクの死

電話でのすれちがいでヨンスクの変調に不安を覚えたソヨンは、現在のヨンスクについてインターネットで調べる。やがて明らかになったのは、1999年11月27日、ヨンスクは義母に殺害されているという事実だった。

そのことをヨンスクに知らせると、殺しに現れた義母を返り討ちに殺害。ソヨンには「解決した」「生まれ変わった気分」と語り、義母殺害を知らせることはなかった。

虐待義母の束縛から解き放たれ、街に出たヨンスクは派手な服を大量に買い込んで帰宅。近所の農夫が訪ねてきたところを強引に家に上げて、ファッションショーを始めようとする。しかし偶然、冷蔵庫内の遺体が発見され、ヨンスクは更なる凶行に及ぶのだった。

 義母殺害の後、ヨンスクが貪り食っていたお店は“ペリカナチキン”、食べていたのはおそらくヤンニョム・チキンといわれるたれ付きチキンでしょうか。韓国の定番ファーストフードで、ヨンスクが家で義母との食事中にテレビ・コマーシャルが流れていましたね(「金浦空港で離陸失敗事故」のニュースが流れる前のシーン)。義母が用意した薬膳(「こんなの食えるかよ」)とは対照的で、抑圧からの解放によってすっかり人格が変わったことの暗喩にもなっています。

 

ソヨンとヨンスク、それぞれの家にイチゴ農家のソンホおじさんが採れたてのイチゴをもって訪ねてくるという絶妙なリンクが起こります。20年のときを隔ててもイチゴの収穫時期とソンホおじさんの心遣いは変わらない、悲しき符合です。

 

 

■発覚

来宅していたソンホおじさんが突如消失したことに不安を覚えたソヨン。かつてヨンスクと交友があった商店主ソニ(序盤でヨンスクが電話を掛けようとしていた相手)に話を聞くと、かつて彼女もヨンスクに殺されかけていたと打ち明ける。地元警察では、ヨンスクが義母とソンホおじさん殺害で捕まっていた事実が明らかになる。

警官(イ・ドンフィ)の聞き込みをはぐらかしたヨンスクだったが、ソヨンから自分が無期懲役になる未来を聞かされ、「一生刑務所暮らしってこと?やっと自由になれたのに」と激昂。いつ逮捕されるのかナーバスになるヨンスクのもとに、幼いソヨンを連れた父親が来訪する。

ソヨンは父親と共にドライブ中だったが、再び世界が歪み、再構成が始まる。父親が目の前から消失し、家は崩壊していたのだった。

 世界の再構築シーンや新旧の洋館(外観だけでも相当なバリエーション)に用いられたCGは、物語世界の表現として過不足なく効果的に使われていたのが印象的です。たとえば近年ヒットした『犬〇村』があれほど惨めなモンスター映画になったことを思うと、生身で表現する部分とCG表現とのバランスや、恐怖の対象をどこまで・どのように可視化させるのか、といった面で考えさせられました。

後の伏線にもなってきますが、このときすでに視聴者はヨンスクの恐ろしさ・醜い側面を見知っているため、「ソヨンとヨンスクの時を超えた友情」から「何も知らないソヨンと凶悪なヨンスク」という認識の転換が起きています。私たちはソヨン目線で物語を追いかけており、“世界の再構成”“父親の消失”を即座に1999年に殺害されたと結び付けて想像することができます。視聴者の想像による“補正力”にうまく頼ることで、殺害や虐待の場面をさまざまな見せ方で提示する監督のセンスに脱帽します。

 

 ■復讐

ヨンスクが父親を殺したことを知ったソヨンもまた激昂する。自分自身が「過去」に戻って復讐することもできない。さらにヨンスクの許には幼き日の自分が人質にとられている。ヨンスクは「どうして捕まったのか調べろ」とソヨンに命令する。

ソヨンは当時の情報を調べ上げ、ヨンスクに「ある古物商が凶器を発見する」から彼の住むビニールハウスに行くようにと告げる。だがこれは17時に起こる「爆発事故」にヨンスクを巻き込むための、亡きものにしようという計画だった。

 ■“復讐”への復讐

荒廃した真っ暗な屋敷で、ヨンスクの死を、そして“世界再編”のときを祈るように待つソヨン。

だがそこに鳴り響く電話は命拾いしたヨンスクからだった。嘘をついた報いとして幼いソヨンに“悪霊払い”をするという。

ソヨンの全身はみるみる焼けただれていき、激しい痛みに悶絶する。

「今からだれが来るか分かる?」

ソヨンの父親の携帯電話に残された「今からそちらに行く」と告げる彼女の“母親”の声を聞かされるのであった。

 怒涛の展開、ヨンソクの冷酷非道さと悪運の強さが際立ち、打って変わってソヨンが劣勢に置かれてしまいます。

■記憶

そしてヨンスクは火事を防いだ際に見た“真相”をソヨンに伝える。

火事が起きた原因、あのとき父親を殺したのは、テレビの真似事をしてコンロを点けようとしたソヨン自身による過失だった、「母親のせい」にしたのはソヨン自身である、と。 

 ソヨンは警察署に侵入し、担当警官の手帳を盗み出す。しかしそこに書きのこされていたメモは書き換わり、ヨンスクの逮捕写真が消えていく。

またしても世界が更新され、家の中は“冷蔵庫”だらけの異様な光景へと変貌する。

物語もいよいよ佳境というところで、主人公による「虚偽記憶」の叙述トリックと、母親による子庇いという素晴らしい合わせ技が炸裂します。「子庇い」というと、日本テレビ系ドラマ『知らなくていいコト』(2020)で息子の過失によって引き起こされた大量殺人の罪を父親・乃十阿徹が被るといった内容も記憶に新しいところ。

論語子路第十三・十八にあるように、「父爲子隠」「父は子のために隠し、子は父のために隠す」という考えが存在しています。

 葉公語孔子曰。吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。


葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。而して子これを証す。

孔子曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。

(葉県の知事は孔子に「私どもの村には感心な正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子が自らそのことを明るみに出しました」と語る。

孔子は、「それはわが村の正直さとは趣が異なります。父親は我が子の罪を隠し、子は父のために隠す。正直な親子の情愛はそのようなものにあると思います」と答えた。)

日本の刑法第七章「犯人蔵匿及び証拠隠滅」においても、犯人蔵匿と証拠隠滅については「犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる」という親族特例が存在しています。

そのため東北アジア的には母親の心情が理解されやすいかと思いますが、そのほかの地域でもそういった概念や社会通念はあるのでしょうか?気になるところです。

 

ソヨンは冷蔵庫の中身について知りませんが、見ている私たちには何が入っているのか察しが付くというブラックボックスによる演出が見事。義母とソンホおじさんだけでなく、ヨンスクがこの20年の間に多くの人を殺め続けたことが想像されるおぞましい内容を異様なビジュアルで巧みに伝えています。

 

■ふたつの戦い

ヨンスクが存命であることを察して思わず家から逃げ出したソヨンだったが、スマホを破損。警官の手帳には「コードレスフォンの使用」が記されていたことから、一縷の望みにかけて再び家に戻る。

2000年、ミレニアムを迎えるタイミングで、警官はソヨンの母親と共にヨンスクの家に聞き込みに訪れていた。来ていた痕跡はあるが、父親も幼いソヨンの姿もない。

「もう一度、夫に電話を掛けてみます」母親がコードレスフォンを借りると受話器から女の声が「今すぐ逃げて」と訴える。が、その瞬間、母/娘にヨンスクが牙を剝く。

警官が殺され、逃げる母親。追いかけるヨンスク。

かたや電話を奪いに襲い掛かり、ソヨンを追い詰めていくヨンスク。

幼いソヨンの呼ぶ声に部屋を出る母親。待ち構えていたヨンスクが鉈を奮う。しかし大切な娘を守るために母親は毅然と立ち向かう。命懸けの格闘の末、母親とヨンスクは階下へと転落した。

母/娘に迫りくるヨンスクの迫力は凄まじいものがあります(まさに時をかけるヨンスク)。どちらの肉弾戦も、決して強靭な体格ではない、いわば普通の女性同士が死に物狂いになって行う血生臭い取っ組み合いは、日常で目にすることもないため別の意味で目を背けたくなる怖さ・痛々しさを感じました。

 

■エンディング

目前に迫っていたはずのヨンスクが忽然と居なくなり、“世界の再編”があったと察したソヨン。

だが病院に母親の姿はなく、警察署でも行方が知れない。墓を訪れてみると、「1999年12月11日」と刻まれている。

墓の前で泣き崩れるソヨンだったが、そこに母親が姿を見せる。その体には痛々しい古傷が。

「いつまで親に世話を焼かせるつもり?困った子ね」

父親は還らなかったものの、母がヨンスクとの戦いを生還してくれたこと、命懸けで自分を守ってくれたこと、今こうして生きていられることにソヨンは喜びを噛みしめるのだった。

 

 *****

■エンドロール

去り行く母娘の後姿。

電話の音。

「よく聞いて。もうすぐ警察とソヨンの母親が来る」

「電話は絶対に手放さないで。変えられなくなるから」

転落したヨンスクが目を覚ます。

“去り行く母娘の後姿”から母親が消失。

拘束されたソヨン。

いわゆるマルチエンディング、素晴らしいどんでん返しです。

 はじめ筆者は、コードレスフォンを「過去から現在にしか通じない」制約のある一方通行のアイテムなのだと思って見ていました。しかし、エンドロールを見れば分かる通り、“現在”のヨンスクが“過去(ミレニアム直前)”のヨンスクに電話を掛けています。韓国の電話番号事情に詳しくないので憶測になりますが、おそらく“過去”に使われていた電話の番号をソヨンは知らなかっただけ、ということなのでしょう。

エンドロールを素直に、エンディングと直列的に解釈すると、息を吹き返した“過去”のヨンスクが母親を殺害したことを示しています。

“世界の再編”で消失したかに思われていた“現在”のヨンスクはどこかに身を潜めていたということでしょうか。

 

ラストカットでは母親をも失ったばかりか、今まさに絶命の危機に瀕したソヨンの姿が映し出されます。

頭から白いシーツを被せられて目隠しされていた様は、幼いソヨンに対してヨンスクがやっていたものと同じ。つまり1999年から20年間、ずっとこの日のためにヨンスクがソヨンを生かしてきたこと、おそらくソヨンはヨンスクさながらの虐待を受けてきたのではないかとさえ想像されます。筆者の考えでは、母娘で帰途につく「エンディング」はソヨンの虚偽記憶、記憶の捏造です。

思い返せば、母親とヨンスクとの格闘で娘の前から姿を消した瞬間がありました。あのとき既に事切れていたのでしょうか。いや、もしかするとあのとき…と遡って考えていくと、110分余りの全編が丸ごとソヨンの脳内に存在する絵空事であるようにも思えてくるのです。

何しろ視聴者にはソヨンがそれまでどこでどのような20年間を過ごしてきたのかは与えられた情報から想像して再構築せざるを得ないわけです。「母親と折が悪いから離れて暮らして、都会で会社勤めでもしていたのかな、と想像すること」もいわば仮想現実でしかありません。

虐待の日々にいよいよ死を覚悟したソヨンによる走馬灯のような“仮の記憶”を私たちは目にしただけかもしれません。目の前で父を、母を殺められた幼子が日々の虐待に耐え続けなければならない。防衛本能からアナザーストーリーの世界に入り浸ったり、自分と似たような境遇の“ともだち”を空想して自分を慰めていたとしても不思議なことではありません。

ソヨンが殺されることははじめから決まっている、きしくもタイムトラベルの項で触れた「過去に戻ることはできてもその帰結を変更することはできない」ことの証明のようにも感じます。

 

本作の正解は殆どないといってもよいですし、無限にあるといってもよいでしょう。この虚構の仕掛けに引っ掛かった居心地の悪さと監督の底意地の悪さ(褒めています)を存分に楽しむことに致しましょう。筆者は幾度となく絶頂を迎えました。

もちろんフィクションですから「境界性人格障害は怖い」「サイコパスやばい」といった表層的観念に囚われてはなりませんし、ヨンスクが狂気に満ちて機転に優れた魅力的なキャラクターだという認識を持つべきですが、チョン・ジョンソさんのまさしく憑りつかれたかのような名演技と存在感にはみなさんも度肝を抜かれたのではないでしょうか。次に彼女を見るときにはどんな演技を見せてくれるのか非常に楽しみです。また彼女を第一にキャストに決定し、脚本も担当した若き才能・イ・チュンホン監督は本作が長編デビュー作。韓国映画界の進化にも肝を潰されます。