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エクソシスト映画『ザ・ライト』『エミリー・ローズ』感想

過去エントリー『異端の歴史と魔女狩りについて』では、キリスト教ローマ・カトリックから見た異教徒・異端者の変遷を扱った。 

古代ギリシア哲学においてデーモン daemonはそもそも天啓・インスピレーションのような観念であり、人に善き道を示すデーモンも悪しき道へと惑わすデーモンもあった。新プラトン主義を経てデーモンの解釈は人を惑わせ災厄を呼び起こす悪霊となり、その影響を受けた古代キリスト教では、神に謀反を起こした堕天使にして人間世界に悪霊を使わしめる者として悪魔 satanという「敵対者」を据えた。害を為すために悪霊は夢魔・淫魔(インキュバスサキュバス) という形態で人と姦淫を迫るものであったが、中世以降、終末思想の拡大、異端審問、宗教的混乱などを経て、次第に俗世界に人間の姿で潜む「魔女」の実在が西欧社会全般で信じられるようになった道程を俯瞰した。

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 西欧の魔女狩り(魔女裁判)は18世紀に衰退したものの、神の敵対者そして人々を苦しめる悪魔の概念は、キリスト教に限らず依然として多くの宗教で採用されている概念である。本稿では、現代カトリックで行われる悪魔祓い、それを行うエクソシストを題材とした2本のアメリカ映画『ザ・ライト エクソシストの真実』と『エミリー・ローズ』の感想を記し、悪魔と信仰について考えたい。

 

■『ザ・ライト エクソシストの真実(The Rite)』(米・2011)

ザ・ライト ~エクソシストの真実~ (吹替版)

ザ・ライト ~エクソシストの真実~ (吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

・監督 ミカエル・ハフストローム(『1408号室』、『シャンハイ』、『大脱出』)

あらすじ

アメリカの神学校に通う青年マイケル・コヴァック(Colin O’Donaghue)は成績優秀であったが肝心の神学に打ち込めず中退を考えていたが、恩師の薦めでヴァチカンが行うエクソシスト養成コースを受講することとなる。マイケルの神に対する強い懐疑を危惧した指導教官は、数多くの悪魔祓いを行ってきたエクソシスト、ルーカス神父(Anthony Hopkins)の助手をするよう促し、マイケルはそこで16歳の妊婦ロザリア(Marta Gastini)に憑りついた悪魔とのやり取りを目の当たりにする。

尚、原案は、2005年にヴァチカンの養成講座を受講したカルフォルニア在住のゲイリー・トーマス神父(当時52歳)の1年を追ったドキュメンタリーで綴られ、18言語に翻訳された。著者マット・バーリオは、1979年の在イラン米国大使館人質事件を題材にした元CIAトニー・メンデスとの共著があり、ベン・アフレック監督・主演により『アルゴ』(2012)として映画化され高い評価を受けた。

・原案 マット・バーリオ『The Rite ;“Making of a Modern Exocist”』(2009)

モデルとなったゲイリー・トーマス神父のインタビュー動画はこちら。「目玉がぎょろぎょろと回り、爬虫類のように舌をしゅるしゅると動かし、理解不能な言語で捲し立てる」と悪魔憑きの発作状態を克明に語っている。

www.youtube.com

感想

映画自体としては、前半は上述のあらすじ通りドキュメンタリー・タッチに仕上がっており、後半ではマイケルたちが悪魔との戦いに白熱する場面が中心となり、その熱量の温度差が映画の評価を引き下げている。主人公を演じたコリン・オドナヒューの演技は抑制されており、「繊細」と言えば聞こえはよいが、物語のカギといえる重要な葛藤が最大限に表現されているとは感じられない。対する経験豊富なエクソシスト役のアンソニー・ホプキンスはいぶし銀の怪演で、常に何を考えているのか分からない底知れなさが滲み出ており、作品そのものと言って過言ではない存在感を示している。マイケルと同じ養成コースを受講するジャーナリスト、アンジェリーナ(Alice Braga)は、原案の著者マット・バーリオ氏を彷彿とさせる立ち位置として描かれており、主人公とロマンス関係にならない点は評価できるが、キャラクターとしての魅力や作中における役割が乏しい。ローマ市街や聖堂の厳かな雰囲気は大変魅力的で、エンディングはヒューマンドラマとしてうまく収斂されているものの、総じてアンバランスな印象を受ける。

IMDbでは9万票の評価で6/10、Rotten Tomatoesではユーザー52000票の評価で40%の支持となっている。多くの鑑賞者が「首がよからぬ方向に回ったり、緑色の吐瀉物を吐いたり」する類の「ホラー映画ではない」ことを念頭にしていなかったため低評価につながったと見ることもでき、媒体として「ホラージャンル」に分類されていそうなこともマイナス要因であろう。ホラー的演出もあるが、多くの「ホラー映画」に比べればショッキングな場面が少なく冗長と捉えられたのかもしれない。)

マイケルが神への疑念を抱くようになった契機(逆説的に、神学を学ぼうと思った動機)は、幼少期の母親との死別だった。マイケルにとって受け入れがたい現実だったが、葬儀社を営む父親は、死者に対して冷静に向き合い、生前の感謝と愛をもって妻の死を迎え入れた。その経験は衝撃的ではなかったが、やがて父子にとってのわだかまりとして残った。ロザリアは父親から性的暴行を受けて妊娠したものと察したマイケルは悪魔憑きを精神疾患と断じ、ルーカス神父に対しても「必要なのは神父よりも医者と投薬治療だ」と噛みついた。アンジェリーナは仕事のために受講しているとマイケルに腹の内を明かし、ルーカス神父との悪魔祓いについて話を聞かせてほしいと依頼する。懐疑派マイケルとオカルト的好奇心のアンジェリーナは、人それぞれ理由こそ違えどエクソシズムに対する「視聴者の視点」を代表するものと捉えられる(宗教観念の薄い日本人にはなじみやすいと思う)。悪魔憑きの様子を目の当たりにして驚愕したマイケルであったが、ルーカス神父がときにトリックを用いることから、尚も悪魔の存在に否定的なスタンスを崩さない。ルーカス神父は「たとえ悪魔を否定しても悪魔から身を守れない」と語る。彼自身、医師であり、マイケルがそう考えたい、悪魔などいないと信じたい気持ちも相応に理解している(マイケルに対して「若い頃の自分に似ている」とも語っている)。物語で直接的には描かれないが、ルーカスは過去に医師として“悪魔憑き”と称する患者を数多く診てはさまざまな挫折を味わい、神父として、エクソシストとして、病気ではなく「悪魔」と戦うことを選んだ人間だと考えられる。「この恐怖は現実だ。信じるものだけがそれに勝てる」。この言葉は、マイケル、そして過去の自分に、さらに今でも度々くじけそうになる己に向けての言葉だったに違いない。「悪魔は実在する」という信念がなければ神の御力を預かる聖職者には値わず、懐疑的態度、オカルト消費的な好奇の態度であってはその恩寵には与かれないにちがいないのである。

 

 

■『エミリー・ローズ The Exocist of Emily Rose』(米・2005)

エミリー・ローズ (字幕版)

エミリー・ローズ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 ・監督 スコット・デリクソン(『地球が静止する日』、『フッテージ』、『ドクター・ストレンジ』)

あらすじ

大学生エミリー・ローズ(Jennifer Carpenter)の怪死について責任を問う裁判で、医学療法を辞めさせたとして彼女の悪魔祓いを行ったリチャード・ムーア神父(Tom Wilkinson)が訴えられる。司教区はやり手弁護士エリン・ブルナー(Laura Linney)に白羽の矢を立てたが、彼女は不可知論者で神も悪魔も信じない。しかし「この出来事の真相を世に明かしたい」という神父の切実な訴えに、裁判での勝利だけを考えてきたブルナーの心境にも変化が生じる。

 この映画は、1975年、西ドイツで実際に起きたAschaffenburgエクソシスト裁判とアンネリーゼをモデルにして制作されている。下は、当時の裁判を伝える新聞記事である。

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アンネリーゼ・ミシェルは1952年、旧ドイツ連邦共和国バイエルン州にあるカトリックの家に生まれた。両親と3人の姉妹と共に育ち、性格は引っ込み思案であったが、週に2度教会へ通う信心深い娘だった。彼女が16歳のとき、学校で卒倒し激しい痙攣に襲われるようになり、側頭葉てんかんと診断された。1970年、入院先の精神病院で投薬治療(統合失調症などで処方される現在のクロルプロマイジンに類似したもの)を受けていたが、「悪魔の顔」の幻視や「呪われている」「腐っていく」「地獄で燃える」などと告げる幻聴に苛まれていた。医療による救済が達成されない中、アンネリーゼは親しい友人とイタリア北部にあるサン・ジョルジョ・ピアチェティーノ(カトリック教会非公認の聖地)へ巡礼参りをしたが、十字架や聖水とされる湧水に拒否反応を示し、信心深かった彼女と友人は悪魔の憑依を疑うようになった。家族はカトリックの司祭に悪魔祓いの相談をするが、司教区による公的な許可が必要だとして断られた。アンネリーゼは73年に高校を卒業し、教師を目指して大学へ進学。しかし、その後も「就寝中、何者かにのしかかられる」ような幻覚体験、飲尿自傷、クモやハエを口に入れるといった異常行動が見られるほど症状は悪化し、発作を鎮めるためてんかん双極性障害の治療に用いられる安定剤カルバマゼピンの投薬療法が試された。74年、アンネリーゼと両親に面会したエルンスト・アルト牧師は、発作状態こそ見ていないものの彼女は悪魔の支配に苦しめられていると判断し、ヴュルツブルク司教区へ悪魔祓いの許可を働きかけるが、申請は却下。アルト牧師は彼女が挫けないよう励ますために信仰を薦めた。アンネリーゼは自分が悪魔の責め苦を課せられるのは、人々の罪を負って神に償っているのだと信じるに至った。75年のはじめ、牧師に宛てて次のように書いている。

 „Ich bin nichts, alles an mir ist Eitelkeit, was soll ich tun, ich muss mich bessern, beten Sie für mich“

(私は虚栄心以外の何物でもない、私がなすべきは善くなるために祈ること)

その年の9月、ヴュルツブルクの司教ヨーゼフ・スタングは、サルヴァトーリアの司祭アーノルド・レンツに対し「慎重な検討と適切な情報の後で」悪魔祓いを行うよう依頼し、1614年版の儀式書に則って、秘密裡に儀式が執り行われた。悪魔祓いの儀式は1975年9月から76年6月まで計67回繰り返され、その中で、彼女に憑依する悪魔として、ユダ、ヒットラー、ルシファー、ネロ、カイン、故人である司祭の名前が叫ばれた。儀式の一部は、40以上のテープに録音されている。その間も、何週間もの絶食により体重は30㎏となり、儀式で繰り返された拝礼動作により彼女の膝は裂け、脛は骨折、肺炎と高熱を患い、劇的に衰弱していった。1976年7月1日の朝、母親がアンネリーゼの遺体を発見。州検察は死因は飢餓と脱水症状による衰弱と認定、その後の調査で1週間前にでも医療的措置が行われれば彼女を死なせずに済んだとして、彼女の両親と悪魔祓いに係った2人の聖職者は過失致死傷罪で起訴された。1978年4月、アンネリーゼの両親に対しては「充分苦しんだ」として免罪、アルト牧師、レンツ神父の悪魔祓い行為は、医療援助を退け、「ナイーブな慣行」を通して病状を悪化させた「怠慢な殺人」だとして有罪とされ3年の執行猶予が言い渡された。

(参考:taz 2003年5月31日号、ANDRÉ PARIS "unreiner geist, weiche!"

 

感想

エクソシスト』を踏襲せず、手紙やテープレコーダーによるフラッシュバックを利用することで、「陪審員裁判」と「悪魔祓い」の2つの闘争を違和感なく組み合わせサスペンス×ホラーとして成立させたエクソシスト界の異端作。アメリカを舞台にした現代劇ながらアンネリーゼの裁判と比べても驚くほど齟齬がなく、エミリーの死の真相が提示する最重要論点「信仰は法によって裁きうるのか」について、非常に考えさせられる作品に仕上がっている。その点について、個人的にはエホバの証人輸血拒否事件を思い起こさせるものがあった。

www.tbs.co.jp

Cinefantastiqueのスコット・デリクソン監督と脚本ポール・ハリス・ボードマンへのインタビューによれば、出来事が先にあり多くの証拠やアイデアを提示した上で真相を究明していく『Xファイル』構造を採用しながら、結論はあえて鑑賞者に委ねる『羅生門』スタイルへと収束させているという。彼らは多くの文献や聖職者、医学的見地から知識とアドバイスを集め、字義通りに再現しており、先述したゲイリー・トーマス神父は本作の方がリアルなエクソシスム描写に近いと評している。エミリー役のジェニファー・カーペンターは視覚効果の助けを借りずに「悪魔的な」身体の歪みを演じたとしてMTVベスト恐怖パフォーマンス賞を獲得している。あえて難点を挙げれば、懐疑派と信者派の公平性を心掛けたとしているものの法廷闘争で悪魔の立証についてブルナー弁護士の弁舌の弱さ、人類学者サディラ・アダニ博士や精神科医グレアム・カートライトなどやや説得力に欠ける面も目立った。

WORK OUT YOUR OWN SALVATION

WITH FEAR AND TREBLING

(恐れおののきつつも自分の救いを達成するよう努めなさい)

[フィリピへの手紙2:12]

裁判のためにアンネリーゼの遺体は一度掘り起こされていたが、1978年、バイエルンの尼僧が「彼女の遺体は腐敗していないビジョンを見た。憑依の証拠になる」と告げると、両親は再び娘の遺体を掘り起こした。しかし遺体は正常な腐敗を示しており、よりよい棺へと移されて三度目の眠りについた。彼女の墓標に礼拝する者もあった。2013年、彼女の実家は火災により崩落し、それを悪魔祓いと関連付けて見る者もあったが、地元警察によれば火災原因は放火だと発表された。ドイツにおいてはこの事件の影響からか悪魔祓いの数は減少している。

 

1973年公開の映画『エクソシスト』の余波によってこの裁判への注目が集まったとも考えられるが、アンネリーゼが突き付けた医療が救えない痛みや苦しみを和らげてくれるものを信仰に見出す「生き方」は、今日においても否定できるものではなく多くの示唆に富む。医師も見放す難病に罹ったとき、予期せず余命を悟って混乱と絶望に陥ったとき、私や家族はどんな生き方を選択するだろうか。『エクソシストとの対話』の著者でノンフィクション作家・島村菜津氏によれば、1998年に精神科病院を全廃したイタリアでは、教会で無料で受けられるエクソシズムが元患者や心療カウンセリングにかかることができない市民らの受け皿になっているという(AERA 2017年11月27日号『“エクソシスト”は現代の救世主 ヨーロッパで悪魔祓いが流行る理由』)。カトリックの規範に照らせば悪魔憑きといえる症例は全体の2~3%とされるが、それ以外の97~98%の人たちもエクソシストの存在を必要としている、言い換えれば「悪魔憑き」の存在によって救われている者が大多数だということになる。悪魔と戦うのは神(神の代理となる神父)だが、悪魔を生み、人に使わすのもまた神なのである。