山形県飯豊町一家殺傷事件について

2006年5月7日未明、GW最終日。山形県西置賜郡飯豊(いいで)町のカメラ店を営む伊藤信吉さん(60)方に刃物を持った男が押し入り、伊藤さんと長男・覚さん(27)が胸などをメッタ刺しにされ間もなく死亡。信吉さんの妻・秀子さん(54)も鉄パイプのようなもので殴られ脳挫傷など重傷を負った。

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飯豊町の田園散居集落の夕景

飯豊連峰と農村風景が織りなす美しい景色とは裏腹に、事件の内容は凄惨極まるものであった。

犯人は即日捕まり、すでに判決の下った事件であるが、その内容について少しばかり振り返ってみたい。

 

■事件概要

下は事件翌日の報道である。

 24歳刃物男が民家を襲撃…父子2人をメッタ刺し殺害

連休最後の日に一家が迎えた惨劇-。7日未明、山形県飯豊(いいで)町のカメラ店経営、伊藤信吉さん(60)方に刃物を持った男が押し入り、伊藤さんと妻の秀子さん(54)、里帰り中の長男、覚さん(27)を襲った。胸などをメッタ刺しにされた父子2人が間もなく死亡。秀子さんも鉄パイプのようなもので殴られ脳挫傷などの重傷を負った。県警は近くの山中に逃げ込んだ近所の男(24)を発見、殺人容疑で逮捕した。

 

連休で顔をそろえた団らんの一家を突然、惨劇が襲った。

山形県飯豊町椿の伊藤信吉さん方。伊藤さんと覚さんは胸や腹などを激しく刺されており、病院に運ばれたが間もなく死亡。秀子さんも脳挫傷や骨盤骨折などの重傷を負った。3人とも鉄パイプで殴られたり、刃物でメッタ刺しされた跡が全身にあった。

かろうじて逃げ出した秀子さんは隣家に駆け込み、午前4時前に「男が入ってきた。お父さんが殺される」と110番通報した。

山形県警は殺人事件として長井署に捜査本部を設置し、男の行方を追ったところ、現場から数キロ離れた林道で血痕のある軽自動車を発見。さらに約2キロ離れた山中で手から大量の血を流している男をみつけた。

男は伊藤さん方から50メートルほどの隣家に住む会社員、伊藤嘉信容疑者(24)。伊藤さん方で3人を殺傷したことを「私がやりました」と認め、凶器は「逃げる途中で山に捨てた」と供述した。

捜査本部の調べだと伊藤さん方は、夫婦と伊藤さんの母セイさん(93)の3人暮らし。セイさんは当時、1階の別の部屋で寝ていたため無事。覚さんは山形市に住んでおり、休暇を利用して帰省中だった。連休最後の日に、こんな惨劇が待ち受けているとは…。

近所の人によると嘉信容疑者は伊藤さんと遠縁の親類で、殺された覚さんと同じ小中学校に通い「おとなしく静かな感じ」という。

伊藤さん宅には室内を物色した形跡などはないが、伊藤さんと覚さんが執拗(しつよう)に刺されていた。嘉信容疑者が人間関係のもつれがあったことなどを供述しており、捜査本部は恨みなどによる犯行とみて詳しい動機を追及している。

現場は山形県南部に位置するのどかな田園地帯。伊藤さん宅も田畑に囲まれているが、10年以上前からカメラ店を営んでいた。

近くに住む男性は「この辺はカギを掛けない家も多く、昔ながらの平和な町だったのに」と言葉を詰まらせ、「信吉さんは恨みを買うような人ではない」と語った。

40代の女性は「容疑者の男が捕まりひと安心だが、まさかすぐ近所の人間とは」と絶句した。

 

評判の仲良し一家

殺された伊藤信吉さんは飯豊町中心部で10年以上前からカメラ店を経営。地区の会合に顔を出すなど近所付き合いも良く、小学校の入学式などの行事の写真撮影も頼まれていたという。

長男の覚さんは山形市内で自動車関連の仕事をしており、10月にはハワイで結婚式を挙げる予定だった。まさに幸せの絶頂で、凄惨な事件に巻き込まれた。「休日のたびに実家に戻って来ていたようだ」(近所の男性)と、評判の仲良し一家だった。大けがを負った妻の秀子さんは、隣接する川西町の病院で看護師をしていたという。

サンケイスポーツ、2006年5月8日)

現場は町役場から南へ200mほどの場所で、加害者宅もそこから40m程離れた隣家だという。町役場の所在地ながら事件のあった椿地区は当時40戸程の小さな集落である。後の調べによれば、7日の3時半頃、加害者・伊藤嘉信は無施錠の玄関から信吉さん宅へ侵入。豆電球が点いており、当初そこに覚さんが寝ているものと思いきや親夫婦であったため慌てていると、秀子さん、信吉さんが目を覚まして声を上げたため襲い掛かった。物音に気付いて2Fから覚さんが降りてきたところを続けて殺害した(記事にある通り、母セイさん(93)は別室に居り無傷。次男は別の場所で暮らしていた)。信吉さんと覚さんは胸や腹など10か所以上刺されほぼ即死とみられ、深い傷は内臓にまで達していた。信吉さんらが被害に遭っている最中、命からがら脱出した秀子さんが隣家に飛び込み「お父さんが殺される。助けて」と119番通報した。凶器は鉄パイプと約5年前(2001年頃)に東京で購入した「ブラックニンジャソード」といわれる全長70㎝刃渡り45㎝の外国製刃物で、「居間の畳は血の海。戸が倒れ、割れたガラスが散乱していた」という(近隣住民男性(57))。遺体を見た親類は「信吉さんの顔はきれいだったが、覚さんの顔は面影もないほどひどい状態だった」と語っており、殺害後に激しく踏みつけるなどしたものとみられる。

加害者は犯行後、軽自動車で逃走したが、現場から数キロの林道でタイヤが破損し自走不能となり、乗り捨てて山中に逃亡。血痕の残った車両が警察に発見され、同日10時頃、神社の軒下で右手に怪我を負った男が座っていたところを見つけ、犯行を認めたため18時35分に逮捕。

 

 ■事件の背景と動機

控訴審で主任弁護人を担当した外塚功氏によれば「山形では戦後死刑求刑されたのは、この事件だけ」であり、凶悪事件が少ない山形県の、しかも都市部ではなく人口8000人余りの長閑な風情で知られる飯豊町で起きた事件だけに、山形県民に大きなショックを与えたことは想像に難くない。かの地でなにが加害者を追い詰め、これほどの凶行へと駆り立てたのか。

加害者・伊藤嘉信は、父母と祖母の4人暮らし。ほかに大学生の弟と妹が離れて暮らしていた。地元の工業高校を卒業後、上京してコンピューター関係の専門学校に進み、地元に戻って長井市(飯豊町の隣市)の送配電用品メーカーに勤務していた。中学時代の同級生によれば、「アニメ好きでおとなしい性格だった」という。加害者の家は、集落内に多い伊藤の本家にあたり、被害者はいわば分家の血筋であった。近隣住民によれば、家同士でトラブルがあったという話はなかったと言い、秀子さんも嘉信に襲われる心当たりがないとしていた。逮捕後の調べに対し、嘉信は「長男から幼少時にいじめを受け、恨みに思っていた」「長男1人を殺害するつもりだった」「殺意はなかったが、騒がれたので親夫婦も襲った」と供述した。隣家の親類で年の頃も近い嘉信と被害者となる長男・覚さんは幼馴染ともいえる間柄であった。その後、「小学校高学年の時、呼び出されて性的嫌がらせを受けた」といじめの内容についても供述。「殺意はそのころからあった」とする一方、「高校卒業以来(長男・覚さんとは)ほとんど会っていない」とも話しており、犯行は10年越しの報復行為だったというのだ。

殺害された長男・覚さんは山形市在住で市内の自動車部品リサイクル販売店に勤務し、この日はGW連休で帰省中。覚さんは加害者・嘉信より3つ年上で、子どものころからヤンチャなガキ大将タイプ。実家には頻繁に帰っており、趣味の車いじりをする姿もよく目撃されていた。事件当日も加害者は、長男の車が被害者宅に停めてあることを確認してから犯行に及んでいる。4・5年交際していた婚約者が居り、10月にはハワイで挙式を挙げる予定だったとされている。覚さんの順風満帆な様子に逆恨みしたとも考えられるが、結婚すれば一人で実家を訪れる機会が少なくなることからこの機を逃すまいと意を決しての犯行ともとれる。

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小児科医で社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」元理事長の坂井聖二氏(2009年没)は「幼少時の性的被害の経験は『自分は汚れている』という罪悪感として残る。自分に自信が持てず、対人関係を築くことも困難になる」と指摘。犯行については「長年、抑圧していた意識が何らかのきっかけでコントロールできなくなったのではないか。当時の光景が、フラッシュバックした可能性もある」と推察している。
 
■逮捕以後
伊藤嘉信は逮捕当初、信吉さん夫婦に対し「申し訳ないことをした」と話しているが、覚さんへの謝罪の言葉はなかった。弁護士が接見に訪れても「必要ない」として頑なに拒んでいたとされる。しかしその後、弁護人に対して「嫌だと思ったけれど、当時は自分がされたことの意味が分からなかった。中学生になってから怒りと悔しさがこみ上げた」「10年間引きずり続けて、つらかった。誰にも言わないようずっと努力してきた」と事件の引き金となったトラウマ、小学生時代に長男から受けた性的暴行について語った。
2006年5月31日殺人及び殺人未遂の容疑で起訴。弁護側は殺意は長男だけに向けられていたものとし、「(被告が)性的暴行を受けたことで心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、心神耗弱か心神喪失の状態だった」と主張、死刑回避を求めた。検察側は「PTSDは認められず、事件当時、刑事責任能力はあった」「反社会的性格は改善不能」と主張して死刑を求刑。精神鑑定は地裁により却下された。4月の最終弁論で伊藤被告は「裁判を通して遺族や被害者の怒りや悲しみを知った」「一生をかけて償っていきたい」と述べ深々と頭を下げた。2007年5月23日、山形地裁・金子武志裁判長は「執拗な攻撃から3人への明確な殺意はあった」「(綿密なものではなかったが)計画性があった」として責任能力はあったとした上で、「犯行に10年以上前の性的暴行が大きく影響していることは否定できず、極刑を選択することはできない」と理由を述べ、伊藤被告に性的暴行によるPTSD様の症状があったと認定し、無期懲役を言い渡した。
検察側は控訴。検察だけが控訴すると二審では「死刑か否か」という論点に切り替わってしまうことから弁護側も控訴した。
2007年12月、被害者一家(秀子さん、セイさん、次男・巧さん)は刑事事件裁判と並行して、嘉信とその両親を相手取り損害賠償を求める民事訴訟山形地裁に起こした。加害者の両親は賠償に応じる意向を見せていたが和解は不成立。山形地裁は2009年1月29日、伊藤被告に約2億7360万円の支払いを命じる判決。一方で加害者の両親への請求は棄却した。
2008年10月30日控訴審が開始され、焦点は被告にPTSD罹患はあったのか、PTSDと犯行との関連性へとシフトしていった。検察側は「被告の反社会的な人格が原因で、仕事や女性との関係などがうまくいかないことを、性的暴行に責任転嫁した筋違いの怨恨が動機」と訴えた。12月11日、被告の母親への証人喚問では「小学4年生の頃、(殺害された覚さんから)少なくとも3回、電話で呼び出しがあった」ことが明かされ、「最初の呼出し後、帰宅して泣きながら水道水で口をゆすいでいた。それ以来、明るく活発だった息子が家にいるようになった」と振り返っている。具体的な描写は避けられたものの、性器露出や接触の強要、自慰行為の補助をさせされる等したとみられている。
原因は被告が小学4年頃、殺害された人から性的暴行をうけたことです。内容は書けませんが、かなりの性的虐待で、繰り返しされました。そのため被告はPTSD(心的外傷後ストレス障害)になった。その病気のため、怒りが制御できず暴走したというものです。しかし検察官はPTSDではないとして争い、高裁で2回も精神鑑定がありましたが、いずれもPTSD罹患との鑑定でした。問題はPTSD罹患と犯行の関係、責任能力です。ここがどう判断されるかですが、死刑求刑事件は弁護士にはきついです。犯行まで15年もPTSDのフラッシュバック、息苦しい症状等に苦悶しリストカットしたりした被告に生きて償わせたい思いです。
控訴審の主任弁護人・外塚功氏のblog、2012年10月27日より)
2013年1月15日、仙台高裁は一審判決を支持し、被告を無期懲役とした。「(覚さんへの殺意に至る)悪感情の直接的要因は、軽視しがたい性的被害にあることは疑う余地がない。精神鑑定で指摘された思春期から青年時代を通じたPTSDの症状による苦しみも要因」とされた。秀子さんは、長男・覚さんによる性的暴行と被告人のPTSD罹患の関連性が認められたことに関して「被告人の一方的な言い分で進められて本当に悔しい」と語った。信吉さんの次男・巧さん(当時32)は「法廷を出た母の第一声は『これでまた殺しに来る』だった」と被害者の心に刻まれた深い傷に言及し、秀子さんとともになお極刑を求めて最高裁への上告を望んだ。
山形大学・高倉新喜准教授(刑事訴訟法)は「無期懲役支持は予想通り。控訴審では2度の鑑定でPTSD罹患の結果が出ていたため、死刑を求める検察の旗色は悪かった。そもそも一審で鑑定をしなかったことが疑問で、裁判員裁判が導入された現在では考えられないことだろう。控訴審判決は「精神疾患はあるが、完全責任能力あり」という内容で、もし裁判員裁判で審理されていれば、裁判員は判断に迷ったのでないだろうか」とコメントしている。

最高裁での対決姿勢も見られたものの、ともに上告を取り下げ、2013年5月10日無期懲役が確定した。

 

■感想

いじめ、性的暴行、親戚関係、PTSDと多くの要素が絡み合った事件である。とくに被害者・長男が中学時代に小学生の親戚の子に性的“イタズラ”をしたことが契機となったことでも当時注目を集めた。いじめ加害者と被害者との体験の非対称性もあり、当の長男もよもや今になって復讐されるとは思いもよらなかったはずだ。この事件に限らず、怨恨は「やられたらやり返す」という道理がさまざまな紆余曲折を経て噴出するケースは少なくないように思われる。当時は殺意を覚えなくとも、たとえば失恋したり失業したりして窮地に立たされたとき、不意に「あのときあいつと出会わなければ」「あのときのあの一言が今も私を苦しめている」と沸沸とした感情が急に芽生えることもある。またレイプに至らなくても、まだセックスに関する知識のない子どもたちに対する性器接触や口淫強制などの性的暴行は(被害意識が未熟なため)表ざたになりにくい。何が長男を“イタズラ”に走らせたのかは定かではないが、たとえば兄弟が同部屋だったり家族の目があったりして手淫がままならなかった等といった遠因はあったかもしれない。とはいえ長男の性的暴行は勿論のこと、加害者の復讐的殺害も認められようはずはない。いじめや性的暴行といった悲劇に対して、伊藤嘉信が親にも学校にも相談できずに見過ごされ、思春期を鬱屈としながら生きなければならなかった環境にも見直すべきところはあったはずだ。こどもが児童相談所やケアセンターのような場所に自らアクセスし困難に立ち向かおうとするには今も多くのハードルが立ちふさがっていることだろう。死刑反対論でも復讐支持者でもないが、個人的にはPTSDへの裁量が認められたことでその後の裁判にも(性別を問わず)検討・解釈の余地ができた点は大いに評価したいところである。