令和の財前五郎は成熟しない 『白い巨塔』(2019)感想

 いつからかドラマファンたちは、Twitterで#(ハッシュタグ)検索しながら同胞たちのつぶやきをおかずに視聴や余韻を楽しむようになった。様々な意見・感想を見て共感したりするだけでなく、ファンアートを披露したり、関連するマニアックな情報が流れてきたり、自分がリアルタイムで気付けなかった細部の作り込みを再発見できたりと、楽しみ方の奥行きを広げてくれる親和性の高いツールだな、と思う。

 

先日、テレビ朝日開局60周年記念ドラマスペシャルとして5夜連続放送された『白い巨塔』は、山崎豊子原作や数々の映像化で広く知られる話題作。そのtweetも多岐にわたったが、興味深かったものをいくつか拾って振り返りたい。

 

原作と田宮版は胃癌、唐沢版が肺癌、岡田版は膵臓癌...

ガン手術を得意とする天才外科医・財前五郎が皮肉にも自らが不治のガンに罹るという運命のいたずらが、物語後半の肝。医療の進歩に伴ってガンの早期発見や治癒の見込めるケースが増え、時代と共に罹患する部位が異なっているという指摘。 原作が書かれたのが1963年~68年であり、医学と悪性腫瘍との長きに渡る戦いが物語の細部に変化をもたらしている。しかし翻って見れば、昭和~平成~令和と半世紀を経てなおガンは3人に1人の死因であり国民病の一つである事実は変わっていない。

 

田宮財前は里見すら告知せず 唐沢財前は里見のみが告知 岡田財前は東教授も隠そうとしない…

インフォームドコンセントに着目した指摘。こうした医療倫理・生命倫理の側面も様変わりしており、治療行為とともに常時アップデートが必要な分野だともいえるだろう。

医療過誤(と裁判)についても、実際の事件報道やフィクションで広く認知され、対処が講じられている。にもかかわらず、大組織における内部告発のむずかしさと隠蔽体質は依然として問題を孕んだテーマのひとつである。「AIとロボットによる医療」の実現、あるいはドラマ『緊急取調室』のごとき監視カメラによる可視化が進めば解消されていくのだろうか。

また本作では「女性の社会進出」も目を引く。男社会として描かれてきた大学病院の中で野坂奈津美(市川実日子)のような狡猾な女性教授が登場し(旧作では男性)、東教授の令嬢として前作まで「家事手伝い」だった東佐枝子(飯豊まりえ)は親の庇護のもととはいえ図書館に勤めている。財前五郎の母・黒川キヌ(市毛良枝)は一人暮らしで近隣の工場勤め。だが五郎の容態を知らされても「私が言っても心配をかけるだけだ」と接見を固辞する。その態度は「娘息子の世話になりたくない」という現代的な独居老人像を彷彿とさせるものがあった。

原作や旧作、私たちが生きている実社会との時代背景の比較に終わりはないが、なにより大きなギャップを感じるのは医者の社会的地位の落差ではないか。政治家・教員・医師の「先生」職はマスコミによってその権威を食い物にされ、誇大化する社会の要請(民衆の暴徒化・モンスター化)によって業務はよりブラック化が進行しているように思える。強い立場だったはずの者がみこしに担がれ、時として下から嘲笑され、踊らなければ石を投げられる風潮。見方によっては、財前五郎は周囲の人々を踏み台にして出世したというより、病院のため出世のため家柄のために周囲の人々が彼を巧みに利用し食い物にしていた側面もあるではないか。判決直後、その場から去ろうとした財前が囲み取材の網に捕まって発作を起こす姿は象徴的に感じられる。

 

…今回のヒロインは里見先生!

 BL全盛の今っぽい意見だが、実に面白い切り口。密かにお揃いの万年筆をプレゼントしたり、お互いの実力を認め合うさま、2人だけの秘密の場所(屋上)等、見せ方もそういう演出になっている。

「自分のために患者を治す」外科医・財前五郎は才気に驕り、出世の野心に溢れ、「患者のために患者を治す」内科医・里見脩二は院内での自分の立場も顧みず正義を貫こうとする。しかし両者は、一人の人間の中にある善/悪、水と油のような相反するものではない。

患者の容態を不安視しながら財前の指示から外れる行動に踏み切れない柳原医師に「僕なら財前と話ができる」と言った里見に、立場は上だが同窓のよしみがある、財前は自分の言葉には耳を貸してくれる、といった驕りがなかったとはいえない。医療過誤の結果、「なぜあのとき独断で検査に踏み切れなかったのか」と後悔した通り、里見も独善的に判断を下せる財前を頼りにし過ぎていたのだ。

 

 集計する気は更々ないが、本作についておそらく最も多かった視聴者の感想は「ミスキャスト」。

たしかに、あの役者さんの方が——、この人はあの役の方がイメージに合う——といったことはどのドラマでもよくある。だが現実問題として局と事務所の折衝が不合になったりもする中で、今回のキャスティングや演出になっているし、ましてや役者の一存で出演の可否や演技を全て決めているわけではない。

「身長が——」「筋肉が——」「へらへらしてるだけ」「薄汚い」といった外見的特徴による誹謗中傷を見るにつけ、反吐が出る思いだ(Twitterはフェイバリットやリツイートによって人気の投稿がリスト上位にくる機能によって、こうしたリスペクトを欠いた面白みのない雑言等見ていて不快になる言説はある程度淘汰されていく。Yahoo!Japanテレビの番組感想欄は、投票機能はあるが、似たような罵詈雑言に票が集まる不可思議...)。マンガや小説の実写化等でも度々見られる“脊髄反射的(脳を経由しない)”な暴言、拒絶反応はインターネットの弊害だ。

マイルドな批判でも、「物語の重厚感に対し、演者が若すぎて表現が浅薄」「病状を告知されて半狂乱になって暴れるのは財前五郎じゃない」といった原作、旧作ファンらからの自分が思い描いてきた登場人物の残像から逃れられない声が多い。たしかにキャスト陣は若干の若返りはあるし、岡田准一松山ケンイチ沢尻エリカ夏帆らは実年齢に比しても若く見える(飯豊まりえに至っては少女か天使にしか見えない)。半世紀前の映像業界・芸能界と現在のそれとを比べたとき、「昔はよかった」で片づけるのはさすがにナンセンスに思う。

木村拓哉福山雅治の例を挙げるまでもなく、長寿が当たり前になった現代において“若さ”や“若々しさ”を持続することが持て囃されてきた(国民総ロリコン化)。TVや映画はより視聴者に分かりやすい表現が求められてきたことの蓄積であり、軽薄に見える演技も「役者の力量」と単純な意訳はできない。皮肉なことに本作全5話のうち第1・2・5話の監督は、社会派ドラマの名手として1960年代から活躍する大ベテラン鶴橋康夫である(第3・4話監督は『緊急取調室』等で心理描写に定評のある常廣丈太)。当然鶴橋とて原作旧作をたたき台にした上で、新たな財前里見像を、現代版白い巨塔を構築しようと意図したはず。浪速大の模型を前に自分の人形を相手より上に置くことで喜ぶ東、鵜飼両教授の姿は、社会全体の「若年化」「幼稚化」を反映した演出とも受け取れるのではないか。

 

やや強引に本作をポジティブに捉えようとしてきたが、やはり露骨なマイナス点もある。財前と里見の友情は趣を変え、人間関係としては現実的だが医学に命を懸けて邁進する実力者同士だからこそ分かり合えるホモソーシャル(恋愛・性的ニュアンスを含まない同性間の結びつき)は説明不足と言わざるを得ない。その結果、前述したとおりセクシャルな結びつきに見えてくるのである。さらに財前の強烈な野心の源泉(旧作では、若くして父を亡くし苦学生ながら優秀な成績を上げて医者へ、という親孝行→焚きつける義父→制御不能の野心)や同窓で互いの実力を認め合った里見との医学における志の違いについて、著しく表現が物足りない。尺が足りないのは分かるが、使い古された鏡・水のイメージによる心理描写や、財前五郎と花森ケイ子(沢尻エリカ)のえちえちなシーンといった余計な繰り返し部分を切って説明不足をカバーしては?とツッコミたくもなる。

 本作には、病状を告知されてもなお「怖くはない…ただ無念だ」と己の運命に憤り、最期を迎えるに際してもなお早期発見できなかったことを「心より恥じる」と己に対して厳しい、ある意味で異常なほどの自尊心と高潔さを備えた超人・財前五郎唐沢寿明)はもはや存在しない。

母・キヌやケイ子の前ではこどものように虚勢を張り、病状を知れば暗い部屋で鏡や枕を破壊し、最期は里見に「いつか、きっと…」と、まるで2人が出会った頃に戻ってしまう。現代における財前五郎岡田准一)は最期まで成熟しないのだ。超人だった財前五郎は、思い出の中にしか存在しない。

 

 ジャニーズ所属アイドルが主演というだけで固定ファンが視聴する。ジャニーズ所属アイドルというだけで褒めちぎりと難癖がつき、それが話題になる。岡田准一に限らず、映画やドラマで活躍するアイドル(男女を問わない)たちは事務所や固定ファンの恩恵を享けていることは確かだが、その実、作品がコケたりポジティブな評価を得られなければアイドルのレッテルで過剰な非難の的にされる。彼・彼女たちもまた自分の思い通りにはならないみこしに担がれる側なのだ。過剰過ぎる評価、アゲ記事とバッシングのいたちごっこを繰り返し、事務所や制作、下請けマスコミの利益を生むのは、皮肉にも私たち視聴者が未成熟なせいでもある。

私たちの期待値が大きいからこそハズレたときにショックを受ける。そのときの反応は、はたしてどの財前五郎に似ているだろうか。

 

岡田准一版の方がよかったって 20年後の寺田心版のときもどうせ言ってるよ

 「昔はよかった」を逆手に取ったショートショートのような風刺コメント。

はたして寺田心の行く末は気長にウォッチするとして、ガン細胞との戦いも決着がついて『白い巨塔』が二度とリメイクされなくなる未来がきてくれたら山崎豊子も報われるというものだ。