映画『累 -かさね-』感想

「ただ口紅を使いつづけなければ
わたしは醜い姿で生きることに耐えられず
あなたは世界から忘れられてしまうのだ」(松浦だるま『累』第21話)

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醜い顔で周囲から苛烈な仕打ちを受けてきた累(かさね)に、伝説の女優とうたわれ美しいままこの世を去った母・透世(すけよ)は“接吻することで顔を入れ替える力”をもつ口紅を遺していた。そのことを知る謎の男・羽生田は、累と美貌の舞台女優ニナを引き合わせる____

 

極度の過眠障害と演技力不足に悩み、女優の道をあきらめかけていたニナだったが、累の口紅の力と卓越した演技の才能を利用すれば成功できると確信。他人の顔を手に入れることで醜い己とは別の人生を味わい、美貌さえあれば舞台の上で輝けることに陶酔していく累。

二人羽織のように結託して“女優ニナ”を築こうとする2人だったが、次第に不協和音が生じていく。

 

長い眠りから覚めたニナは、自分の知らない間に累が自分に成り代わって女優としてステップアップしていたことを知る。成功を得たのは、名声を得たのは、幸せを掴もうとしているのは、自分ではない。累が演じてきた“ニナ”、自分さえ知らない“ニナ”なのだった。

 

「観客が最も感動するのがどんなときだか分かるか
ニセモノがホンモノを超えてしまう瞬間だよ」

 

後半、ニナのアイデンティティは加速度的に崩壊していく。

私が私のものではなくなること、自分の体が乗っ取られる感覚、自分の家族がそれまでの人生が奪われていくことへの恐怖。自分ではないことが、醜く蔑まれること、人目を避ける日常が当たり前になっている。いつしか自分とは思えなくなっている、他人のように見えるかつて自分だった“ナニカ”。

 

自分の人生を取り返すために口紅を奪おうとたくらむニナ。口紅の力でニナの美貌を、その演技で新しい人生を掴もうとする累。2人は憎しみをぶつけあいながら“自分の顔”を奪い合う。

 

クライマックスの劇中劇『サロメ』で文字通り狂喜乱舞する土屋太鳳に、朝ドラやティーン向け恋愛映画で見せた面影は微塵もない。ただただ醜くおぞましい怨念を舞台の上で猛々しくも妖艶にぶちまけ、私たちを魅了する。そして血がサロメを真紅に染めんとするとき、累は完全にニナになったと知らされるのだ。それは私たちの知る芳根京子でも土屋太鳳でもない。

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Gustave Moreau "salome" (1876)

マンガ原作の第1話から第27話の内容が整理されて、構成もテンポもよかった。焦点を2人の女優に絞ることで、とりわけ照明演出を介して2人の美しさと醜さを抜群に引き立てている。

劇中劇の取り込み方の妙、ラストシーンに至って累がニナへ、ニナがサロメへと同一化していく二重三重の“錯覚”は原作を超えていると言って過言でないと私は思う(現段階で原作は第28話以降未読)。あまりにもうまくまとまっているせいか続編ではなく、同じ内容で別の女優が演じるとどうなるのか見てみたいほどだ。

 

個人的に少し物足りなかった点は、制約があったのかもしれないが、2人の接吻シーンや絡み、衝突が単調だったこと。絵としてもっと美しく撮れたように感じる。

また舞台での女優の愛憎劇という設定から、ダーレン・アレノフスキー監督の『ブラック・スワン』を想起させるものがあった(ニナだし)が、精神的な追い詰め(いわゆる胸糞)要素やサイコ成分は薄めで、どんでん返し的なサスペンスでエンタメ性に振れたことも肩透かし。

あと子役の残酷描写は生理的にやや萎えざるを得ない(よくいえばリアリティがあった)。

横山君。

 

  

私たちは職場で、学校で、家族で、友達間で、キャラクターを使い分け、自分の役割を演じている。本作のようなアイデンティティ・クライシスや自己同定性の揺らぎは、『君の名は』のような単純な入れ替わりSFより身近に起こりうる不安感が面白みでもある。

劇中劇『サロメ』も、狂喜乱舞するのは土屋太鳳自身なのだが、土屋太鳳ではない(もちろん芳根京子でもない)。芳根京子演じる累が土屋太鳳演じるニナの肉体を乗っ取って踊っているのだ。言葉遊びのようでいて、実際にそれを舞台上で表現して、さらにそれを映像で見せるメタ構造が本作の真骨頂のように思う。

はたして我々が生きる仕様と、憑依すること、演技することとの境い目などあるのだろうか。歌舞伎やダンスが舞台化されるはるか以前、何かになり替わって演じること、舞踊は神儀であったことをサロメは思い起こさせてくれる。

 

私たちはニセモノをホンモノと信じることを楽しみ、ホンモノをニセモノであるかのように疑い、騙される快楽を知っている。