映画『みんなエスパーだよ』感想

逆に“エロ”って何か考えさせられる。
これはおバカ映画を装った“アンチ・エロ”なのではないか。





若杉公徳原作マンガ、ヒロイン夏帆ドラマ版ともに未見ながら、遡って見る気概はない。要するに“透明人間になって銭湯に行きたい”とか“凡庸っつーか中の下な俺だけど世界を守るヒーローになりたい”という誇大妄想だけで内容が全く伴わない、“青春”+“お色気”=“童貞映画”の王道パターンである。

童貞たちはTENGAを握りしめ「セックスしてー」と吠え盛り、ヒロインはワカメちゃんばりに四六時中パンツ丸出しで駆け回り、最終的には町全体でアッハンウッフン言い出す訳だが、これが全くもって“エロくない”のだ。

この物語の現代的なところは、「男子って本当バカ」に留まらず、セックスしてー女子、百合女子、レズもひっくるめて「エロって本当バカ」に描いており、“男女平等にバカ”にしている点。主人公・鴨川嘉郎は“運命の相手”を妄想してオナニーに励むが、シンデレラ・シンドローム女子のそれと大差ない。“エロい女”たちは街中で男を取り囲んで服を剥ぎ取ろうとする。

男女を問わず“エロ”を徹底的に開放し、“妄想”を肥大化させ、肯定どころか推奨した結果、動物的で、爽快なほどに健康的なそれは全く“エロくない”という矛盾。それは果たしてパラダイスなのか。

そんな世界は、ディフォルメされた成人映画やエロ動画そのものではないのか。現実にはあり得ない、ただ己の欲求を満たすためだけの整合性がある世界。“AしてBしてCする”ためだけにある世界。その行き着く先は微塵も“エロくない”。

ときとして私たちは、細い足首や可憐な後れ毛、無骨な首筋や前腕に膨らむ血管に目を奪われる。全身を包むもこもこのルームウェア姿や、スーツから覗くシャツとタイの組み合わせに妄想を膨らませる。マウスを操る指先を、耳元で囁かれる声のトーンを、笑った時だけ見せる頬の皺を、心底愛している。

しかしこの映画で描かれるのは、そうした現実とは乖離した“パンツ、おっぱい→勃起不可避”という、エロが究極までに記号化した世界である。“エロは結局エロくない”と言い切ることで、性器即修正、という芸術史全体に係る性の問題に対するアンチの姿勢を読み取ることは、愚かだろうか。





園子温監督が、インタビューで「スコセッシ映画だと役者が似たような芝居をするので、毎回同じ人が出ているかのように錯覚する」と語っているが、今作でも登場人物になり切ったキャストたちが存在する。自分からパンツを見せたいと思わないから開き直って“恥ずかしい”ことを演じた池田エライザ、上映舞台挨拶で「男子の青春はこれだと、健全だと心に余裕が持てるようになった」と骨の髄まで優等生になりきる真野恵里菜らはこれからが楽しみでしかない。

それにしても本作のロケを故郷豊橋で行う監督の“逆・錦を飾る”倒錯っぷりは見上げた根性だと思った。(2017年の感想)