『人間ども集まれ』感想

男と女の中間ではなく、男でも女でもない第三の性、無性人間。彼らは人間に代わって戦争をするために生産された。しかし父子の情、性に対する劣等感と嫉妬、劣悪な労働状況に対する抵抗が生じ、ついに無性人間による人間征服を謀り、人間に去勢を強制するまでに至る。

結果としては、カレル・チャペック作品に始まり更新と歪曲が繰り返されてきたロボット反逆SFに収斂してしまったかのようにも思えるが、60年代後半の時代背景を存分に踏まえ、トランス・ジェンダーおよび被抑圧種族のテーマを正面から扱った作品として読みごたえのある作品だと私は思う。アトムやリボンの騎士にも、類するテーマはあるが、大人漫画として(掲載は週刊漫画サンデー)これまでになく直接的に労働=戦争(男役は軍人、女役は保母として教育される)に特化して現出せしめたるは、実験的というより強硬的にさえ感じる。それが無性といいつつも両性的容姿・性格を備えながら性交ができないという、不具的形質に埋もれたエンディング(連載時と単行本時の大幅なエンディングの書き換えにも作者の葛藤の跡は見られる)を導いてしまっている。

人間にかぎりなく近く、遠い存在として無性人間を創造した手塚は、両者の壁としてセックスを設定した。それでもなお人間と無性人間との融和を求め、衝突を余儀なくされる。それは私に、無性人間の生みの親・大伴黒主が行き当たった「戦争のために平和があるのか、それとも平和のために戦争が?」という疑問符を思い出させる。
発達心理学に即して言えば、生まれたばかりの赤ん坊はぼやけた視覚しかないのだという。与えられた視界に、それぞれモノとして分別をつけていき、後々“パパ”とか“ブーブ”といった言葉を獲得する。私たちは生まれながらにして、対象を分別する能力、差を見出して類型化する能力をもつという訳だ。それは私たちが世界に生きていくために行うことである。生きるということはあらゆるものとの衝突の前段階的発達を伴っている。