漫画『残酷な神が支配する』感想

つながりは鎖のように、ときに人を救い、ときにきつく肉を締め上げる。人の愛のつながりはタフにできてはいない。「過剰な愛は少しでも理想や夢と違うことが起きるとき耐えられない」がために、崇高なる愛ほどにピアノ線のようにか細く、間違いを起こせば一瞬にして弾け、肉を裂く。インスピレーション、啓示、偶然などと、人は何一つ選択を許される訳でもなく、ただ嵐のような出来事へとさらされて言い訳を考えながら進んでいくしか生きる道はない*1
伝言ゲームのように事実は次々に生まれ変わり、人はそれに嘘や沈黙を交えてはときどき思いだし、薄気味悪くほほえむのだ。「半分はウソでもつくり話でも 半分はホントさ」。前意識的に刷り込まれていく事実という名の映画は、ときどき目の前の観客を失い、観客たちは瞼の裏側に別の映画館を見つける。「バラバラになった」映画の続き。
自らを生贄として生きるジェルミにとって、(彼が頑なに拒み続ける)愛とは赦しなのだろうか。
残酷な神の前から生贄を奪おうとするイアンは、図らずも父グレッグと同じくジェルミを支配し征服しようとする。逃れるすべのない孤独が、果たしえない約束が、自ら従った罰が、色んな形をした愛が、目に見えない信頼が、幸福の名のもとに私を追いかけてくる。何を見るの。通り過ぎたあれ。何も変えられないあと。
人は自らを裁ききれなくなったとき、神を生む。そして神が自分ではなく他者であるということが、自分に許された唯一の存在証明でもあるのだろう。

*1:嵐に逆らうには絶命するほかないのだろうか。