いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

フィンランド・ボドム湖殺人事件

1960年、湖畔にキャンプデートへ訪れた男女4人の若者たちが何者かに襲撃され、3人が命を落とし、生き残った一人も当時の記憶を失うという事件が起きた。

フィンランド人にとってはなじみのある「青春の1ページ」とでもいうべき青年たちの幸福な余暇。それを文字通り血に染めた惨劇は、猟奇的事件に不慣れな人々に大きなショックと不安を与え、国民的な関心を集めた。だが事件の真相は明らかにならないまま、捜査は30年以上もの間、事実上凍結された。

2004年に事件の「唯一の生存者」が容疑を掛けられたことで再び大きな物議を醸した、フィンランド犯罪史上最も有名な凶悪未解決事件である。

 

■概要

1960年6月4日(土)、キリスト教の祝日ペンテコステを利用して、4人の青年たちがフィンランド南部ウーシマー県エスポー郊外にあるボドム湖へツーリングキャンプに訪れた。

メンバーは18歳の男子学生と15歳の女子学生各2名ずつで、青年たちは鋳造技術を、少女たちは主に裁縫等の技術を学んでいた。

左から、マイラさん、アニアさん、セッポさん、ニルスさん

マイラ・イルメリ・ビョークルンドさん(15)専門学校生

アニア・トゥーリッキ・マキさん(15)専門学校生

セッポ・アンテロ・ボアズマンさん(18)市民学校生

ニルス・ヴィルヘルム・グスタフソンさん(18)市民学校生

(※以下、4人の敬称略。ファーストネーム呼びとする。)

アニアとセッポは恋人になって数か月で、マイラとニルスはそれぞれ2人の友人として紹介されて数週間前に知り合った。知り合って間もないマイラとニルスだが双方に好意はあったのか、性的関係の有無などははっきりしない。

前月、セッポはアニアの女友達カイヤ・マルヤッタ・リナネンさんにも誘いをかけており、5人かもう一人加えて6人で行く可能性もあったが、カイヤさんは神学校の予定を優先したため不参加となった。アニアの父親はキャンプ計画を聞かされた当初、難色を示していたが、真っ当そうな青年2人を信用して送り出すことにしたという。

 

夏至フィンランドでは「白夜」となるため深夜まで陽が落ちることはない。4人は少年用バイク2台でツーリングデートを楽しみながら現地を訪れ、夕方6時過ぎ、ボドム湖南岸の岬にテントを張った。青年たちは遊泳や食事(男の子たちはアルコール)をひとしきり楽しみ、22時半頃に就寝したものとみられる。

マイラの手帳には次のような記述が残されていた。

“5日、ボドム湖への旅。セッポとニルスは酔っ払っていた。午前2時起床。セッポは釣りをしていた。”

筆跡鑑定によれば筆致はアニアのものとされている。若い彼らにゆっくり眠っている暇はなかったらしい。

5日11時過ぎ、大工のエスコ・ヨハンソンさんは息子2人を連れて湖水浴に訪れた。息子たちは浜辺を駆け、父親は小道で自転車を漕ぎながらその姿を見守り、目的地へと競走ごっこをするようにして向かっていた。

すると岬に破れて倒壊したテントを見つける。近づいてみると、テントは引き裂かれて血に塗れ、若い男女4人が頭を潰されて倒れていた。そこへデート中の若いカップルが通りがかったため、ヨハンソンさんは現場の保存を2人に任せ、慌てて電話ボックスを探し、11時30分頃にレッパヴァーラ警察署へ通報した。

 

署員らは11時45分頃に現場に到着し、中央刑事警察も駆け付けた。パーティーのうちマイラ、アニア、セッポの3人の死亡が確認された。少女2人の死因は頭がい骨骨折と脳挫傷、セッポは血液の溜飲による窒息と見られた。4人全員が殴打による打撲や擦り傷を負っており、マイラとセッポには複数の刺し傷もあった。現場目撃情報などと照らし合わせて、死亡推定時刻は5日4時から6時ごろとされた。

とりわけマイラへの攻撃は他の3人より凄惨を極め、死後に首元を15か所近くめった刺しにされており、ジーンズが下ろされて下半身がはだけた状態でテントの上に倒れていた。しかし遺体に強姦を受けた痕跡はなかった。翌6日には彼女の16度目の誕生日が控えていた。

唯一生存が確認されたニルスも頭部や顎に複数の骨折など重傷を負い、意識不明の状態で病院へ搬送された。数週間の入院を余儀なくされ、殴りつけられたダメージによる脳損傷など後遺症の疑いもあった。

 

■現場状況と初動捜査

テントは出入り口が東向きに据えられ、固定用ロープが切断されていた。血飛沫の状況などから見て、4人はテントの下敷きとなり、身動きできない状態で外部から攻撃を受けたと見られた。殴打には岩石の使用が疑われたが、周辺では鈍器や刃物といった凶器は発見されなかった

4人は靴を履いておらず、テント脇に女性用の靴2ペアが発見された。衣類や毛布、空き瓶やキャンプ用品の多くはテント内外に散逸しており、パンなどの食料はキャリーボックスに残されていた。

現場からは財布やオートバイの鍵、その他複数の所持品が見当たらなかった。事件翌日にテントから500mほど離れた岩穴周辺の茂みから衣服の一部とセッポとニルスの靴が発見されたものの、それ以外のものは発見されなかった。鍵を奪われた2台のオートバイはテントの傍に残されたままとなっていた。

後に親族が紛失を確認した主なものは、アニアの「財布、水着、タオル」、セッポの「ナイフ、レザージャケット、懐中時計、財布」、ニルスの「腕時計、可動式プライヤー、L型プライヤー、女性物のキャリーバッグ」である。

現場捜査を率いたアルヴィ・ヴァイニオ副判事(中央)

 

警察署員もペンテコステによる休暇が多く、動員に時間を要した。

初動捜査について、現場の初期状態に関する記録が取られていなかったこと、道路封鎖の遅れ、更に捜索隊にに寄せ集めの警官や志願兵が動員されたため却って指示系統が混乱し現場保存や証拠収集が困難となったことが後に問題視されている。7日には10数匹の警察犬も導入されたが、多くの人跡に荒らされた現場では役に立たなかった。

眼前には湖が広がっており、凶器などを遺棄するにはうってつけとも言える。湖岸一帯も探索されたが、60年当時のこと水中探査機があった訳でもなく、フロッグマン(水中捜査班)も限られており、見落としがなかったとは言いきれない。湖面に浮かぶドリンクボトルから採取された指紋も現在まで事件解決の役には立っていない。

捜査期間中、多くの野次馬が現場に詰めかけ、何らかの証拠が搔き消されたことも危惧された。紛失した品目の特定にも時間を要し、実際のところそれらを犯人が奪ったのかは不明であり、群衆の一部が湖に投げ捨てたり「記念品」として密かに持ち去ったりした可能性もある。

 

上の地図では赤いポイント地点、下のストリートビューは北の上空からドローン撮影されたもので左手の岬がキャンプ地である。

 

湖畔周辺の住民や観光客に聞き取りが行われたが、すでにその段階で帰宅した者もあったことから、新聞紙上で当時の湖畔来訪者を募るなどして計88人から情報を集めた。

有力な目撃情報として、5日午前3時45分頃、農業アイリ・ヨアンナ・カリャライネンさんは近くのサウナを訪れ、現場近くのビーチを通った。4時過ぎに物音がして岬の方を見ると、テントの一つ隣の岬で20歳未満の青年2人の姿が目に入った。2人は半裸でシャツの袖を体に結んでおり、一人はその場から去っていったという。状況から見れば、セッポとニルスの2人と推測される。

午前6時ごろ、少し離れた場所でバードウォッチングをしていた10歳の少年2人が、2台のバイクと地面に敷かれたテント、その上に寝そべる男性らしき脚を見かけた。少年たちは、5分か10分程前に何らかの物音を聞いていたが、キャンプ客が日光浴でもしていると思い、現場に近寄ることなく通報には至らなかった。

14歳のオラヴィ・キビラティ少年はボート釣行を約束していた友人が来るのを朝4時頃から待ちわびていた。暇を持て余して8時近くまでキャンプ場の西側で岸釣りをしていたが、6時頃にテントのあった岬方向から南方に向かって歩いていく明るい茶色(金)髪の男性の姿を目にした。物音や悲鳴は聞いてはおらず、男は身長170~180センチ、非常に薄手の上着と濃色のパンツを着用していたと話した。後に彼には近視等の視覚障害があったとして観測への影響も指摘されている。

 

人々の注目が高まる中、警察の得られた情報では犯人検挙はおろか動機の絞り込みさえ困難だった。被害者グループ周辺の人間関係の洗い出し、周辺地域に暮らす元囚人たちや要注意人物への調査など広範な人々を対象として地道な捜査が続けられた。疑惑の人物をあぶり出しては、捜査が進むほどに期待を打ち砕かれた。

犯人はなぜナイフと岩石を使ったのか、単独犯か複数か、性犯罪か物盗りか、メンバーと何らかのトラブルがあったのか、はたまた得体の知れない錯乱者や猟奇殺人者が付近に潜んでいたのか…事件解決のカギは、犯人と接触した唯一の生存者ニルスへの聞き取りにかかっており期待が高まった。

しかし6月23日にようやく叶った青年との面談でのやりとりは、捜査員を別の意味で驚かせた。事件の心的ショックや脳損傷の後遺症によるものか、事件当夜の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていたのである。意識を取り戻した当初には、自分が病院に運び込まれたと気づいて「バイク事故に遭った」と勘違いしていたという。

 

退院後、メディアへのコメントでニルスは次のように語っている。

「セッポと私は3時ごろ釣りに行きました。ですが釣果はなく、1時間程して女の子たちが眠るテントに戻りました。空はもう明るくなっていて、十字架の魂(※的確な翻訳ができず意味は不詳。オーロラなどの自然現象か?)は見えませんでした。気づいた時には病院にいました。」

「顔に合計10カ所ほどの刺し傷がありました。上顎と下顎がつぶれ、頭にも10センチほどの打撲傷がありました。石やパイプで殴られたのは明らかです。肘にも切り傷があり、両手の指関節を擦りむいていたので、(防衛のために)どうにか身をかがめようとしたのか…

右側で寝ていたので、頭の傷はすべて左側にできました。回復した後、平衡器官を損傷していたので歩行訓練のリハビリを必要としました。自分でテントから出たのか、引きずり出されたのかはわかりません。とにかく、殺人犯は私を水に引きずり込もうとしたのです。私のかかとの跡があったからです。彼は何かを恐れて堪えきれなくなったのか、最終的に私を倒れたテントの上に寝かせたままにしていきました。」

病院で伝えられた自身の容体と、捜査員の話から得られた現場状況が大半で、事件当時彼がその目で何を見たのかを口にしていないことが分かる。あのとき4人の身に何が起きていたのか、これでだれひとりとして知る者はいなくなった。青年たちが襲われたシチュエーション、事件の凄惨さと見えづらい犯人像、生存者の記憶喪失…まるで映画さながらの事件の奇妙な展開は謎が謎を呼ぶこととなった。

 

■容疑者

◆逃亡犯

最初に容疑を掛けられたのは、事件翌日の7日10時頃に付近の森で大工に話しかけた男だった。大工のペンティ・ヴァルティアイネン氏は薄汚れた見知らぬ男にタバコをせがまれたという。男は髭を生やし、薄い色のシャツを着ており、その胸と袖口には血痕があった、とヴァルティアイネン氏は証言した。

男は3月2日に作業施設から脱走し、指名手配を受けていたパウリ・クスター・ルオマ(24)と判明する。ルオマは少年時代から10年にわたって窃盗や強盗を繰り返した罪で収監されており、ボドム湖の240キロ北、レーンキポヤの労働施設から脱走した。男の身体的特徴は、身長177センチ、中肉体格で、髪はライトブラウン。にやにやとした外面と自己中心的な性格で知られていた。

 

逃亡中の強盗常習者が防御手段に乏しいキャンプ客に目を付けて金品を強奪するというのは充分に考えうる話であった。1対4ではリスクを伴うものの、就寝中を狙えば不可能なことではなく、うまくすれば「収穫」も大きい。

重点捜索の結果、7日午前中にそれらしき人物が食料を大量に買い込んでいたとの情報や、7日午後にはボドム湖から25キロ離れたセウチュラ市街にいたとの報告があり、付近に潜伏していることは確かだった。

しかしいざ逮捕してみると事件当夜の明確なアリバイが判明し、殺害への関与は認められなかった。

 

◆キオスクマン

地元住民の間では、湖畔近くで売店を営むカール・ヴァルデマー・ギルストローム氏(50) 、通称“キオスクマン”に疑いを向ける声が早々から挙がった。彼は行楽客やこどもにしばしば敵対心を示したため、エスカレートして事件に発展したのではないかというのである。

売店はキャンプ地から数百メートルの距離にあり、ハイカーや釣り人、キャンプやツーリングに訪れた行楽客たちの利用も少なくない。だが氏は普段から行楽客のバカ騒ぎやバイク、キャンピングカーの排気音を忌々しく思っていた。人々は、彼がテントの紐を切断して嫌がらせをしたり、ハイカーに投石したり、キャンプ客の車に散弾銃を向けるといった悪行を報告し、短気な乱暴者だと口を揃えた。ときに万引き対策としてリンゴの中に剃刀の刃を潜ませていたという猟奇的な面も聞かれた。これまでは彼の報復を恐れて通報できなかったのだという。

ギルストローム

ギルストローム氏は取り調べに対し、過去に犯した行楽客へのいくつかの罪を自供したが、青年たちの殺害については否認。弱いアリバイではあるが彼の妻も、事件当夜、夫はずっと家にいたと証言した。事件当時、青年たちが店に立ち寄るなどした様子は確認されず、家宅捜索でも事件に結び付く証拠はなかった。尚、若い女性への執着や性的倒錯などはなかったと言われている。

1969年8月、彼はボドム湖で溺死体として発見される。泥酔状態で湖に入ったとみられ自殺と判断された。

半世紀後、犠牲者たちと同世代の市議会議員ウルフ・ヨハンソン氏は地元郷土史の本を著し、ギルストローム氏犯人説を改めて支持した。地元では「事件の数日後に裏井戸を埋めていた」といった噂が飛び交ったとされ、警察による疑いは解かれたとはいえ、その死後も住民たちからの疑いは晴れることはなかった。彼は第二次大戦従軍による深刻なPTSDの過去、その後もアルコール依存を抱えていたとし、事件から9年後の自殺を「罪悪感によるもの」と主張している。

地元民から腫物扱いされていたものが、事件を機に、過去の腹いせや嫌がらせの対象へと転じたのは明らかであり、生き苦しさが積もり積もってキオスクマンの自殺の原因となったとも想像できる。事故か自殺かすっきりしないところではあるが、愛着ある土地を離れることができなかったようにも思える。

2005年、事件についてインタビューに答えた地元住民ビョーン・アールロース氏は、キオスクマンへの揺るぎない疑いを示した。理由のひとつは、長年DVに苦しめられた彼の妻が死の床で「事件当夜に夫が不在だった」と打ち明けていたというのである。さらにギルストローム氏は死の前日、飲み仲間とサウナに入り、酔った勢いで若者たちを殺害したことを示唆していたという。飲み仲間は警察にそれを伝えたが、警察はすでに容疑を解いていたこともあり、酔った上での戯言として相手にしなかった。酔いが醒めたギルストローム氏は「失言」を後悔して自ら命を絶ったのではないかというのである。

そうした地元の話を鵜呑みにすれば、ありえなくもないように聞こえるが、文字通り死人に口なしであり、「近隣住民による容疑者リスト」には生前も死後もずっと彼が挙がっていたことに留意せねばならない。町の変人、嫌われ者を、すでに亡くなった人物を真犯人と留保し続けることは地元民にとって心の平安にもつながっていたに違いない。

湖は彼にとって庭同然であったことから、周辺で彼にまつわる遺品が発見されたとしても何も不思議はなく、埋めるつもりだった古井戸にごみを捨てたことも事実あったかもしれない。2000年代に土地は人手に渡ったがその後も発掘調査は行われていない。遺族は、氏が死後も事件に結び付けられることを嫌ってDNA採取に応じることはなかった。

◆自白

別の容疑者にペンティ・ソイニネンがいる。ソイニネンは窃盗や暴力犯罪により、1960 年代後半に刑務所に送られた。男は獄中で青年たちの殺害を自供したと言われている。事件当時、彼は15歳で養護施設を脱走し、現場周辺地域に潜伏していたという。

ソイニネンには薬物やアルコールの乱用、精神疾患の病歴があり、それらを暴力性に結び付けて考えることもできるが、一方で妄想性障害や虚言癖も認められていたため、警察は自白を真剣に受け止めようとはしなかった。

 

犯罪者の中には、周りの囚人に対して凶悪性を誇示するために、実際の罪より大きな罪を犯したと自慢する場合もある。また裁判の引き延ばし等を目的に、余罪をにおわせるケースも存在する。

その一方、捜査官による暴行や尋問術によって容疑に掛けられた者の供述内容をコントロールし、「虚偽の自白」を引き出す冤罪の事例も洋の東西を問わず後を絶たない。

はたまた1932年のリンドバーグ実子誘拐殺人事件、1947年のブラックダリア事件、近年ではジョン・ベネ事件などメディアで大きく取り上げられた有名事件では無実の人間が自ら犯人を名乗り出る現象も知られている。

ソイニネンがそれらの事例に当てはまるのか、あるいは真犯人かは不明だが、1969 年、刑務所間を移動中にトイジャラ村の駅で首を吊って自ら命を絶ったと報告されており、真相は闇の中である。

 

催眠療法

7月までに50数件の情報が寄せられていたが犯人特定への筋道には至らず、初動捜査の混乱もあって捜査はすぐに暗礁に乗り上げた。犯人と直接対峙したニルス青年の失われた記憶を取り戻すことに希望が託され、60年代を通じて催眠療法による記憶の復元が試みられた。

催眠捜査は今日では有効性を否定されているが、当時の医学的知見からは目撃者や被害者の曖昧な記憶を回復・修復する効果が期待されていた(たとえば北米では1958年以来医師協会により催眠術が療法士資格として認められており、テキサス州では2021年まで法的に認められた捜査手法の一つとされてきた)。

得られる結果が絶対的証拠とされることこそなかったが、回復したニルスと目撃者のオラヴィ少年も60年7月から催眠捜査を受けることとなる。当初ニルスは加害者について「見上げると黒いマントをまとった真っ赤な目の男が目の前に立っていた」と発言し、鈍器について「鉄パイプ」様のものと示唆した。

 

キヴェラ病院の主治医ステンベック博士の催眠術によって導かれたニルスの証言では、22時半頃にテントで横になり、その晩、男女に親密な性交は行われなかったという。日の出前(日の出は3時6分とされる)にセッポが釣り道具を支度しているのに気づいて目を覚まし、一緒に岬の先端まで釣りに出た。しかし寒さのため、15分ほどでテントに戻ってくると、女の子たちも起き出していた。しばらくするとセッポも釣果なくテントに戻ってきて、再び眠りについた。

その後、テントの屋根が落ちて下敷きにされたこと、少女たちの叫び声を聞いたこと、何者かが仲間たちを鉄パイプで殴りつけナイフで切りかかっているのをテントの裂け目から目撃したと話した。博士によると、セッポ、少女たちが襲われた後、ニルス本人が攻撃された印象を受けたという。これに即して事件を捉えるならば、3人への襲撃で犯人が疲弊していたため、ニルスは致命傷を免れることができたともいえる。

犯人がテント内にいるのを青年2人少女2人と認識した場合、手ごわい相手、この場合は青年2人を先に倒したいと考えるのが一般的とも思われるが真相は分からない。

ニルスとオラヴィ少年2人の証言を総合すると、犯人の特徴は、20~30歳代、身長5’8ft(170㎝強)の中肉体型、丸顔のにきび肌、額が高く、金髪のストレートヘア、目は大きく、まっすぐな鼻、厚い唇、しっかりとした顎、短い首、太く大きな手、胸ポケットのある格子柄のシャツといった人物像が導き出され、上の似顔絵が作成された。

また近年になってから、「犠牲者たちの葬儀」の場面を映した一枚として下のような画像が出回っており、円で囲まれた男性との類似性が指摘されている。放火魔が現場に足を運ぶように、殺人犯が葬式に顔を出したとでもいうのだろうか。

画像の男は不気味なほどに似顔絵とよく似ている。だが出処が不明であり、別の場面での他人の空似や画像加工を疑いたくなるところである。少なくとも画像の男を見かけても、その印象を「20~30歳代」とは思わない自信がある。

 

◆スパイの男

事件翌日の6月6日、ヘルシンキ外科病院に訪れた奇妙な患者も重要容疑者のひとりと目されている。

男は酔っぱらいのように意識を混濁させながら、胃の不調を訴えていた。爪はどす黒く汚れており、服は汚れと血痕と思しき赤みを帯びた染みで覆われていた。緊急治療室へと担ぎ込まれたが、担当医は男が酩酊のふりをしているような疑いを抱いたという。

事件の報道が盛んになると男はぼさぼさのブロンドヘアを短く刈った。担当医と助手ヨルマ・パロ氏は、男は捜査の目を逃れるために病院に飛び込んできた犯人ではないかとの疑惑に至り、警察に通報。エスポー郊外、ボドム湖の現場から5キロほどの場所にある男の住所を伝え、「神経質で攻撃的」な性格であると報告した。

警察は男に簡単な事情聴取を行ったが、事件当夜のアリバイがあったため容疑者リストから早々に除外した。男の着衣に血痕の疑いがあることを医師は伝えていたが、シャツの血液鑑定は断られた。その後、催眠捜査による目撃証言や似顔絵が公開されたことでパロ氏の中で燻ぶっていた疑惑は確信へと変わった。

パロ氏はその後正式な医師となり、神経科クリニックや2001年まで健康省所轄の社会健康研究開発センターで研究教授を務め、在任中に著した医療ルポ『Suomalainen Lääkärkirja』(1994)は優れた評価を得た。引退後、『Bodomin arvoitus(ボドムの謎)』(2003)をはじめ立て続けに発表した3冊のボドム湖事件関連本の中で、この奇妙な患者・ハンス・アスマン犯人説を唱えた。

ハンス・アスマン氏

元刑事捜査官で事件ジャーナル『Alibi』誌編集長マッティ・パロアロ氏も、パロ氏が唱えたアスマン説を支持して共著を出版した。アスマン氏は2人が自説を公にするより前の1998年にスウェーデンで没している。パロアロ氏は、余命を悟ったアスマン氏本人から要請を受けて97年まで周辺取材をしていたという。

共著によると、アスマン氏はKGB(ソ連国家保安委員会)のスパイであり、捜査当局にとっては「触れてはならない人物」と判断されたか、何らかの圧力がかかって容疑を見逃されたと推察している。

 

ドイツ人のアスマン氏は若い頃、アウシュヴィッツの警備員として働いていたナチス親衛隊(SS)メンバーだったとする噂がある。1943年にロシアで捕虜となり、ナチスドイツに幻滅していたことからKGBのエージェントになることを選んだとされる。

戦後はフィンランド人のヴィエノさんと結婚して北欧に移り住んだが、1961年に妻に対する虐待の罪で服役し、70年代に正式に離婚した。パロアロ氏によると、その間、いくつかの謀議や事件に関与していたことをアスマン氏は仄めかしていたという。

そのひとつが53年に西海岸で起きた17歳のキリッキ・サーリ殺しである。少女が夜道を帰宅中に行方不明となり、5か月後に半裸状態の遺体が沼地で発見されたが、犯人に結び付く証拠がなく未解決となっていた。アスマン氏は、運転手の事故で殺してしまい、隠蔽のために湿地に少女を遺棄したと告白した。

元妻ヴィエノさんに対して行った取材では、キリッキ・サーリ事件の当時、確かにアスマン氏は車を凹ませる事故を起こしており、靴下を片方なくして足を濡らしたまま帰宅したことがあったと証言した。ほかにも国内のいくつかの未解決事件の現場にアスマン氏がいたことを裏付ける証言が得られたという。

著書では1960年に起きたボドム湖事件と、他に55年のエリ・イモ殺害事件、59年トゥリラハティのキャンプ場で起きた2女性殺し、63年のシルッカ・リーサ・ヴァリュウス殺しなどとの共通点を挙げ、アスマン氏による「連続殺人」との見方が提示され、フィンランド国民を驚嘆させた。

 

一方で、パロアロ氏からボドム湖事件について関与を問われたアスマン氏は「テントとナイフのことを知りたがっているのだろうが…」「詳細については触れない。認めることも否定することもない」と言葉を濁したという。

また著書では各事件の共通性から連続殺人犯像を導き出しているが、例えばトゥリラハティのキャンプ場では2人の遺体は埋葬されており、明らかな隠蔽の形跡が存在するなど、各事件には数多くの相違点も指摘される。

アスマン氏は「ペンナ・テルボ大臣が大統領選挙で決定的な投票を行ったが、その2週間後に(大臣は)亡くなった」と死の床で回顧したが、パロアロ氏はその発言を「1956年の大臣の交通事故死はアスマン氏による暗殺だった」と解釈している。懐疑派に言わせれば、パロアロ氏の解釈には論理的飛躍が大きく、アスマン氏の不明瞭な発言と各事件とを強引に結びつけようとする傾向がみられるという。

尚、ジャーナリストが裏付け調査を行ったところ、アスマン氏の妹はドイツ空軍から年金を受給されていることが確認された。戦後ドイツでは国防軍ナチス親衛隊の社会保障は明確に区別されており、SS将校は軍人恩給が支給されない。つまりアスマン氏はSSとは無関係と考えるのが今日では主流の見方である。

 

2005年、捜査当局はアスマン氏に関する調査記録を公開した。事件当夜、彼はヘルシンキ郊外に住む長年の浮気相手の女性(33)の部屋で過ごし、翌朝9時には彼女の家主が女性と食卓を囲むアスマン氏を見たことが記録されている。寝室のドアは施錠されていなかったが、人の出入りがあれば構造上誰も気づかないはずがなかった。アスマン氏の衣服に付いた赤い染みは、彼が仕事中に使用した「ペンキ」と記載されている。

パロ氏は「警察権力に対する妄信をやめよ」と30年来築かれた事件に対する既成概念を捨て去るよう主張する。どれほどアスマン関与説を否定する材料を提示したとて、その信奉者もまた同じような主張を繰り返し続けるだろう。捜査当局は彼らの著作について「フィクションに過ぎない」として一顧だにしていない。

今日でもフィンランドの未解決事件界隈ではアスマン氏が重要なフィクサーであるかのように語られることもあるが、「国中の未解決事件に関与した謎のドイツ人スパイ」の存在はあくまでミステリーファンの希望的支持によってのみ成立していると言えるだろう。そもそもキャンプデートに訪れた4人の学生たちはKGBのスパイが標的とするような要人とはいえない。アスマン氏は「自分はスパイだ」という誇大妄想に囚われたアルコール中毒者と個人的には考えている。

 

◆44年目の逮捕

1960年代を通じて取り調べの対象者は延べ4000人に上り、事件の長期化は生存者に対する多くのあらぬ予断を招いた。素人探偵たちはバードウォッチングのこどもや魚釣りの少年に対してでさえ、現場に近づかず通報しなかった行動を疑問視し、「真犯人を刺激しないために親たちが口止めしているのではないか」と囁いた。

当然、「パーティーで唯一の生存者」も疑惑に晒された。少女の死後も危害を加え続けた犯人がなぜ横に倒れていた彼だけを仕留め損ねたのか、青年の怪我は実はたいしたものではなく記憶を失ったふりをしているだけではないか…未解決事件にはよくあることだが、人々の深刻な猜疑心は事件の突破口を見いだせずに迷走し、挙句にその捌け口として目撃者や被害者遺族、身近な生存者への疑惑へと転化される。

ボドム湖事件はそうした状態のまま、人々の間で議論され尽くし、捜査は30年以上もの間、事実上凍結していた。

 

しかし2004年3月末、当局は突如としてニルス・グスタフソンを逮捕し、4月2日、3人の殺害容疑で収監した。事件から40年以上が過ぎ、バスの運転手として生計を立て、結婚して2児の父親となり、すでに年金暮らしを始めていたニルスにとって、こうしたかたちでの捜査の再始動は寝耳に水だった。

10月、中央刑事警察は採取された血液サンプルの分析から、ニルスの殺害への関与を裏付けられたと発表。事件当時は利用できなかったDNA型鑑定により重要な新事実がもたらされたと述べた。

この裁判はフィンランド国民の眠っていた記憶を呼び覚まし、インターネット上で情報がシェアされ、議論が再燃した。それを信じようと信じまいと、だれしもの脳裏を一度はよぎった「生存者犯人説」の行方を皆が固唾を飲んで見守った。2005年8月、エスポー地方裁判所で公判が開始される。裁判官らは実地検査を実施し、証人として3人の医師がニルスの怪我や後遺症について証言し、法廷には当時の現場に残されたテントが設置された。

事件当時のテント鑑識

検察側の見解によると、事件当夜、セッポとニルスは飲酒後に口論となり、その後、ニルスはマイラに性的アプローチを試みたが断られたと推測した。テントを追い出されたニルスは、マイラは自分よりセッポに好意があるのではないかと疑惑を強めて3人のテントを襲撃。嫉妬心からセッポを殺害し、そのまま自制心を失って皆殺しの犯行に及んだものと動機づけた。

遺体状況、とくにマイラの首にある深い刺し傷の痕跡に着目した。出血の少なさから死後に付けられた刺し傷と判断され、加害者の彼女に対する「強い怨恨」を示す証拠だと主張。検察側は「明らかに少女への嫉妬を示している」として、男女関係のもつれが惨劇の発端になったとの見方を示し、ニルスが負った怪我はセッポの反撃によるものとした。

ニルスは一貫して当時の記憶がないと主張し続けており、起訴内容を否認。公判中は声を荒げるようなこともなく、検察側の主張に対して首を横に振るなど落ち着いた反応を見せた。彼の弁護人リータ・レッピニエミ氏は、テント上で発見されはしたものの、血痕状態からニルスはテント内で襲撃されていたと主張した。

ゴムで縛られた古布(枕カバー)


また現場に残された枕カバーに付着していた精子も争点となった。枕カバーは、発見時は輪ゴムで筒状に丸めたものが2本発見されていた。月経だったマイラが生理用ナプキンに枕カバーを古布として代用し、テント外に捨てたものと推定されていた。(※当時は経血の吸収に不要となった古布を使用することが多かった)

そこに付着したニルスとも殺害されたセッポのものとも異なる精子の存在は、「部外者」がその場にいたことを示していると弁護側は述べた。青年たちの遺留品はテント等一部を除いて鑑定後に親族の許へ返却されたが、枕カバーだけは証拠品として保管されていた。それこそ当局が「三者の存在」を隠蔽しようとする何よりの裏付けであると主張した。

その意見に対し、検察官トム・イフストローム氏らは、精子は「キャンプよりずっと以前に付着していた可能性がある」と反論。発見状態から、マイラが使用直後に丸めて遺棄したとみるのが妥当であり、その間に精子が付いたとは思えない。犯人が捨ててあったナプキンに射精して後から丸めて元に戻すとも考えられない。だとすればマイラが過去の精子の付着に気づかずに転用していたとみるのが妥当というのである。

ニルス以外の過去の重要参考人についてもDNA型鑑定が行われたが、枕カバーの精子とはいずれも一致せず、犯人のものかそれ以外かも不明である。

 

離れた場所で発見されたニルスの靴には血痕が残されていた。分析によって犠牲者3名の血液成分が確認されたがニルスのものは検出されなかった。検察側は、これを3人の犠牲者が受けた襲撃とニルスの負傷が別々のタイミングに生じたため、つまりニルスは3人を襲撃した後で自らの手で自身を傷つけたのだと主張した。

事件の朝、バードウォッチングのこどもたちは倒れたテントの上に男性らしき脚を見、釣りをしていたキヴィラティ少年は事件現場の方角から海岸に向かっていく人影を見たと証言していた。検察側は、このときキャンプ地を後にした男こそニルスであり、第三者の存在を偽装するために自分の靴を遠くに隠しに向かったのだと主張した。

弁護側は、このとき見られた足こそ昏睡していたニルス本人だと反論した。青年たちは靴をテントの外に置いて就寝しており、血痕の付着は偶発的なものである。仮にニルスが靴などを隠しに行くことが可能だったとしても、発見されなかった財布やセッポの革ジャケットなどの所持品をどのように消し去ったのかは説明がつかない。事件から30余年もの月日の間には、現場となった岬の周辺では金属探知や発掘調査などが際限なく繰り返されてきたが、失われた所持品は見つかっていないのである。尚、証人となった元釣り少年は公判で「自分が見た金髪男性はニルスではない」と証言している。

検察側は、偽装工作のためにニルスが自傷した可能性に言及したが、証人の医師らは、総合的に見てそれらの怪我を負った状態で偽装工作を行うことは不可能だと証言した。ニルスの鼻腔には脳液が滴った状態で「差し迫った命の危険があった」こと、頬の一部裂傷は貫通しており、頭がい骨後部のひび割れなども「自傷」できる怪我ではないと説明した。

 

2か月に及ぶ審理の結果、彼が偽装工作したとする根拠、3人を殺害したことを裏付ける証拠は何一つなく、目撃証言も外部犯を示唆するものと判断され、無罪判決が下された。検察側は上訴せず、ニルスの無罪が確定。その後、州と国からおよそ63000ユーロ以上の賠償金が支払われており、これは通常の補償より3倍近く高い金額とされる。前例がないほどに国民的注目が集まった事件の影響力、公判での精神的負担を考慮した額と考えられる。

www.is.fi

会見に及んだニルスは、襲撃当時の記憶はないが、私が三人を殺していないことは断言できると述べた。ジャーナリストはニルスに殺害していないことを示す立証を求めたが、「私は無実であり、それはタマネギです(どこまでいっても答えが出ない)」と答え、不毛な“悪魔の証明”を退けた。

 

■余談

事件前年の夏、パウリ・ピリセンさんはマイラの恋人となった。キスを交わすことはあったが性交渉はなかった。彼は60年2月から陸軍に入り、しばらく2人は離れ離れとなっていた。

マイラの家には電話がなく、手紙でのやりとりを続けており、パウリさんはペンテコステの休暇で地元に帰ることを伝えていた。ヘルシンキの駅で会う約束をし、婚約を申し込むためにサプライズで婚約指輪まで用意していたが、なぜか恋人は友人たちと湖へ旅行に出ており、再会の約束も、結婚の夢も果たされなかった。

青年たちの悲劇の影にあったパウリさんの悲恋は、駅に現れなかった恋人マイラさんへの印象を大きく揺るがせる。彼女の中ではパウリさんは半ば「過去」になりつつあったのか、それとも郵便誤配などで悲運にも帰郷の報がうまく伝わっていなかったのか。

恋人の不在を知ったパウリさんは「事件」が起きたその晩、友人たちとバーで酔いつぶれるまで飲んで過ごしたという。翌日、マイラの母親に呼ばれてビョークルンド家を訪ねるとボドム湖での事件について聞かされ、恋人の所持品の確認を手伝った。母親は慟哭してうろたえ、祖父は怒りに任せて大きな声を上げていた。パウリさんは彼女が継父を恐れていたことを思い出した。実際に対面した継父は、部屋の中を右往左往するばかりだったと言い「非常に緊張していた」ように見えた。

事件から10数年後、偶然バーでニルス・グスタフソンと顔を合わせる機会があった。周囲から相手を紹介されたが、彼が事件の記憶を失っていることは知っていたこともあり、お互い大した会話のやりとりも続かなかった。2人とも相手を疑うあまり掴み合いになるようなこともなかった。唯一の生存者はそのときすでに酔っぱらってはいたが、すぐ隣に警官がいたことも影響したかもしれない。

パウリさんは事件当時アニアのことは知っていたが、セッポとニルスについては全く知らなかった。ボドム湖へのルートは大体頭に入ってはいるが現地を訪れたことはないという。

婚約する心づもりを決めて帰省してみれば、恋人に再会の約束を反故にされ、そのうえ別の男と泊りがけで旅行に出かけたと知れば、逆上するのがむしろ自然に思われた。事件当夜に一緒にいたのは飲み友達で、酔いつぶれれば記憶もどこか曖昧になり「弱いアリバイ」ともいえる。

飲み友達は車で「恋人たち」を捜しに出かける手伝いをすることもできた。深夜であろうと白夜である。バイクの横にあるテントの前に恋人の靴を見つければ「報復」は決して不可能とは言えない。パウリさんへの詳しい事情聴取は2003年、ニルスの裁判に際して行われたもので、事件当夜のパウリさんのアリバイを証言できる飲み友達はすでに亡くなっていた。

 

犠牲者遺族は4人からキャンプの行き先さえ聞かされておらず、有力な手掛かりは得られなかった。しかし噂や匿名通報によって、その後、マイラの継父ユッカ・イルマリ・タカラ氏に対して予備審問が行われたことも書き加えておこう。

通報内容は詳しく伝えられていないが、パウリさんの言うよう彼女は継父に怯える面があったとされている。ユッカ氏が妻(マイラの母)より9歳年下、マイラの10歳年上で年若かったことなどから、家庭内暴力ないしは義娘への性的虐待の類が疑われたと考えるのが一般的な見方だろうか。彼もバイクを所有しており、明け方に家人に気取られずに現場へ向かうことができたと推測されている。

もし以前から性的虐待を行うなどして義娘に強い束縛を強いていたとしたら、異性との交遊を聞き知って猛烈な嫉妬心に駆られ…などとも思わなくもないが、当然ユッカ氏と事件を直接結びつける証拠はない。また少なくともマイラの母は娘とパウリさんとの仲をある程度は把握していた。

仮に継父が結婚の申し込みに訪れたパウリさんを撃退したり、帰宅した義娘に折檻を加える程度なら現実的にまだ理解できる。だが義娘もろとも4人皆殺しにしようと襲撃したとする発想は、ニルス裁判における検察側の見立て以上に机上の空論じみている。

マイラが継父に対してどのような感情を抱いていたのか、虐待の有無は定かではない。だが一般的な「父親」に対する態度であれ「継父」に対するものであれ、年頃の少女が抵抗感を抱いたり拒絶に近い態度を見せることがあったとしても、私はそれほど不思議には思わない。

 

個人的に違和感を覚えるのが、金髪男性の「目撃情報」と現場からの「紛失物」との食い違いである。

事件当夜の現場の気温は分からなかったが、同じ南部のヘルシンキで6月の最低気温が約10度、最高気温が約20度である。到着後に遊泳していることからフィンランド人としての体感や当日の気象条件ではやや暖かかったのかもしれないが、明け方の釣りから犯行時刻とみられる5~6時にはさすがに冷えたには違いない。

現場からはセッポの「レザージャケット」が紛失しており、犯人が「防寒具」としてその場で着こんでもおかしくない。興奮と激しい運動の結果、体温が上昇していたとしても、返り血でも浴びていれば尚更「変装」のため着ていなければおかしい。だが釣り少年が早朝に見かけた金髪男性の上着は「非常に薄手のシャツ」とされていた。彼はレザージャケットをあえて手に持っていたのであろうか。

また財布や時計、ナイフの類はポケットにでも忍ばせることはできるが、ニルスの「女性物のキャリーバッグ」が持ち去られたのはなぜなのか。常識的に考えれば、すでに日が昇っているため、湖畔で「ブラウンとブルーのチェック柄」「サイズ45×30×18センチ程」のバッグ1つを抱えていれば人目に付く恐れがある。

一つ考えられるのが、盗品の靴や衣類をまとめてバッグに収めて移動しようとしたケースである。だがそれならば何も500メートル先で衣類や靴を捨てなくてもよさそうなものである。またレザージャケットや2人分の靴を収納していたとすれば、それなりの容量となる。金髪男性が「バッグを持っていた」「荷物を抱えていた」という証言にならないのも腑に落ちない。

可能性の一つとして、釣り少年が見かけた金髪男性と犯人は別人という展開も考えられよう。有力情報として「若い金髪男性」が犯人であるかのように取り沙汰されたことで、無実の当人が名乗り出ることを諦めたり、捜査員の中でも先入観に縛られて別様の容姿をした容疑者をリストから不用意に除外した可能性も大いにあると思う。ほとんど唯一といってもいい「具体的な犯人像」が仇となり真犯人の逃亡を許してしまったのではないか。

はたして犯人は半世紀の間に積み上げられた容疑者リストの中にその名を連ねていたのか。それとも続報が流れるたびにどこかで密かにほくそ笑んでいたのであろうか。

 

亡くなられた青年たちのご冥福をお祈りいたします。

 

 

参考

https://www.murha.info/rikosfoorumi/viewtopic.php?f=4&t=1194

https://web.archive.org/web/20090411121703/http://www.mtv3.fi/bodom/krp_esitutkintapoytakirja.pdf

https://truecrimedetective.co.uk/unsolved-mysteries-the-alleged-crimes-of-hans-assmann-5d4b78bfc190

https://www.mebere.com/finland-lake-bodom-murders-sketch-hans-assmann-funeral-picture-documentary

 

福岡市能古島バラバラ殺人事件

2010(平成22)年3月に福岡県で起きた女性バラバラ殺人事件について記す。被害者が交通事故をめぐって相手とトラブルになっていたことや過去に妻子持ちの上司と不倫関係にあったこと等から疑惑の人物が複数浮上したが、2022年現在も未解決事件となっている。

情報提供は、

《福岡県警・博多警察署》TEL 092‐412‐0110(代表)

 

博多湾の中央部に位置し、福岡市の中心部からフェリーで約10分の距離にある離島・能古島(のこのしま)。周囲12キロメートル、島民790名程(当時)からなり、季節の花々が咲き誇るアイランドパークや海洋レジャー、自然豊かな眺望を求めて多くの観光客が訪れる。普段はのどかで風光明媚な小さな島に、似つかわしくない漂流物が届いた。

 

■概要

2010年3月15日、福岡市能古(のこの)島東部の浜辺で、へその下から脚の付け根までの女性の胴体が発見される。15時30分頃、海岸でアサリ掘りをしていた地元女性が見慣れない漂着物を発見し、駐在署員に「動物か人間か分からないお尻のようなものがある」と通報した。署員は女性の遺体であることを確認し、西署に連絡した。

損壊された遺体は年齢20歳から40歳代の女性とみられ、切断には鋭い刃物が使われており、死後数日から数週間と推定された。発見者は遺体について「肌は比較的きれいで若い人に見えた。お尻に3、4か所の痣があった」と話した。

翌16日、DNA型鑑定により遺体の身元が福岡市博多区堅粕に住む会社員諸賀礼子さん(32)と判明する。諸賀さんは3月5日(金)19時ごろに筑紫野市の勤務先を車で退社して以降の消息が分からなくなっていた。

3月6日(土)、諸賀さんはゴルフコンペに参加予定だったが集合場所に姿を見せなかった。連絡もつかなかったため同僚社員は5時頃に彼女の自宅アパートを訪れたが部屋からの応答はなかった。コンペ終了後も連絡が取れず、不審に思った会社同僚らにより7日に捜索願が出された(一部新聞に「親族」が届け出たとの記載もある)。

 

■状況

自宅アパートは玄関と窓が施錠された状態で、ベランダのガラスが内側から割れていたこと、浴室のドアガラスが一部破損していたことを除けば、特段荒らされたような形跡はなかった。ベランダのガラス割れについて、近くにあったゴルフバッグが転倒してできた破損との見方もある。

玄関先には普段の通勤に使用しているバッグが置かれており、数万円の現金やクレジットカードの入った財布、車のカギ、社用の携帯電話が残されていた。だが諸賀さんが当日着用していたスーツ類(グレー系色のパンツスーツ)は室内に見当たらず、玄関のカギと私用に使っていた携帯電話が紛失していた。その後、私用携帯の通信履歴等が照会されたが、直近ではゴルフに関する連絡以外にほとんど使用されておらず不審な点はなかった。

自宅は博多駅から北に約500メートル離れたホテルやマンション、企業ビルが多い区域で、繁華街ではないが周辺住民は多く、周囲には幹線道路が行き交う。商店が多くないこともあり、不審な人物や被害者を捉えた防犯カメラは確認されなかった。

諸賀さんは自宅から500m離れた支店にある社有車を使って15キロ以上離れた筑紫野市の勤務先まで通勤しており、車は支店駐車場に戻されていた。諸賀さんの自家用車もアパート近くの駐車場に止められ、車内に異常はなかった。

県警は、被害者が5日夜に帰宅してから6日未明にかけて何らかのトラブルに巻き込まれたとみて捜査を進める。金銭目的や流しによる場当たり的な犯行の線は薄いとみられ、交友関係を中心に原因となるトラブルの洗い出しを行った(一部週刊誌では交友関係のあった30名程が聴取されたと伝えられた)。鑑識で室内から血痕や尿の付着は確認されなかったことから、帰宅前後に連れ去られるなどして別の場所で殺害されたとの見方が強まった。

 

■続報

周辺地域では残りの遺体捜索が続けられ、4月9日には能古島から約9キロの場所にある福岡市中央区福岡競艇場のコースと海を区切る遮蔽壁付近で、人の「両腕」が入った黒いポリ袋が回収される。採取された指紋から諸賀さんと特定された。

さらに14日と15日には、福岡市中央区那の津博多港・須崎ふ頭付近で「胴体」と「頭部」が相次いで発見された。死因は特定されなかったが、手の甲には生前にできた防御創とみられる痣、頭がい骨には複数個所にひびが入っていたことから激しい暴行を受けたことが推測される。両腕がポリ袋に入れられていたことや、腰の損傷が少ないことから、犯人は切断遺体を複数の袋に分けて博多湾ないし近郊から遺棄したものとみられた。

ポリ袋は全国で販売されている量産品で手がかりになる可能性は低いとされた。鑑定によると切断面の状態から鋭利な刃物ノコギリ様の刃物の2種類が使われたとみられ、刃こぼれがないことから新品の刃物が使用された疑いが強いとされ、警察は市内ホームセンターなどで購入経路の捜索に当たった。尚、福岡のRKB毎日放送は、「電動ノコギリのような工具で、一度に切断されたとみられる特徴がある」と報じている。

 

腿から下の両脚は発見されず、遺体がどのように流れ着いたのか、どこから遺棄されたのかが問題となった。博多湾は水深が浅く風の影響を受けやすい。行方不明から発見当時の潮流や風を考慮すると、能古島より東側、博多湾や湾内に注ぐ支流で袋ごと遺棄され、それぞれが別の場所に漂着したものとみられた。漁業関係者によると、能古島東岸には湾内のゴミが漂着することが多く、過去にも本土から流れ着いた水死体が上がることがあったという。

また専門家は一箇所で遺棄したものが別々の場所に流れ着くこともあると説明する。胴体、頭部、腕の発見場所が近い位置で発見されたことや、発見場所周辺の漂着物の大半が川の上流から流れてくること等から那珂川での捜索活動も行われた。遺棄現場、そして殺害や解体が行われた現場が特定されれば物証が得られるものと期待された。

 

■目撃情報

事件との関連性は不明ながら、近隣ではいくつかの目撃証言が挙がった。

共同通信では、捜査開始直後に周辺で「ガラスの割れる音」が聞かれたと報じたが、他紙では伝えられていない。誤報だったのか事件と無関係であることが確認されたのかは不明である。

行方不明の2、3日前、被害者アパートを指さしながら話をする2、3人の男たちが目撃されている。

また同時期の深夜、アパート出入り口付近で男女の言い争うような声が2夜連続で聞かれていた。男は「恐れるものがないくらい好きだ」「お前を殺すこともできる」「一緒に死んでもいい」「警察に捕まっても恐れることはない」等と1時間近くも大声で怒鳴っていたという。2夜目はもう一人女性が加わり、口調は落ち着いていたが数十分間言い合いが続いたとされる(2010/03/17読売)。

行方不明当日の6日未明には、アパート2階から男が足元のおぼつかない女性の肩を抱えるように連れ出して南東方向へ歩いていく姿が目撃されている。その後、助手席にこの女性を乗せた車がアパート前に停まり、男が部屋に駆け上がって短時間で車へ戻り、走り去ったという(2010/03/23読売)。

だが言い争っていた声の主や連れ出された女性が被害者本人であったかについて続報はなく、半年後に出た記事で捜査関係者は「事件とは関係ないようだ」と話している(2010/09/15読売)。

 

■被害者

諸賀さんは福岡県那珂川町で6人きょうだいの長女として育った。父親は警察官で、近隣住民によると小さい頃からあいさつや礼儀がよくしつけられていたという。一家を知る女性(65)は「娘さんたちが年ごろになって、"きれいになられましたね"と(母親に)話したらうれしそうにしていたのに...」と惜しんだ。大学進学を機に鹿児島県で一人暮らしを始め、就職を機に福岡に戻った。大学時代のバイト先の居酒屋店主によれば、当時は「おとなしい印象だった」と言い、医薬品卸の仕事に内定すると猛勉強していたと振り返る。

遺体発見後、会社の代理人弁護士による記者会見が行われた。社では初の女性営業職として採用され、「温厚で責任感が強く、後輩の面倒見もよかった」とその人柄にも触れている。筑紫地区の医療機関約30か所の営業担当として医薬品の納入などを行い、700人以上いる営業の中でも成績は優秀で将来の幹部候補として期待されていたと伝えた。職場関係者は、物事に動じず慎重な行動をとる被害者の性格から、見知らぬ相手を家に上げるとは到底考えられないと話している。

SNSmixiで月に数回日記を更新していた。「初めての家族旅行。父さんの退職・還暦祝いを兼ねて家族が集合しました。母さんが心配なので横で皆の帰りを待っています。一番上の姉ちゃんは大変ですよ。二人とも長生きして下さい」と家族思いの一面と円満な様子を窺わせる。妹が寄せた諸賀さんを紹介するコメントに「お母さんの言うことを聞かないことがあっても、お姉ちゃんの言うことには逆らえないのです。すごく頼りになるお姉ちゃんです✌」と書かれており、ここにも家族との信頼関係やしっかり者の人柄が読み取れる。

 

■疑惑の人物

マスコミは事件当初から2人の人物に注目を集めた。

ひとりは事件の約半年前となる2009年11月の交通事故が原因でトラブルとなっていた「バイクの男」である。

諸賀さんはmixi上で09年12月26日に「厄女」と題して交通事故とその後のトラブルについて綴っていた。

先月、会社の帰りに交差点内で私は直進で、相手は右折対向でバイクと事故をしました

両者の言い分が食い違ったことから第三者機関を入れて調査を行い、過失が諸賀さん15%、相手方が85%と認められたという。しかし相手は任意保険に加入しておらず250㏄バイクの修理費用を要求し、後から診断書が提出されて人身事故扱いになったという。金額交渉は折り合いがつかず、相手方が諸賀さんの家に行くと言い出したため「弁護士を立てました」と報告している。

会社の代理人弁護士は事件直後にはトラブルは確認されていないと話していたが、3月25日の会見で、09年11月下旬に「男性から携帯電話に直接電話があり怖い」などと上司に相談し、防犯ブザーを渡していたことを伝えた。

尚、原付を除くバイクの任意保険加入率は自動車に比べて約半分の40%前後(共済を含まない)とされており、事故の相手が未加入であること自体はそれほど珍しいこととはいえない。そうした無保険車相手の事故で十分な保険金が支払われないケースに対応して、「無保険車傷害特約」といった保険プランも存在する。

事故の相手は海運会社に勤める同年代の男性。家の前で「本人らしき人」が自転車でうろついていたため、その後は警戒して帰るようにしているといった記述もあった。

翌10年1月3日の「今年は・・・」と題した日記では、新年の抱負のひとつに「事故の円満解決」を掲げており、そこで連日の迷惑電話に悩まされていることを伝えていた。

事故の円満解決

突然です!休みを狙ってでしょう、大晦日に10回の着信。元旦に7回の着信。そのうち5回がワンギリです!昨日は3回がワンギリ着信。今日は2回のワンギリ着信。妹から、着信があったら電話をとって話をしなけりゃ通話料金が相手にかかるんやから、やり返せなぁ~んて言われましたが、私にも我慢の限界ありますが、ここでもう少し我慢します。

彼女の書きぶりでは、迷惑電話の主は事故の相手と断定している様子である。しかし遺体発見後の事情聴取で、バイクの男は「事故の時に連絡先を交換した。話し合いのために事故の2日後に電話したことはある。諸賀さんの家は知らない」と話し、ここでも食い違いが生じた。

諸賀さんが着信回数を細かく把握していることからすると迷惑電話は携帯にかかってきたと推測される。男が言い逃れを試みた可能性もあるが、公衆電話や得体の知れない番号からの着信を諸賀さんが「バイクの男」と誤認していた可能性はないだろうか。

バイクの男は4月中旬に複数のメディアの取材に対し、被害者宅に行ったことはないと答えている。男は車を所持しておらず、借りた形跡もなかったことから連れ去りや遺体の運搬は実質的に困難と判断された。

 

もうひとりは勤め先の医薬品卸会社の元上司で、かつて諸賀さんと不倫関係にあったが相手の転勤により破局した、と週刊誌などが報じた。諸賀さんは相手の元上司を「先輩」と呼び、破局直後には諸賀さんが職場で号泣するなど大きな動揺があったと言い、その後も未練を引きずっている様子だったという。

普段は男性を家に上げない女性でも、特別な相手であれば家に出入りしてもおかしくないように思われた。事件の数日前に周辺で深夜の男女の口論なども聞かれていたことからも、元上司との関係解消がうまくいかずトラブルに発展した状況などが想像された。

同じ博多で起きたバラバラ殺人として思い出される福岡美容師バラバラ殺人事件(1994年3月)では、被害者の美容師女性と同じ美容室に勤めていた経理女性が逮捕されている。動機は不倫相手である店長と被害者との関係を一方的に邪推した末の犯行だった。遺体には乳房や子宮への執着が感じられ、その猟奇性などから男性による犯行とも目されていた。「不倫」が女性の強い嫉妬心を生むことを世間に知らしめた事件のひとつである。

しかしmixiで公開していた「占い」をしてもらったという記述では「私はいつ結婚するんでしょうか……。35かなぁ、でも見合いをしたらすぐ結婚するよ。仕事と婚活に頑張るぞお」と、仕事と将来の結婚への意欲も滲ませていた。「復縁」の相談ではなく、見合いや婚活など新たな出会いに前向きとも受け取れ、彼女の中では先輩との関係はすでに過去のものにしている印象を受ける。

過去の不倫が清算されていたとしても、職業柄男性とのやりとりが多いことから情交絡みの犯人像も十分考慮に値する。警察も元不倫相手には当たりを付けたが、事情聴取、アリバイ確認の結果、捜査線上から早々に消えたとされる。

 

さらに第三の人物「質入れの男」が現れる。

福岡県内の質店に持ち込まれた腕時計が、諸賀さんが使用していたものと同じ型であると判明し、製造番号や付着物のDNA型鑑定等から彼女の所持品であったことが特定された。

県警は質入れした福岡市内のピザ店従業員に勤める男(32)を窃盗容疑で逮捕。容疑は、前年5月20日~6月9日にかけて、以前の勤務先である建設資材レンタル会社の倉庫から、液晶テレビ3台(計14万円相当)を盗んだものである。

質入れの男は、当然殺人事件との関連が疑われたものの「女性とは面識がない」「3月7日に別の質店の前で拾った」と証言。ポリグラフ検査でも虚偽反応は見られず、裏付け捜査でも供述に矛盾がないことが分かり、翌月には死体遺棄事件との直接的な関連性はないものと判断された。

諸賀さん本人あるいは犯人が意図せず落とした可能性や、犯人が無作為に投棄した可能性も否定できない。だが質屋の前に落ちていた点を重視すれば、だれかが売り払うと見越して、犯人が作為的に捜査かく乱を狙って置いた可能性も十分に考えられた。

 

事件から半年後、物証や有力な新情報は得られず捜査の停滞が危ぶまれる中、県警は「あらゆる可能性を念頭に原点から捜査を見直す」と発表。場当たり的な犯行なども視野に入れ、白紙段階から情報の洗い出しが図られた。

2010年12月、県警は捜査特別褒賞金上限額300万円を指定し、広く情報提供を呼び掛けた。翌年も再指定して情報を求めたが成果を挙げることなく、2012年には報奨金指定が取り下げられた。

 

■逮捕と不起訴

2014年2月6日、会社員SH(36)が有印私文書偽造・行使の容疑で逮捕された。10年12月20日に諸賀さんとの間で成立したとする交通事故の示談に関する書類一通を偽造して民事裁判に提出した疑いである。容疑者は上述した「バイクの男」その人であり、警察が「バラバラ殺人」の捜査を念頭に置いた、いわゆる別件逮捕と見られた。

名前が出たことで過去の逮捕歴も公となった。2008年3月、通信販売会社のアルバイトだったSHは個人情報を流用し、別人男性になりすまして運転免許証を再交付させていた。

本人確認なく講習だけで取得できる「防火管理者証」を男性名義で取得し、男性になりすまして住民票を取得。不正取得した住民票と顧客名簿で得た個人情報を使って再発行書類を作成した。6月に逮捕されて容疑を認め、免許証は「出会い系サイト専用の携帯電話を契約するために使った」などと供述していた。

手の込んだ偽装工作に対して、供述した動機はいかんとも信用しがたいものであり、何か別の犯罪を目論んでいた可能性もある。身近にそうした詐欺手法の知識を持つ、手引きをした人物の存在が疑われる。

2014年の逮捕では、SHは文書偽造の容疑を否認。家宅捜索も行われたが空振りに終わったとみられ、前のめりで逮捕したものの証拠が不十分だったのか、バラバラ殺人の立件には至らずに終息した。

 

■整理

いくつか疑問点などを整理しておこう。

死体蹴りをするつもりはないが、被害者のブログ記事の情報にも事実誤認や無意識的な自己擁護、思いのほか手間取る事故処理への不満が加味されている可能性は否定できない。たとえばアパート前で「本人らしき人」が自転車でうろついていたという記述は、本人確認をしていないことを含意している。

被害者は保険会社を通じて「相手が家に行くと言い出した」と聞かされていたため、強い警戒心を抱いていたのは確かである。しかし周囲はアパートやマンションが多い地域であり、単に自転車に乗って近くに住む知人を待ち詫びる男などが「例のバイク男」に結び付けられただけだったかもしれない。

バイクの男は前科があり、事故の相手として理不尽で横暴な人物と推測される。だが私たちは被害者がネット上に残した僅かな記述を妄信し、彼女の無念を思うあまり一方的に男を「推定犯人」に仕立て上げてはいないか。

 

暴力団関与説について。解体が容易ではないとの見方や土地柄からなのか、事件当初、ネット上では暴力団の関与を疑う向きもあった。

基本的に暴力団組織は民間人に対する不要な攻撃は避ける不文律があり、裏社会と接点のないサラリーマンが攻撃対象とされる可能性は非常に低い。だが当時は県内に四代目工藤會ら5団体の指定暴力団が拠点をなし、約180団体、計3500人近い団員がいた。金に窮した末端の者やヤクザ崩れであれば道を外れた殺しを請け負う可能性はあるだろう。

また諸賀さんの父親が(部署は不明ながら)元警察官だったという情報も、過去に悪人から恨みを買っていたのではないかといった想像に拍車をかけた。事件の長期化によって、「ヤクザ絡みの事件で警察が踏み込めないのではないか」との声もあった。

しかしながら事件と同年の4月には福岡県では全国初となる暴力団排除条例が制定・施行されている。全国一の発砲事件多発県であり、売春や違法薬物など青少年をむしばむ犯罪が横行してきたことから、この時期、県警は暴力団に対する締め付けと厳罰化を断行した。そうした情勢から鑑みても、暴力団絡みだから捜査が及び腰になったとは思えない。バイクの男にしても保険会社相手に恫喝まがいの交渉をしたとされる不良者だが、警察にかぎって手柄を見過ごすはずもなく、暴力団とのつながりは入念に調べたと考えられる。

 

通勤車両について。上記「概要」ではまとめて書いているが、事件当初、新聞各紙では諸賀さんはアパート近くに止めていた自家用車での「イカー通勤」として鑑識の様子が報じられていた。だが半年後の毎日新聞では、「通勤に使っていた社有車」としており、自宅から500メートル離れた支店に駐車していたと伝えている。

毎日紙による誤報なのか、それとも捜査機関による早合点で(当時通勤に使用していなかった)自家用車を鑑識に掛けたのか、警察はどちらの車輛も鑑識に掛けていたが報道機関に情報が誤って伝わったものか、は不明である。

偶々その日は社有車を使っていたのか、交通事故や「バイクの男」のストーキングらしき状況を危惧してそうした対策を講じていたのか、詳しい情報は出ていない。もし仮に警察が「社有車での通勤」をしばらく把握できていなかったとすれば、犯人の痕跡をみすみす逃してしまった可能性もないとはいえない。

 

私用の携帯電話について。なぜ普段あまり使用していなかった私用の携帯電話だけが紛失していたのかは慎重に捉えねばならない。

犯人が意識的に「バッグの中に2台あるうち私用の携帯だけを持ち出した」とすれば、普段から彼女と近しい人物と推測される。しかし諸賀さんが(たとえば防犯や簡易電灯用に)私用電話だけを服に入れて携行していたり、犯人が「2台持ち」と気付かずに私用携帯だけを奪ったりした可能性もあるのではないか。

2010年といえばすでに携帯電話を悪用したインターネット犯罪は一般にも広く認識されていた。架電状況やGPS反応から「位置情報」の割り出しができることや、通信記録によって端末の利用状況の把握や通信相手のIPアドレスが割り出し可能なこともワイドショー等で周知の事実である。計画的に殺人を企てるのであれば、被害者の端末を持ち出すことが「命取り」になりかねないことは重々承知のことと思う。

にも拘わらず、本件にまつわる噂の一つとして、ネット上では「行方不明後もmixiにログインした形跡があった」という情報が流布している。私用携帯が紛失していることと絡めて、「犯人が不都合な記述を改変したのではないか」「生存しているように見せかける偽装工作ではないか」とされている。残念ながら筆者は「ログインの形跡」そのものを示すソースにはたどり着けず、その真偽は不明である。

インターネットや捜査手法にに疎い殺人者など存在しない、とは無論思わない。だが事実ログインがあったとしても、捜査関係者か家族による調査のためのログインだと考えるのが普通であり、犯人自ら「あしあと」を残すような愚行をわざわざ犯しにきたと考えるのは無理筋のように思われる。

2008年1月に岡山県の地底湖で起きた大学生の行方不明事案で、事後に関係者のmixiアカウントに書き換えがあったとして話題を呼んだこともあり、確証はないが同じmixiつながりで関心を集めようと思いついた人間が「似たような噂」を流布したような印象を受ける。

 

玄関先に置かれたバッグについて。たとえば被害者がアパート前で呼び出しを受けたとしても、部屋のカギとあまり使用していなかった私用の携帯電話だけを持って出掛けるシチュエーションは相当考えにくい。現在ほどスマホ決済が普及していない当時であるから、慎重な人であれば使う予定がなくとも外出の際には財布くらいは携行していそうなものである。

別の場所での犯行(拉致監禁や殺害)後に犯人がバッグを戻した可能性はあるだろうか。強盗であれば財布は抜くため、当然犯人の関心事が諸賀さん本人だったことは明白である。諸賀さんの自発的な失踪を偽装するつもりであれば、せめて現金だけでも持ち去っておかなければ意味をなさない。犯人が外で諸賀さんを襲ったとして、リスクを冒して事後にバッグを部屋に置きにくる意味がない。邪魔に思えば、それこそ道端や河川に遺棄すればよいのだから。

そう考えると、やはりバッグは被害者が帰宅して自ら置いたもので、帰宅直後スーツを脱ぐより前に犯人を家に上げてしまったか、一緒に部屋に入ったというのが順当な見方ではないか。

 

■密かな物証

2022年8月、文春オンラインに掲載されたノンフィクションライター・小野一光氏の記事では、被害者宅で密かに発見されていた「物証」の存在を伝えている。

bunshun.jp

これまで被害者宅で「血痕」は検出されておらず、別の場所で犯行に及んだものとみられていた。だが福岡県警担当のZ記者からもたらされた情報によると、部位や大きさは分からないが浴室から「内臓の破片」が発見されていたのだという。つまり被害者は自宅アパートの浴室で解体されたとみられ、室内、排水管、土管などを徹底的に調べたが血液反応は得られず、短期間でそこまで洗浄しきれるのか疑問ではあるがそうとしか考えられない、と記事中では述べられている。

さらに当初は発見現場近くに流入する那珂川での周辺捜索が行われていたが、被害者宅のすぐ南側を流れる御笠川へ遺棄されたのではないかとの見方もあるという。

被害者宅での解体、仮にすぐ傍の河川への遺棄だったとすれば、移動手段に車は必要ではなくなる。むしろ袋詰めしながらも海や山へ運ぶのではなく目の前の川へ遺棄したとなれば犯人には移動手段・運搬手段となる車がなかったという見方を大きく後押しすることになる。

 

記事では被害者の自宅アパート内で解体が行われた可能性が示唆されているが、個人的にはやや疑問に思う点が多い。発見されたのがそれと見て肉片と分かる程度であれば、室内に血痕がなかろうとも解体現場と「ほぼ」特定され、捜査方針全体に係るため、情報が全く漏れなかったとは俄かに信じがたい。

あくまで一読した感想に過ぎないが、月経時に排出される子宮内膜の組織など微細な残留物が思い浮かび、実際には殺害の証拠として扱われてこなかったような印象を受けた。内臓片というより細胞片とでもいうほど微量だったのではないか。

 

ここで仮に殺害・解体現場がアパートだったと想定してみよう。

6日(土)5時頃には同僚が訪問して応答がなかったことから、この時点ですでに拘束ないし殺害は完了していたと推測される。被害者は頭骨をひび割れるほどに複数回強打されており、腕や尻に複数の痣があり、何がしかの格闘・抵抗があったことはほぼ間違いないだろう。

頭を割られれば当然出血も予想される。痕跡を残さずに解体するならば、浴室に大型シートを重ねたうえで行ったと考えるのが自然である。完全に血抜きをしなかったとしても、黒いポリ袋を重ねたくらいでは追いつかない量の出血を伴う。

部屋の防音状態は分かりかねるが、5日に夜更かししていた者や6日はずっと部屋にいた居住者も少なからずいたはずである。解体に3時間前後はかかるとして、一般的なワンルームアパートであれば手引きであれ電動であれノコギリの音に誰一人気付かないとは到底考えられない。

犯人は鋭利な刃物とノコギリ、巨大なシートと黒いポリ袋を事前に調達して部屋を訪れていたのであろうか。計画的犯行であれば普通はアパートでの解体作業は避けたいところではないか。衝動的に殺害してしまい、直後にそれらを調達しに走ったとすれば、当然近場で購入すると思われ、入手経路はすぐに判明しそうなものである。

血液反応については、ルミノール試薬と過酸化水素による検出が知られるところであり、希釈された血液であってもヘモグロビン中の鉄に反応して光触媒を起こす。鉄の化学反応を除去するため、一部酸素クリーナーを用いればルミノールに反応しないとされるが、そうした化学的除去を徹底的に行えば「除去」した痕跡が上塗りされる。

2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件などを見ても、集合住宅での遺体損壊や遺棄が不可能ではないことは分かる。しかしその痕跡を部屋・建物から警察の目を欺くほど完全に除去するのは短期間には不可能に思えてならない。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

■もうひとつのバラバラ殺人

バイクの男や元不倫相手の上司とは異なる犯人像、さらに警察が当初から念入りに調べを進めていた交友関係筋を除いて考えていくと、ある別の事件が思い浮かんだ。

2008年4月、東京都江東区潮見にあるマンション内で起きた女性バラバラ殺人、いわゆる江東区マンション神隠し事件である。この事件は、9階建てマンションの最上階に暮らしていた星島貴徳(33)が、3月に越してきた2つ隣の部屋に住む会社員女性を自室に拉致して殺害し、損壊した遺体を水洗トイレに流す等して遺棄した事件である。以下では加害者・星島がとった行動やパーソナリティを中心に紹介する。

 

4月18日19時31分頃、わいせつ行為を企てた星島は東城瑠理香さん(23)が帰宅するタイミングを見計らって玄関から押し入る。両部屋の間は空き室だったが、男は足音で気取られぬよう靴下で忍び寄った。玄関は2か所カギを備えていたが、ブーツを脱いで施錠するまでのわずかな隙を突かれた格好である。男は抵抗する瑠理香さんを殴打し、台所にあった包丁で脅して自室へと連行した。

星島は瑠理香さんを一人暮らしの会社員だと思い込んでいたが、実際には姉と同居していた。19時21分、姉は瑠理香さんの携帯から最寄り駅に着いたことを知らせる「もう着いたよん」というメールを受信していたが、その後連絡が途絶えた。20時42分に姉が帰宅すると、鍵を回しても扉が開かなかった。これは星島が無施錠のまま出ていったためである。

中に入ると、ブーツや弁当袋など妹が帰宅したらしい痕跡はあったが姿は見えなかった。当初は外でだれかと電話でもしているのかと思ったが、連絡がつかず不安に思い、周辺を捜索。部屋に戻ると、包丁やジャージがなくなっていることに気づいたほか血痕を見つけ、21時16分頃に被害届が出された。

マンション9階は空き室が多く、目撃者はなかった。防犯カメラには帰宅した瑠理香さんの姿は記録されていたが、外出や誰かに連れ出されるといった映像はなく、世間ではマンション内での「神隠し」と報じられた。と同時に巨大な密室殺人の様相を呈し、逮捕までの一か月間、住人全員が容疑者という異常事態となった。

 

星島は部屋から瑠理香さんのバッグを奪っていたが、金銭目的ではなく勤め先の情報など何か脅迫に使えるものがあるのではないかとの考えからだった。女性の身柄を拘束し無抵抗な状態にすると、バッグの中にあった携帯電話のバッテリーを外した。今後女性の所在を偽装することを想定してあえて廃棄しなかった。

女性に怪我を負わせていたことから、解放してももはや言い逃れはできないと感じた星島は逮捕の不安に駆られて性欲を失っていた。裸の写真を撮るなどして口止めしようかとも考えたがデジカメがないため断念したとされる。

22時20分頃、警官が聞き込みに訪れたが応答せずにやり過ごした。そのとき男は勃起を促そうと暗い部屋でポルノ動画を見ていたという。拉致から約3時間後、男は警察が部屋に踏み込んでくる事態を恐れ、被害者をその場から消し去ることを決心する。彼女への憐れみや自首する意思は毛頭なく「どうすれば元の生活に戻れるか」だけを考えていた。

一思いに包丁を首に突き刺し、こと切れるまでの間もタオルで血飛沫を押さえるなど痕跡を残さないよう注意を払った。以前からあった包丁やノコギリを使って数日がかりで損壊し、肉や臓器、細かな所持品は切り刻んで水洗トイレに流した。手間を省こうと仕事帰りにミンチ加工の機械を買ったが、マスコミに気づかれると危惧して帰宅途中に捨てたこともあった。残った骨は処理に手間取り、切断して冷蔵庫や段ボール箱、天井裏などに隠して茹でたり切ったりしながら廃棄の機会を窺った。骨片や凶器、被害者の衣類、血を含んだタオルなどは5月1日までに家庭ごみやコンビニなどで徐々に廃棄していった。

 

星島は解体作業と並行して、警察とのやり取りで捜査状況の把握に努め、事件翌日にはマスコミのインタビューにも無関係を装って対応。マンションを訪れた被害者の父親に出会った際には、動揺しつつも素知らぬ風を装い「お役に立てずすみません」等と白々しい演技でその場を切り抜けた。

被害者宅の洗濯機置き場から姉妹のものとは異なる指紋の一部が検出され、警察はマンション住人全員の指紋を採取した。星島は配管の痕跡を消そうと素手でパイプクリーナー剤を使用していたため、皮膚がただれて指紋照合の目を免れた。その後行われた全室立ち入り捜索の際には、無関係な段ボール箱を自ら開示して警官の目を欺き、遺体を隠していた段ボール箱への追及を回避していた。同じ場所を繰り返し確認されることはないと踏んで、隠していた遺体をすでに捜索が及んだ箇所に移動させるなど、機転を利かせて大胆かつ冷静な工作を続けた。

 

1か月後、再び入居者の指紋採取が行われた際には皮膚が修復しており、指紋が一致。逮捕翌日には容疑を認め、動機について「性奴隷にしたかった」と語り、男の部屋からは拭き取られた被害者の血痕が検出され、下水管から裁断された財布や遺体の一部が発見された。男は性的快楽によって被害者を虜にして「調教」するつもりだったと言い、抵抗されることや目論見が失敗することは考えていなかったと述べた。

公判では、星島の生い立ちについても触れ、乳児期にできた両脚の大やけどがその後の人格形成に影を落としたと述べられた。幼少期にはケロイド状のやけど痕を馬鹿にされていじめを受け、親に相談すると庇ってくれるどころか叱られたという。からかわれる恐怖から人付き合いを避けるようになり、思春期になると醜い傷跡をますます呪い、そのすべての責任は両親にあるとして明確な殺意を抱いた。2度の移植手術でやけど痕は目立たなくなったが、男の心の傷を癒すことにはならなかった。殺害に対する抵抗感のなさは親への憎悪が遠因だと自己分析している。

※公判では星島の両親の証言も紹介された。大やけどは星島が1歳11か月のとき、猫を追い回していて風呂場で負ったと言い、当初は医者に「助かるか分からない」とまで言われたという。「やけどっこ」「火だるま」などと周囲からからかわれたことを聞かされて、父親はやけどを背負っていても乗り越えてほしいと思い、「やけどの跡を隠すな」と厳しくしつけたと振り返っている。父親は仕事の帰りが遅くて日頃遊ぶ機会はなかったという。兄弟仲はよく、学校での交友関係については聞かなかったが非行や成績不振、問題行動はなかった。残虐性や性的異常も見受けられず、両親は「殺意を抱かれていた」とは認識していなかったようである。

高校を出ると上京して親とは連絡を取らなくなった。ゲーム制作やコンピュータソフト開発などの職を経て、事件当時はフリーのSEとして手取り月50万円程の収入を得ていた。税金は未払いで貯蓄はせず、風俗やデリヘルで散財したが、女性との交際経験はなかった。マンションは駅まで徒歩10分で都心部へのアクセスは良かったが、電車で他人と一緒にいることが不快でならず、タクシー通勤をしていた。成人後の星島はコンプレックスに耐えるため「自分は他の人とは違う特別な人間だ」という考えで理性を保ち、他人を見下すようになっていた。

 

日々倹約したり、恋人を作ろうと努力する人生は可哀そうだと見下しながらも、(他人が営む)家族への羨みなどもあったと語り、自身を「人の幸せを素直に喜べない人間」と評している。独り身の暮らしには十分な収入があったものの、仕事で肩身の狭い思いをすることもあったと言い、「どんな手段を使ってでも、すがれるようなものが欲しくてしようがなかった」と内省している。他人を見下しながら自我を保身してきたことから、仲間とつるんだり恋人とデートしたりセックスしたりといった「人並み」の幸せを望むことを自ら諦めざるを得ないジレンマに陥っていたように見える。

出会いを求めたり交友を広げるといった一般的な恋愛への努力はしておらず、女性の見た目へのこだわりや芸能人の好みなどはないと答えたが、性欲や女性に対する願望の強さが窺える。供述調書には「私はずっと自分を好きでい続けて、ずっと自分に尽くすことだけを考える女性でないといやでした。そんな理想的な女性は、アニメやマンガにしか登場しないかもしれないと気付いていましたが、そういう女性でないといやだったのです」と記されている。

アニメ風イラストや同人本を複数制作しており、中には女性を四肢欠損させるものや性的快楽によって隷属させるといった事件を想起させる内容も含まれていた。目的は殺害や死体損壊といった猟奇的犯行ではなく、女性を自分の100%思い通りになる人格へと「上書き」することだった。性奴隷のアイデアについて、仕事のストレスや孤独感から「どこかでそういう征服欲があったのかもしれません」という発言もしている。

現実には理想に合う相手など存在しない、だから自分で「調教」しようという非現実的で傲慢な欲望に支配されていた。それまで何人かの売春婦に性行為を褒められたことで男は歪んだ自信を膨張させていたこともあるだろう。しかし星島の欲望の本質は「性奴隷」や「肉便器」がほしい訳ではなく、やけど痕や見た目の美醜を非難せず、歪んだ自身の内面をも受け入れてくれる相手、傷ついたときに庇い、慰め、励ましてくれる相手、疲れたとき苦しいときに自分を頼ってくれる現実の女性と恋愛をしたかった、「普通の男」として承認されたかっただけなのではないかと私は思う。

襲撃を思いついたのは1週間前で、月曜までの間にセックスで心酔させてその後は解放するつもりで金曜の帰宅時を狙ったと言い、被害者に対して恋愛感情がないどころかまともに顔を合わせたことさえなかった若い女性であればだれでもよく、近くに住んでいて実行可能と見て標的にしたという。「勃起していれば強姦したと思う」と述べる一方で犯行当時の自分は「頭がおかしかった」と言い、たとえレイプできたとしても(アニメやポルノ作品とちがい、現実の女性は)思い通りにならないことに気づいて、結局「殺してしまっていた思う」と事件を客観視し、そもそもの自身の過ちを認めている。

殺害は身勝手極まりない自己中心的な動機であり、損壊は人間の尊厳を踏みにじるおぞましい犯行だが、その場しのぎに様々な工作を企ててはいるが殺害自体に計画性はなく衝動的なものと判断され、求刑死刑に対して無期懲役の判決が下された。

 

■所感

福岡に話を戻そう。想定する犯人像は、被害者宅近辺に住む独身男性である。

同じ建物とはいかないかもしれないが、駐車場と被害者宅の間か近接した位置に住み、これまでも女性の帰宅する様子を見知っていた。まともに面識はなかったが夜間にコンビニやドラッグストア等で行き違うことがあったかもしれない。女性宅のアパートや周囲に防犯カメラがないことを確認し、星島同様、一人暮らしの会社員と見立てて金曜の夜を狙った。

帰宅した女性が部屋に入ろうとすると背後から男が押し込み、脅迫。男は血飛沫を避けるためハンマー等鈍器を用いたものと推測する。窓割れは押し入った際の混乱で生じたものか。下手に相手を刺激すると危険と考えた彼女はおとなしく従うふりをした。

男は連行する際、部屋のカギ以外は邪魔になると考えて女性にカバンを置いていくよう命じた。携帯電話の位置情報を嫌ったとも考えられる。男が背を向けた瞬間、女性は咄嗟にバッグから携帯を抜き出す。それとも帰路や解錠の際に手元用ライトとして懐中に持っていたかもしれない。

犯人の部屋の前まで来ると、女性もこれ以上は危険と判断して抵抗を試みようとするが、強引に連れ込まれて自由を奪われる。男の目的はわいせつ行為、車を所持しないことから近隣での拉致を企てた。だが強く抵抗する女性を前に男は怯んで行為に及ぶことができなかった。とはいえこのまま解放すれば、当然逮捕は免れない。さりとて何日も部屋に置くわけにもいかない。

目的を果たした後は発覚を免れるため殺害も念頭にあり、凶器は事前に調達していた。殺害後は北九州や江東区での事件のようにミンチにまでする必要はない。処理が遅れれば悪臭が漏れて始末が困難になることはいくつかの事件を通じて学んでいた。持ち運べるサイズに切断して、手早く近くの三笠川に遺棄するつもりだった。

 

行方不明から遺体発見までのタイムラグによる刑事捜査の出遅れ、また初動捜査によって被害者の交友関係へと焦点が絞られた結果、こうした「近くの他人」による杜撰な犯行が網の目をすり抜けてしまったとしても不思議はない。捜査員の意識が「交友関係」に向けられ、接点が薄い単なる「近隣住民」であれば、一度や二度の聞き込みを逃れることは造作ない。

マスコミは事件当初から「バイクの男」「不倫関係にあった元上司」の動向を24時間態勢で注視しており、スピード解決が期待されていた。裏を返せば警察が重要人物として情報をリークし、マスコミを使って半ば行動監視をさせていたとも捉えられる。

だが疑惑の人物たちは比較的早い段階で一度はシロと判断された。理由なく解放したとも思えず、内容は分かりかねるが犯人性を否定する相応の証拠(アリバイなど)があったには違いない。半年後の捜査見直し宣言、バイクの男の逮捕にも県警の迷走ぶりは明らかであり、一か八かの“賭け”に負けた印象を拭えない。

しかしながら遺体は上がり、殺人事件であることを白日の下に晒している。はたして理由は何であれ命を奪った張本人が野放しにされてはならず、リソースに限りはあれ捜査の継続を断念してはならない。

 

 

被害者のご冥福をお祈りしますとともに、一刻も早い事件解決を願います。

 

ソウル・漢江医学生変死事件について

2021年4月、韓国・ソウルを流れる漢江(ハンガン)で起きた医学生の変死事件について記す。

当初は行方不明事案として家族は公開捜索で広く情報提供を求めた。遺体発見後も地元警察の見解に異を唱え、真相解明を訴えて韓国世論を大きく動かした。

 

医学生の死

4月30日(水)15時50分頃、5日前から行方が分からなくなっていたソウル中央大学医学部ソン・ジョンミンSon Jung-minさん(22)の遺体が漢江で発見される。

行方が分からなくなった25日から近隣捜索や防犯カメラの解析、ヘリコプターやドローンを動員しての捜索が続けられていた。

最後の目撃場所となっていた盤浦(パンポ)漢江公園にあるソレナル乗船場水上タクシー乗り場)から20m付近を漂流しているところを、捜索中の民間救助士チャ・ジョンヨクさんと救助犬が発見した。

 

24日夜、ソンさんは同期グループの友人Aから誘いを受けて、大学や自宅からもほど近い盤浦漢江公園で酒を酌み交わし、二人はそのまま酔いつぶれて野外で寝てしまった。

この公園は、盤浦大橋の「レインボー噴水」などで知られ、運動施設のほかチャペルやレストラン、釣り場やキャンプ施設などを備える大型都市公園である。とりわけ当時はコロナ拡大予防のため、飲食店の営業は22時までに制限されていたこともあり、観光客だけでなく夜の余暇を楽しみたいソウル市民にとっても憩いのスポットとなっていた。

25日4時半ごろ、友人Aが目を覚ますと、隣に寝ていたはずのソンさんの姿はなかった。友人Aは、ソンさんが一人で帰ったものと思い、自身もタクシーで帰宅。泥酔状態が続いていたため家で眠り直そうとしたところ、母親から服に入っていた携帯電話がAのものではないと指摘された。記憶にないが、彼はどうした訳か誤ってソンさんの携帯電話を持ち帰っていた。

ソンさんの安否を危惧した友人Aとその両親は公園へと赴いたが見当たらず、ソンさんの家に連絡を取った。青年は自宅へも戻っておらず、6時ごろに家族から捜索願が出された。

 

■遺体発見後

友人Aは23時過ぎに酒宴を始めて以降、悪酔いしたのか記憶を失っており、失踪直前にソンさんとどんなやりとりが交わされていたのか、その後の行動を予測する手がかりになる情報が全く得られなかった。

公開捜索で広く情報提供を募ったが青年の詳しい足取りなどは分からないまま、30日に遺体となって発見される。担当の瑞草(ソチョ)署は、Aの証言や現場状況などから事件性はないと判断し、死因を「溺死」とした。

ソンさんの父親は「息子は水が嫌いだ」「泥酔状態とはいえ一人で川に落ちる訳がない」とブログや会見を通じて警察の見解に強く反発した。またソンさんと友人Aは母親同士も頻繁に会う親しい関係で、ソンさんの母親は「子どもに何かあれば深夜であろうと電話しあえる間柄。友人Aから3時半に連絡があったなら、どうして(Aの母親は)自分に連絡をくれなかったのか」と猜疑心を強めた。

ネット上でも議論が過熱し、真相解明を求める市民の声は急速に拡大した。行方不明当時は、家出か拉致かとネチズンの反応も様々だったが、遺体が発見され、遺族の声が広がるうちに友人Aへの疑惑が主流となる。

橋に掲げられた情報提供を求める垂れ幕

ソンさんの家族は、遺体の左耳の後ろにあった2つの傷や頬の裂傷について、「何者かに襲われてできたものではないか」と疑念を抱き、国立科学捜査研究院に法医解剖を求めた。

所見によると、飲酒後2~3時間後の死亡と推定され、アルコール以外の薬物・毒物による異常反応も確認されなかった。体を引きずられた際に生じる外傷や暴行などによる打撲痕も見られない。通例、他人の力で水中に顔を押し込まれたり、引きずり込まれたりすれば圧迫痕や抵抗の痕跡が残るはずだが、そうした兆候は確認できなかった。顔・頭部にできた裂傷は、落下時に水中の漂流物との衝突などによって生じたものと考えられ、「死因とは考えにくい」と結論付けた。

警察は特別捜査チームを発足し、事件性の有無を焦点にその後も再捜査が続けられた。一緒にいた友人A、Aの父親に再聴取を行い、弁護士立会いのもと韓国初のプロファイラーである犯罪科学研究所ピョ・チャンウォン所長を交えて10時間にも及ぶ入念な聞き取りを行うなどしたが、質疑の内容は公開されていない。

A自身も泥酔状態だったことから記憶は定かではないらしく、なぜソンさんが入水したのか、そのとき何が起きていたのかは誰にも説明がつかなかった。

 

■空白の40分

当局は、周辺の防犯カメラの記録や通信履歴、目撃証言などから当夜のソンさんたちのタイムラインの再現を試みた。

ソンさんと友人Aは22時54分から翌1時45分の間に3度にわたってコンビニへ酒を買いに出かけ、そこで360ml、640mlの焼酎各2本ずつ、清酒2本、マッコリ3本を購入。

電話の通信記録では、ソンさんは深夜1時半ごろまで母親とカカオトークを通じてメッセージをやり取りしていた。1時50分にはインスタグラムに友人Aと一緒に踊っている動画を投稿し、2時以降のインターネット接続はなかった。その後、電波状況の解析を進めた結果、微弱なGPS反応は7時2分に周辺で途絶えており、この時点で完全に電源が落ちたとみられている。

友人Aはというと、母親の携帯電話から3時37分までA自身の携帯電話との間で通話があったことが確認された。弁護士曰く、親に早く帰宅するよう急かされて、Aは「ソンさんが泥酔してしまって起きない」と釈明していたという。警察は聴取の結果を総合的に判断して、その時間まで二人は一緒におり、異変はなかったものと判断した。

4時20分過ぎ、友人Aは三者に起こされて目覚めたが、Aに当時の記憶は全くなかった。起こした人物は酒を飲んではおらず、「斜面で寝転がっている若者を見て危ないと思って直接起こした」旨を説明。しかしそのとき周囲にソンさんらしき姿はなかったと証言している。

4時33分、友人Aが一人で公園のトンネルを抜けて立ち去る様子が監視カメラに残されており、その後タクシーを使って自宅に帰った。運転手によれば降車後のシートは濡れてはいなかったという。その後は上述の通り、Aの家族がソンさんの安否を危惧して5時5分頃、Aと共に公園へと捜索に赴いた。

すべて事実だとすれば、3時37分から4時20分頃までのわずか40分程のうちにソンさんは隣で寝ている友人に気づかれることなく、防犯カメラの死角から忽然と姿を消したことになる。

観光名所となっている盤浦大橋のレインボー噴水

警察は、公園駐車場を出入りした車輛154台から利用者を割り出した。聞き取りを行ったところ、うち7人の釣り人が川の近くで男性の姿を目にしたと証言する。

「二人の男が芝生で横たわっているのを見た」という証言者は、2時18分に付近で写真撮影しており、芝生に横たわり昏睡しているソンさんと中腰姿勢でバッグを背負っている友人Aが映り込んでいた。

3時12分頃「男性がふらついて倒れたり立ち上がったりしている様子を見かけた」、4時40分頃に「水に入っていく男を見た」、「胸元まで水に浸かって気持ちよさそうな声を上げて泳いでいるようだった。(酔っ払いだと思い)緊急事態には見えなかったので通報しなかった」などの証言があったが、いずれも対象人物は特定されていない。

 

■反応

ソンさんの行方不明、更には遺体発見の事態は大きな注目を集め、オンラインコミュニティやSNSを介して真相解明を求める市民集会やデモ行進が開かれ、再捜査を求める請願が集められた。

その中でソンさんの父親は、警察の初動捜査への消極性を指摘し、事実確認や説明責任が納得できるまで果たされていないことを訴え、友人A側の証言に事実と異なる内容があるのではないかと持論を唱えた。警察不信を募らせた民衆はそれに呼応し、メディアはその過熱ぶりを全国へと伝え、瞬く間に国民的関心事となった。大統領府への請願は30万人以上にも膨れ上がり、再捜査や情報公開へとつながった。

 

そうした全国的な過熱ぶりに大きな役割を果たしたのはYouTuberの存在がある。事件現場から配信を行い、ネット世論医学生の死について盛んに議論し、多くの人たちが実際に現地へと足を運び、その場で静かに祈るだけでなく「追悼配信」やデモ行進を行った。

とりわけ行方不明当時からソンさんの両親が友人Aの証言に疑いを提起してきたことから議論の多くは「友人Aによる事件隠蔽説」が主流となる。そして遺体発見から「隠蔽説」は「殺害説」へと発展し、堰を切ったようにAやAの家族への糾弾がエスカレートする。素人探偵のみならず占い師やムーダン(巫堂。朝鮮のシャーマン、霊媒師)たちもAへの疑惑を加速させた。

たとえば川縁で嘔吐している最中に後ろから押されたといった場面はだれにも想像が容易であり、Aが家族を伴って公園へと再訪したことにさえ家族ぐるみによる隠蔽工作の疑いが向けられた。

ソンさんの親が友人A側に不審感を抱く大きな要因となったのは、行方不明から一夜明けて交わされたやり取りだった。ソンさんの親がA側に当日の靴や着衣を見せてほしいと求めたところ、「泥や吐瀉物で汚れたので捨ててしまった」と説明を受けた。前日まで身に着けていた靴とTシャツを、友人が行方不明になった直後に処分したという言い分は、ソンさんの親からしてみれば都合がよすぎるように思われた。

見方によっては血痕の付着等を想起させ、言い逃れのように捉えられる。あるいは現場に残っていたかもしれない下足痕の照合、残土の成分分析等からアシがつく事態をおそれての証拠隠滅であるかのような印象を人々に植え付けた。

尚、A側は5月4日には警察の求めに応じて、当日着用していたジャンパー、靴下、カバンなど残りの所持品を任意提出している。それらは鑑識に回されたが、血液反応など殺害を疑わせる分析結果は何一つ出ていない。

 

そのほかA殺害説の論拠として、20時31分に友人Aの方からソンさんを「外飲み」に誘っていたこと、行方不明直前までソンさんの傍にいたことが判明している点、Aに当時の記憶がないこと等が挙げられる。ソンさんの父親も防犯カメラ映像で「泥酔して記憶がないはずのA」が柵を飛び越えてタクシーで自宅に帰っていく様子を見た際に強い疑念を示していた。

だが友人Aの弁護士は「Aの身に起きた記憶障害や(奇妙にも思われる)行動は、泥酔状態において極めて異例だとは言えない」「彼(A)は都合よく記憶がないように言われているが、実際には彼自身にとって有益な記憶すら覚えていない」と述べ、記憶の欠落が事実であることを強調した。

 

また友人Aがソンさんの携帯電話を「誤って」所持していながら、Aの携帯電話がすぐに発見されなかったことも人々の疑いの芽を大きくした。公開情報の少ない初期段階には、インスタグラムへの動画投稿はAによって操作されたアリバイ工作ではないか、自身の携帯電話に重大な情報が残っていたため破棄したのではないか、といった疑念が相次いだ。

事件のカギを握ると思われた友人AのiPhoneが「再発見」されたのは遺体発見の一か月後となる5月30日のことである。すでに市民集会やデモ行進が盛り上がり、ネット上では怪情報や誹謗中傷が飛び交って、もはや友人Aへの「疑惑」は払拭する術がないほどまでに肥大化していた。

お粗末なことに、5月半ば(10~15日の間)に清掃員が拾得して「遺失物」として専用ロッカーに保管されたままになっていたという。清掃員は発見現場の周りは酒瓶やペットボトルが散乱しており、拾った電話は「電源が入らず、ディスプレイはひび割れていた」「2~3人で酒盛りでもして落としていったのか、よくあることだと思った」と回想する。清掃員曰く、作業中に携帯電話を月3台拾うこともあり、よもや友人Aのものとは思わず、その後、自身の病欠などにより自ずと携帯電話の存在を忘れてしまっていたという。

友人AのiPhoneは充電だけで再稼働し、内部に異常はなかった。6月1日、警察は「携帯電話にはソン・ジョンミンと友人Aの間に不和の兆候は見られず、法医学的にもソン・ジョンミンの死因に関する情報は含まれていなかった」と発表し、事態の鎮静化を図った。

 

さらに変死事件の余波は思わぬ方向にも広がった。5月に蚕室(チャムシル)漢江公園で泥酔者が落水して警察に救助される騒動が起きたことや、6月末から施行予定とされていた健康増進法改正案により各自治体で公共の場での飲酒制限を設けることが可能になることを受けて、漢江周辺の公園を禁酒区域とすべきだとする論議にまで発展した。

変死騒動を憂慮する市民、大学生の子を持つ親らは不安を深め、漢江沿いでの「外飲み」を自発的に辞める動きや飲酒に対する啓蒙を求める声もあった。だがコロナ禍でのストレスフルな行動制限も重なり、レジャーシートを広げてチメク(チキンとビール)を楽しむ「外飲み」はソウル市民がマスクを外すことを許された抜け穴的なレジャーとして定着していた。そのため禁酒区域指定は公共空間での過度な規制だとして反発の声も大きかった。

ソウル市は市民の要請を受けて、安全強化のため園内の防犯カメラ拡張を決定。禁酒指定についても検討委員会を設置し、猶予をもって市民の意見を集め、慎重に審議することとした。翌22年3月、自治体関連施設や都市公園、河川施設、公共交通施設、児童公園や青少年活動施設などを禁酒区域に指定できるよう条例改正に着手することを決定。条例案では違反者に過料10万ウォン(約9800円)を科すことができるものとした。

 

フェイクニュースと「正義」

その間も過熱したYouTube配信者からは虚実ないまぜの情報が「新事実」「独占情報」として過大に発信され、青年の死を悼み、捜査の進展を願う人々の「善意」によってデマを含む情報の拡散が繰り返された。出せばアクセスにつながり、アクセスが稼ぎに直結するため誰しもが事件を取り上げ、「新情報」の再生産は連日繰り返された。

ある者は事件当夜、漢江公園近くでパトカーを複数台目撃していたことから、「警察はすでにソンさん失踪の事実を認識しており、周辺では捜索作業が行われていたのではないか」と疑いを提起した。捜索の遅れをごまかすために、通報時刻を後にずらしたのではないかというのである。だが実際には付近の食堂駐車場で車輛事故があったため出動したまでで、5~6台と思われていたパトカーも2台が出動していただけだった。

また「公園で血痕が発見された」といった真偽不明の情報は、警察が事実を隠蔽しているのではないか、と安易に陰謀論へと結び付けられて語られた。警察は5月8日までに園内広域で鑑識を行い、血液反応は出なかった。しかし警察がいくらそうした「事実」を伝えても、懐疑論者全員がそれで納得するわけではない。様々な情報が医学生の死と絡めて解釈され、過剰に議論されることで、人々の誇大妄想を膨らませていった。

公開された映像に加工を加えて持論を展開したり、警察未公開の防犯カメラ映像を独占入手するとうたって金銭的支援を募ったりする者もあった。警察はそれらをフェイクニュースであるか、公開していないだけですでに確認済みの映像だと説明した。

「偽ニュース」で月3800万ウォン…漢江医大生の死亡で金を儲けるユーチューバー | Joongang Ilbo | 中央日報

友人Aの犯人性を示す証拠がなぜ出てこないのか、A犯人説を唱える者たちはAの家族が法律事務所の大物や大学病院の教授、江南警察署長で捜査当局に政治的圧力をかけている、といったいわゆる「上級国民」説を採用した。配信者の妄想を鵜吞みにした視聴者は、「一人で川に入っていく男を見た」と他殺説とは相容れない証言をした釣り人たちをA擁護のため「上級国民」に雇われた虚偽の証言者だと考えた。そのいずれもが事実無根であることを警察が逐一発表せねばならなかった。

友人Aの代理人であるチョン・ビョンウォン弁護士は、YouTubeを通じたフェイクニュースの拡散はよくあることとしつつ、「フェイクニュースを拡散することは、匿名性の背後に隠れている個人の犯罪に目をつぶっているのと同じことだ」と述べ、拡散に加担した視聴者のモラルにも釘を刺した。

 

一大勢力を誇った「友人A殺害説」を支持する群衆の一部は、オンライン上で暴徒化していった。Aに対する悪辣なデマを量産するばかりでなく、A殺害説を批判する者や異論を唱える者に対して「買収された朝鮮族」とレッテルを貼り、荒らしや誹謗中傷の個人攻撃や徒党を組んでの「集中砲火」を浴びせた。

また早い段階から友人Aを標的としてソンさんの通う大学の同窓生の個人情報がオンライン上に流出し、ソンさんの家族も問題視して自粛を訴えていたが、その被害は友人Aに留まらなかった。友人Aと同じ名前だとして、無関係な第三者がオンライン上で家族の名前と顔など個人情報を公開される「晒し」行為に巻き込まれる事態へと発展した。

人々は「あらゆる可能性」や「正義」の名のもとに、自分の求める「真実」にありつくため、配信者にプライバシーの侵害を求め、相容れない相手への毀誉褒貶を許し、悪質な虚偽情報を氾濫させた。オンライン上での新たな犯罪者を生み出すこととなり、言いがかりに近いクレーム処理や無用な説明を強いることで当局の負担を増やした。結果的に見れば捜査の妨害に加担したことになる。

一方で、ネット上のモラルハザードの背景として国民の根深い警察不信がある。疑い深いことそれ自体に罪はないが、事実を事実と認めることができない人間が自身の「正義」を振りかざすようになっては収拾がつかない。順天郷大学警察行政学のオ・ソンユン教授は、権力犯罪に対して警察が及び腰になる姿を国民は長年見続けてきた反動から「噂が真実のように力を得ている」現状を指摘し、「警察が意味のある成果を挙げなければ無分別な疑惑の拡散に歯止めはかからないだろう」と述べている。

 

無論、テレビ番組でも連日のように捜査の進捗や専門家の声、ソウル市民やネット市民の反応を取り上げた。

30年の歴史を持つSBSの報道ドキュメンタリー番組「それが知りたい(그것이 알고싶다)」では、5月29日に事件について専門家の意見を紹介している。

京畿大学犯罪心理学科イ・スジョン教授は、現場の公園について「24時間人目に触れる場所」であると指摘し、「殺意を持った人間が見通しのきくパノラマ空間で殺害することは難しい」と述べた。

ソウル大学法医学教室ユ・ソンホ教授は、他殺による溺死について判断する場合、「胸・肩・首の部位に降圧によるダメージがあるかが重要である」と述べ、本件では遺体に「抑えつけたり制圧した痕跡がない」と説明。

東国大学クォン・イルヨン兼任教授は、「犯罪は動機が明確でなければならず、殺害は機会を窺って行われるものだが、(友人Aが実行するには)動機も機会も可能性が低い」「犯罪を計画するには適切ではないように思われる」との見解を示した。

番組内容は、ソンさんの死に友人Aの関与した可能性は低いとの見方を主軸としたため、視聴者掲示板には抗議の声が相次いだ。ソンさんの父親も放送について「残念である」と不満を示した。

6月1日、虚偽の情報を流布したとしてYouTubeチャンネル「JikKeumTV」に対して、友人A側が代理人を通じて法的措置を行った。動画では、「友人Aの父親が韓国民放テレビ局SBSのディレクターと取引をし、共謀してAを無実とする内容を捏造した」旨の主張が展開されていた。その後も名誉棄損、侮辱罪などで一部YouTuberを告訴し、グーグル社に対して虚偽事実が含まれる動画の削除依頼を求めた。

ソンさんが履いていた靴下

ソンさんが履いていた靴下には多くの泥が付着していた。科捜研による成分分析の結果、川岸から約10m離れた川底の土砂の成分に類似していることが確認された。周辺の川底の土砂は、5m地点と10m地点のもので土壌に含有される成分比が異なっている。そのため自ら川に降りて沖へと歩いて行ったものが、途中で靴が脱げてしまって溺死したのではないかと推察された。

これまでの強力班(刑事事件担当部署)5チーム35名体制で重点捜査が続けられてきたが6月には大きな進展は見られなかった。結論を言えば、医学生の死について、いくつか不可解に思われる点はあるものの、えてして「事件性を示す証拠は当初から一切見つかっていないのである。

6月23日、ソンさんの遺族が、直前まで一緒にいた友人Aにも死亡の責任があるとして告訴状を提出した。当初から疑念を呈してきた遺族が、Aによる暴行致死や遺棄致死を訴えたものである。

24日、自身のブログで「4時間近く供述してきた」と伝え、「変死事件審議委員会について何も教えてもらえず、私もマスコミを通じて得られる情報のみだ」と実情を明かした。父親は、捜査の過程で疑問点が解消されず、補完捜査を求めるものと説明した。

6月29日、瑞草警察署は内部・外部8人構成による審議委員会を開き、ソンさん変死に関する捜査の終結を決定した。当初24日に開催を予定されていたが、告訴を受けて延期されていたものである。特別捜査チームは解体され、新たな告訴に対する捜査チームのみの編成となる。

7月14日、ソンさんの父親は自身のブログで、「疑惑」と題する記事を掲載。警察は「事件性がない」という結論ありきの捜査だと非難し、自分が抱いた数々の疑念もやがて警察が明らかにしてくれると期待してきたが、無念にも捜査が打ち切られた現状を嘆いた。「事件性を認めれば犯人を捕まえなくてはならないから」警察は事件と認めたくないのだとする考えを述べた。

10月22日、瑞草警察署はソンさんの遺族から友人Aに対する告訴内容について、証拠不十分により不起訴とした。告訴後も4か月にわたり調査は続けられたが新証拠の発見には至らず、これまでの捜査で得られた情報の洗い直し、試料を再鑑定したが容疑を立証するには至らなかった。翌週、遺族側は警察の捜査結果に対して異議申し立て書を提出した。

12月10日、ソウル地下鉄の三成駅、市庁駅構内にソンさんの顔写真とともに「ありがとう、ジョンミン」「愛してる」「君を忘れない」といったメッセージが書かれた大型広告看板が設置された。広告主は明らかにされていないが、まるで人気アイドルの広告看板のように有志らによるカラフルなメッセージシールが数多く寄せられた。半年前に比べれば少数の人々の間でその賛否について議論を呼んだ。

その意図が、事件議論の再燃を意図したものだったのか、ただ青年の不幸を思い起こして追悼する拠り所を求めて設置されたものなのかは定かではない。

 

 

■所感

日本に暮らす身の上としては、ひとつの事件から人々が被害者やその遺族に思いをはせ、世論が自治体や警察組織をも動かした事実は画期的なことに思える。その一方で、狂信的な人々が新たな被害者を生んでしまうことは、山梨のキャンプ場で消息を絶った小倉美咲ちゃんのご家族や池袋暴走事故の被害者遺族・松永拓也さんが被った侮辱など、この国でも御多分に漏れない。掛け違えたボタンをたやすく直せる人もいれば、タガが外れて事件を起こす人もいる。

現在ではどれだけの人がソンさんを悼み、ご遺族の動向を注視しているか、騒動の渦中、そしてその後で友人AやAの家族をどのようにして支えてきたのかを私は知らない。ニュース更新を辞めた記者や配信者たちはこの事件を通して、人々を熱狂させることの恐怖を思い知ったにちがいない。人々は正気であれば、自分は加害者ではないと思い込む。しかし加害者と被害者、第三者との間にそれほど大きな隔たりが存在する訳ではない。

あくまで仮定の話だが、はたして友人Aの殺害が事実と認められたとしたら、そうに違いないと信じていた多くの人たちはすっかり腑に落ちて大団円を迎えられたのであろうか。世の冤罪とはそうして多くの人の汗と固い信念のもと、正義の名のもとに生み落とされてきたのではなかったか。

やり場のない遺族感情を弄んだのは、記者やYouTuberなのか、それとも新たなニュースと「真相」を求めた視聴者たちだったのか。「青年の死」が一過性のエンターテインメントとして花火のように消費されてしまった印象を受ける。本当に必要だったのは世論を動かすマスメディアや関心を焚きつける動画配信者でもなく、ただただ遺族感情に耳を傾け、寄り添うだけの存在だったのではないかという気がしてならない。

 

亡くなられたソンさんのご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の心の回復、友人Aらに安寧の日々が戻ることを切に願います。

マイアミ・ゾンビ事件

人が人を食う行為は有史以来、様々な形で記録に残されている。広くタブー視されながらも、地域・集団における慣行・儀式など習俗としてのカニバリズムのほか、遭難や飢餓のためにやむを得ず捕食する事例は現代でもしばしば聞かれ、猟奇殺人における異常嗜好としても知られている。

世界的に見ても、家族や敬愛する相手の血肉を受け継ぐ、親愛の情を示すといった意味や、勝利を誇ったり恨みを晴らす意味合いでの食人エピソードは多く伝わる。また中国では古くから薬食として人肉や血が漢方に用いられ、日本でも1902年にハンセン病治療の効用を求めて起きた「臀肉事件」など民間療法として迷信は根強く残っていた。

 

本稿では厳密な意味では食人行為に当てはまらないものの、2012年にフロリダ州マイアミで発生した突如相手に襲い掛かり顔の肉を噛み千切った「ゾンビ」を彷彿とさせる事件について記す。

 

■概要

2012年5月26日13時55分頃、フロリダ州マイアミの湾岸を通るマッカーサー・コーズウェイの高架下の歩道で寝そべっていたホームレス男性Ronald Poppoロナルド・ポッポさん(65)が見知らぬ男に襲われた。全裸姿の男はポッポさんに喋りかけ、不意に殴りかかったかと思うと、羽交い絞めにして衣類を剥ぎ取り、左の目玉をえぐり取り出すと一心不乱にその顔に噛みついた。

 

襲撃から約8分後、偶々そこに通りかかったサイクリストLarry Vegaラリー・ベガさんは驚くべき惨状を目の当たりにする。馬乗りになって血まみれの老人の顔面にしゃぶりつく男に「Get off!」と叫んだが聞く耳を持たなかったことから、すぐに911に通報した。

襲撃から約18分後、マイアミ警察Jose Ramirezホセ・ラミレス巡査が現場に駆け付け、男に拳銃を構えて攻撃を止めるよう5度に渡って警告した。男はラミレス巡査に下がれと命じられても唸りながら咀嚼を続けた。1発の威嚇射撃の後も老人への攻撃を執拗に繰り返したことから、警官は危害の拡大を防ぐためその場で射殺する決断を下した。(CBSマイアミ支局によると、ラミレス巡査は過去4年間のキャリアで初めての発砲だった)

被害に遭ったポッポさんは髭の生えた顎周辺を除く、鼻、頬、瞼、眉、額などを食い千切られ、顔面は原形を留めていなかった(当初顔面の75~80%が失われたと警察発表があり、後に約50%と訂正された)。襲撃から約27分後、救急車で搬送された。

下は事件当時、マイアミヘラルド本社ビルの監視カメラから捉えられた映像。年齢による視聴制限あり。

Timeline: Face-eating attack in Miami (with narration) - YouTube

 

その後、射殺された犯人の男はノース・マイアミで自動車販売店の洗車係として働くRudy Eugeneルディ・ユージーン(31)と特定された。警察は過去の事例との比較から、薬物誘発性の精神疾患の疑いが強いとして捜査を続けた。

通報者のベガさんは「男は、ゾンビさながらに血が滴り落ちて、強烈でした。私が知る中では『ウォーキングデッド』に最も近い」と取材で語っており、この白昼の狂気は、Frorida Face-eating Attack、Miami Zombie、Causeway Cannibal等と呼ばれ、米国中を震撼させた。

 

■Church boy

加害者ルディ・ユージーンは1981年生まれのハイチ系移民で、出産直前に両親が離婚し、父親は6歳の時に亡くなった。貧しい農民の娘だった母親は靴工場で働きながら子育てを続け、85年に再婚して新たに2人の息子を授かった。それから毎週のように家族で教会に通った。

高校でフットボールに打ち込むようになると教会通いは辞めてしまったが、8歳の時に母から与えられた聖書は彼にとって「人生の教科書」とされた。卒業後はCD販売、マクドナルド店員、電話勧誘などの職を転々とした。母親は自身の幼いころの貧困経験から、職にあぶれることのない医療系の道に進むことを望んでいたというが実現はしなかった。

高校時代からの交際相手と2005~08年にかけて結婚していたが、家庭内暴力が原因で離婚、夫婦に子どもはいなかった。友人たちはユージーンについてスポーツとヒップホップが好きな普通の若者だと評しており、事件当時は雇われの洗車係だったが、将来的には独立して移動洗車業を興すアイデアを周囲に語っていた。

マイアミ・ヘラルド紙によれば、16歳以降で4件のマリファナ関連の事件を含む計8件の逮捕歴があったが、直近では2009年9月が最後の逮捕だった。2004年には母子喧嘩がエスカレートして、母親に銃を突き付けて脅迫する騒ぎを起こしたこともあった。

彼の母親は、息子について、いつも聖書を持ち歩いている「church boy(教会に通う敬虔な少年)」だったと語った。共に聖書研究をしていた友人ボビー・チェリーさんは、「彼は自分の人生を改めたい、神に近づきたいと願っていました」と述べた。

ユージーンは離婚前の2007年から別の女性と交際を始めたが、彼女に対しては暴力を振るうことはなかった。男は寝る前などに聖書に目を通し、休みの日には教会の番組を一緒に見たりしていた。悩める知人や聖書を知らない仲間に講釈して聞かせることもあったという。

 

事件前夜、男はガールフレンドの家で過ごした。未明に彼女が目を覚ますと、ユージーンはクローゼットを引っ搔き回して部屋中服だらけになっていたという。

「何かを探しているように思いましたが、それが何だったのかはわかりません」

男は彼女に口づけし、何も問題はない、愛してるよ、と伝えた。5時半ごろ、愛用の聖書と聖書研究のノートを携えて部屋を後にした。普段そんな時間帯に外出することはなかったので不審に思い、彼女は恋人の携帯電話に何度も掛けたが連絡がつかず、心配になって正午ごろからマイアミの町へ捜しに出たという。

恋人の部屋を出た後、男は友人に連絡を取り、マイアミ・サウスビーチで開催されているヒップホップやレゲエの大型野外フェス「アーバン・ビーチ・ウィーク」に誘っていた。しかし友人は仕事があることを理由に誘いを断り、ユージーンは一人でビーチに向かったものとみられている。

このフェスは2000年代初頭からメモリアルデーに草の根的に開始され、プロモーターが不詳、自治体からの認可を得ていないが、5日間で計25万人以上の来場者数がある大きなイベントである。

2011年に参加者が警官に暴行し、警官から射殺される事件(警官3名が負傷、傍観者4名が警官の銃撃により負傷)が起きており、地域住民は暴力や犯罪の温床になることを危惧しているが、公共ビーチでのプライベートなイベントのため解散命令などの法的介入は困難とされている。2012年には警官隊の出動を600人近くに増員し、ビーチ周辺地域での厳しい対応を行い、イベント中に431人の逮捕者、25丁の銃が摘発された。

 

紫色の車体をした95年製シボレーはサウスビーチからダウンタウン方面を走行中に何らかのトラブルに見舞われたらしい。運転者ユージーンは数十分間の立ち往生の後、正午頃に車を乗り捨てて西へ向かって歩き始めた。シボレーがレッカー移動されていた位置から逆算すると少なくとも3マイルの距離である。

ポッポさんへの攻撃を開始する直前の1時53分、フロリダ・ハイウェイパトロールに「背の高いアフリカ系アメリカ人男性が全裸でターザンのようにして電柱に登っている」「ハイウェイに衣服が捨ててある」と通報があった。路傍に脱ぎ捨てられた衣服の中には免許証なども含まれていた。

犯行現場近くの路上には聖書の断片が発見された。全裸男は白昼、聖書を破り捨てたり、途中で電柱に登ったりしながら、数マイルにもわたって彷徨いつづけた。事件後、発見された車内から空のペットボトル5本と聖書の切れ端が発見されている。

 

■「バスソルト」と大麻

検死の結果、ユージーンの歯には人肉が詰まっていたが、胃の中からは発見されず、多数の未消化の丸薬が残留していたと報告された。現場には噛み千切られた肉片が吐き出されており、結果的に見れば「食人」行為ではなかったことになる。

http://www.autopsyfiles.org/reports/Other/eugene,%20rudy_report.pdf

胃から発見された「丸薬」について詳細は明らかになっていない。ある医師は警察の見立て通り、当時流行していた「バスソルト」と呼ばれるアンフェタミン・カクテル(合成麻薬)が攻撃の背景にあるのではないかと指摘した。

だが解剖前の予備毒物検査の結果は、事件の数時間前に摂取した大麻の陽性反応だけしか確認されなかった。長らく半同棲状態にあった恋人いよると「ルディはタイレノールアセトアミノフェン系の経口鎮痛薬)を摂取することさえなかった」と語り、友人ボビー・チェリーさんは「長らくマリファナの使用があったことは事実だが、ルディは辞めたいと考えていた。彼に(大量の丸薬や別の薬物の)服用を迫った第三者がいるにちがいない」と私見を述べている。

 

違法薬物は法律の目を搔い潜るために、しばしば香料や洗剤など別の化学製品にダミー化し、「人体への摂取は有害である」と謳って売買されるケースが多い。2000年代はオンライン取引が盛んとなり、そうした脱法的流通・生産が国際的に増加して多くのデザイナードラッグが出回った。

MCAT、「バスソルト」や「モンキーダスト」と呼ばれる合成ドラッグは、21世紀になってから英国、ヨーロッパ諸国で、2010年に米国毒物管理センターに報告がなされた。米国での「入浴剤」に関する通報は2010年に304件だったが、2011年には6138件に激増していた。過剰摂取により興奮状態を起こすと、せん妄や幻覚、過度の運動や発作、高血圧や熱気を帯びて衣類を脱ぎ去ろうとする報告例もある。

 

過去の「バスソルト」事件として、2010年7月にバージニア州ロアノーク郡に住むキャリー・シェーン・パジェット(当時21)は「バスソルト」「合成マリファナ(通称スパイス)」を併用しての誘拐・強姦殺人が知られている。地元高校を卒業したばかりのカーラ・マリー・ホリーさん(18)を誘拐・監禁・強姦の末に殴り殺し、目玉をくり抜いたり、口から胃にかけてタイヤ交換用の工具を突き刺したりした上、遺体を携帯電話で写真撮影していた。

2010年11月にはルイジアナ州マンデビルに住むBMXライダーとして知られたディッキー・サンダース(20)が「クラウド9」と呼ばれるバスソルトの鼻腔吸引で錯乱状態に陥り、自殺した。母親によれば「薬のせいでまともに動けない。もう二度とやるもんか」と言って自分の喉を刃物で裂き、数時間後に銃で自ら命を絶った。いわゆるバッド・トリップ、異常恐怖のせん妄に囚われてしまったものとみられる。

2011年5月、ウェストバージニア州アラムクリークのマーク・トンプソンは隣人のヤギを殺害した容疑で逮捕された。訴状によれば、血塗れの女性服を着た半裸のトンプソンがヤギの死体とともに寝ているところを発見され、その傍らにはポルノ写真が落ちていたという。事件前3日間にわたって「バスソルト」を摂取していたことも明らかになった。性的興奮が昂ってヤギとの性交を試みたものとみられている。

 

国立薬物乱用研究所のデザイナードラッグ・リサーチユニット責任者マイケル・バウマン氏によると、「バスソルト」はコカインやエクスタシー(MDMA)のように作用するといい、快楽物質ドーパミンの生産と吸収を助長するものと説明している。当然、他の違法薬物同様に依存症リスクが高く、人体にとって悪影響を及ぼすものだが、「凶暴性の助長」や「人肉食への渇望」を示す研究結果は示されていない。

上のバージニアの事案などにおいても、薬効によって残虐な犯行に走ったというよりは、元々の反社会的性格、暴虐な性向の持ち主が興奮剤のひとつとして「バスソルト」を使用していたものと捉えられる。

 

2012年6月5日、マイアミでの事件を受けて、デラウェア州上院議員クリス・クーンズ氏は「バスソルト」の全国的な禁止につながる法案を検討するよう求めた。7月、オバマ大統領は薬物政策の修正を決定し、「バスソルト」に含まれる薬物メフェドロン、メチロン、MDPV等が禁止された。規制以降、米国での通報件数は年間500件台にまで急激に減少したが根絶には至っていない。

2013年2月、ダスティン・ミルズ監督は「バスソルト」がもたらす予期せぬ影響として中毒者が人食い人種に変貌するB級ホラー・コメディ映画『Bath Salt Zombies』をDVDでリリースした。筆者は未見だが、本事件からインスパイアされたアイデアであることは火を見るより明らかである。

 

世間一般には、ユージーンの狂った蛮行は得体の知れない薬物によって引き起こされた異常行動と解釈された。専門家の間では、なぜ検査に大麻以外の反応がなかったのかと疑問が呈されたが、検査薬があらゆる新種の合成麻薬に対応するものではないとの見解もあった。

しかし当初から「バスソルト」の使用が疑われる中、相応の化学物質を検知できない検査など行うものだろうか。コカイン、LSDアンフェタミン(MDMA、覚醒剤など)、ヘロイン、フェンシクリジン(PCP、俗称エンジェルダスト)、合成マリファナといった広く普及した違法薬物とは全く異なる新種の違法薬物に手を染めていたとでもいうのだろうか。

胃から「大量の丸薬」が見つかったとの報告書はあるものの、厳密にその成分を示す検証結果は公開されていない。また毒物に関する外部研究機関によって6月27日に提出された追加報告で、「バスソルト」、合成マリファナLSDに相当する合成薬物の使用は明確に除外された。ユージーンの体内から検出された薬物は、2012年11月にワシントン州コロラド州を皮切りに合法化が認められた「大麻」のみであった。

www.cbsnews.com

大麻(ここでは薬物としてのマリファナ)はタバコ、アルコールに次いで最も一般的に使用されている依存性薬物である。葉・茎・種子・樹脂に含まれる化学物質THC(テトラヒドロカンナビノール)によって精神に高揚感などの変容をもたらす。手巻きタバコ(ジョイント)、パイプ、菓子やお茶にしての経口摂取のほか、今日では電子タバコの普及によって手軽にレクリエーション目的で使用する層も多く、米国では高校生の30.5%が使用経験があると答えている。

国立衛生研究所によれば、肺から血流に移行して脳細胞受容体に作用し、正常より過剰に活性化させて以下のような効果をもたらすことが確認されている。

・感覚の変化(より明るい色が見える、など)

・時間感覚の変化

・気分の変化

・体の動きを鈍らせる

・思考と問題解決を困難にする

・記憶障害

・幻覚(高用量)

・妄想(高用量)

・精神病(高用量での定期使用によりリスクが高まる)

10代からの定期使用は学習能力・認知発達への悪影響がある。頻繁な喫煙習慣は呼吸器へのダメージを与えるが、肺がんをはじめがん発生リスクは認められていない。血圧や心拍数を高めるため、心臓発作や脳卒中のリスクが高まる。妊娠中の使用は胎児の発達上の悪影響や早産のリスクを高めることが指摘されている。

多くの場合、その効果は「多幸感」「リラックス」を経験させ、知覚の高まりを感じるほか、笑いや食欲増進といったかたちで現れる。そうした効用は医療用にも広く利用されており、そのほか依存性のない化学物質CBD(カンナビジオール)には皮膚炎の鎮静作用や抗酸化作用があり、化粧品分野などからも注目されている。

経験が乏しい場合や摂取量が多すぎるとバッド・トリップに陥りやすくなると考えられ、幻覚、妄想、アイデンティティーの喪失など急性精神病の症状が現れる。使用者の9~30%がいわゆるマリファナ依存に陥る可能性があるとされる。

マリファナによる興奮・酩酊効果はアルコールに近いものとされ、心身への弛緩効果によって横柄な態度や雑な行動になることは少なくない。摂取後、幻覚・錯乱によって犯罪に手を染めたり、自ら命を絶ったりした者は数知れないが、少なくともマリファナだけの影響で「ゾンビ化」が誘発されたとは到底考えづらいのである。

 

■橋の下のポッポさん

襲撃後、ポッポさんの顔面再建手術が行われ、長らく昏睡と治療を繰り返した。事情聴取は経過を見てから行われることとなった。

事件の翌週、ニュージャージーに住むポッポさんの娘ジャニスさんがニューヨーク・デイリー・ニュースの取材を受けた。彼女が2歳の頃にポッポさん夫婦は離婚して家を出て以来、40年以上会う機会がなく、報道で名前が出て生存を知ったという。

ポッポさんは1947年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。マンハッタンの名門校スタイベサント高校から近郊の私立大学に進学したが66年頃に中退し、70年頃に離婚をして家を出たものとみられた。

1976年にも何者かに銃撃されてジャクソン記念病院で5日間を過ごしており、当時の記録によれば、ニューヨークからニューオリンズへ移って、バンドのローディー(楽器の手配・輸送・管理をする職業)などをして暮らしていたとされる。銃撃後はマイアミで30年ほどホームレス生活を送っていた。

下のリンクは、ジャクソン記念病院で撮影された被害から2週間後のポッポさんの写真。すでに幾度かの顔貌形成手術が行われたものだが、目鼻のない傷口や手術痕が生々しい(非常に刺激が強いため閲覧に注意)。

Ronald Poppo Picture (Warning: Extremely Graphic) - CBS Miami

浮浪者の老人を突然襲った悲劇に米国中が憐れみを寄せ、病院によって設立された基金には顔面再建手術やその後の心理ケア等のために10万ドル以上が集められた。

 

■回復

7月19日になって長期療養施設へと転院したポッポさんはマイアミ警察の事情聴取に対し、全裸姿で歩く男をヒッチハイカーだと思っていた、と話し、「はじめは悪い奴には見えなかった」と印象を語った。

1、2分して男はシュープリームスのヒットソング「Lover’s Concerto」を歌いながらポッポさんに近づき、ビーチへ行ったが思ったように楽しめなかったことなどの不満を漏らし始めた。そして男は「死にたい」といった旨のことを打ち明け、老人は「私もだ」と相槌を打った。

ポッポさんは長年の路上生活での経験から、男の神経を刺激するようなことは何も言わなかった。しかし突如「聖書を盗んだのはお前か」等と意味不明な因縁をつけてきたかと思うと老人に襲い掛かり、力づくで顔面を歩道に打ち付けた。鼻は折れ曲がり、苦痛に顔を歪めると、更に全裸男はレスリングホールドのようにして老人の首を絞めつけ、目玉をえぐり出した。

ユージーンの聖書の断片は道に沿って散らばっていたが、ポッポさんは彼の聖書の存在については知らなかったと証言している。

また事件後、メディアの調査によってユージーンがホームレス向けシェルター(保護施設)に従事した経験があり、そこでポッポさんと面識のあった可能性が指摘されていたが、視力を失った老人は「面識がない」と語った。

 

・ポッポさんの供述調書

https://assets1.cbsnewsstatic.com/i/cbslocal/wp-content/uploads/sites/15909786/2012/08/poppo-audio-transcripts.pdf

 

事件から約1年後、ジャクソン記念病院から多くの人々からの支援に感謝を述べるポッポさんの映像が配信された。体は全体的にふっくらとし、盲目となったもののギターを手にして語り掛ける様子は穏やかそうに見える。

A Message from Ronald Poppo | Jackson Health System - YouTube

 

敬虔なクリスチャンが起こした人類の禁忌ともいえる食人行為。天使と悪魔ともいうべき青年のふたつの顔は、宗教の枠組みにおいて完全に理解するのは困難だった。マイアミ・ゾンビと呼ばれた射殺された青年は、4つの教会で葬儀礼拝を断られた。

「人々は彼をゾンビと呼びますが、私はそうでないことを知っています。彼は私の息子です」

「人間の顔を食べたのは自分の知る息子ではない」と嘆き、「彼は何者かに薬物を注射されてゾンビに変えられてしまった」と、幾度も衝突を繰り返しながら育ててきたルディの母親はメディアに訴えた。

 

■所感

ルディ・ユージーンの内なる欲望として、食人的暴力が芽吹いていたのか。それとも友人に誘いを断られ、ビーチでフェスに乗り切れず、大麻のバッド・トリップで「キマっていた」ことで説明がつくのだろうか。

たとえばガールフレンドの部屋で探し物をしていたときには、すでに何か「内なる声」に支配、命令されて…といった精神疾患の影響も考えられはしまいか。「服など脱ぎ捨てろ」「聖書を盗んだのはこいつだ」「噛みつけ、皮を剥ぎ取れ」と命じられ、男は素直にも従ってしまった。大麻の影響下にあった彼は、その声を「」と勘違いしてしまっていたのではないか。

当初の警察の見解には「ゾンビ化」とドラッグの影響を、ドラッグの専門家はとりわけ「バスソルト」と凄惨な事件を結びつけた。人々は「新たな合成麻薬がもたらした悲劇」と推測し、議会で瞬く間に規制法が整備された。しかし彼の体内からは大麻しか検出されてはいない。胃に残された大量の丸薬とは何だったのか。睡眠薬か何かを大量摂取して路上へ飛び出し、自殺を図ったものなのか。

大麻合法化の最中に起きた事件だけに、「バスソルト」説は大いに疑問が残る。陰謀論的な見方をすると、合法化勢力が専門家らに働きかけを行ったり、大麻から目をそらせる世論誘導が行われた可能性を勘繰るのは行き過ぎた妄想であろうか。

www.nbcmiami.com

2019年のリポートでポッポさんの生存は確認されているが、その後はどうなっているか分からない。視力を奪われ、以前の顔は元通りにはならなかったものの、安らかな余生を過ごしていることを願う。

 

 

映画『ノロイ』(2005)感想

白石晃士監督作品、映画『ノロイ』(2005)について記す。

自宅が全焼して妻を亡くし、自身も行方不明となった怪談作家・小林雅文。2004年、彼が最後に発表した映像作品を主軸に構成され、作中で彼が真相を追い求めた怪奇な出来事の因果が、最終的に彼の身にも降りかかったのではないかと言われている。

 

横溝正史作品などに出てくる土着風俗のおどろおどろしい雰囲気が好き

小野不由美原作で竹内結子主演で映画化もされた『残穢』やウェブ作家・雨穴(うけつ)さんのミステリ作品のようにいくつもの謎が連鎖していくサスペンス展開が好き

・ネットフリックスで話題となった映画『呪詛』のように主人公が大きな闇に陥っていく展開が好き

といった方や物語を愉しめる心の清らかな方にオススメ。

ノロイ [DVD]

監督 白石晃士

脚本 白石晃士、横田直幸(『口裂け女』『呪霊 THE MOVIE』『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE』)

製作総指揮 一瀬隆重(『帝都物語』『リング』『呪怨』)

キャスト 村木仁、久我朋乃、松本まりか菅野莉央寺十吾

 

 

以下、忘備録として本編全体をふりかえる。

各場面の区切りとして「■」を付した。

 

■内容

■イントロダクション

1995年デビューの怪奇実話作家・小林雅文

怪奇実話の第一人者として多くの本を執筆し、近年は取材にビデオカメラを取り入れ、怪奇の真相を追究する映像作品も発表する。

 

しかし2004年に新作『ノロイ』を完成させた直後、小林の自宅が全焼。

中から妻の遺体が発見されたものの、小林自身は行方不明となった。

はたして小林の不可解な失踪の原因は何だったのか。

ノロイ』のビデオ冒頭には、怪奇現象に対する小林の信条が記されている。

真実を知りたい。たとえそれが、おぞましいことであっても

 

 

 

■2002年11月12日、東京都小金井市での聞き取り。

主婦・奥井涼子さんは、「赤ちゃんの泣き声」のような気味の悪い声が「2、3か月前から」「お隣の家の方から」聞こえると証言する。

半年前に引っ越してきたとき、隣家に小学校低学年くらいの男の子を見かけたが以来一度も姿を見ていないという。お隣の奥さんも滅多に見掛けず、偶に会っても挨拶も返ってこない。自らも5歳の娘を育てる奥井さんの表情は不安げである。

一通り相談を聞いた小林は撮影スタッフと共に隣家へと向かう。敷地内は雑草の伸びた植木鉢や使わなくなったものが放置されたままになっている。

中から出てきた女性は、小林とカメラを険しい顔で見定めると、「すいません、ちょっとお話を…」と低姿勢に出る小林に「なんでそんな言い方ができるんだよ!言い方っ!」と逆上して扉を閉める。

参ったなぁと退散する小林だったが、去り際に隣家を映したカーテン越しに男児の顔が一瞬写り込む。

その後、取材時の録音を解析にかけると、「人間の赤ん坊特有」の泣き声が確認され、その数は「5人以上あるいはもっと多数」に上るものとみられた。

 

■11月20日、小林が奥井さんの元へ再訪。

隣人は「4、5日前に引っ越した」と言い、以来赤ん坊の声は聞こえてこないという。

小林は再度隣家を訪れ、郵便物から「イシイジュンコ」の名前を確認する。庭先の荷物は放置されたままで、なぜか新しい鳥の死骸がいくつも転がっていた。

その取材の5日後、奥井さんが5歳の娘を乗せて車を運転中、突然中央分離帯を越えて反対車線に飛び出してトラックと衝突し、2人とも死亡した。

警察では「運転ミス」と判断されたが、小林はどこか煮え切らない表情である。

 

■2003年8月3日放映のTV番組『驚異の超能力スペシャル』

実践超能力者・広津宏一がゲスト講師として招かれ、「10人のエスパー小学生による超能力実験」が行われた。ひとつめは、黒いフィルムケースの中にある紙に何が書かれているかを当てる透視実験。東京都・小学6年生の矢野加奈ちゃんは紙に書かれた漢字や記号を5問中4問まで精緻に透視して見せた。つづく栓で密閉した空のフラスコに水を出現させる実験でも、加奈ちゃんは見事フラスコ内に少量の液体を生じさせた。

「頭が痛くなってくる」

鑑定結果によれば、動物性プランクトンを含んでいること等から河川・湖などの淡水である可能性が高いとされた。また黒い繊維状の物質も含まれており、少なくとも「動物の毛」であることが認められ、毛髄質が含まれないことから「新生児の毛髪」の可能性が高いという。

 

■8月27日、東京都府中市。小林は矢野加奈ちゃん自宅へ取材に訪れた。

母・喜美子さんによれば、番組での実験以来、微熱が下がらない状態が続いていると言い、病院でも原因は不明とされたという。

 

■10月23日に撮影された心霊スポットロケ(お蔵入りとなった未公開映像)。

芸人アンガールズと女優松本まりかが心霊スポットを訪れた。

こどもの頃から霊感があるという松本は、到着早々首の不調を訴え、神社に近づくと「こっち、こっち」と急に二人を先導し始める。青々と茂る林の中になぜか2本だけ枯れたような木を見つけ、木に触れてみようとするアンガ田中に「だめ!離れて!」と松本が強く制する。

その場を離れた一行だったが、松本は「何か分からないんだけど、すごいたくさんきた」と怯えだし、「男の人の、低い声が聞こえる」と言うと、急に奇声を上げて卒倒し、撮影は中断される。

 

■11月26日、小林のトークライブ『怪奇実話ナイト』

松本が上述のダビングテープを持ち込んで参加。「なんかすごい低い声で呼ばれてる感じがして…そこから記憶が全くなくて…」と振り返る。

そんな松本を霊視する運びとなり、霊能師ホリミツオが登場。銀紙で全身を覆い、「人類を霊体ミミズから守る活動」を続けているという人物で、明らかに挙動がおかしい。進行役の説明を遮ってホリは松本に飛び掛かり、「お前ヤバいぞ!お前ヤバいぞ!鳩!鳩~っ!」と叫んで半狂乱になり、ライブ会場は騒然となる。

 

■小林は番組ディレクターから心霊スポットロケについて聞き取り。

松本にダビングテープを渡すとき、「怖がらせるといけないと思って、一部分をカットして渡した」と語るD。マスターテープの映像には、松本の遠景、神社の枯れ木の背後に奇妙な人影が写り込んでいた。

小林が奇妙な人影の映像を松本に見せる。松本は「関係あるか分かんないんですけど…」と自身の手帳を開き、いつ書いたものか分からないがおそらく神社での収録後に不可解な絵?記号?が書き込まれていたと伝える。

 

■12月4日、矢野加奈ちゃんの母親から連絡が入る。

母親によると、その後、「誰もいないのに部屋で誰かと話している」様子だという。

小林は加奈ちゃん本人に「話している相手はだれなのか」を尋ねる。

「多分ね、もう全部だめなんだよ」

「それはどういう意味?」小林の問いに加奈ちゃんの返答はない。

その後、矢野家三人で夕飯の場面。

しかし加奈ちゃんは食事に口を付けようとしない。

「いやーーー!」

急に叫んだかと思うと卓上に並んだ食器が吹き飛ばされる。両親に部屋に連れていかれる加奈ちゃん。卓上に残された彼女のスプーンは首の部分で千切れている。

 

■12月9日放映、「高木マリアが最強の霊能力者に熱中レポート」。

ワイドショーのワンコーナーで、レポーターの高木が霊能力者の自宅を訪問する内容。近隣住民にインタビューするが、霊能力者について「キ×××」扱い。玄関には無数の粗大ごみが置かれ、謎の怪文書が掲げてある。家から出てきたのはホリミツオ。

「最強の霊能力者さんですか?お話を伺っても…」と交渉を試みる高木をホリは部屋に招き入れる。部屋中が銀紙に覆われており、何か文言が書かれたチラシが大量に置かれている。

「何年も前から危険な情報が届いてる…」

「宇宙と通じてて…未来も見える」

「悪い奴らがいっぱいいる」

「霊体ミミズ…シューってシュッ、バーン…」

言葉にはならないが、ホリは身振り手振りで霊体ミミズが襲撃する危険を訴えようとする。

 

■矢野加奈ちゃんが行方不明となり、小林が事情を聞きに矢野家へと訪れる。

父・照之さんは「いなくなる一週間くらい前から加奈に会わせろってしつこく訪ねてくる男が居まして…」と明かし、母親も「何を言っているのかよく分からないような男でしたね…アルミを…帽子とコートに貼ってる…」と語る。その特徴はまさしく前述のホリと思われた。

しかし加奈ちゃんは「あの人は大丈夫だから」と父親に話していたという。

いなくなった日、加奈ちゃんの部屋の机の上には意味不明な文言が書かれたチラシが裏返しに置かれていた。裏面にはチラシとは異なる筆致で小さく「たすけて」と書かれ、加奈ちゃんの筆跡とみられた。さらにチラシ裏には松本まりかの手帳にあったものと同じ絵?記号?のようなものが書き込まれていた。

 

■小林はホリの自宅を訪れる。

「矢野加奈ちゃんについてお伺いしたいんですけれども」と言われてもホリは動揺することなく、小林を部屋へ招き入れた。銀紙やチラシについてホリに問うと、「ビリビリを防ぐもの。いま、霊体ミミズが来てるから。」「霊体ミミズは色んな所で現れて、人間を食べて、殖える…」と怯えた様子を見せたかと思うと、「加奈も食われた…」と不穏なことを口にする。

「あんた、加奈ちゃんのこと、何か知ってるんでしょ!?ねぇ」と問いただす小林。

「加奈…加奈―っ!」ホリは急に暴れ始めたかと思うとやおら小林のバッグから「加奈ちゃんの机に置かれていたチラシ」を奪い取ると、ペンを手に取り、何かを「受信」しながら《地図》を描き始める。

「青い…青い建物…」「トタン」「クマ」「駐車場」「霊体ミミズが出てる」「若い男」「霊体ミミズが加奈を連れて行った」。方角を指し示すホリだったが、興奮が収まらず、「カグタバって何だ…カグタバって何だ!?」と叫びながら半狂乱に陥って小林を追い出してしまう。

車内で映像を確認してみると、ホリの発狂前後に無数の髑髏のようなグリッチ(映像のバグ)が生じていた。小林と撮影スタッフは、加奈ちゃんの行方を探そうと試みるもホリの描いた拙い地図と断片的な情報だけではすぐに特定することはできなかった。

 

■松本から小林に「見てほしいものがある」と連絡が入る。

12月26日、目黒区にある松本の自宅マンションを訪問。目覚めると、出した覚えのない毛糸がテーブルの上に置かれており、いくつもの小さな輪をつなげたようなかたちに結ばれていた。寝ている間に何が起きているのか、不安で眠るのが怖いという。

小林は部屋にカメラを設置し、睡眠中に何が起きているかを録画するよう提案する。その晩撮影された映像には、起き出して部屋の電気コードを抜き取り、ベランダに出、再びベッドへ戻る松本の姿があった。

ベランダには「小さな輪をつなげたようなかたち」にした電気コードがぶら下げられていた。

上の階からゴツゴツと物音が響くのが気になった小林。上階には松本と同じ事務所の後輩みどりちゃんが暮らしていたが、物音の心当たりはなく、身辺での変調は何もないという。

 

■ホリの地図に合致するマンションを発見。

小林はマンション3階の「大沢」と表札のある部屋を訪問する。中から物音はするが応対に出てはこない。隣人の男性に確認してみると、大沢は25歳くらいの男性で挨拶をしても一人でぶつぶつ呟いているような人物だと言い、加奈ちゃんらしき女児の出入りも確認されなかった。

 

■1月7日、マンションを張り込むことに。

ベランダにはゴミが放置され、なぜか鳩が何匹もとまっている。しばらくするとベランダに大沢とみられる若い短髪の痩せぎす男が出てきたかと思うと、おもむろに一匹の鳩を素手で掴んでそのまま室内へと戻っていった。

「数日後、男は部屋からいなくなった。」

 

■1月10日、松本の部屋で録画したテープを見直す。

専門家に鑑定を依頼すると、男性と思われる低い声が録音されていた。ノイズを処理してじっくり聞いてみると「かぐ…たば…」と呟いているように聞こえる。

松本に音声を聞かせてみると、神社で聞いた声とよく似ているが、「かぐたば」と聞こえる文言については何の心当たりもないという。小林は「かぐたば」という言葉の意味について調査に乗り出し、各方面の専門家に連絡を取る。

 

■1月15日、昭島大学民俗学研究室・塩屋和秀教授のもとを訪れる。

教授によれば、『長野県渡喜多郡の民俗』という資料に「かぐたば」の記述があるという。かつて渡喜多郡にあった下鹿毛村に「鬼祭(きまつり)」という祭事があり、その鬼のことを「かぐたば」と称したというのだ。

信濃国渡喜田郡風土記』にさかのぼると「禍具魂」の字が宛てられている。曰く、西方から呪術者たちが彼の地に移住し、彼らが興した呪術は「下陰流」と呼ばれた。中でも秘術とされるものが「禍具魂法」といわれ、禍具魂を呼び起こして相手を呪ったのだとされる。しかし呪術師の意を離れて悪さをする禍具魂があったため、祈り続けて彼の地深くに封じ込めたと伝えられており、鬼祭は封じ込めの儀式の継承、鬼の鎮魂が目的とみられた。

だが1978年、下鹿毛村はダムの底に沈み、禍具魂を鎮めるために続けられた鬼祭も途絶えてしまったという。

 

■小林は長野県に向かい「鬼祭」について教えてもらうことに。

地元の郷土史研究家・谷村さんによれば、鬼祭は部外者には非公開で行われていたが、廃村直前となる78年、神官の石井家が業者に記録撮影を依頼していたという。

村人たちは信心深く、家の表にカマを掛ける風習などは移住先でも続けられ、下陰流では犬を使うことが多かった名残で、多くの家で犬が飼われていた。

鬼神社では神具魂の面を被った巫女が荒ぶる舞を踊り、それに神官が鎌を持って立ち向かい、1拝4拍1拝で魂を鎮めるのが通例の儀式であった。

しかし記録されていた78年の儀式では、最後になって禍具魂役の女性が錯乱してしまい、中断されてしまっていた。信心深い人々によってはそれを禍具魂のノロイという者もいたとされる。

 

■三日石での取材。

すでに石井神官と妻は亡くなっており、記録フィルムで「最後の禍具魂」役を演じていた神主の娘が存命だという。小林は谷村さんにお願いして村の者が多く移住した「三日石」に暮らしているという娘の元へ取材に訪れた。

「なんだ、これ!」

小林は、家の周囲に膨大な量の縄やロープが、しかも松本の家で目にしたような「いくつもの小さな輪をつなげたようなかたち」のものが幾重にも張り巡らされているのを見て驚愕する。壁には松本の手帳や、加奈ちゃんの机に置かれていたチラシにあった不可解な絵?記号?が書かれている。

関係ないはずないね

一連の出来事とのつながりを確信する小林だったが、家から出てきた人物は

なんでそんな言い方ができるのかって聞いてるんだ!なんでそんな言い方ができるのかって聞いてんだよ!」と玄関先の小林を突き返す。

一瞬の出来事ではあったが間違えようもない、2002年11月に取材した奥村さん宅の隣に住んでいた「イシイジュンコ」そのひとである。小林は周辺に聞き込みに回るが、多くの村人は口をつぐんだ。

だが下鹿毛村時代はジュンコの友達だったという女性が取材に応じ、家へ招いてくれた。かつてのジュンコはごく普通の少女で、村を出てから東京の看護学校へと進んだという。おかしくなったのは鬼祭での神がかりが影響したのだとその女性は言う。

「禍具魂のノロイだ、なんて噂をちょっと聞いたんですがね」

小林がそういうと女性はやおら立ち上がり、無言で部屋の奥へと去ってしまった。

 

■1月21日、東京都武蔵野市、かつてジュンコが通ったという武蔵看護専門学校

ジュンコは82年に卒業、その後、八王子の産婦人科に勤めていたが、病院自体は2000年に廃業していた。

 

■1月27日、東京都八王子。産婦人科時代のジュンコの同僚を取材。

「真面目に働く人だったが、怖いくらい無口で、仕事以外の話をしたことがない」という。その病院では22週を過ぎての違法な中絶手術を行っており、ジュンコはその胎児の処理を任されていた。ジュンコには「中絶した胎児を自宅へ持ち帰っている」という噂があったという。

胎児を持ち帰ったのが事実なら、なぜ持ち帰ったのか

 

■2月6日、松本からマンションの上階に住んでいた後輩みどりちゃんが亡くなったと報告を受ける。

警察から聞いた話によれば、「公園で知らない人たちと首を吊って自殺した」のだという。松本は自分の所為ではないかと不安になって荷物を持ってマンションを出、その日は、小林の家で世話になることになった。

その日のニュースでは、公園のブランコ上部からロープで首を吊った集団自殺と報じられたが、7人の関連は不明とされる。

 

■2月10日、「集団自殺ミステリー」として週刊誌に顔写真入りで大きく報じられた。関連不明とされる自殺者7人の中には、松本の同僚みどりちゃんのほかに、ホリが指示したマンションで暮らしていた若い痩せぎすの男「大沢」も含まれていた。

 

■翌11日、小林は「大沢」の隣人に再度聞き込み。

当初は明るい普通の若者だったが、去年の夏ぐらいから逆隣りの部屋に怒鳴り込むようになったという。その部屋の住人の中年女性も気が強く、しばらく言い争っていたようだったがはやがて引っ越してしまったという。言い争いの発端は、「赤ちゃんの鳴き声がうるさい」というもの。しかし女性は5、6歳くらいの男の子と暮らしており赤ん坊はいなかった。

もしやと思い、小林が映像から引き伸ばした「ジュンコ」の写真を見せると、隣人は「この人です。間違いない」と答えた。

 

■2月12日のニュース。

府中市のマンションで会社員矢野照之(40)が妻喜美子(36)を包丁で刺したと自ら通報、殺人容疑で逮捕され犯行を認めているが動機については供述していないという。行方不明中の矢野加奈ちゃんのご両親である。

 

■小林宅

小林家での生活で松本はすっかり落ち着きを取り戻していた。その日は和やかなムードで小林夫人に昼食を手作りしていた。

しかし、突然松本が「うーーーーーー」と低い唸り声を上げたかと思うと、そばのガラス窓に立て続けに何かが衝突し、直後に松本も卒倒する。松本は意識を取り戻したもののそのときの記憶がなく、衝突音のした窓の下を確かめてみると複数の鳩の死骸が落ちていた。

「次は私の番だ」

トークライブでホリの叫んでいた「鳩」の発言を思い出し、自らの死を予感して怯える松本。

小林は再度ホリに会って、相談してみようと松本を慰める。

 

■2月13日、ホリ宅。

小林と松本はホリの許を訪れ、イシイジュンコの映像を見せて反応を見る。新たな「受信」のメッセージを求めるも、ホリは極度に怯えて会話にならない。

ホリの自宅を後にした小林と松本。

松本は「ダムで沈んだ村に行って、鬼祭の儀式を自分でやる」と言い出し、小林が止めても、危険は承知の上だが「何もせずに死にたくない」との硬い意志に返す言葉を失う。

長野再訪を決め、何らかを「受信」することを期待してホリにも同行するよう強引に説得した。

 

■鹿見ダムに到着した一行。

ダム湖のかつて神社地点には二人乗りの手漕ぎボートで行く以外手段がなく、小林と松本が乗船。ホリとカメラマンのミヤジマは沖で待つことになった。

近づくにつれ、呼吸が乱れる松本。ボート上、鎌で縄を断ち切る儀式を再現し、続いて1拝4拍1拝を終えると、すぐに松本は「楽になった」と歓喜し、落ち着きを取り戻す。

 

2人が沖へ戻ってみると、今度はホリが変調をきたし、「加奈!加奈!」と山中へ走り出す。慌てて小林が追いかけると、暗い山中には村人が飼っていたと思われる犬の死骸が転がり、先には鳩の羽根と脚を結った結界と思しき紐が張られている。

ミヤジマと松本は車に戻って2人が戻るのを待っていたが、突如松本は何かに憑依され、奇声を上げて車外へ飛び出し、闇の中に走って行ってしまう。イイジマも叫び声を頼りに暗闇の中を追いかける。

 

はたしてホリが向かった先には古い鳥居と崩落した神社のような残骸が。

「加奈!加奈!」夢中で追い求めるホリだったがやがて何かを見つけてその場にへたり込んでしまう。

小林がライトを頼りに周辺を探すと、柱石に彫られた絵?記号?を見つける。へたり込んだホリは絶句したまま失神状態となったことに気付いた小林。その視線の先、鳥居の下には…

 

■イシイジュンコの家に向かった小林。

家から応答はなく、小林とミヤジマは無断で侵入する。

家の中にも人の気配はなく、あちらこちらに鳩が生息している。壁には呪文、床には犬の死骸が転がり、家の周囲同様に無数の輪縄がぶら下げられている。おぞましい空気が充満したその家の奥へ奥へと進んでいくと、真っ赤な服を着たイシイジュンコが首を吊って息絶えていた。

部屋には無数の禍具魂の面が掲げられ、縄には鳩の死骸も括られている。気付けば部屋の角に青白い顔をした男の子が無言で座っており、その足元には行方不明になっていた加奈ちゃんが真っ白な顔で冷たくなっていた。

 

2人は警察に通報し、男児は一命を取り留めた。当初、イシイジュンコの息子かと思われたが戸籍上彼女に息子はいなかった。小林は生き残ったその少年を引き取ることにした。

 

■3月6日。少年は進んで食事を食べるまでになったが、何も語ろうとはしなかった。

■3月8日。松本は異変もなく落ち着いて仕事にも復帰。

■3月13日。ホリは回復せず精神病院に入院。面会できない状態が続いた。

 

■3月17日、長野県の郷土史家谷村さんは祖父の所持していたものの中に禍具魂の呪法を記した絵巻を発見したという。「猿のこども」を生贄にして巫女に食べさせていたようだという。

山中の鳥居の前でホリが腰を抜かして絶句した原因、彼が見てしまったものとはかつて儀式で多くの屍を築いた巫女の姿だったのかもしれない。

 

■小林は「推測に過ぎない」としながらも一連の事件について考えをまとめる。

イシイジュンコは、優れた能力者の片鱗を見せた矢野加奈ちゃんを「巫女」として利用し、中絶で得た胎児たちを「猿のこども」の代用として生贄とし、禍具魂の呪いを現代に蘇らせようとしたのではないか。。。

 

映像作品『ノロイ』はここで終わる。

 

■後日譚

作品完成の2日後、小林の自宅が全焼し、妻ケイコさんが焼死。小林は行方不明となった。

その3日後、精神病院を抜け出し、行方が分からなくなっていたホリミツオが死体で発見される。ダクトにぴったり詰まったような不可解な変死体であった。

 

■2004年5月19日、杉書房へビデオカメラの小包が届けられた。

送り人の名義は行方が分からなくなっている小林。中にはテープが入ったままの状態。テープには撮影する小林本人の肉声が記録され、そして病院から脱走直後とみられるホリの姿が映っていた。

「加奈の声が頭ん中に入って来て…禍具魂は生きてる…」

こぶし大の石を手に、小林家に突入するホリ。

小林の妻を弾き飛ばして、引き取られていた男児を捕まえる。

「冷静に!できることがあったら何でも協力しますから、まずはその子を放して…」と説得を試みる小林。

「ちがーーーーーう!!!」

狂乱したホリは手にした石で男児を殴打する。制止しようとする小林さえも殴り飛ばし、執拗に殴り続ける。

突然ホリが殴打を止めてたじろいだ様子を見せる。立ち上がった男児の血まみれの顔はあろうことか禍具魂の面そのものであった。

妻ケイコは何かに憑依されたように唸り声を上げながら、台所で自らの体に火を点ける。

小林は抵抗を試みるがホリに強か殴りつけられてどうにもできず、そのまま男児を連れ去られてしまう。家中に火が回るなか、テープは途切れた。

その後の小林の安否は知れない。

 

 

■感想

ホラー映画の主人公は、「好奇心」が強く「冒険心」があり、数々の異変に「恐怖」しつつ仲間の危機に立ち向かう「勇敢さ」を備え、生き延びるための「知的さ」が必須条件とされる。本作や『残穢』では「作家」が主人公、舞台回しとなって怪奇事件に巻き込まれていく。2010年代以降は『コンジアム』や『呪詛』のような動画配信者、いわゆるユーチューバーが格好の「標的」として採用されるようになった。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

1999年公開の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒットによって、低予算のPOV(主観映像)作品が数多く発表され、本作もその系譜に連なるものといえる。劇中では90年代に人気を博した「実話怪談」や、怪奇小説やホラー動画をメインコンテンツとする「竹書房」などを彷彿とさせるモチーフが登場し、公開当時には登場人物「小林雅文」を実在する作家として扱う「公式ホームページ」「公認ファンサイト」などがメディアミックス広告として制作された。

また映画の原作ノベライズとは異なり、物語世界を補完するため「小林雅文の取材ノートを元に書き起こした」という触れ込みで『ノロイ―小林雅文の取材ノート』(角川ホラー文庫)が映画公開前に妖怪研究家、小説家の林巧氏の名義で発表されている(林先生は実在の作家さんです)。

《小林雅文公式ホームページ》

https://web.archive.org/web/20050618023633/http://koba1964.hp.infoseek.co.jp/

《小林雅文公認ファンサイト》怪奇実話ファン

ノロイ―小林雅文の取材ノート (角川ホラー文庫)

単なるPOV作品と大きく異なる点として、ビデオ作品内で登場するオカルト番組やバラエティなどの再現、「作中作」が豊富に取り扱われており、非常にクオリティが高いこと。本格ブレイク前の松本まりかさんを筆頭に、「号泣。」時代の島田秀平さんや「じゃんがじゃんが」時代のアンガールズらも多くの芸能人(荒俣宏さんまで!)が本人役として登場する。

実在性を謳った宣伝、作品構造が功を奏し過ぎたのか、文庫リリース~映画公開前の期間には以下のような反応もあった。

http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop_2005/07/15_01/index.html

http://blog.livedoor.jp/darkaqua/archives/27126138.html

あるいは熱烈なファンによる釣りネタなのかは不明だが、「ヤフー知恵袋」などでは公開から何年も経ってからも「小林雅文さんの事件って本当なんですか?」といった質問も散見される。

DVDでもネタバレなしで小林雅文による特別取材や禍具魂伝説の資料が特典とされるなど、徹底した事件再現を行った。

 

怪奇作家と若手女優と変人とカメラマンのミヤジマくんという実在すれば世にも不可思議なパーティーが作中では絶妙なバランスで成立している。主要な登場人物にM.ナイト・シャマラン監督の『サイン』等でもあったような「毒電波」受信体質のホリ、「なんでそんな言い方ができるのかって聞いてんだよ!」と気迫を見せたイシイジュンコを配した点は極めて挑戦的である。

かつては「5G」と戦う人々をよく目にしたし、今日も新たな電磁波の襲来に怯えたり、見えない敵・聞こえない声との抗戦を続ける人たちは少なくない。古来より心身に異常がある者は、たとえば目が見えないものは聴覚・嗅覚が研ぎ澄まされるといった無類の特殊能力、霊力を兼ね備えると考えられた。幻視・幻聴はときに神がかりの予言や霊界との交信とみなされ、一種のシャーマン(巫女)として祀られる者もあった。

今日の日本社会では「障害者」の括りとされる彼らの使命には、目に見えない世界の出来事・別次元に隠れた事件の真相につながる可能性があることを本作は示唆している。「キ×××」のいうことなんか真に受けていられるか、という人間が現在では大半だが、ひと昔、ふた昔遡れば、巫女や予言者、拝み屋・探し屋は全国に何千何万人とおり、市民社会と密接に関わっていたのは事実である。

シャーマンの人並外れた能力が事実であれ虚像であれ、人々はそうした言葉に真実を垣間見、真と信じることで癒され救われる面も少なからずあったにちがいない。人によっては今日でいうところの“インフルエンサー”や“スピリチュアリスト”と大きな差はないのかもしれない。フィクショナルな存在として悪霊との闘いをする「エクソシスト」や「陰陽師」と異なり、本作の憑依体質まりかさんや電波体質ホリは霊と戦う能力をほとんど持たない。怪奇に対する人並以上の好奇心と勇気を備えた小林ですら帰らぬ人となった今、私たちはこれ以上の詮索を止めておかなければならないのかもしれない。

 

京都精華大生通り魔殺人事件について

平成19年(2007)京都市左京区で発生した刃物による男子大学生殺人事件について記す。事件から15年が経過し、犯人の特徴的な目撃情報を得ながらもいまだ犯人特定につながっていない未解決事件である。

www.pref.kyoto.jp

 

■概要

1月15日19時45分頃、京都市左京区岩倉幡枝町の路上で京都精華大学1回生千葉大作さん(20)が男に刃物で刺されて殺害される事件が起きた。千葉さんは19時40分頃に大学でバイク通いの友人達と別れたばかりで、自身は自転車に乗って友人のアパートへと向かう途中だった。

 

大学キャンパスは、いわゆる「碁盤の目」といわれる京都市の中心街から見て北のはずれに位置する。犯行現場は大学から東へ700m程、叡山電鉄木野駅から100mばかりの歩道で、通行量の多い幹線道路(府道106号)沿いの見通しが良い場所である。周辺は閑静な住宅街の一角で、歩道と車道の境界にはフェンスや植栽が備えられていた。

その時間帯には通学バス(通学時間帯、大学と地下鉄「国際会館駅」間をピストン輸送する)もまだ10分置きに運行されており、人通りが少ない時間とはいえとても「計画的に襲う」ような場所とは思えない。

千葉さんの進行方向から見て右手が車道、左手が畑地になっていた。畑には千葉さんの乗っていた自転車、リュックサック、携帯電話が落ちており、財布はリュックの中に残されたままだった。現場状況から、千葉さんは路面より1.5m程低い畑地に自転車もろとも転落し、犯人に追い回された後、自力で歩道へ這いあがったものと見られた。

大怪我を負った千葉さんは「いっぱい刺された。救急車を呼んでください」と通行人に助けを求めた。19時52分頃に通報し、駆け付けた救急隊員に「犯人は知らない男だった」と伝えており、病院に運ばれたがほどなくして息を引き取った。

 

■目撃情報

事件直前とみられるタイミングで、千葉さんに接触したとみられる不審人物が目撃されていた。体を大きく左右に揺らしながら「あほ、ぼけ」などと大声で怒鳴りつける男の姿が通行人に目撃されている。身長170~180cm、27~28cmの登山靴のような靴を履いた、黒っぽいズボンとスポーツジャンパーといういでたちで、同一人物とみられる男が周辺で複数目撃されており、中には「目の焦点が合っていない」とする証言もあった。

畑には多数の靴跡があり、犯人は逃げる千葉さんを追いかけ回したとみられ、刺し傷は19箇所にも及ぶなど執拗な攻撃性を感じさせる。男は「家庭用自転車」に乗っていたことから生活圏に暮らす住民とみられ、警察は当初、2人が接触した地点が歩道だったこともあり通行トラブルから犯行に至ったと見立てた。だが畑と植栽に挟まれて逃げ場がない歩道ではあるが、自転車のすれ違いが困難なほど狭いという訳でもない。

第一発見者によれば、男が歩道にしゃがみこんでおり、一度はそのまま通り過ぎたが30秒程して何か不審に思い、戻ってみると先程の男は自転車で西方向に移動したらしく姿は見えなくなっており、代わって千葉さんが畑地から助けを求めて歩道に這い上がろうとしていたという。(下は2009年12月時点のストリートビュー)

 

学友らは千葉さんは人から恨まれるような人物ではないと口を揃えた。「近所に住む人物」となれば地取り捜査ですぐに浮上しそうなものだが、75人体制で周辺4.5平方キロ(精華大前~木野~岩倉駅周辺エリア)にわたって徹底した聞き込みが行われたが、その後も被疑者は特定されなかった。

事件から約一年後のワイドショーで、ジャーナリスト大谷昭宏さんは、千葉さん本人には面識がない相手で、喧嘩や恋愛絡みといった人間関係はなく、一方的に恨みを抱いた片識(かたじき)の人物による犯行ではないか、と述べている。

 

■被害者とその後

京都精華大学は芸術系大学の中でも実技科目を中心とした日本唯一の「マンガ学部」を開設していることで広く知られている。2006年には市と共同で日本初のマンガ博物館を開館し、図書館として現代マンガの閲覧ができるだけでなく、明治期の雑誌や戦後の貸本資料、国外の名作などを希少な歴史資料として収蔵しており、「国際マンガ研究センター」が企画展示・研究を行っている。現役のマンガ原作者やクリエイター、出版現場を知る編集者ら多彩な講師を招き、作画力向上の指導だけでなく、マンガを描くために必要な教養、実践的なノウハウを学べる場としており、約7割の卒業生がゲーム、アニメ、マンガ、出版関係、広告、映像関係のクリエイティブ職に進路を決めている。

 

千葉さんは宮城県仙台市で母子家庭の長男として育ち、2005年3月まで通った県立高校では明るく穏やかな人柄で慕われ、水泳部の副部長を務めた。新聞配達をしながらの浪人生活を一年間送り、2006年4月にマンガ学部マンガ学科ストーリーコースに入学。「温厚なオーラ」で周囲を明るくし、だれからも好かれる「純朴な東北少年」だったと大学の同窓生らは語る。マンガ家を志して学友らと日々切磋琢磨し、創作活動のためになればと単身大阪まで取材に出掛けたり、指摘を受ければ苦手克服のために人知れず修練を続ける努力家の一面があった。

 

事件直後、報せを受けた千葉さんの母親淳子さんは新幹線で京都へ駆けつけたが、車中からの祈りも届かず大作さんは帰らぬ人となった。ショックで体調を崩してしまい一時は離職を余儀なくされた。その後、大作さんが遺した鉛筆書きの作品に鉛粉が消えてしまわないよう定着スプレーを吹きかけてファイリングしながら、息子の生きた証を一枚一枚守った。当時は作業に専念することで気が紛れた面もあった、と振り返っている。

家族と最後に過ごしたのは事件の一週間前、1月8日の成人式だった。地元の仲間と遊びたいという思いに後ろ髪を引かれつつも、翌日から授業が再開されるため、夜行バスで京都へ戻っていったという。バス停で見送ったばかりなのに弟は帰りの車で「会いたい」とすすり泣いており、メールでそのことを伝えると「おれも頑張るから頑張ろうね!と伝えておいて」と弟を思いやる返信があった。

淳子さんは仕事に復帰して生活を立て直し、小さかった弟妹らが日々成長していく一方で長らく「心は満たされない」状態が続いたという。だがそんなふとしたとき、「おれも頑張るから」という大作さんの言葉が思い出され、支えになってくれた。淳子さんは、大作さんについて「芯が優しく強い子」でしたと語り、下の子たちの世話や将来についても相談に乗ってくれる「とても大きな存在だった」という。

毎年、命日には京都の現場へ法要に訪れ、出町柳駅などで情報提供を募るビラ配りを続けてきた。10年程経って、弟たちも成人するまでは事件がついこの間のことのように感じられたと振り返る。息子のいなくなった現状を日常と受け入れつつも、「大作が何をしたというのか、なぜ殺されなければならなかったのか。犯人には一日も早く自首してもらい、息絶えるまで心から大作に詫びてほしい」という切実な思いは今も変わらない。

 

事件後、恩師や学友らが寄付を募り、「千葉君との出会いはマンガ」としてマンガ冊子1000部を作成し、千葉さんの人柄や事件の経緯を伝えた。「犯人はどこにいるか分からないので、全国の人に読んでもらいたい」と周辺地域だけでなく京都駅でも配布した。冊子の最後のページでは「犯人は何気ない顔をして日常にとけこんでいるつもりなのだろう」「皆さんのまわりに犯人は潜んでいるかもしれない・・・」「犯人を見つけるのは、あなたなのです」と読者に訴えかけている。

www.daisaku-kyoto.jp

 

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20211214-OYO1T50012/

千葉さんと同級生だったマンガ家の榎屋克優(かつまさ)さんは、事件解決への願いと風化防止のために共にマンガ家を目指した学生時代をマンガにしてTwitter上で公開した。あえて美化せず、記憶にある等身大の千葉さんを自身の思いと共にありのままに描いた。

<マンガの才能は結局「マンガを好きでいつづける力」だと思う>と榎屋さんは語り、机にかじりついてマンガに打ち込んだ千葉さんの背中を思い出す。

<彼が生きていたらマンガ家になれていたかどうかはわからない>

<でも生きていればもっともっとマンガで喜び、マンガで苦しめるはずだった>

と突然に閉ざされてしまった「マンガ仲間」の将来に思いを馳せる内容となっている。

2021年末には大学で千葉さんが提出した感想文などマンガに対する考えや思いを記した文章が集められ、母許に返された。事件4日前の授業で提出した文章の中には「僕は大友克洋のようなリアルをもとめるマンガ家になりたいと思う。日常が書けるようにこれから努力していきたいと思います」と、夢と決意が綴られていた。母淳子さんは自分の知らない息子の一面に再会できたことを喜びながらも、読了したら長い物語が終わってしまうような寂しさも感じると語った。

 

 

府警によると、2022年まで延べ約6万2千人の捜査員を投入し、約1280件の情報が寄せられた。事件解明につながる通報には、最高300万円を提供する捜査特別報奨金制度が適用されている。

 

捜査本部フリーダイヤル(0120)230663

 

■『ルックバック』

2021年7月19日、『チェンソーマン』等で知られる藤本タツキによる143ページにわたる長編読み切りマンガ『ルックバック』が集英社Webマンガ誌『少年ジャンプ+』で公開された。従来の藤本ファンだけでなく強烈なメッセージ性と同時代性を備えることから多くのクリエイター、著名人らが反応しSNSを中心に大きな論議を巻き起こした(公開当初は全編無料で、2日間で400万PVを記録した)。

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小学校の学年新聞で毎週4コママンガを描いて周囲から賞賛されてきた4年生の藤野と、不登校の同級生・京本の出会いと別れを描いた作品で、設定は藤子不二雄による『まんが道』のごとく2人の若きマンガ家を主軸とした「マンガ家マンガ」である。登場人物のネーミングからも作者藤本自身の投影を想起させるが、記憶に新しい『京アニ放火殺人事件』(2019)や本事件からモチーフを得たと思わせる描写も数多く指摘されている。

小学校卒業を期に対面した藤野と京本が「藤野キョウ」のペンネームで二人三脚の創作活動をはじめ、アマチュアマンガ家として7本の読み切り掲載など『バクマン。』的な順調な滑り出しを見せたものの、高校卒業を期に2人の進路が分かれてコンビは解消される。藤野はペンネームをそのままに連載を開始してプロマンガ家の道へと邁進し、京本は「一人の力で生きてみたい。もっと絵がうまくなりたい」と山形市美術大学へと進学した。

しかし2016年1月10日、美術大学に侵入した不審者による大量無差別殺人事件が発生し、京本が殺害される。事件を知った藤野はマンガの道へと彼女を導いた自責の念に駆られる。その後の構造としては、京野が殺害された現実の世界と、藤野と京野が出会わなかったifの世界が分岐・並行して描かれ、藤野が連載した作中作『シャークキック』よろしく、「蹴って蹴って生き延びろ!」とリンクするように殺人犯を蹴り飛ばす「あり得たかもしれない未来」を創作する。

シャロン・テート殺人事件の並行世界に設定を置いた映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)での「事実」を創作物によって覆すメタ構造との類似性が指摘されており、繰り返される象徴的な構図や特徴的なコマ運び(時間経過や感情表現)も極めて映画的に描かれている。

タイトル「ルックバック」には、かつて藤野が京本に「私の背中を見て成長するんだな」と語ったように、「背中を見ろ」という直接的な意味合いと、「振り返る、回顧する」というダブルミーニングが含まれている。登場人物・藤野の回顧録の体裁でありながら、自立までの苦悩や努力、競争相手たる仲間たちへの嫉妬や共に過ごし得た喜びは同業者やクリエイターのみならず、多くの大人たちの胸に刺さった。

公開直後、作品について激賞した精神科医斎藤環氏は、犯人の人物描写について「ステレオタイプで済まされた」「アンチスティグマへの配慮を求めたい」と一方で苦言を呈した。通り魔は「元々オレのをパクったんだろ!?」という京アニ事件の犯人・青葉を思わせる台詞を吐いて犯行に及び、逮捕後の供述として、学内の絵から「自分を罵倒する声が聞こえた」と精神疾患を示唆された。「意思疎通が不可能な狂人」とした表現に対して偏見を助長ないし差別を定着させてしまうのではないかといった指摘があったこと等から、後の再配信版には一部修正が加えられた。

(後に「社会の役に立ってねえクセしてさあ!?」という台詞に改変され、こちらも「生産性のない奴は必要ない」と障害者差別を自認する津久井やまゆり園事件の植松聖死刑囚との類似が見られる。コミックスでは再配信とは更に異なる。)

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作者藤本タツキは敬愛する先輩マンガ家沙村弘明(『無限の住人』)との対談で「読み切りの制作」について「怒り」をモチベーションとしていることを公言しており、沙村は藤本の作風として王道的な物語から外れたこの先何が起こるか分からない展開の妙を挙げている。作中では世界的ロックバンド・オアシスの「Don’t Look Back In Anger」の暗喩も示唆されている。藤本本人にそうした実経験があるのかは不明だが、マンガやアニメ業界の先人たちへの敬意と共感、また不幸にして実際にそうした事件に巻き込まれてしまった人たちへの意思表示ともいえる稀有な作品となっている。

 

 

■所感とひらひらさん

本件は衝動制御障害などを抱えた精神病質者による通り魔的犯行だと筆者は考えている。精神障害者がすべからく言葉が通じない狂人だと捉えてはいけないし、合理的な判断力や自己統制機能が低くとも投薬治療をしていれば殺害に結び付くような加害・暴力衝動は制御された状態だとも認識している。しかし本件の特徴から見て、理性に基づいた犯行と考えるのは大いに難しい。

いくつか疑問点を挙げつつ、他の事件を参照しながら見ていきたい。

ひとつは、異常な執着で追い回した犯人の動機・目的である。執拗な攻撃を加えたにもかかわらず、息絶えるまで刺し続けたという訳ではなく、金銭や持ち物を奪ったり隠蔽工作もせずにその場を後にしている。被害者のダイイングメッセージからも見ず知らずの相手であることは明らかで、男は無差別に襲い掛かった。また凶器が刃物であることから、持参してきた可能性が高く、対象は無差別であれ行動に先立って何がしかの攻撃を目論んでいた(攻撃衝動を帯びていた)と捉えることも出来る。

致命傷を負わせながらも、奪う機会のあったリュックサックや金品、携帯電話などもそのまま放置していることから、強盗目的ではなく暴行自体が目的と考えられる。記憶に新しい無差別殺傷として、2021年10月に起きた京王線無差別殺傷では72歳の会社員男性が胸を刺されて重傷を負い、その服部容疑者が参考にしたという8月の小田急線事件では36歳男性が女子大生らを切りつけて10名が重軽傷を負うなど、いわゆる反社会性を暴発させた無差別殺人の場合、こどもや老人、女性や障害者といった「抵抗されるおそれの低い(自分より弱いとみなす)対象を狙う傾向がある。

だが千葉さんは温和な性格とはいえ20歳の男性で、すれちがいざまに殺意を抱く相手としては「難易度が高い」ように感じられる。そうした点でも犯人には理性的判断ができない(殺人犯に理性を求めるのもナンセンスではあるが)、あまりに衝動的に犯行に及んだ印象を抱かざるを得ない。

 

さらに移動手段の自転車である。京都市は観光用レンタルサイクルも普及しているが、目撃情報ではいわゆる「ママチャリ」とされ、おそらくは犯人の私物ないしは盗品と考えられる。1時間での走行距離がおよそ5キロとすれば、警察が聞き込みを行った半径4.5キロ四方という聞き込み範囲も妥当に思われる。周辺は繁華街でもなく時間帯から見ても「目的地」に乏しい。刃物を携帯して「攻撃性を帯びた犯人」が自転車で何十キロも離れた場所からトラブルを起こさずにここまで漕いできたとも思えない。確率的な面からしても、やはり地元の人間による通りがかりの犯行とみてよいのではないか。

 

最たる疑問はこれだけ特徴的な、近くで生活していたと思われる犯人が「なぜ見つからないのか」に尽きる。

たとえば長期未解決となっていた神戸市北区の住宅街で起きた男子高校生刺殺事件では、後に犯人自らが周囲の人間に殺害の過去を匂わせたことから通報・発覚につながって逮捕された。犯人は事件当時17歳の「元少年」で、青森県の高校で「交際相手の女子生徒と喧嘩になった別の女子生徒にカッターの刃を当てて脅す」などのトラブルを起こして退学し、犯行当時は親族の所有する神戸市の現場近くの一軒家に一時的に一人暮らしをしていた。犯行の動機は「男女が一緒にいる様子を見て腹が立った」などと供述。

地縁が薄く、学校や職場など所属する集団のない人物、しかも一人暮らしの未成年であったこと等から捜査の網をすり抜けてしまったと考えられる。犯行後は愛知県に移り、両親と共に生活してパート勤めなどをしており、家族が犯行を知っていたのかや愛知時代の詳しい生活状況は報じられていないが潜伏するでもなく何食わぬ顔で社会生活を送っていた。(ネット上で犯行に類似する内容の文章を公開していたとも報じられている)

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

本件でも「引っ越してきたばかり」といったような、地元に「つながりの薄い住人が想像される。また地域住民から全く情報が出てこないとすれば、普段は施設や病院などで生活していて周知されてはいないが事件当時は一時的に帰省していた、あるいは別の地域で暮らしているが事件当時の短期間だけ京都市に滞在していたなどの“盲点”も十分考えられる。

また目撃情報で参考人の男は当時20~30歳代とされており、年齢からすれば親が存命だったとしてもおかしくない。同居する家族がいれば、返り血を浴びて帰宅した犯人を見てすぐにそれと判断し、逃走援助や犯行の隠避を試みてもおかしくはない。

 

どこか類似性を感じさせる犯人像として、2003年に愛知県名古屋市で起きた連続通り魔、いわゆる「ひらひらさん」事件が思い浮かぶ。

3月30日20時頃、北区東水切町の路上で「赤い自転車」に乗った中年女が若い女性二人組に声を掛け、看護師女性(22)が腹部を刺されて死亡し、一緒にいた友人女性のバッグを奪って逃走。

4月1日にも千種区日新通の路上で店員女性(23)が中年女性と揉み合いとなり左腕を切りつけられるなどの重傷を負い、バッグを奪われる事件が起きた。こちらも加害者は30~50歳前後の女で同一犯とみられ、「赤い割烹着」のような姿で派手な化粧をしていたという。

その後、同様の被害は途絶えていたが、8月28日に民家物置への侵入盗で守山区に住む伊田和代(38)が現行犯逮捕された。

伊田ネグリジェのようなドレスにハイヒールという泥棒らしからぬ装いで、自転車で4度も往復しては窃盗を繰り返す不可解な挙動をとっていた。窃盗現場周辺ではバラバラにされた大量の着せ替え人形やぬいぐるみ、ハイヒール、汚れた下着、生理用品などゴミ袋9袋に及ぶ大量の不審な不法投棄が確認されており、後に伊田の犯行と判明。家宅捜索を行ったところ室内は物で溢れかえり、中から血痕の付着した凶器の刃物や被害者の奪われたバッグが発見され、通り魔事件の犯人として再逮捕された。

伊田はクレーマー気質で近隣住民からはいざこざを起こすトラブルメイカーとして知られ、フリルの付いた派手な装いから「ひらひらさん」と呼ばれていた。雑誌などではホステス~ソープ嬢~愛人生活、霊媒師の実父とのトラブルといった彼女の半生がもてはやされて注目を集めた。元々周囲との人間関係に難があった伊田だが93年頃から抑うつ状態が深刻となり、以来投薬治療を続けていた。

伊田が幼い頃に家を出ていった実父は岐阜で霊能師として成功し、10万円の仕送りを続けていた。99年にその実父が体調を崩して入院し、見舞いに訪れた伊田はその後も実父の元へよく通うようになった。

02年8月、実父に愛人がいることが発覚し、実父に甘えられないのはその愛人のせいだとして衣類を燃やす騒ぎを起こした。実父から月30万円の仕送りを増額する代わりに父娘関係を断ち切られた。

一時は父と自分の愛人から併せて月50万円近い金銭援助を受けていた伊田だったが、服飾やアンティーク家具、人形のコレクションなどで散財し、生活に窮していたとされる。実姉とも折り合いが悪くなり、事件前には家族から見放されるようにして孤立を深めていた。

当初の犯行動機は金銭目的とされ、かねてより猟奇映画を好んでいたことなどから、「刺してイライラした気持ちを晴らしたかった」「幸せそうなお嬢ちゃんを狙った。不幸のどん底に落とした方がすっきりすると思った」等と供述した。精神鑑定では人格障害は認められるが善悪の弁識ができ、責任能力に問題はないとされ、裁判で無期懲役が確定した。

精神障害者にとって家族関係は生活するうえで大きな頼り、命綱であり、絶縁や死去といった関係性の変化は著しいストレスとなって症状に影響を与える。投薬や家族の支援等によって無害化された小康状態が保たれていたとしても、環境変化を引き金に暴力衝動へと走ってしまうことも当然ありうることをこの事件は示している。

(ここで言いたいのは「精神障害者は危険性が高い」ということではない。健常者であっても身内の死や関係性の変化は著しいダメージを伴う。どんな人間でもきっかけさえあれば事件の当事者になりうるのである)

 

また片識の犯人像として、名古屋市西区で起きた主婦殺害事件も想起される。現場となった被害者の住むアパート付近で負傷した犯人と思しき女の目撃情報、逃走途中の血痕などが見つかったがこちらは犯人特定・検挙には至っていない。

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本件が神戸市北区、名古屋市西区の事案と異なるのは、犯人の血痕等の採取について報じられていない点である。神戸の事件では裏取りの過程でDNA型が一致したことから逮捕に至ったように、犯人と直結する「指紋」や「DNA型」といった物証の有無が捜査の鍵を握る。仮にそうした犯人性を確定させるような物証が存在しないとすれば、「あほ、ぼけ」と怒鳴り散らすような該当人物がいたとしても検挙への道程は困難となる。

精神薄弱者などに対して強引な逮捕・起訴をしようとすれば、冤罪につながるおそれもある。仮に精神疾患などがあれば心神喪失により刑事責任に問えず、裁判で無罪となる可能性は高い。だがたとえそうであったとしても未解決のままの状態が許されてはならず、犯人特定に向けた府警の捜査・裏取りが地道に続けられていることを信じるばかりである。

あるいは精神疾患に原因を求めないとするならば、ドラッグ等の影響下で一時的な錯乱状態にあった可能性も大いに考えられる。そうした人物であれば日常的には奇行もなく、注意人物とはみなされずに社会生活に溶け込んでいるかもしれない。

 

母淳子さんは2023年の17回忌を一つの区切りとして、命日の法要を最後にすると話している。だがどれほど時間が経とうとも愛息を奪われた親の怒り、家族の悔しさが消える訳でも、夢に向けて走り出した最中突如として命を絶たれる非業の無念が晴れる訳でもない。何としても一日も早い犯人逮捕を願いたい。

 

被害者のご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。

 

 

 

参考

青葉→植松→青葉、二転三転した「ルックバック」の修正とその反応 - 児童向けコラム | 障害者ドットコム

映画『LAMB』(2021)感想

ヴァルディミール・ヨハンソン監督の長編デビュー作『LAMB』について感想など記す。

2021年カンヌ映画祭ある視点部門で話題を集めた、超自然的存在と伝承的なフォーク・ホラーのハイブリッド作品である。ワールドプレミアに先立ち、『ヘレディタリー/継承』や『レディ・バード』などのヒット作をもつA24が配給権を獲得した。

 

 

LAMB』(2021・106min、アイスランドスウェーデンポーランド)

監督ヴァルディミール・ヨハンソン

脚本ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン

出演ノオミ・ラパス(ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女、プロメテウス)

  ヒルミル・スナイル・グズナソン(101レイキャビク、The Sea)

  ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン(The Northman)

 

監督を務めたValdimar Jōhannssonヴァルディミール・ヨハンソンは1978年アイスランド生まれ。『Game Of Thrones』のTVシリーズや映画『オブリビオン』(2013)等で電気技師、『ローグワン』(2016)や『The Tomorrow War』(2021)等では特殊効果技術を担当した。

共同脚本のSjónショーンは、Sigurjón Birgir Sigurðssonが自らのファーストネームから取ったペンネームで英語のsightと同義。ショーンは作家、詩人、作詞家として活動し、80年代からビョークの盟友として音楽活動や作品提供を行っていることでも知られる。

マリアを演じたノオミ・ラパスは、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のリスベット役で評価を高めたスウェーデン生まれの俳優で、本作では製作総指揮としても参加している。

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■あらすじ

第一章

アイスランドの荒涼としたツンドラ地帯、山間の僻地で羊飼いをしながら暮らすイングヴァルとマリアの夫婦。広すぎる家で夫婦は黙々と、憂鬱そうに日々の仕事をこなす。

「タイムマシンは原理的に可能だそうだ」と語りかける夫に、マリアは表情で「過去に戻りたい」とつぶやき、夫婦関係の不調を想像させる。

クリスマスの晩、二人は羊が産んだ「羊ではない何か」にアダと名付け、我が子として育てることを決心する。哺乳瓶や乳児ベッド、幼児服といった育児用品の存在は、かつて夫婦が幼な子を亡くした過去に由来している。

当初イングヴァルの中に受け入れがたい葛藤もあったが、妻が精神的安定を取り戻し、共に生活していく中で、いつしか愛おしさが芽生え、幸せな家族の時間を過ごすようになる。

 

一方、アダを産んだ母羊“3115”は引き離された我が子を探し回る。

あるとき部屋からアダが居なくなり、イングヴァルとマリアが必死になって探し回ると山中に“3115”とアダの姿を発見する。

「あっちへ行け!」

母羊を強く威嚇するマリアだったが、「再び」我が子が連れ去られてしまうのではないかという恐怖心が湧き上がり、ある晩、“3115”を撃ち殺して土に埋めてしまう。

 

 

第二章

そんなある日、借金苦で行き場をなくしたぺトゥールが兄イングヴァルたちを頼って訪ね、しばらく家に逗留することになる。

しかししばらくぶりに再会した夫婦が半人半獣と生活する様子を目の当たりにしてショックを受け、「こどもじゃない、動物だ」とアダの存在を拒絶する。しかしイングヴァルは、アダは(それまでの憂鬱な)夫婦の人生を変える天に与えられた機会であると弟を説得しようとする。

ぺトゥールはアダを夫婦がおかしくなった元凶と考え、夫婦が寝ている隙に、アダを屋外へと連れだす。その手には猟銃が握られていた。銃を構えたぺトゥールだったが、夫婦の気持ちを考えたのか、無抵抗なアダを前にその決心は揺らぎ、共に帰宅することを選ぶ。

 

第三章

丘の上の墓所で拝むマリア。墓標には亡き子の名前として「アダ」と刻まれている。

ぺトゥールはすっかりアダの存在を受け入れて叔父らしく振舞うようになり、漁をしに2人で湖へと出掛けていく。親しくなった2人の様子に安堵したイングヴァルとマリアも、夫婦関係を回復していく。

ラクターが故障し、徒歩で帰宅するぺトゥールとアダ。その夜、大人たち3人は酒を飲みながらハンドボールの試合やぺトゥールのバンドマン時代のビデオを見て大はしゃぎする。

その間、アダが戸外へ出ると「なにか」に出会い、一緒に暮らしていた牧羊犬が殺されてしまう。アダは何を見たのか、何があったのかを夫婦に語ることはない。しかし部屋に戻ると鏡で自分の姿を見つめ、寝室に掛けてある「羊の群れ」の写真を凝視する。

 

イングヴァルが酔って眠りにつくと、ぺトゥールはマリアに肉体関係を迫ろうとする(かつて男女関係であったことが2章で示唆されている)。拒むマリアに「母親が殺されたことをアダは知っているのか」と投げかけるぺトゥール。マリアが母羊を殺した様子を密かに目撃していたのである。しかしマリアはその脅迫に応じるふりをしてぺトゥールを物置に閉じ込める。

一夜が明け、マリアはぺトゥールを起こして車でバス停へと送り届ける。ぺトゥールも自らが夫婦の亀裂となる存在であることを自覚し、謝罪こそ口には出さないが後悔の表情で「出発」を受け入れる。邪魔者がいなくなったことで再び「家族の時間」が過ごせると期待しているのか、帰路でのマリアの表情は明るい。

 

目覚めると妻と弟、牧羊犬までいなくなっていることに気付いたイングヴァルだったが、アダを連れ立って昨日故障したトラクターの修理に出掛ける。

入れ違いに帰宅して、家にイングヴァルとアダの姿がないことに気付くマリア。玄関先に戻るとどこぞより不穏な銃声が鳴り響く。

撃たれたのはイングヴァル、そして彼を撃ったのは得体のしれない、しかし他でもないアダと同じ姿をした「ラムマン」であった。ラムマンはアダの手を引き、イングヴァルは引き留めようとするも適わない。連れ去られていくアダは動けないイングヴァルの方を物悲し気に振り返る。

マリアは草丘に倒れた夫を見つけ、「アダはどこ?何があったの」と叫ぶが返事はない。ひとしきり慟哭し、振り返ってしばし一点を見つめ、「大丈夫、きっと大丈夫よ」と自分に言い聞かせながら夫の遺体を抱きしめる。

白くぼやけた背景の中、マリアがひとり佇んでいるエンディング。物思うように、あるいは何かを決意したように、深くため息をついて物語は幕を閉じる。

 

 

■感想

原題のDÝRIÐはアイスランド語で「動物」の意味。

監督が幼少期に祖父母の許で羊の親子に魅了されていたことと、アイスランドの民間伝承との融合により、2009年にショーンと共同執筆を始める際には何か「生き物」が念頭にあったという。しかし監督自身はどのようにその生き物が生まれたのかは分からないと語る。

 

何も知らず映画を見始めると、アダはイングヴァルと羊との間にできたこどもではないかと誤解してしまう。見終えると、父親は「ラムマン」であったことが明かされるが、彼はどこから来たのか、どこでどんな暮らしをしているのかは作中ではヴェールに包まれたままである。異形でありながら大自然の守護者、神話的存在のようでもある。

ラムマンについて、古代ギリシャ神話に登場する牧神パンとの共通点が指摘されている。パンはアルカディア(牧人の楽園、理想郷)の山岳地に住んだとされる山羊の頭と下半身を備える半人半獣の姿をした自然神で、多淫な性格とされ性質を同じくする群れを形成することができ、「羊飼いにマスターベーションを教えた」「月の神セレーネを誘惑した」等の逸話が残る。

古代ギリシャ・ローマの歴史を記した紀元1世紀の学者プルタルコスによれば、第2代ローマ皇帝ティベリウス・シーザーの治世に「偉大な神パンが死んだ」旨が報告されたと記されている。この報告について現代では、神話的古代秩序の崩壊とキリスト教的新秩序の到来と解釈される。つまりキリスト教的視座からすればパンは「最後の異教徒」とみなすこともできる。

ダフニスを誘惑するパン像

18~19世紀には西ヨーロッパのロマン主義運動(文学・音楽・絵画等で巻き起こった自然の理想化や「反近代」が特徴とされる、直感的な独創性を追求した運動)や20世紀のネオペイガニズム運動(キリスト教以前の、前近代的異教研究・復興の動き)の中で、パン神もリバイバルされ大きな位置を占めた。

象徴派詩人ステファヌ・マラルメが半獣神が森でニンフたちと出会う場面を官能的かつ陶酔的に著した『半獣神の午後』(1876)、この詩に影響を受けたクロード・ドビュッシー管弦楽『牧神の午後』、この曲にバレエのシナリオを演出したヴァツラフ・ニジンスキーの作品は広く知られている。

 

主演のラパスによれば、ディレクターの多くはキャストにまずキャラクターの心理的・感情的視点から伝えようとするが、ヨハンソン監督のやり方はビジュアルから入るという。脚本に取り掛かる前に監督はラパスとビジョンを共有するため、子羊の頭を持った人間のこどものハイブリッドをスケッチして見せ、浮かんだビジョンをつなぎ合わせてストーリーの筋を組み立てていった。

制作段階でアダのコンセプトも当初想定したものとは変わっていった。

「彼女は話したり、もっとたくさんのことをしたりしていましたが、それがアダについての映画ではないことは明白でした。結局、彼女から多くのことを取り除いていき、そしてそれがどういう訳か、彼女の存在をより強くし、物語ははるかに良いものになりました」

ラパスも、アダのキャラクターがあまりないことで観客が「彼女」の余白を埋める効果を期待している。可愛らしいと感じる人もいれば、薄気味悪いと感じる人もいるでしょう、と。また撮影について、過去に子どもや動物と仕事をしたときの感触は好ましくなかったが、本作ではむしろ自分が何か大きなものの一部であるかのように思え、非言語的なリズムの中に没入していったと振り返っている。花冠を捧げるシーンではお互いの呼吸が合い、意思疎通ができているかのような魔法の感覚にあったという。

 

「それはまるでラブストーリーや夏の羽ばたきのようなものです。秋になると終わります」

ラパスは、マリアたちがアダと過ごした短い幸せを「借り物の時間」と表現する。自然の意志に逆らうことに躊躇しなかったマリアは、いつかその報いを受けること、その短い幸せに終わりが来ることを予感していた。だからこそマリアは夫の死体を抱えて遠く一点を見つめながら、以前のように愛するアダを探し出そうとは、夫の命を奪った何者かを追いかけようとはしない。ラスト・シーケンスは「マリアが生き返り、目覚めるまでの時間」だったのだと述べている。

 

本作は、俯瞰的に見れば禁忌を侵したことによる自然界の「業」を描くネイチャー・ホラーであり、人物に焦点を当てればマリアの「2度の喪失」の物語である。「1人目のアダ」の喪失によって、マリアはトラウマを抱え、ある種の精神的な混乱が「2人目のアダ」へとつながっていく。しかしラパスの見解を踏まえれば、いつのことかははっきりしないが「1人目のアダ」喪失からマリアはずっと精神的不調和の状態で生きてきたことになる。

その名の通り、マリアは聖母マリアを表しており、クリスマスに誕生した奇跡の子アダはキリストに由来する。古代ユダヤ教の習慣において「小羊」は生贄である(過越の小羊)ことから、キリストは人間の罪に対する贖いの存在として「神の子羊」と表現される。ヨハネによる福音書1:29では「Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.(世の罪を除き給う天主の子羊、われらを憐れみ給え)」と祈祷され、ヤン・ファン・エイクによるヘントの祭壇画では、視覚的表象として使徒らに拝まれるキリストを子羊の姿で描かれている。

ぺトゥールが湖上の舟で「水上を歩く子羊」の詩を語り聞かせる場面があるが、ぺトゥールは「信仰の薄い人」ペテロを表している(マタイによる福音書14:27、マルコによる福音書6:48)。12使徒たちが湖の舟上で嵐に見舞われた際、イエスは湖上を歩き「安心しなさい」と語りかけるが、幻かと疑ったペテロは「主よ、あなたでしたら水上を歩いてそちらへ行くように命令してください」と訴える。イエスが湖を歩いて来るように命じ、ペテロは従って近づこうとするが暴風によって一抹の不安が生じ、溺れかける。イエスはペテロの手を取り「信仰の少ない人よ、なぜ疑いに負けたのか」と諭す。信仰の厚い者にとっては湖上を歩くことも、羊頭のこどもを授かることも「奇跡」として現実のものとなる。

 

余談だが中国題の『羊懼』が中国語で「男性器」を意味する「陽具」と同じ発音であることからネットミームとして拡散され、一部にはフロイト理論のエディプスコンプレックスに係わるPenis Envy(男性器羨望)の主張と絡めた考察もなされたという。

フロイトによれば、女性は発達段階で男根の欠如(去勢)を認識し、女性性(母親)への憎悪や価値低下、クリトリスへの諦めと膣性交による受動性の容認を経て、陰茎への羨望を出産への願いに変えるものとした。配給サイドが意図して陰茎とのダブルミーニングを用いたとは到底考えにくいが、映画の見方としては興味深いものがある。

牧歌的と表現するにはあまりに荒涼とした、物質的にミニマムでミニマルな暮らしが想像される僻地において、人間であっても「筋力に優れた牡」と「仔を産む牝」というような生物的な性差がより鮮明になる環境といえるだろう。

 

母羊のナンバリング“3115”は、旧約聖書・三大預言書のひとつエレミヤ書31:15を指している。

 15 主はこう仰おおせられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞こえる。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」

引き離された我が子を探し、喚いていた母羊“3115”は、子を失ってからのマリア自身の姿でもある。続くエレミヤ書31:16では映画のその後の展開が示されている。

16 主はこう仰おおせられる、「あなたは泣く声をとどめ、目から涙をながすことをやめよ。あなたのわざに報いがある。彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。

はたして2度の喪失を受けたマリアは、それからどうしたものかは観客の想像に委ねられている。アダを失い、夫さえ失ってしまったマリア。頼る者もない厳しい環境で以前のような生活を続けるのは困難に思え、夫婦の侵した禁忌を共有するぺトゥールのもとに身を寄せるのが、経緯としては妥当にも思える。

だがマリアは(二者択一という訳ではないにせよ)過去にぺトゥールではなくイングヴァルとの結婚を選んでおり、現在のぺトゥールへの未練はないようにも見える。彼女が結果的に夫と2人のアダを失うことになった経緯を踏まえれば、もはや結婚という方法を選ばないことも充分に考えられる。現実的に見れば別天地での再スタートの方が甲斐性なしとの復縁よりは賢明といえるかもしれない。

しかしエンディングで何かを決意したかのようなその女の胸中は、この地に残り、アダの奪還を期する覚悟を決めたかのように見えなくもない。ヴァルディミール監督がどこまでエレミヤ書との符合を意図しているかは分からないが、続く31:17にはこう記されている。

17 あなたの将来には希望があり、あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると主は言われる