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気になる事件と考えごと

佐賀女性7人連続殺人事件【水曜日の絞殺魔】

1975年から89年の間に佐賀県で発生し、同一のシリアルキラーによる犯行も疑われる7つの誘拐殺人、いわゆる“佐賀女性7人連続殺人事件”について記す。

すでに公訴時効により4件がコールドケースとなったが、7件の連続性についても考えてみたい。長い期間をかけて狭い地域で繰り返されてきた犯行と考えると、北関東連続幼女誘拐殺人事件とも重なるものがある。

 

7つの殺人事件を結び付ける共通点として、被害者が全員女性金品狙いではないこと、佐賀市を中心として半径20キロの狭い範囲で発生していること、被害者たちが行方不明となった日時が1件を除いて「水曜の夕方から夜」にかけてであること、死因不明の3件を除き「絞殺か扼殺による窒息死」であることが挙げられる。こうした特徴から犯人について“水曜日の絞殺魔という呼称も存在する。

 下の地図の「紫マーク」は行方不明になったと思われる地点、「橙色マーク」は遺棄された現場付近のおおよその位置関係を示したもの(正確な位置を示すものではない)。

 

■概要

ここでは遺体の発見時期ではなく行方不明となった順に、事件①~⑦、人物A~Gと表記する。

 

①1975(昭和50)年8月27日、杵島(きしま)郡北方町大渡在住の中学生Aさん(12)が自宅から失踪。28日0時半頃に母親が勤め先から帰宅すると、Aさんの姿はなく、電気やテレビは点けっぱなしの状態で布団が敷いてあった。80年6月27日、須古小学校プール横トイレの便槽内から白骨化した遺体となって発見された。死因は不明。

Aさんは母娘2人暮らし。普段は母親がAさんを学校まで迎えに行き、勤め先のスナックの控え室で勉強させ、仕事を終えると一緒に帰るという生活を送っていた。

失踪当日は夏休みの宿題をするために偶々自宅に居り、母親が出勤後も友人を招いて遊んだりして過ごしていた。友人は19時頃に帰宅し、その後、Aさんの行方が分からなくなった。自宅は物色された様子もなく、金品などが奪われた形跡はなかった。

プール開きに先駆けて80年6月18日に衛生作業員が汲み取りを行っていたが、その際に「便槽内に石がいっぱい詰まっていた」と学校側に話していた。プール横トイレは、山の斜面に接しておりバキュームカーが横付けできない立地だったため、2年に1度、便槽の蓋を開けずに便器側から汲み取り作業を行っていた。校内で先に発見された②Bさんの遺留品捜索の際、教頭は捜査員にその話を伝えた。汲み取り口の蓋を開けて確認すると、遺体の上に約30個の石(「大小100個」とも)が敷きつめられた状態でその下に遺体が発見された。失踪時と同じ着衣だとして、Aさんの母親により本人と確認された。

 

②1980年4月12日、杵島郡大町町(おおまちちょう)福母在住の飲食店アルバイト従業員Bさん(20)が一人で留守番していた自宅から行方が分からなくなった。同年6月24日16時頃、自宅から約5キロ離れた須古小学校の北側校舎にある低学年トイレの汲み取り作業中に便槽から全裸の遺体で発見された。

Bさんは6人家族だったが、弟は県外で働いており、父親は建設作業の事故により入院中、母親はその付き添いで家を空けており、姉と妹は知人宅に外泊に出ていたため、家には偶々Bさん一人だった。履物は残されており愛用のネグリジェがなくなっていたことから、23時30分頃には勤務先から帰宅し、就寝の前後に何者かに連れ去られたと考えられた。その後の調べで3月末に購入したばかりの腕時計がなくなっていたことも判明した。

Bさんは明るく真面目で勤務態度は良好。だが店の雑記帳に「考えることすらあの人のことばかり」という文言を書き残すなど恋愛関係で悩みを抱えていた節があったという。過去には睡眠薬による自殺未遂を2度繰り返し、「20歳の誕生日に自殺する」と周囲に話したこともあった。

失踪直後の16日頃には自宅に「娘ハ帰ラナイダロウ」「苦シメ」といった文言の手紙が父親宛に届き、若い男性の声で「人探しのテレビに出るな」といった脅迫電話も数回掛かってきた。

遺体は①より②の方が先に発見されている。肺に異物は含まれていなかったことから殺害後に便槽内に遺棄されたと見られた。死後20~60日程度は経過したものと見られ、腐乱状態で顔は判別できず、指紋から行方不明中のBさんと判明。死因は特定されなかったが目立った外傷はなく、絞殺の可能性が指摘されている。

一方で、27日の捜査によれば、便槽付近に血液反応は検出されなかったものの、プールの男子更衣室の床と壁から多量のルミノール反応が確認された。しかし当時の鑑定技術のためか、血液反応と被害者らとの関連は明らかにされていない。

業者によれば前回の作業は4月21日で、そのとき槽内に異常は確認されなかった。また6月10日の大掃除の際、便槽付近で児童が両手に一握りずつの「赤い髪の毛」を発見しており、便槽の蓋にも同様の髪の毛が付着しており、その後の調べで共にBさんの毛髪と確認された。

①②については大町署、白石署による合同捜査本部が設置された。7つの事件の内、本件のみ被害者は水曜日ではなく土曜日に失踪している。

 

③1981年10月7日、杵島郡白石町東郷在住の縫製工場勤務Cさん(27)が、退社後の17時30分頃に近くのスーパー駐車場で赤茶色の車に乗った30代と思しき男性と親し気に話している姿を同僚に目撃されたのを最後に失踪した。同月21日、最後の目撃地点から約40キロ離れた三養基(みやき)郡中原(なかばる)町の空き地で、首に電気コードを四重に撒かれた絞殺遺体で発見された。

Cさんが勤めていた縫製工場は、現在のJR北方駅西側、住所で言うと北方町志久である。発見現場は柵がされており、容易に侵入できる場所ではなかったとされる。遺体はネーム入りの作業着姿のままで、腐乱が進行していたが着衣の乱れはなかった。

Cさんは行方不明となる前に連日欠勤しており、5~6日間の行動が分かっていない。会社には「母親の看病のため」と説明されていた。

 

④1982年2月17日、三養基郡北茂安町白壁在住の小学生Dさん(11)が、下校途中の16時20分過ぎに友達と別れたあと行方が分からなくなった。心配した家族は20時40分頃に警察に届け出、翌18日朝から消防団員ら150人が約3キロの通学路を重点的に捜索し、正午前に北茂中学校体育館北側のミカン畑で、ランドセルを背負ったままストッキングで絞殺された遺体となって発見された。③発見現場の空き地から約2キロ。

Dさんの通学路はおよそ3キロほどの区間で、民家のまばらな丘陵地を通るルート。友人とは学校近くで別れていた。発見現場は自宅と小学校のちょうど中間地点だった。遺体はうつ伏せ、下半身は裸で性的暴行が目的だったと考えられている。

近隣では白い車に乗った30代から40代の不審者が主婦や女児に声を掛けていたとされる情報が複数寄せられた。主婦が北茂安町内のバス停で待機していると「乗っていかんですか」と声を掛け、しつこかったため警察を呼びますよ(大きい声出しますよ、とも)と断ったところ睨みつけて去って行った。鼻筋の通った目のきつい細面の男だとされる。

14時30分頃、バス停から約5キロ離れた小学校付近で白い車に乗った男が「ピンクレディーの写真を見せてあげる」と下校途中の女児に声を掛け、女子便所に連れ込もうとして大声で泣かれたため退散した事案が発生していた。

15時10分頃、北茂安町で女子中学生2人に声掛け、15時30分頃には女子小学生3人に「家まで送る」といった声掛け事案が報告されている。

行方不明から2日後の19日、北茂安町、学校、保健所に宛てて、誘拐を示唆する手紙が届いたとする情報もある。犯人が殺害当夜か翌朝にも投函していなければ間に合わないものと思われるが真偽は分からない。

 

④の事件から7年後となる1989年1月27日18時前、北方町大峠(現在は志久に編入)で近隣の主婦(55)が花を摘もうと車を降りると、崖下に⑦の遺体を発見して警察に通報。捜査を始めると、わずか1~2メートルの間隔を置いて死亡時期や状態の異なる⑥、⑤の遺体も発見された。付近に下着などが点々と遺棄されていたが、他の遺留品は不法投棄に紛れてしまい発見できなかった。

⑤~⑦については発見場所の地名から「北方事件」とも呼ばれ、この3件について2002年に容疑者が逮捕・起訴された。

⑤1987年7月8日、武雄市武雄町富岡在住の飲食店従業員Eさん(48)が退勤後に同僚と温泉街のスナックで飲み、近くの西浦通りで別れた21時30分以降、自宅までの約1キロの間で失踪。Eさんは同僚にもう一軒行こうと誘っていたが、同僚は電車の時刻があると言って断っていた。89年1月27日、北方町大峠の雑木林で白骨遺体となって発見された。死因は不明。

9日0時を過ぎても帰宅しない妻を心配して夫は、こどもや同じ勤め先だったEさんの姉、Eさんの同僚ら、心当たりに連絡を取ったが行方は分からず。勤務先までの徒歩5分ほどの経路を探し回ったが見つけられず、捜索願を提出した。

1年半後に発見された白骨遺体は歯型によってEさんと判明した。

 

⑥1988年12月7日、杵島郡北方町志久在住の主婦Fさん(50)が、夕食後の19時20分頃、「ミニバレーボールの練習に行く」と言って700メートルほど離れたスポーツセンターに徒歩で向かったまま失踪。89年1月27日、北方町大峠の雑木林で腐乱状態で発見された。死因は扼殺。

郵便局に勤める夫と3人の娘が居り、長女は嫁いで夫と同じ郵便局で働いていた。そのため、勤務時間中はFさんが長女の子どもの面倒を見ていた。

19時過ぎに次女が仕事の休憩時間に一時帰宅すると、Fさんは食事を終えてバレーの練習に行く支度をしていた。普段はバレー仲間と2人で練習に通っていたが、この日は友人が休んだため偶々一人で向かった。次女が仕事を終えて22時50分頃に帰宅すると、Fさんの姿はなく、あまりに遅いため問い合わせたところ、Fさんが練習に来ていなかったことが判明。家族で探しに出るが見当たらず、翌8日2時過ぎに捜索願を提出。

失踪から1週間後の昼間、自宅に不審電話が入る。夫が電話口に出ると、中年男性の声で「奥さん見つかったそうですね」と言われ、どこで見つかったのかと尋ねると「焼米(やきごめ)の方」と近くの地名を答えた。男性の名前を聞こうとすると「あんたの知った人間だ」と言って通話は途切れた。電話は録音されており、佐賀弁に関西弁が混じっていたとされ、その後も自宅や夫の勤め先には無言電話が数十件も続いた。

その後、北方中学校付近を車で通りがかった人物から、19時30分頃にFさんらしき人物と自転車を降りた様子の30~40歳くらいの女性が立ち話をしていたとの目撃情報もあった。

スポーツセンターから遺体発見現場まで約3キロ。発見された遺体は腐敗が進んでおり、胃の内容物が未消化のままであったこと等から、出掛けた直後に殺害されたものと推定されており、頸部に皮下出血と筋肉内出血、骨折が認められたため死因は扼殺とされた。また練習に持参したバッグや運動靴は見つかっているが、常用していた眼鏡は発見されなかった。

 

⑦1989年1月25日、杵島郡北方町大崎在住の縫製工場勤務Gさん(37)は19時頃に帰宅して長男、実母と夕食をとっていたが、19時20分頃に電話で呼び出された。食事を済ませると、作業着から白のカーディガンとスカートに着替え、身支度をして軽自動車で外出。武雄市内にあるボウリング場駐車場に車を残したまま行方が分からなくなった。89年1月27日、北方町大峠の雑木林で遺体となって発見。死因は扼殺。

Gさんは③Cさんと同じ北方町志久にある縫製工場に勤めており、前年から夫と別居して長男を連れて実家に戻っていた。電話に出たGさんは「今どこにいるの」などと話し、20秒ほどで通話を切った。家族には「友達の車がパンクした。山内町まで送ってくる」と言い残していた。

失踪の翌朝となる26日8時頃、登校途中の小学生がGさんのショルダーバッグを発見。翌27日9時頃に祖母が駐在に届けた。財布の中身はほとんど空の状態で、軽自動車の鍵も入っていた。遺体発見から約1時間後、Gさんの自宅から約3キロ離れた高雄市内のボウリング場でGさんの軽自動車が発見される。施錠されており、車内に乱れはなかった。白色のトヨタ・クレスタが駐車場に来てGさんが助手席に乗った、との目撃情報もあった。

遺棄現場周辺2キロ圏内で、Gさんの化粧品店ショッピングカードやメモ帳、商品券、運転免許証入れ(現金4500円が入ったまま)など、バッグから持ち去られたとみられる所持品が見つかったが、犯人の指紋は採取されなかった。

行方不明当時と同じ服装で発見されており、胃の内容物から食後約1時間以内に死亡したものとされた。また体や下着に付着したO型の精液も検出されており、外出した当日ではなく、前日に付着したものと推定された。衣類に付着した唾液のDNA型が後の容疑者逮捕の決め手とされる。

 

 

■重要参考人U

①②の遺体発見から半年後の1981年3月12日、重要参考人として浮上していた武雄市在住の農業Uさん(当時29)が3年前に起こした暴行事件で逮捕される。

UさんはBさんが行方不明となる以前からBさんの姉と交際していた。結婚を考えていたがBさんの家族からは反対されていたという。UさんはBさんの勤める喫茶店にもよく出入りしていた。一方でBさんが店の電話から若い男性に電話を掛けることもあったとされる。店の雑記帳にBさんが恋愛に悩んでいるような文言が記されており、Uさんについて姉とBさんとの二股交際も噂されていた。

またAさんの母親が勤めるクラブにも繁く通っていた。両事件では土地勘があり、両者とも屋内で抵抗した痕跡などがなかったことから「2人に面識のある人物」が犯人像とされており、日頃から素行不良とされていたUさんが別件逮捕での追及を受けることとなった。

Uさんは須古小学校の出身で、自宅も程近い場所にあった。Bさんの失踪当日4月12日は23時頃まで佐賀市内のバーで酒を飲んだ後、朝方帰宅したという不明瞭なアリバイだった。

Uさんは別件の暴行容疑については認めたものの、Bさん殺害については関与を否定。家宅捜索により「娘ハ帰ラナイダロウ」の手紙と同じ便箋を発見し、筆跡鑑定によって脅迫の容疑で逮捕したが、Uさんは否認を続けた。県警はUさんの交友関係も次々と逮捕して情報を引き出そうとしたが、事件に直接つながる証拠は得られることなく、Uさんへの追及は打ち切られたとされる。

①から④の事件については、一度も起訴されることなく公訴時効が成立した。

 

■容疑者M

1989(平成1)年11月、覚せい剤取締法違反で服役中のMさん(当時26)が任意の取り調べに対し、⑤~⑦のいわゆる北方事件について犯行を認める供述を行い上申書が作成される。しかしMは直後に否認に転じた。

Mさんは84年7月20日に窃盗・覚せい剤使用の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けたあと、北方町の実家に戻って農業手伝いをし、12月から鹿島市生コンクリート輸送の運転手の職に就いた。85年頃には覚せい剤使用を再開し、86年に結婚。実家で母親、妹、嫁と4人で暮らしていたが、浮気やDVがあったとされる。87年10月、覚せい剤使用で再び逮捕、12月に懲役1年2か月の実刑判決を受け、服役した(88年3月に妻と離婚)。

88年9月に仮出所し、再び運輸ドライバーの職を再開。12月初旬、⑦Gさんが嫁ぎ先から北方町大崎の実家に戻っていることを知り、連絡を取った。Gさんは12月から89年1月にかけて19時頃に電話を受けて、しばしば外出するようになった。Gさんは一緒に住む母親らには事情を語らなかったが、妹にはMさんとの交際関係を打ち明けていた。

公訴時効が迫った2002年6月、佐賀県警は鹿児島刑務所に服役中のMを⑦Gさん殺害の容疑で逮捕。7月2日に⑤Eさん殺害容疑、9日に⑥Fさん殺害容疑で再逮捕。

同02年10月に佐賀地裁で公判が開始され、検察側は死刑を求刑。しかしM被告による犯行を裏付ける物証の乏しさ、さらに上申書は限度を超えた取調べ(平均12時間35分の取調べが17日間連続で行われていた)での取調官による誘導と強制によって作成された違法収集証拠であり、任意性にも疑いがあるとして証拠能力を否定。05年5月、無罪判決が下される。 

2007年3月、福岡高裁(正木勝彦裁判長)で行われた二審において、検察側は被告の車内にあった写真の付着物から検出したミトコンドリアDNAが⑥Fさんのものと一致したとの鑑定結果を提出し、状況証拠から殺害があったと主張。弁護側はミトコンドリアDNA鑑定では「同じ型を持つ人は20人以上おり、(被害者)女性の特定にはつながらない」と反論。有罪とする根拠たりえず、一審同様に無罪と判断され控訴棄却。4月2日、検察側は上告を断念し、Mさんの無罪が確定した。

初動捜査のミスや自白頼みの捜査体質、さらに遺体から採取した証拠品の紛失などが明らかとなった県警は、「判決を真摯に受け止める」としながらも捜査については「適正だった」「また県民が安心して暮らせるよう捜査を尽くした」と説明。却って市民の不安を打ち消せないままに捜査終結という最悪の結末を迎えた。

 

■DNA型鑑定と冤罪、足利事件飯塚事件

1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店から4歳女児が攫われ、近くを流れる渡良瀬川河川敷で翌朝遺体となって発見された。「子ども好きの独身男性」というプロファイリングから園児の送迎バス運転手をしていた菅家利和さん(事件当時43)に疑惑が向けられ、91年12月、違法採取された体液のDNA型が被害者の下着に付着していたものと一致したとして逮捕された。

菅家さんは実刑判決を受け服役生活を余儀なくされたが、支援者らの働きかけにより、2009年5月にDNA型の再鑑定への道が開かれ、その結果、2010年3月、再審無罪が確定した。再審開始前の2009年6月、伊藤鉄男次長検事が「真犯人と思われない人を起訴、服役させ、大変申し訳ない」と無実を前提とした異例の謝罪を行った。女児殺害の真犯人逮捕には至らず公訴時効が成立した。

足利事件の背景として注目されるのは、DNA型鑑定技術の未熟さと技術導入のために「結果・実績」が求められていたことと、その実績を打ち消さないために長らく再鑑定が忌避されてきたことである。当時の鑑定法は「MCT118型」検査という1989年ごろに導入されたもので、その精度は「1000分の1.2」の確率で他人と一致する可能性があるものだった。また読み取りに修練が必要なことから鑑定人によって異なる結果が導かれかねない不安定な手法だった。当時の見込み捜査の誤り、犯行の実証的な裏付けではなく自白ありきの捜査体制と虚偽供述の強要、捏造の有無については明らかではないものの「科学捜査」偏重によって生み出された冤罪である。尚、現在では「MCT118型」検査の導入は時期尚早だったと評されている。

2003年、血液や汗、皮脂から検出される塩基配列の繰り返しが個人によって異なることから、4個の塩基配列を基本単位とする「STR型」の鑑定法へと切り替わり、自動分析装置フラグメントアナライザー導入により「1100万人に1人」まで精度を向上させた。06年以降は「約4兆7千億分の1」の出現頻度で個人識別が可能となる。さらに2019年には新たな検査試薬が導入されたことで飛躍的に精度が向上し、「565京分の1」という確率で個人を識別できる(2019年2月28日、日経)。

DNA型鑑定導入開始から20年間でその精度そのものは飛躍的に向上されており、遺留DNA型からの事件解決も着々と進められている。その一方で、和歌山毒物カレー事件の冤罪疑惑でも取り沙汰されている通り(こちらはDNA型鑑定ではないが)、人的な過誤や科学捜査による冤罪被害に結び付けられないようDNA型採取やその運用により一層の留意が必要となる。「565京分の1」の確率で犯人だという鑑定結果を示されてしまえば、一般人にはそれを覆す術はないに等しい。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年生2人が登校中に行方不明となり、翌日隣接する甘木市で強姦遺体で発見された。被害者の失踪現場や遺留品が見つかった山間部での「ワゴン車」の目撃情報から福岡県内で127台が該当車両とされ、94年6月、近くに住み、該当ワゴン車の一台を所有していた久間三千年が逮捕される。

一貫して犯行を否認したが、車の目撃証言のほか、被害者に付着していた繊維痕が被告人の車両のシートと酷似していたこと、被害者は失禁しており被告人車両シートに尿痕があったこと、犯人に陰茎出血があり被告人の病状に一致していること、被害者に付着していた犯人の血液型、DNA型が被告人と同一のものと認定され、99年9月に福岡地裁は死刑判決を下した。2001年10月、福岡高裁は控訴棄却、06年9月に最高裁は上告を棄却し、久間の死刑が確定した。

この事件でも「MCT118型」のDNA型鑑定が用いられ、科警研の担当者も足利事件とほぼ同様のメンバーであったことや、目撃証言の不審さなどから、「東の足利、西の飯塚」と冤罪疑惑が取り沙汰されている。

2007年1月以降、(当時)日本テレビ報道部・清水潔氏が中心となって特別番組『ACTION』、『バンキシャ!』などで、1979年以降に群馬・栃木県境で発生したいわゆる北関東連続幼女誘拐殺人事件の再検証キャンペーン報道を張り、足利事件で逮捕された菅家さんの冤罪とDNA型再鑑定の必要性を訴えた。2008年10月17日、足利事件で再鑑定実施の見通しが発表。しかしその1週間後となる24日、森英介法相が死刑執行を命令し、28日、判決確定から約2年で久間の死刑が執行された。

法的には判決確定後、執行までの期間は(心神喪失者や懐胎中の場合を除き)「6か月以内」と規定されており、その裁量は法務大臣にある。一方で、現実には「6か月以内」に刑が執行されることは極めてまれで、死刑確定から執行まで平均すると5~10年程度であり、執行の遅れに対する批判もある。また再審請求中であっても死刑執行をしないという考え方ではない。

しかし、冤罪の懸念もあり、マスコミによる大々的な冤罪報道で「MCT118型」DNA鑑定の問題点が明らかとなりつつあった渦中で、飯塚事件の執行が行われたことについて日本弁護士連合会は「異例の早さ」との表現を用い、「本件の問題点を覆い隠すための死刑執行ではないかとの疑問が指摘されています」と疑義を呈している。

「北方事件」でMさんが(再)逮捕されたのが2002年6月。上の両事件と同じように虚偽供述を強要されていたが、DNA型鑑定の進歩によって当時の技術の拙さが示されるかたちで、公判により紙一重のところで冤罪が回避されたことになる。

 

■便槽と事件

現代では下水道処理が人口の約80パーセントにまで普及し、「便槽」そのものに馴染みがない世代や地域も多くなったが、はじめの事件が起きた1975(昭和50)年で下水道の人口普及率は23パーセント、1985(昭和60)年で36パーセントであるから汲み取り式便所はまだまだ多かった時代である。便槽や浄化槽は定期的に汲み取り作業が行われるものの日頃から好んで中を検めることもなく基本的には人目に付きづらい。そのため多くの事件で「死体遺棄の現場」とされ、現在でも嬰児遺棄事件などの現場となることが多い。

1974年に兵庫県の知的障碍者施設で発生した甲山事件では、3月17日夕方、19日夕方と男女2人の園児(ともに12歳)が立て続けに行方不明となり、19日夜に施設の浄化槽内でともに溺死体となって発見された。現場状況や蓋の重さが17キロあったことなどから内部犯による殺人事件との見方が強く、勤務状況や園児の証言、遺体発見時や葬儀での取り乱した様子から22歳の女性保育士に容疑が掛けられ、98年3月まで冤罪を争うこととなった。全容は解明されていないが、園児らが蓋を開けて遊んでいた際の落下事故との見方もある。

1989年に発生した福島女性教員宅便槽内怪死事件では、2月末の4.9度という寒空に26歳の成人男性が半裸姿で直径36センチの狭い便槽の中にすっぽりと収まっていた。死後2日程経っており、死因は圧迫による呼吸困難および凍死とされ、覗き目的で自ら侵入したものとされたが、その後も真相究明を求める声は大きかった。第三者による強制を疑うものや原発利権との関係までも取り沙汰されたが真相は闇の中である。

事件性は薄いとされるが、2010年5月には新潟県上越市の公園にある公衆トイレの便槽内で、5月4日から行方不明となっていた同市・男性(42)が遺体となって発見されている。司法解剖の結果、死因は溺死や酸欠による呼吸機能障害。男性は身長170センチ、マンホールの直径は約35センチ、深さ約1.5メートルと小さく、外傷や着衣の乱れなどもなかったことから自発的に入った可能性が高いと決着された。19日11時15分頃、汲み取り業者が作業中に遺体を発見。作業は前年8月以来だった。

2015年12月、愛知県新城市で起きた一人暮らしの女性(71)を襲った事件では、住所不定・無職男性(40)が顔面を複数回殴るなどの暴行を加えて死亡させ、内縁関係の女性(42)と共謀して、被害者宅から150メートル離れた廃屋の便槽内に遺棄。16年1~3月にかけて被害者名義のキャッシュカードで現金約17万6000円を引き出していた。16年10月、白骨遺体となって発見された。

今や都市部ではほとんど姿を消したように思うが、人の暮らしあるところに便槽はあり、「遺体を隠す」場所としては決して突飛な発想ではない。しかし排泄物の貯め置き施設であることからも、被害者を人とも思わぬ非情さ、ときに凌辱せしめんとする冷酷さを感じさせるものがある。

 

■性犯罪か否か

上記7件について殺人犯による明らかな性的暴行の痕跡が残されていたのは、④Dさん(11)のみであり、⑦Gさんは性交渉の痕跡はあったものの当時の交際相手Mのものであり殺害との直接的関連を示すものとは言えない。②Bさんも衣類は剥がされていたものの暴行については明らかにされてはいない。遺体の多くが腐敗や白骨化によって検証不可能だった側面もあるが、殺害の動機として性的欲動があったのか否かは大部分が判然としていないのである。

性犯罪について考える際にネックとなるのが、我々自身の性指向である。7件を同一犯と想定したとき、一般的な性情と照らし合わせると、下は11歳から上は50歳という対象年齢は同一人物の性嗜好としては「幅が広い」印象を受ける。

また自らの性指向との非対照性から、幼女を対象とした犯罪者を即ち小児性愛者と決めつけたり、高齢女性への性的暴行と聞けば「犯人はそういった嗜好の持ち主なのだ」と考えがちである。しかし、数多ある学校教諭による児童への性的虐待、老人介護施設での高齢者への性的虐待は加害者生来の気質だけでなく、肉体的に抵抗力が低い対象で己の肉欲を満たそうとする「代替的な手段」である場合が多い。下の記事のように、高齢女性が好みというより「身近な弱者」を標的とすることが第一の背景と言えるだろう。

www.afpbb.com

news.yahoo.co.jp

被害者の年齢層が広い性的暴行目的の事件として思い浮かぶのは、1986~91年にかけて韓国・華城(ファソン)で発生した連続殺人事件である。13~71歳の女性10人が強姦され絞殺された。2006年に公訴時効15年(当時)が成立してコールドケースとなっていたが、2019年、重要未解決事件捜査チームが最新のDNA鑑定技術を華城事件に導入。その結果、94年に妻の妹(20)を暴行して絞殺した罪で釜山刑務所で無期懲役囚となっていたイ・チュンジェのDNA型と一致したことが判明した。イはその後の調べに対し華城事件に加え、4件の殺人、30件余りの性的暴行を自白。しかし時効の壁により、量刑は変わらず無期懲役とされた。

bunshun.jp

衝撃の真犯人判明によって、「華城8件目の犯人」とされ20年間に渡って投獄されていたユン・ソンヨさんの無罪が確定するとともに、韓国警察による失態、検察による冤罪の実態も明らかとなった。真相を告白したイ受刑囚は「証拠隠滅もしなかったのですぐに警察が来るだろうと思っていたら来なかった。どうして捜査線上に自分の名前が挙がらないのか不思議だった」と振り返る。3回の尋問を受けていたが、警察側では「血液型が不一致」として追及を免れていたとされる。

冤罪が晴れたユンさんは自分が逮捕されることになった理由として「カネも後ろ盾もなく、力もなく無学だから、警察は目を付けたのではないか」と語った。見込み捜査の誤りがその後も真犯人を野放しにし、さらには冤罪をも生み出してしまった最悪のケースである。

 

国内の連続強姦殺人との相似は見られるだろうか。

1945~46年に東京近郊で食料提供や就職斡旋を持ちかけて山林に誘い出し強姦殺人に及んだ小平義雄は40歳前後のときに17~31歳の女性7人を手に掛けた。

1971年、大久保清は36歳のとき、ベレー帽にルパシカ姿の画家を装って真新しいマツダ・クーペで群馬県内を駆け回り、僅か2カ月足らずの間に150人近くの女性をナンパ、うち30人近くが乗車したと言い、10数人と関係を持った。16~21歳の女性8人を殺害し、遺体を造成地等に埋めていた。

2017年8月から10月にかけて神奈川県座間市のアパートで白石隆浩(逮捕当時27)も殺害した9人のうち1人は男性(行方不明となった女性を探しに来たため発覚をおそれて殺害)だったが、金銭目的と性欲の捌け口として15~26歳の自殺志願女性を標的とし、SNSでコンタクトをとって自宅に招き、酒や睡眠薬などで昏睡させ絞殺。独力で解体し、一部を可燃ゴミとして処理し、残った骨などを収納コンテナに詰めて部屋に保管していた。

上の三者は自分より若年の20歳代前後の女性を標的としていた。以下では、とくに幼女を標的とした事案についても手短に触れておく。

1979年以降、群馬県、栃木県の県境近辺で断続的に発生した北関東連続幼女誘拐事件では犯人は未だ捕まっていないが、4~8歳の女児4人(ないし5人)が標的になったと考えられており、渡良瀬川周辺に遺棄した。

1988~89年に相次いで発生した東京埼玉連続幼女誘拐事件では当時26歳の宮崎勤が4~7歳の幼女ばかりを狙う卑劣な犯行を繰り返した。その後の精神鑑定によって宮崎は精神分裂病統合失調症)の疑いや人格障害解離性同一性障害)が認められた。小児性愛者や死体性愛(死姦の様子をビデオ撮影していた)の疑いもあったが、本質的な性倒錯ではなく、「成人女性の代替」として女児を対象としたと指摘されている。

2017年に千葉県松戸市で発生した女児殺害事件では、保護者会元会長男性(逮捕当時46、2021年9月現在上告中)がベトナム国籍の9歳女児にわいせつ目的で誘拐殺害した疑いがもたれている。男性は東南アジア系の女性が好みだったとされ、周囲に「若ければ若いほどいい」などとも話していた。遺体は利根川付近に遺棄された。松戸から利根川を跨いで約20キロ離れた茨城県取手市で2002年に発生したフィリピン国籍の小3女児行方不明事件についての関連も取り沙汰されている。

2004年11月に奈良で発生した小1女児殺害の小林薫(事件当時35)、2018年5月に新潟市で発生した小2女児殺害の罪に問われている元会社員(事件当時25)らは過去に同様の前科があり小児性愛者と推定されている。

 

■関連と犯人像

佐賀の事件に戻ろう。下は各事件に符合する(と考えられる)特徴を色づけした簡易表である。遺棄現場の状況から⑤⑥⑦の北方事件が同一犯によるものとする見方には異論はないかと思う。

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①被害者の失踪は1975年8月、遺体は山の斜面に接するプール脇便槽にあり、槽内の遺体の上には大量の石が積まれていた。石を載せたのはなぜか。便槽を上から見下ろした犯人は、より人目に晒すまいと遺体をどうにかして底へ沈めたいと考えたに違いない。犯人が汲み取り時期が「2年おき」であることを知っていたかは分からないが、校舎よりはプール脇トイレの方が利用者は少なく、単純に発覚まで時間が稼げそうな印象を抱く。

2年前の78年、4年前の76年に汲み取り作業員が異常を感じていなかったかどうかは不明だが、作業員とて内容物を終始確認している訳でもなく、単に気付かなかった、石の混入を児童の悪戯か何かと思って報告せずに見過ごしていた等のケースもあるだろう。時が経ち、遺体の変質や傾き具合により80年になって積み石が崩れて混入が増えたとも考えられる。死亡時期は定かではないが、2年前にはまだ生きていた、2年前までは別の場所に遺体があった(2年以内に改めて便槽に遺棄された)、と考えるよりは、業者が蓋を開けなかったことも手伝って槽内で「偶々5年近く発覚を免れていた」と見る方が自然ではないか。

犯行は夏休みの終わりであり、失踪現場から4キロ余り、まして小学校の最も目立ちにくいと思われる便槽に遺棄していることから考えて、学校職員や卒業生、あるいは被害者の同級生とは言わないまでも近くの中高生が犯人だったとしてもおかしくはない。過剰ともいえる「石」での隠蔽は恐怖心の表れや後ろめたさ、犯人の幼さ・未熟さを表すものかもしれない。だがAさんは中学生であることからペドフィリアによる犯行も疑われ、だとすれば「小学校の便槽」というのも以前から犯人の「のぞき」のテリトリーだった可能性もある。

Aさんの母親について「スナック勤務」「スナック経営」と表記のブレがある。

 

②被害者Bさんの失踪は80年4月、遺棄現場は北側校舎便槽である。①Aさんの失踪から5年近いブランクが生じており、異なる便槽ではあるが同校内であることから同一犯の可能性は高い。⑤⑥⑦の北方事件にもいえることだが、犯罪者は一度「首尾よくいったやり方」を度々踏襲する。

本件は行方不明となったのが「土曜日」だが、比較的深夜に絞られるため、犯人が夜勤の仕事でなければそれほど曜日にこだわる理由にはならないかもしれない。

「室内に抵抗の跡がなかった」とされるが、玄関をノックされれば母親が病院から帰宅したかと早合点して解錠する可能性も高いように思う。あるいは玄関先から物音がして戸を開けると…といった状況もありうるか。

4月12日に行方不明となったが、21日の汲み取り時には槽内に異常は見られなかった(こちらの汲み取りは便槽の蓋を開けて行われる)。6月10日に校庭で被害者の髪の毛が発見されていたことと照らし合わせてみると、4月21日から6月9日までの間に遺棄されたものと考えられる。つまり4月12日から21日までの少なくとも9日間以上は犯人が別の場所で遺体を管理していたことになる。無論、自宅ではなく、人目につかない作業小屋や廃屋、山林などに放置していたものを移したのかもしれない。

Bさんは20歳で、Aさんと8歳の差があり、仮に両事件が同一犯による犯行であればペドフィリアという分類からは外れることになる。むしろ2人の知人ということになれば、Aさん殺害時に10代半ば、Bさん殺害時に20歳前後の「同年代」による犯行との見立ての方が当てはまりそうなものだが、そうした該当者は警察も調べ尽くしていよう。

「土地勘がある」のは間違いなさそうに思うが、はたして警察の見立て通り2人と面識のある人物だったのか。重要参考人Uさんであれば警戒されず2人と接触することも容易だったかもしれない。Bさんが思いつめやすい性分であることと照らし合わせて考えると、姉との離縁を迫られ、自殺をほのめかされるなど口論となり…といった殺害の動機は考えやすい。しかしこの晩、Bさんは家に一人になることをUさんに伝えていたのであろうか。密通ともいえる相手をわざわざ自宅に招くものなのか。

Uさんの立場上、Bさんの家族からは「恨まれている相手」として強い疑いを抱かれたものと考えられ、険悪さは一層増していたであろうことから悪質な手紙や電話での嫌がらせについてはUさんの犯行である可能性は高い。だが殺害した当人だったとすればわざわざアシが付くような真似を繰り返すとも思えない。

遺体発見から半年後、Uさんが逮捕されたとき29歳、その5年前となれば24歳前後。①Aさん(12)行方不明時の母親の年齢は定かではないが、仮に20歳のとき産んだ子だったとすれば32歳。年齢だけ見れば、年上の女性に熱を上げたり、若い男を手玉に取ったりといった男女関係もありえそうなものだが、Uさんに非行があったことを思えばたとえAさんの母親と険悪になればその場で手を上げるか、店の物を壊す等の暴挙に出そうなものである。母親にしても控え室に「我が子同伴」の店内で、「一人娘を攫われる」ほどの恨みを買うような出来事があったのかは疑問である。

Bさんの帰宅が23時半と深夜であり、通常であれば「家に人がいる時間帯」である。Uさんのように親しい間柄で本人から「今日は帰ったら一人だ」「家に誰もいない」と直接知らされていなければ家人全員の不在までは想定できないように思う(あるいはBさんが帰宅するまで邸内が真っ暗だったことを見ていた人物となろうか)。逆にいえば、「Bさんしか家にいない」ことを知るためには、彼女が自ら玄関の鍵を開けたり、帰宅と共にリビングなどの照明が点灯することを見ていた可能性がある。室内を荒らした形跡もないことから、犯人は「だれもいない家」に目を付けていたわけではなく、始めから「Bさんの連れ去り」が目的だった。とすれば、彼女を尾行してきた人物がいたと考えられる。

先述のようにAさんの母親には「スナック勤務」「スナック経営」と情報のブレがある一方で、時期こそ重ならないもののAさんの母親が勤めていたクラブにBさんの母親も勤めていたことがあるというネット情報も存在する。これが事実とするならば、単なる偶然にしては出来過ぎており、さすがに小さな町のスナックに5年間も通っていれば顔は差すだろう。Uさん逮捕を目論んで警察がリークした怪情報なのか、近隣住民の様々な噂話のひとつなのかは分からないが、本稿では事実としては扱わず保留としておきたい。

 

③では、佐賀市を越えて三養基郡中原町の空き地に遺棄され、首にはコードが四重に巻かれた状態だった。それだけでも①②とはかなり様相が異なるが、行方不明現場から須古小学校までは5~6キロとやはり同じ生活圏と言ってもよい近距離である。仮に同一犯だったとしても、すでに須古小学校で①②の遺体が発見されてしまったことからカモフラージュのためにやや遠方への遺棄を選んだのであろうか。

地図を見れば、鳥栖~佐賀~長崎をつなぐ長崎街道を基とした国道34号が通っており、目撃地点から遺棄現場まで車であれば約1時間の道程である。さらにスーパーマーケットでCさんが「赤茶色の車に乗った男性」と会話している姿を目撃されている。見ず知らずの人間が「Cさんらしき人を見かけた」のではなく、同僚が証言していることから情報の精度は極めて高い。その男性がCさんを車に乗せて近郊で殺害し、その足で34号を北上したものと考えられる。

だが34号以北や武雄市以西に向かえばいくらでも山林が広がっており、北方~武雄周辺は白石平野の稲作地帯に向けて数多くの「溜池」が存在する。単純に人目を避けて遺棄するのであれば、40キロも移動せずともそうした場所の方が発見までの時間稼ぎになりそうなものである。

作業着姿で発見されていることから素直に考えれば行方不明となった当日に手を掛けられ、犯人の「帰り道」に遺棄していったように思える。最終目撃現場と遺棄現場の中間に位置する「佐賀市」は言うまでもなく犯人の所在の第一候補となる。みやき町以東に位置する都市圏としては、佐賀県鳥栖市、福岡県久留米市が、更に北上すれば福岡市もおよそ80キロ、車で2時間半かからない距離である。また上述の飯塚事件が発生した福岡県飯塚市も車で2時間半の距離であり、佐賀の女児被害①④事件と飯塚事件との関連を疑う説もある。

7日に消息を絶って発見が21日と、その間に「2週間」のブランクがある。遺体は2週間どのような状態だったのか、ずっと同じ場所に置かれていたのか、あるいは後日持ち込まれたものなのかは判断がつかない。

 

④Dさんは放課後の下校路での連れ去り事案であり、発生時刻が夕方16時過ぎで最も早い。ランドセルを背負った状態で事に及んだのか、遺体にランドセルを背負わせたものかは不明だが、連れ去り場所から遺棄現場まで距離もなく、極めて手際のよい犯行といえる。一方、周辺で多数の声掛けが確認されており、連れ去りに複数失敗もしている。

バス停で声を掛けられて撃退した主婦の年代は定かではないが、小学生から主婦まで標的に考えていたとすれば正に手当たり次第である。犯行に使われたストッキングの入手経路は洗い出しが行われたのかといった情報はないが、首を絞めるためにわざわざ買ったとは考えにくく、下着泥棒ないし連続強姦魔の可能性が高い。部屋から連れ去ったと見られる①②と大きく異なる点として、大胆過ぎるほど人目に付く形で略取を試みていたことが挙げられよう。

①④は被害者の年代が近い。しかし「遺棄現場」に注目すれば、前者は明らかに隠蔽を目論んだプール脇便槽、かたや後者は中学校裏手のみかん畑であり、隠し通そうとする気は毛頭なく犯人はとにかくすぐに遺棄してこの場を去りたかったことを窺わせる。この連れ去りと遺棄の性質のちがいから、①②と、④は別の犯人による事件ではないかと筆者は考えている。

一方で③との比較では「発生時期」「遺棄現場」こそ近いものの、大きく異なる点として④は連れ去り現場のすぐ近くで遺棄しており、ほとんど「その場に捨て去った」ような印象を受ける。自宅付近での犯行や遺棄を行うとは考えづらく、犯人は近隣の住人ではないと見てよいのではないか。

 

⑤⑥⑦については遺棄現場の状況から同一犯との見方で捉えている。①~④、⑤~⑦との共通項を挙げるならば、(②を除いて)犯行が「水曜日」、(①⑤を除いて)「絞殺」「扼殺」の可能性が高いこと、③Cさんと⑦Gさんの勤務先が同じということである。しかし小さな町で主婦が条件に合う働き口を探すとなると自ずと勤務先は重複するとも考えられ、犯人が縫製工場の関係者であるとは言い切れない。つまり共通項はそれほど多くはないのである。

「絞殺」「扼殺」について考えてみれば、刃物と違って事前に購入したりせずとも紐状のもので代用でき、出血が少なくて済む。場当たり的な殺害方法として、強姦殺人鬼の常套手段であり、凶器と犯人が直接結びつきづらいことから、結果的に犯人を絞りづらくする犯行ともいえる。また刃物であれば強盗などで相手に対して威圧・脅迫的態度を誇示する効果もある一方、「紐」にそうした圧力効果は期待できない。刃物を見た相手が「恐れおののく様子」や相手を「命令に従わせること」よりも、車などに誘い込んで間近で「もだえ苦しむ様子」を好む異常性欲があったのかもしれない。

 

2006年7月、2ch掲示板に立てられたスレッドに興味深い記述がある。転載はしないが、2007年5月14日のハンドルネーム「とろ」氏によるカキコミで、⑤~⑦の北方事件について「3人には小学校に通う子供が居る」との共通点から、犯人として或る「教師」を挙げ、通報したとしている。

matsuri.5ch.net

たしかに律義に「水曜日」に犯行を繰り返すルーティンがあったとすれば、規則的な働き方をする人物だった可能性は高くなる。また少女から中年主婦という幅のある年齢層についても「生徒」「保護者」の年齢層と重ねて考えれば、にわかに現実味を帯びた推理に思える。しかし被害者の年齢から鑑みて、「3人に小学校に通う子供が居る」という前提が事実かどうかは(筆者には確かめる術もないが)やや信頼が置けない。

③Cさんに関する情報はあまり多くないが、失踪前に5日間ほど欠勤している点は気掛かりである。この期間に「犯人」と知り合った、急速に親密な関係になったとしてもおかしくない。スーパーの駐車場で見ず知らずの男が「ナンパ」したと考えるより、「仕事帰りに待ち合わせしていた」と見る方が自然に思える。

⑤、⑥についてはほとんど連れ去りのような状況が想像されるが、⑦について電話の相手は以前からの不倫関係が疑われる。携帯電話もなかったことから「家の電話」や「アポイントメント」が重要な役割を果たしていた当時、GさんがMさんとは別の交際相手がいたとしても通信履歴から抽出される可能性は高い。電話の相手はMさんだったのか、それともMを犯人に仕立てるために流布された情報なのか判断が付きづらい。

だが③と⑦を「知人女性を狙った殺害」と捉えることもできなくはない。③の目撃情報を頼るならば、③当時は30代、その8年後の⑦当時は40代というところか。「主婦を狙った」というより学生や若い女性をナンパしても相手にされないため、年配女性へとシフトしたとも考えられる。

 

半ば強引な道筋ではあるが、筆者は犯人が3人いるものと考えている。

「①②の犯人」は小学校にゆかりのある覗き魔・ストーカー犯、「④遠方から三養基郡へ訪れた小児性愛者」、「③と⑤⑥⑦の異常性欲殺人鬼」の三者である。とりわけ③と⑤の事件の間には、6年近くのブランクが生じており、地元警察も余罪については念入りにたどったものと考えられる。もちろん鳴りを潜めていたとも考えられるが、むしろ窃盗など性犯罪以外の罪で逮捕・収監されていたのではないかとも想像される。

89年に犯人が40代だったとなれば、いまや既に70代の高齢者。犯行を続けているとは考えにくいものの、他にも明らかにされていない行方不明者や事件とのつながりがあるかもしれない。犯行の性質上、他言している可能性などは低く、時代と共に生活も様変わりしてしまっていることで発覚を免れている側面もあろう。しかし警察はもとより私たち市民の側も、犯人の目の黒い内は真相解明への意欲を失ってはならない。

七名の犠牲者のご冥福と遺族の心の安寧、事件が一刻も早く解決されることをお祈り致します。

 

茨城県境町一家殺傷事件2

2021年9月17日、水戸地検は埼玉県三郷市・無職岡庭由征(おかにわよしゆき)容疑者(26)を2019年9月に茨城県境町で家族4人を襲った殺人罪などにより起訴した。先立って行われた鑑定留置により刑事責任能力に問えると判断された。

過去エントリで取り上げた事件だが、容疑者逮捕以前に書いた整理されていない内容のため、改めて逮捕・起訴後を焦点に本稿を記している。裁判などの追記は本稿に加える予定である。

 

■概要

2019(令和1)年9月23日0時40分頃、茨城県境町の自宅2階で就寝中だった会社員小林光則さん(48)、妻でパート従業員の美和さん(50)が首や胸を多数切りつけられるなどして殺害された。2階別室にいた中学生の長男は両手足を切られて1か月の重傷、同じ部屋で寝ていた小学生の次女は催涙スプレーのようなものを両手にかけられて痺れなどの軽傷を負った。1階にいた大学生の長女に怪我はなかった。

通報は殺害直前に美和さん本人が110番を掛けたと見られており、1分程の通話で「何者かが侵入してきた」「助けて」「痛い痛い痛い痛い痛い」、救急車は必要ですかとの問いに「いらない」「やっぱりいる」と危険が差し迫っていた様子を窺わせるものだった。その後、警察から掛け直したが応答はなく、通報からおよそ10分で警察が駆け付けるも犯人の姿はなかった。

犯人を目撃した長男らは、帽子にマスク姿、黒いポーチを付けた男性単独犯に襲われたと証言し、サイレンの音を聞いて「ヤバイ」と口走って部屋を去ったと語った。長女は犯人と接触しておらず、「(2階で言い争うような声が聞こえたが)こわくて部屋から出られなかった」と話した。

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小林さん宅の周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、隣の敷地には町営の釣り堀池があり、遠目にはそこに家があるかどうかも分かりづらい。近隣の家までおよそ200メートル離れた孤立した立地から「ポツンと一軒家」と形容されることもある。住居の南側には車での出入りが可能な正面口と、北面には徒歩で釣り堀側へとアプローチできる出入口があった。正面玄関近くにはよく吠える飼い犬が居り、北面出入口は事件前にロープで簡易的に進路を防いであった(侵入は可能)。

捜査の結果、住居1階の浴室脱衣所にある無施錠だった窓から出入りした痕跡が確認された。屋内に土足痕はなく、1階の部屋に立ち寄らず2階に直行したものと見られ、金品を物色した形跡はなかった。屋外で複数の足跡・タイヤ痕が採取されたが、釣り堀の利用客のものと入り混じり、犯人との関連性は不明とされた。

住居北側の藪から血痕の付着した小林さん宅のスリッパが発見され、犯人が逃走の際に捨て去ったものと見られた。スリッパを元に警察犬の追跡捜査も行われたが、屋外ですぐに行方を見失っている。

 

■被疑者

事件当初、夫婦への怨恨が動機と見て交友関係を中心に捜査が進められたが、一家に大きなトラブルは確認されなかった。犯行は雨降りの深夜、周辺は農地が多く防犯カメラや周辺住民も多くない地域ということもあり、犯人につながる有力な情報はなかなか集まらず捜査は難航した。

しかし事件発生から2年で事態は一気に加速した。2020年4月に刑事部長が交替して、捜査方針を転換。流しの犯行を視野に入れ、周辺で発生した過去の類似事件の洗い出しを行い、隣接する埼玉県に網を広げたなかで、6月、被疑者として岡庭の名前が浮上した。犯人を目撃したこどもに確認したところ、複数枚の写真の中から岡庭の写真を選び「特徴的な目が似ている」との趣旨の証言をしていた。『創』編集長篠田博之氏によれば、警察は20年夏から行動監視などのマークを開始していたとされる。

 

2011年、11月に埼玉県三郷市で女子中学生を、12月に千葉県松戸市で女子小学生を刃物で襲う連続通り魔事件を起こし、同12月に銃刀法違反容疑で現行犯逮捕。上記の殺人未遂2件について認め、周辺で放火や動物虐待を繰り返していたこと等も供述し、自動車や倉庫など非現住建造物放火6件、動物愛護法違反2件、器物損壊など合わせて13件の罪に問われた。

事件当時は16歳。以前通っていた私立高校では遅刻や欠席はほとんどなく、おとなしくて目立たない生徒だったが、バイクに放火する様子を友人に撮影させるなど奇行もあった。凶暴なイメージはないとされる一方で、小学校時代の同級生は、補聴器をつけていた男子生徒に飛び膝蹴りを喰らわせるなどの暴力で不登校に追いやったとして「弱い者イジメをする子だなという印象」と語る(『週刊新潮』2021年5月20日号)。

家庭ではインターネットの暴力サイトの閲覧なども制限は殆どなく、保護者は多数のナイフ類を買い与えてコレクションさせていた。事件前の10月、同級生に猫の生首の画像を見せて「動物を殺したので次は人間を殺すつもり」などと吹聴し、「持ってきて」と言われて本当に教室に持ってきた。そのことが学校で問題視され、処置を巡って対立し、退学届を提出。逮捕時に在籍していた通信制高校へは編入したばかりだった。

女性を襲うことに性的興奮を感じると話し、公判では「今のままでは、またやっちゃうと思う」と述べ、罪悪感や反省の色は見られなかった。検察は「殺人への衝動が収まっておらず再犯の恐れが高い」として刑事処分を求めたが、一方で「自分を変えたい」と治療と更生への意思を示したことから、2013年3月、さいたま地裁(田村眞裁判長)は「医療少年院での治療を施すことが再犯防止に最良の手段」として家裁への送致を決定。さいたま家裁は広汎性発達障害との精神鑑定結果から、医療少年院での治療的働きかけに5年程度かそれ以上の処遇を要すると判断した。

2015年、被害女性らが岡庭と両親を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こし、さいたま地裁は両親の監督責任を認め、岡庭側に約1900万円の賠償支払いを命じた。

岡庭は2018年に医療少年院を満期出所し、夏から埼玉県深谷市の精神障碍者向けグループホームに入所。しかし年内にはすでに三郷市の実家に戻っていた。

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■逮捕

2020年11月20日、埼玉、茨城両県警は三郷市に住む岡庭容疑者を三郷市火災予防条例違反の疑いで逮捕。約45キロもの硫黄を危険物の取扱基準に反して所持していたことによるもので、20日間の満期拘留後、12月に消防法違反で起訴された。

21年2月15日、茨城県警は警察手帳の記章を偽造したとして公記号偽造容疑で逮捕。酷似した記章3個を制作し、警察手帳を偽造販売した疑いにより、3月に起訴。

押収品600点もの大掛かりな家宅捜索が行われ、その後、境町での殺傷事件との関連を雑誌各社が取り上げた。当初は、爆弾をつくるための薬物を大量購入しているとして殺人予備罪の容疑がかけられる予定だったとされる。

21年5月7日、小林さん夫妻殺害の容疑で逮捕。境署で開かれた逮捕会見では、容疑者は小林さん一家との「面識はない」とし、関係者への聴取、現場の鑑識、押収品の鑑定・解析の結果などから事件への関与の疑いが強まったと説明。動機の特定が急がれた。

 

家宅捜索により押収されたものの中には、刃物類のほか、「猛毒のリシンを含有するトウゴマ」や抽出に使う薬品、フラスコやビーカーなどの実験器具が多数含まれていた。捜査関係者は、母屋とは別棟にあった容疑者の自室は「まるで実験室のようだった」と証言(2021年5月7日、産経)。またトリカブトサリン生成に関する本などが押収されていたことも判明している(2021年5月11日、NNN)。

またスポーツタイプのものを含む複数台の自転車も押収されており、自動車免許を持たない容疑者が約30キロ離れた現場までの移動手段とした可能性があることが報じられた(2021年5月9日、時事通信)。

次女の両手に掛けられた催涙成分のあるスプレーと同一のトウガラシ成分(カプサイシン)の含まれる「熊除けスプレー」を容疑者がインターネットを通じて事件前に購入していたことが明らかとされ、成分内容から犯行に使用されたものと同一のものか関連が調べられた(2021年5月8日、時事通信)。

また現場脱衣所の外壁をよじ登る際に付いたと見られる足跡が採取されており、容疑者が事件前に同種のレインブーツを購入していたことも判明している(2021年5月13日、産経新聞)。

事件当日に現場周辺にいたことを示すGPS(位置情報)記録があったことは20年12月の『週刊現代』で報じられていたが、事件前に現場周辺を撮影した動画も見つかっており、周到に準備した上での犯行を思わせた(2021年5月10日、FNN)。現場周辺の地図情報や天候をインターネットで検索、犯行後には境町の不審者情報を確認した形跡があったことも明らかにされた(2021年5月13日、産経新聞)。地理を調べて自転車で徘徊する行動や事後の通報確認は、過去の通り魔事件でも繰り返していた手法である。雨の日の犯行も、犯行時の物音をかき消したり、逃走時の目撃を避ける狙いがあった計画的な犯行とみられている。

 

5月9日、身柄を水戸地検に移送。取調べには応じるものの、容疑については否認。

5月29日、長男に対する殺人未遂、次女に対する傷害の疑いで再逮捕。

6月7日、刑事責任能力を調べるため鑑定留置を開始し、9月6日まで行われた。

 

下のFNNによる記事では、精神科医井原裕氏が取材に応じ、医療少年院について、また岡庭容疑者について語られている。

www.fnn.jp

井原医師は、医療少年院を少年院や少年刑務所では適切な対応が難しいケースについて高度な専門知識を持った人間が社会復帰をお手伝いする施設とした上で、「医療少年院で行う精神科医療にもできることとできないことがあります」と語る。

「人を殺したいという独特な性癖に対して今の精神医学の中に性的傾向を修正する治療技術自体がありません」「特殊な性癖を持ったケースについては無力です」と精神科医療の「枠」を強調。「治せない。だからこそアフターケアが必要だ」とし、再犯リスクに対処できていない現行の刑法、少年法に警鐘を鳴らしている。

現行法では再犯を唯一予防できる方法が死刑であるため、厳罰主義に陥りやすい状況を生み出している。塀の外に出てから再犯につながらないように見守るアフターケア、社会内処遇の重要性を説く。

www.dailyshincho.jp

上の『週刊新潮』記事では、通り魔事件の被害に遭った少女の父親が「少年法の壁、制度の限界」に言及している。被害者からすればいかような相手であれ受けた傷の痛みや心に負った影響は変わりない。保護や社会復帰を目的とする少年法によって、却ってやり場のない報復感情が残るという側面もあるかもしれない。さらに早期の社会復帰となれば、恐怖心も拭いきれないだろう。通り魔事件の第一被害者となった中学生は、「自分が死ななかったから犯人は満足できず、次の事件を起こしたのではないか。女の子(第二被害者の小学生)に申し訳なかった」とまで証言していた。彼女たちが事件後に味わってきた恐怖心や、現在の心中を思うとやりきれないものがある。

 

6年前に「またやってしまうと思う」と述べた元少年は、いま何を思うのか。水戸地検石井壯治次席検事は「収集した証拠を総合的に判断した。適正かつ的確に捜査を遂行することができた」と述べた。ここまで公開されてきた情報では、被告が事前に事件現場周辺まで足を運んだ事実があるという状況証拠にしかならない。

公判で犯行を裏付ける証拠が明らかとなるのか、現在では黙秘を続けているとされる被告が何を語るのか、進捗を見守りたい。

韓国ホラー映画『コンジアム』感想

三度の飯よりオカルトが好きという好事家であれば、米CNNトラベルが選定した世界十大奇異スポットはご存知かと思う。

 

1.昆地岩精神病院(韓国、京畿道広州市

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コンジアム韓国版

南霊神経精神科病院。本作のメインテーマとなったコンジアム精神病院は「かつて収容施設として使われていた」「患者を放置して院長が自殺した」等の噂が絶えない廃病院。

事故死した娘が現れるとされる忠清北道チェヨン市にあったレストラン・ヌルボムガーデン、6・25韓国戦争の際に学徒兵400名もの遺体が埋葬された跡地に建てられた慶尚北道ヨンドッ郡にあるヨントッヒュンガと並び、韓国三大心霊スポットとされている。

 

2.セドレツ納骨堂(チェコ、セドレツ)

ローマカトリックの小さな教会ながら、約40000人の人骨によって室内が大々的に装飾されており、天井から広がる「人骨シャンデリア」で知られている。

13世紀に修道院長がゴルゴダから土を持ち帰ったことで評判となり、多くの敬虔なカトリック教徒がここに埋葬されることを望んだ。礼拝堂はやがて納骨堂とされ、16世紀に掘り起こされ、埋葬スペース確保のために新たな配置として飾りつけられ、世界でも類を見ない神聖な場所とされている。

 

3.アコデセワ・フェティッシュマーケット(トーゴ、ロメ)

世界最大のブードゥー市場とされ、サルの頭蓋骨やワニや蛇、コウモリといった儀式・呪術・医薬に用いるあらゆる素材が取引されている。

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By Alexander Sarlay - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51729828

 

4.人形の島(メキシコ、テシュイロ湖)

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ラ・イスラ・デ・ラ・ムネカス。かつてドン・フリアン・サンタナという男性が運河で溺れて亡くなった少女を弔うために数多くの人形で島を飾ったとされ、The Dead doll Islandとして知られているが、佐藤健寿『世界不思議地図』(2017,朝日出版)では人嫌いだったため不気味な人形により他人を追い払おうとした説が唱えられている。周辺は水運で栄えた地域で遊覧船ツアーもある。

 

5.軍艦島(日本、長崎)

端島。明治から戦後にかけて海底炭鉱によって栄え、大正期には移住者向けの鉄筋コンクリートマンションが立てられ「軍艦とみまがふ」などと新聞で記され、その呼称に用いられるようになった。

最盛期の1960年には5000人以上が暮らしたが74年の鉱山閉鎖により無人化。長らく封鎖されたために「地球上でもっとも荒涼とした島」となった。

 

 

6.チェルノブイリ遊園地(ウクライナ、プリピャチ)

 

1986年の原発事故を機に街ごと廃墟と化した。かつては原発関連事業で移り住んだ家族連れで賑わったであろうその場所は、現在ブラックツーリズムに活用されている。

 

7.パリのカタコンベ(フランス、パリ)

18世紀、市内の大規模墓地サン・イノサン教会周辺の衛生状態は耐えがたいものとなっており疫病拡大の危険などから閉鎖されることとなる。そこで砕石に使われた古い地下坑道が納骨堂へと転用され、およそ600万人の遺骨が移納された(新たな遺骨は納められてはいない)。

坑道の一部区間は観光用に開放されているが、地下坑道に至る経路は数多くあり、cataphilesと呼ばれる地下への不法侵入者も絶えない。

 

8.ポヴェリア島(イタリア、ベニス)

1776年、ベニスを行き交う船の検疫のために保健所が出来て以来、いわくつきの島とされてしまった。ペスト患者の隔離施設が設けられ、入院したが最後、島を出ることなく多くの人がこの地で眠りについた。施設は20世紀前半、精神病院となり1968年の閉鎖までロボトミー手術や人体実験を行う研究に使われていたとも噂される。一説ではこの島では16万人が無念のうちに亡くなったとも言われ、「世界一幽霊が出る島」として取りあげられた。

 

 

9.ダルヴァザクレーター(トルクメニスタン、ダルヴァザ)

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Tormod Sandtorv - Flickr: Darvasa gas crater panorama, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18209432による

ラクム砂漠の奥地で溶岩のごとく煮え滾る通称「地獄の門」と呼ばれる天然ガス田。発見当初はガス油田を画策したが、噴出した有毒ガスを終息させるため短期間で燃え尽きることを予想して人為的に点火され、そのまま半世紀以上に渡って燃え続けて止まない。

 

10.ベルウィッチ洞窟(アメリカ、テネシー州

広い農地を求めてテネシー州に移り住んだジョン・ベルは妻子とともに13年ほど暮らし、レッドリバーバプテスト教会の執事となる。1817年の夏、彼らは奇妙な動物がさまよい歩く姿を見掛けたり、深夜にドアや壁を叩く音、鎖を引きずるような音や不審な呼吸音を耳にするなど奇怪な出来事が一年近く続いた。その後、ジョン・ベルは喉に棒が刺さっているような痛みや腫れ、痙攣に悩まされ、3年後に死亡。結婚を控えていたジョンの娘ベッツィーは引っかき傷や髪を引っ張られるなどの被害に遭い、父親の死後、婚約を解消した。

ベル家の怪現象は多くの人に知られることとなり、彼らを不幸に陥れた目に見えない力はケイト・バッツという魔女の仕業だとされた。ケイトは1828年にジョン・ベル・ジュニアの許へ訪れ、多くのことを語らい「ジョン・ベルの死には理由がある」と述べたが、その理由については明かそうとはしなかった。次に訪れるのは107年後だと言い残してケイトは去ったが、不吉な出来事が起こるたびに「ケイトはまだ洞窟に潜んでいるのではないか」と人々を不安に陥れた。

 

 

 

と、前置きが長くなったが、2012年に発表された「七大」でもコンジアム精神病院はノミネートされていた。そんな世界的な心霊スポットを韓国映画界が放っておくはずもなく、本作では体験型ショッキング・スリラーへと見事にパッケージングしている。

gonjiam.net-broadway.com

 

〈あらすじ〉

YouTubeチャンネル「ホラータイムズ」は視聴者参加型の心スポ凸で人気を博し、ライブ配信視聴者数100万人を目指して入念な計画のもと最恐心霊スポット「コンジアム精神病院」への突撃を敢行する。「旧日本軍による処刑施設」「ピンポン玉の怪」「院長の謎の自殺」「封印された402号室」…嘘か真か、様々な噂が渦巻くこの場所で7人の男女が見たものとは。

監督、脚本:チョン・ボムシク(『1942奇談』『Horror Stories』『ワーキングガール』)

脚本:パク・サンミン

出演:ウィ・ハジュン、パク・ジヒョン、オ・アヨン、ムン・イェウォン、パク・ソンフン、ユ・ジェユン、イ・スンウク

 

「怖い映画とは、その時代が象徴している怖さが入っていないといけないという考えが自分にはあります」

ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ三部作が共産主義者に関する隠喩であることを受けて、ボムシク監督は上のように語っている。本作で言えば、登場人物として「YouTube配信者」を用いることで、視聴者数稼ぎ=目先の金銭によって、安全性や真実をないがしろにして過激な内容を追い求めるように変貌していく様はリアルに怖い。さらに「患者を殺害し失踪した」とされる元院長は史上初めて弾劾・罷免されたかつての大統領・朴槿恵を重ねている。元院長だけが正面を向き、周囲の患者たちはあらぬ方向を向いている、どちらがおかしいのか分からない古写真は滑稽ですらある。

 

韓国に実在する建物を舞台にし、そして若者にとってもはや日常となった動画メディアを組み込むことにより、観客は映画そのものを「ライブ配信」さながらに受容・没入させ、「第八番目のメンバー」となって恐怖の現場へと引きずり込むことに成功している。その結果、本作は公開15日間で観客動員256万人を記録し、韓国ホラー第2位のメガヒット作となった。日本で公開された「村」シリーズ等でも動画配信者は登場するが、臨場感ある映像や物語的リアリズムの醸成、映画構造への活かし方は本作の方がはるかに優れていると思う。

 

メンバーの身体に取り付けられたカメラによる撮影は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』等でも採用されたPOV;Point Of View手法による登場人物の「主観」視点が特徴とされる。フェイスリアクションを映すCCDカメラはキャスト達の様々な表情を観客に提供し、逃げ惑う様子を克明に描出する小型アクションカメラなどによって不安や恐怖を体感させてくれる。尚、エンドロールの撮影スタッフ欄には実際に多くの映像を撮影することになった出演者たちの名前も加えられており、「演技」だけでなく文字通り「作り手」となっている。

また室内に設置したパノラマショットのカメラや追尾ドローン撮影なども含め、通常の3倍もの映像素材を13カ月かけて編集し、躍動的で隙のない絵面づくりが凝らされている。個人的にはアメリカ・セシルホテルで発生した行方不明事件で“奇妙なエレベーター内での監視カメラ映像”が公開されて世界的に話題となった「エリサ・ラム事件」にも近い恐怖感覚を彷彿とさせる場面も見られた。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

序盤の顔合わせや水上アクティビティ、現場に向かうまでの若者たちの姿は、カジュアルな動画のようにテンポよく紹介。「合コンみたい」なわくわくした様子は、「怖いもの見たさ」で足を運びながらも未だ「恐怖」に出会っていない映画館に訪れる観客の心情さながらである。

いざ現地に着くと「怖いもの見たさ」と「怯え」が半々といった様子で俄かに緊張感が増していく。リーダーのハジュンは屋外テントで配信機器を操作、残る6人が廃病院へと足を踏み入れる。配信が始まり、院長室、実験室、浴室、集団治療室、備品室、開かずの402号室…各部屋を予定通りに紹介していくメンバーたち。一般的な廃屋や森などと違って、それぞれの部屋に役割があり、かつて人々に何があったのかを想像させるという面でも「廃病院」は打ってつけのモチーフである。

段取りに従って降霊術を始めると怪奇現象が発生し、一同は騒然とする事態に。しかしそれはリーダーのハジュンたちが話題集めのために仕掛けた“ヤラセ”だった。多くの心霊スポット巡りを好むシャーロットですら「ここはヤバい」とパニックとなる一方で、ホラータイムズメンバーたちは「リアクションがいい。彼女を中心に映せ」と指示。視聴数も見る見るうちに跳ね上がり、「100万人視聴」達成へのカウントダウンも緊迫感を盛り立てている。

「廃精神病院」「ヤラセ心霊番組」をモチーフとしたモキュメンタリー・ホラーとしてはザ・ヴィシャス・ブラザーズによる『グレイヴ・エンカウンターズ』(2011、カナダ)が先行している。こちらはテレビ番組の撮影クルーが「コリンウッド精神科病院」での撮影で怪現象に見舞われる内容だが、同病院は実在せずブリティッシュコロンビア州にあったリバービュー病院跡(心スポではない)で撮影されたもの。『コンジアム』での「病院の時空が歪む」、「見えない何かに吹き飛ばされる」、「ひとりでに動く車椅子」などのアイデアはこの作品へのオマージュと考えられる(ホラー映画はパクリ/オマージュが多すぎるので本来のネタ元は不明)。

 

行動部隊の先導を担うスンウクは慄くメンバーたちを尻目に人形に触れたり、手術で使用されたといわれる棺桶のような箱に手を差し込んで「中から引っ張られた!」と番組を盛り上げる。怖がらせるためにわざとそうした演技をしていると疑ったジヒョンは怒って自らも手術箱に右腕を突っ込む。すると得体のしれない強い力で引っ張り込まれそうになり、ようやく抜き出した腕には爪痕のような大きな切り傷が。箱の扉がひとりでに開くも中には何もない。シャーロットに続いてジヒョンもパニックに陥り、現場から逃げ出す二人。ボムシク監督はインタビューで単に人が建物にいるのではなく「人と建物との対峙」を描こうとしたと語っているが、メンバーたちが冷静さを失っていくと巨大な構造物の各部屋がまるで生きた「臓器」ででもあるかのような錯覚に陥る。

壁にあった落書きは来たときとは別の文言に変わっている。明らかに何かがおかしい。モニター越しに行動を指揮するハジュンも度重なる機械トラブルやリプレイ映像で不可解な現象を認識していたが、激的に増えていく視聴数を前にここで配信を止める訳にはいかないとスンウク、ソンフンに撮影続行を指示。2人は広告収入の分け前アップを要求して踏みとどまるが、実際に危険な“何か”が迫っていることに耐えかね、402号室の前でスタンバイしていたアヨン、ジェユンに“ヤラセ”があったことを打ち明けて逃走を呼び掛ける。100万人達成目前にして配信続行が危ぶまれ、居ても経ってもいられなくなったハジュンはテントを出て現場へと乗り込もうとする。

 

ホラー映画を見る上で問題となるのが、「怖さ」と「面白さ」の匙加減であり、ホラー映画の「評価」ほど当てにならないものはない。ホラー映画マニアである程、いわゆるB級テイスト(おバカ感)に寛容になる傾向があり、「全然怖くはないけど面白い」といった価値観が存在する。「マニアの評価は当てにならない」という意味ではなく、恐怖表現に対する耐性ができていたり、どんなジャンルにおいても言えることだが作品そのものに対する見方が先鋭化されすぎるきらいがある。

製作費が低予算なことから、チープなCGや滑稽な演出、糞みたいな役者が多くなったり、コアカスタマーは男性に偏るため不必要なエロ要素が盛り込まれるなど、多くのホラー作品に共通する特性が生じやすいこともそうした「恐怖以外の楽しみ方」を誘う要因である。「向こう見ずな筋肉バカ」であったり、車内や心スポですぐにおっぱじめようとする「スケベ用カップル」、あるいは「たまに襲撃に失敗するモンスター」といった登場人物のキャラクター性や「死亡フラグ」「お約束」もマニア的には見どころになっている。

そういった意味では、『コンジアム』における男女7人は一般公募の美女3人、リーダー・ハジュン(若い頃の星野源さんにしか見えない)は個性が立っているが、残るダメンズ3人はやや灰汁が少ないように思う。印象は観客によってだとは思うが、登場人物のキャラクターを薄めることで却ってリアリティは増しており、余計な客体化を省くことで恐怖表現や廃病院のおどろおどろしい環境にストレートに没入することができたように思う。ただ「ホラースポット巡りが好きな帰国子女」というキャラ付けのシャーロットが「おっぱい要員」とされ、山の廃墟にハイヒールという凡ミスをする点は妙に思うが、「なんちゃって上級者」という演出意図があったのかもしれない。おっとり系看護学生アユンと序盤からやたらと彼女をからかうジェユンにも恋愛要素めいた展開を期待してしまうが、拍子抜けするほど何もなく、終盤は恐怖表現が猛威を振るう。

 

韓国ホラー映画最大のヒット作『箪笥』(2003、韓国)は、李氏朝鮮時代の古典文学『薔花紅蓮伝(そうかこうれんでん)』をベースにした物語である。原作は、継母による姉妹への虐待と姉妹による復讐がテーマとなっており、度々舞台や映画とされてきたもので、多くの観客は原作を読んだことがなくても(たとえば日本でいう「四谷怪談」「番町皿屋敷」のように)「怖い話」としておおよその内容を知っている。しかし『箪笥』は原作や過去の作品群が踏襲してきた勧善懲悪的な定石を覆したという意味で画期的な作品である。

舞台となる古い屋敷の豪奢な調度品の数々と冷酷な継母の美しさ、凍てついた家族関係の禍々しさとの映像的対比が鮮烈な印象を残す。また恐怖表現としては、Jホラーでもよく見かける「背景への映り込み」などもあるが映像よりも「音」によるショック演出が多く感じられる。姉のスミは気弱な妹スヨンに、継母に虐められたらすぐに助けを呼ぶようにと言い聞かせており、継母の飼う小鳥のさえずりを嫌う一方で自分は口笛を吹いている。

ボムシク監督は(『箪笥』とは言っていないが)そうした従来の「音」によって驚かせるような恐怖演出は避けたとしているが、ジヒョンが何者かに取り憑かれたシーンでは奇怪な声色を作り出しており印象的である。一方で迫りくる怪異をCCDカメラで再現することで、「単なるチラ見せ」になりがちな通常の映り込みとは違った、耳元で息を吹きかけられているかのような臨場感のある気色の悪さを味わうことができる。

 

日本であれば「霊」は「亡くなった人」がベースとされる古くからの考えや描かれ方により、精神病院でお化けを登場させるとポリコレ的に物議を醸してしまいかねない。霊であっても人体で表現する際にはある程度人権を尊重した描かれ方を要求されるのだ。一方の韓国ではキリスト教がメジャー宗教なためか、死者の亡骸に「悪霊」が乗り移るエクソシズム的な捉え方が見られる。

本作では直接的に死体やモンスターと格闘する様子は多くは描かれないが、402号室に迷い込んだシャーロットが「得体のしれないもの」と対峙してしまい、扉が開かず逃れることのできない恐怖を非情ともいえるほどの長回しによって表現した場面の胸糞の悪い重苦しい空気感は最高に刺激的だった。

廃病院の濁った雰囲気や黴臭いような湿度は玄人向け、それでいてYouTuberという設定によってホラー映画に孕む「障壁」を取り払い、「お約束」に馴染みのないティーンでも素直にワクワクを楽しみ、ワーキャー怖がれる良作に仕上がっている。204号室への導線やあのメンバーはいつ何処へ?といった細かなツッコミは抜きにして、仲間達と集まって五感で楽しむのがよきかな、と思う。非モテ拗らせおじさんが部屋で独りで見ると別の恐怖や将来への不安が襲ってくるかもしれないのでそこは要注意。

 

本国での公開直後、コンジアム精神病院は取り壊され、私たちは永遠に「402号室」に足を踏み入れることはできなくなったものの(不法侵入はダメ絶対!)、今作によっていつでもその恐怖を追体験できるようになったともいえる。記録映画やモキュメンタリー作品ではないものの、映画はひとつの記録媒体であり、過去の物語を残すことこそが文化活動ともいえ、結果的に見れば韓国サブカルチャーの一種の記念碑的作品ともなった。

 

 

■参考

edition.cnn.com

北海道鹿追町老人ホーム殺人事件

1997(平成9)年6月に北海道鹿追町にある特別養護老人ホームで発生した殺人事件について記す。80歳の高齢者がなぜ殺されなければならなかったのか、犯人の目的は何だったのか。十勝平野の長閑な町を襲った悲劇は現在も未解決のままとなっている。

 

 

概要

1997年6月3日午前0時半頃、北海道河東郡鹿追町北町の特別養護老人ホームしゃくなげ荘で「ぼたんの間」入所者の沼倉忠さん(80)がベッドで首から血を流して亡くなっているのを巡回中の施設職員の女性(25)が発見し、すぐに新得署に届け出た。

当然、入所者たちは就寝時間である。遺体はパジャマ姿で布団を胸までかけた仰向けの状態だった。室内には争った形跡や物色された痕跡もなかった。各室の枕元には緊急呼び出し用のブザーがあったが鳴らされることはなく、就寝中に一気に刃物で切りつけられたと見られている。

司法解剖の結果、死因は頸動脈切断による失血死。傷は長さ約5センチ、深さ約1センチ、左の耳下からのど元にかけて鋭利な刃物で切断されていた。死亡推定時刻は午前0時前後と推認されている。現場から凶器とされた刃物類は見つかっていない。

 

状況

老人ホームでは夜間は職員2人と警備員1人の計3人の体制で仮眠を取りながら交代で部屋を巡回している。2日の23時時点で職員が施設内を見回ったときには異常はなかった。巡回と巡回の間、約1時間半の隙を狙って何者かが侵入し、沼倉さんを襲ったのであろうか。
施設の出入り口は玄関や非常口など4か所あり、定期的に施錠点検がされていた。施設内の廊下から沼倉さんの個室にかけての入り口は施錠できるドアではなくアコーディオンカーテンで仕切られているだけなので、中からは誰でも出入りができる。

個室の窓は施錠するようになっているが、沼倉さんは閉め忘れることが多かったとされ、事件発生時にも庭に面した窓は開いたままになっていた。さらに窓枠や室内から枯れ草のついたアメリカ製の高価なスニーカーの足跡が数個見つかったことから、犯人は窓から侵入した可能性が高いと見られている。

また廊下の先の非常口の庇(ひさし)部分には手を掛けていたような跡が見つかった。廊下は一直線で、施設の外から廊下を見渡せる場所にあったため、犯人はここから犯行のタイミングを伺っていたとも考えられた。

イメージ

 

沼倉さんは事件の起きる8年前の1989年11月から入所。4人の息子が独立して同じ町に暮らしていたが、一人暮らしが困難となり施設に預けられた。生来から強情で気性が荒く、大声で怒鳴り散らすこともあり、それに認知症の症状が加わり、家族の手に負えなくなった。

入所当時から足に障害があり、移動に歩行器を使用していた。事件前は1日中ベッドの上に横たわっていることも多く、認知症の症状も進んでいたという。

それに比べて、犯人像は事前に所内を窺う周到さを持ち、スニーカーを履いた身軽な人物は被害者と同年代とは考えにくく、ただ命を奪うためだけに侵入したかのような現場状況は不釣り合いのようにも思われた。

事件前の5月12日(13日?)にも、沼倉さんは左目の下から血を流して2針縫う怪我をしていた。沼倉さんは「30歳くらいの男にやられた」と話していたが、認知症も進んでおり、歩行も困難なことから施設側は何かにぶつけて出来た傷と判断して警察には届け出ていなかった。

また遺体発見直後に部屋から病院への搬送作業などによって、現場保存が適切でなかったことも現場検証など基本捜査が難航した一因とされている。

 

■環境

鹿追町十勝平野北西部に位置する畑作や酪農を主要産業とする人口約6000人(1995年当時)の小さな町である。1960年には約2000世帯、人口10000人を超えて増加のピークを迎えたものの、交通網の整備などにより70年には人口7883人と流出超過が進み、微減傾向が現在まで続いている。

1947年、町と然別湖の間に陸上自衛隊然別演習場が設置され、駐屯地を備える。

十勝平野に位置し、地図で見ても分かる通り、町の周囲は広大な耕作地に囲まれている。最寄り駅は根室本線新得(しんとく)駅で事件現場からは約18キロ、車で25分程の距離にあり、比較的距離がある。付近の都市としては35キロ程離れた帯広市が中心街となる(車移動でおよそ40分)。

しゃくなげ荘は1980(昭和55)年に町立の特別養護老人ホームとして開設。85年に法人化され経営が移管された。平成に入ってから利用者が増加し、事件当時の入所定員は50名、スタッフは28名であった。男性職員は施設長を含めて6名、うち2名が介護担当職員で、残る22名は女性が占める職場であった。専門学校を出て就職した若い女性介護スタッフが多かったという。

1997(平成9)年11月には食堂が増築され、その後、ショートステイ棟、ユニット棟の増築が進められ定床数を増やしていったことからも、ほぼ定員いっぱいの利用者がいたとみられる。

 

気象庁データによれば事件のあった97年6月2日から3日にかけての気象状況は、

〔2日〕降水量0mm、最低気温3.8度-最高気温9.0度、最大風速2m、日照時間0.0h

〔3日〕降水量5mm、 最低気温4.6度-最高気温10.3度、最大風速2m、日照時間0.0h

とされ、5月の平均気温8.7度、6月の平均気温14.0度であるから、厚い雲に覆われて肌寒い日が続いていたと見ることができる。尚、3日の降雨は3時前後である。

事件前に目の下を怪我した5月12日(13日?)についても見ておくと、

〔12日〕降水量1mm、最低気温0.8度-最高気温16.5度、最大風速3m、日照時間9.6h

〔13日〕降水量0mm、最低気温0.9度-最高気温23.2度、最大風速3m、日照時間8.5h

とされ、日中よく晴れて寒暖差が非常に大きく、13日に関しては当年5月の最高気温を記録している。

 

犯人像について

睡眠中の老人の頸動脈を切りつける犯行からは明確な殺意が窺える。その一方で、沼倉さん自身はすでに入居から8年で認知症も進んでいたということから、外部の人間とは長らく交流する機会もなかったにちがいない。

また通常こうした施設では紛失やトラブルの元となるため貴重品を所持させない。荒捜しした形跡がなかったことからも金銭等の強盗目的ではなかったと考えることもできる。

数は少ないと思うが、施設の特性上、退所した元利用者なども高齢者であるため、窓からの侵入や非常口のひさし(数十センチ程度の屋根)に上って様子を窺うといった犯行とは相容れない。もし動機が怨恨にあるとすれば、ホーム職員ら施設関係者、あるいは親類や古い縁故の者に限られてくる。

 

まず施設関係者であれば建物の構造、夜間巡回についての知識もあり、最も犯行に適している立場にあるといえる。日常的な不満やトラブルから殺害に至る動機も充分にありうる。当然、道警の取り調べも最も時間が費やされたと思われる。沼倉さんは認知症もあり突発的に不満をあらわにする場面も多く、着替えやおむつ交換などの際に激しく抵抗し、女性職員では制しきれない力で叩かれたり、蹴られたりしたこともあったという。

親類や古くからの縁者であれば、強い怨恨があったとしてもおかしくはない。だが親族や通常の面会者であれば、施設側でも把握されており、警察の聞き込みも早々に及んだものと思われる。また沼倉さんの死に遺産相続などが絡んでいれば親族は真っ先に疑いが向けられたはずだ。

 

そうすると1か月前に沼倉さんに怪我を負わせたという「30歳くらいの男」という話が引っ掛かるところである。話の出処は不明だが、ホーム職員か治療した医師あたりであろうか。

沼倉さんが複数人に対して直接そのように話していたとすれば重要証言のひとつとなるが、たとえばなじみの担当職員が「沼倉さんがそのように言っている」と他職員に伝えたり、日誌などに記録したり、病院側に説明していたことも考えられる。

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認知症に関して言えば、自分の失敗について理屈の通らない「言い訳」をすることは非常に多い。「30歳くらいの男」発言についてもその信用性は決して高いとはいえず、おそらく警察に通報していても100パーセントは信用してもらえないのではなかろうか。

しかし穿った見方をするならば、被害者が認知症で「信頼できる」状態にないのをよいことに、虐待した施設職員が揉み消すために「30歳くらいの男」発言を捏造したとは考えられないか。日常的な虐待がなかったとしても、急に物を思い切り投げつけられて咄嗟に投げ返す、強い力で腕を掴まれて思い切り突き飛ばしてしまうといった突発的な出来事で怪我をさせてしまい、隠蔽が行われた可能性も脳裏をよぎる。

元警視庁捜査一課長田宮榮一監修『捜査ケイゾク中 未解決殺人事件ファイル』(2001、廣済堂)では、施設側は沼倉さんが窓を開けて物を投げ捨てる奇行に手を焼いており、容態の進行から病院への転室を促したが、一般病院ではトラブルを起こしてホームに戻されたことがあったとされる。事実上、家でも病院でも特養ホームでもお手上げに近い状態だったといえる。

未解決殺人事件ファイル―捜査ケイゾク中

仮に「30歳くらいの男」が事実いたとして、当時80歳だった沼倉さんにとって一般的には「孫世代」に当たる人物となる。直接的に沼倉さんと面識があった、怨恨を抱くような人物となれば、実際の孫(不明)かホームで働く職員以外には考えづらい。

「沼倉さんは窓を施錠し忘れることが多かった」とされているが、はたして本当に沼倉さんが施錠し忘れていたのであろうか。当日夜勤でなくとも、職員であれば密かに解錠しておいて侵入経路を確保することも不可能とまでは言えない。

事件が発生した1997年6月2日は月曜日、3日は火曜日。さらに事件前に目の下を怪我した5月12日は月曜日である。これが偶然の一致なのかは分からないが、当時の施設の勤務状況や出来事と照らし合わせれば何か分かることもあったかもしれない。

一方で、容態は思わしくなく、自立的に寝起きできない「寝たきり」に近い状態で、死期が迫っていたとさえ記されている。

 

別の犯人像

既述の通り、施設関係者や親戚縁者などは真っ先に疑いを向けられる対象である。孫には20代、30代の者もいたが、同居経験はなく、疎遠と言ってよく、殺害に至るような恨みや金銭的なからみもなかった。

警察では、有力な証拠もなく、ほかに容疑者が浮上しないこともあって特養ホームの施設長、現場責任者の生活指導員に追及の矛先が向けられたとされる。しかし長年にわたって対応に苦慮しながらも、受け入れを続けてきた彼らがもはや「死期の迫った」入所者をどうしても殺さなければならない理由というのもどうにも酌みがたい。

十分な調べによって、施設関係者や古くからの縁者の線は排除されたとすれば、はたしてどのような犯人像が想定されるか。被害者に対する個人的な怨恨が動機ではないケースをいくつか挙げて終わりにしたい。

 

ひとつは老人嫌悪による差別的犯行が考えられる。相模原市障碍者福祉施設で起きた連続殺傷事件(植松聖)のように、強烈な差別意識から無力な老人男性や認知症を持つ老人を狙う動機になったのではないか(相模原の場合は障碍者に対する嫌悪・優生思想)。同業他社の介護従事者や自宅での身内の介護ストレスなどによっても、そうした差別感情を拗らせ、その腹いせで犯行に及んだ人物なども想像されないか。

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また鹿追は非常に小さな町であることから、同じ町内で犯行を犯すには大きなリスクを伴う。帯広、芽室、清水といった近郊の市町村に在住していることも考えられる。過去に鹿追在住だった可能性もある。

 

もうひとつは、被害者でなく施設職員に対して恨みを持つ人物による当てつけ的な犯行である。第一発見者の施設職員は25歳女性であり、同僚も女性ばかりという労働環境である。

事件捜査となれば被害者との個人的トラブルについて真っ先に目が向けられるが、28人の職員について、たとえば恋愛関係のもつれ、離婚の有無といった周辺の人間関係やトラブルまで充分な洗い出しきれたのだろうか。そうした職員の身内や知人であれば、施設情報や勤務形態などについてもある程度知る機会はあるだろう。

類推して考えれば、たとえば職員の息子が、責任を負う立場になる親に対する当てつけとしてそうした犯行に至ることもありうるのではないか。だとすれば、事件当日(および5月12日)の施設職員の身辺に恨みを持つ人物はいなかったか。

 

あるいは無知な若者による犯行も当然考えられる。事件の起きた1997年当時、若者の間ではハイテクスニーカーブームが絶頂の時期であった。NIKE社の「エアマックス95」は元々1万5千円程度で販売されたものの、斬新なデザインが人気に異常な拍車をかけ、20万~30万円近い高値で取引されることもあった。当時はまだインターネット黎明期でパソコン通信をする人口はひと握りに限られており、フリーマーケットや個人情報交換雑誌『じゃマ~ル』などを通じて個人間売買も盛んになっていた。その異常人気から、模造品の転売、街中での「マックス狩り」も社会問題となるほどであった。

現場で発見されたスニーカー痕の製品名は明らかにされておらず、模造品の可能性も排除しきれないように思うが、そうした高価なファッションに金をかけるために強盗に押し入る発想は想像できる。親の介護などの経験のない若い世代であれば、入所者は金品を持たされないことなどを知らなかったことも考えられる。侵入したはいいが、金目のものは見当たらず、脅かして聞き出そうとしたが激しく抵抗したため、咄嗟に切りつけ逃げ去ったというのがシンプルな見方かもしれない。

この筋読みであれば、犯人は10代から20代。個人を狙っていた訳ではなく、窓がよく開いている「ぼたんの間」に目を付けていたとすれば相当に近場に住んでいたことも推測される。

 

現在では監視体制の強化や防犯意識の向上により容易にこうした施設を襲撃する事件は起こりづらくはなっている。とはいえ、カメラの外、防犯の隙をついていついかなる凶行が襲ってくるとも限らない。介護従事者の方々だけで防犯するにも限界があるため、今後もより安全で快適な施設づくり、制度設計が求められる。

 

沼倉さんのご冥福と、ご家族の心の安寧をお祈りいたします。

 

自発的失踪の行方—鹿児島市女子高生死体遺棄事件

2019年8月、鹿児島市吉野町の山林で一部が白骨化した身元不明の遺体が発見される。その後、遺体は県内で13年前に行方不明になっていた(当時)高校3年生だった女子生徒と判明。

事件はすでに終結済みだが、毎年、数ある行方不明事案と事件との中間ともいえるケースとして振り返っておきたい。

 

■発見

2019年8月13日午後、鹿児島市吉野町磯地区の山中で作業をしていた男性から「人骨のようなものがある」と警察に通報が入る。

発見現場は、JR鹿児島中央駅から北東約5キロの山林内で、薩摩藩島津家別邸の名勝・仙巌園(せんがんえん)のすぐ近くであった。

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仙巌園錦江湾を大きな池に見立てて桜島を臨むことができる雄大な景色から「磯庭園」とも呼ばれ、島津斉彬が大砲鋳造のために設けた旧集成館反射炉などが「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして2015年に世界文化遺産に登録されるなど、鹿児島を代表する歴史観光スポットとして知られる。

また2018年にはNHKで放映された大河ドラマ西郷どん(せご)』のロケ地としても登場しており、当時は特に脚光を浴びていた。一日数百から数千人もの拝観者があり、目の前を通る国道10号は鹿児島市から県東部、宮崎、大分までをつなぐ主要道路で交通量もある。海水浴場にも近く、周囲にコンビニや飲食チェーン店もいくつか存在する。

一方で周辺人口は少なく、発見現場は近隣住民でも滅多に立ち入らない山林であった(下の地図の駐車場北側)。不審車両の出入りがなかったかなど、周辺の防犯カメラ映像の解析が進められた。

 

 

 

 

その後、県警が捜索した結果、8月19日16時25分頃、一部が白骨化した残りの遺体を発見。大半が土に埋められていたことから死体遺棄事件と断定して殺人の可能性も視野に入れて捜査が進められた。

司法解剖の結果、目立った外傷はなく死因は特定されなかったが、発見時点で「死後1年は経過していない」と見られた。8月下旬には遺体着衣の一部のイラストを公開され、身元の特定が急がれた。

 

■特定

 9月25日、鹿児島県警は、遺体のDNA型鑑定、歯型の治療痕によって、2006年4月から志布志市で行方不明となっていたNさん(不明当時17歳)と判明したと発表。

行方不明から約13年ぶりの発見は、最悪の結末を迎えた。

しかし行方不明とされてからすぐに死亡した訳ではなく、10年以上の間、生存していたとみられることから、その間の彼女の足取りや、はたしてだれが遺棄したものか、様々な憶測を呼んだ。

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桜島の左手にあるマークが発見現場、右下が志布志市

志布志市から直通の電車こそ通っていないが、鹿児島市までおよそ80キロメートル、車であれば90分ほどの距離である。

たとえば自発的な家出のほか、誘拐犯による長期監禁や洗脳状態に置かれていた、あるいは暴力団などによる人身売買ルートに流された、などといったことも考えられた。

 

■行方不明

 Nさんは県立高校3年生だった2006年4月初旬に行方が分からなくなった。

当時、父、妹、弟との4人暮らしで、夜中に家から出て行く物音を家族が聞いていた。携帯電話や財布を持って出たことから、自発的に外出したものと考えられた。

しかし、翌日以降もNさんは帰宅せず、高校から「始業式に出席しなかった」と父親に連絡が入り、6日、志布志署に家出人捜索願を提出。犯罪に巻き込まれた可能性がある「特異家出人」として受理されていた。

しかしその後、家族に「元気でいる」という趣旨のメールが複数回届いており、内容の一部に家族だけが知る情報が含まれていたことから、本人が発信したものと考えられた。また離婚して別居した母親にも同様のメールがあったとされている。

 

そのため、家族はNさんが事件に巻き込まれたとは考えておらず「家出」として捉え、親族間で話題にすることは避けて過ごしてきたという。

2019年に発見された遺体がNさんと特定された際、遺族は代理人弁護士を通じ「事件のことを知り、驚きと深い悲しみに包まれています。捜査を見守っていきたい」とのコメントを出した。親族の女性は「おとなしく、勉強もできる子だった。どこかで誰かと一緒に生活していると思っていたのに。こういうことになって苦しい」と語った。

 

 

■時効 

2020年4月22日、鹿児島県警捜査1課は、Nさんの死体遺棄の疑いで、鹿児島市の30代・無職男性を鹿児島地検書類送検したと発表した。つまり被疑者は特定したが、逮捕をしないということである。

 それまで発覚を免れていたものの、死体遺棄事件となったことで捜査が本格化し、当時Nさんの知人だった男性が浮かび上がった。男性は「事実に間違いない。Nさんの家族に申し訳ない」と容疑を認めた。

殺人を含む凶悪犯罪については2010年に公訴時効は廃止されているが、「死体遺棄」であることから「3年」という時効が成立した格好である。無論、殺害についても捜査や任意の事情聴取は進められたと考えられ、その結果、男性は殺害に関与していない(殺人罪に問うことはできない)と判断されたことになる。

 

Nさんは家を出た2006年4月以前にインターネットを介して男性と知り合い、家を出てからすぐに男性が鹿児島市内に借りるアパートで一人で暮らすようになったという。

男性は10年ほどの間、Nさんが暮らすアパートを訪ね、食料や日用品などを届けていたが、2016年5月にアパート内で死亡しているのを発見。「家出人を匿っていたことがばれるのが怖かった」として、数日後、遺体を山林に遺棄したと話している。

県警はNさんの死因が特定できてはいないものの、他殺の可能性は低いとした上で、男性による監禁についても認められないとし、事件を終結させた。

Nさんの遺族は弁護士を通じて、「犯人が処罰されないことは残念としか言いようがありません。今はただそっとしておいてほしいと思います」とコメントを出している。

 

 

 ■“出会い系”からSNS

Nさんと男性がどのようなサイトを通じて知り合ったのか、家出以前に面識はあったのかといったことは明らかにされていない。

ここでは簡単に当時の若者のインターネット事情を確認しておきたい。1999年以降、NTTDoCoMoが提供した携帯電話サービス“iモード”によって、若年層のインターネット利用が爆発的に増加。『魔法のiランド』『スタービーチ』などいわゆる“出会い系”サイトが乱立し、売買春やわいせつ被害の低年齢化が大きく問題となった。2003(平成15)年にはいわゆる出会い系サイト規制法が成立したが、下の表の青線を見ても分かるように青少年の利用状況に大きな影響を与えなかった(出会い系サイトは08年の規制強化で大きく減少に転じている)。若者たちは携帯での出会いを積極的に求め続けていたのである。

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規制強化の流れを受け、2004年には『前略プロフィール』『GREE』『mixi』といった交流サイトが立て続けにサービスを開始し、若い世代を中心に人気を博した。趣味や関心領域、ブログ等を介して、見知らぬ人と知り合うことが当たり前となった。また地域掲示板などを介して連絡を取り合ったり、イベントオフ会なども定着した。

同じ鹿児島県内で同年代の男女が知り合う、それも「家を出たい」という少女がいれば「助けになろう」という男性が現れることはなにも不思議なことではない。2010年代には「ネカフェ難民」や「家出少女」が社会問題化することを私たちは既に知っている。貧困や虐待、家庭内不和、あるいは自分の夢や目標を叶えるためといった様々な事情で家を出たいと考える若者はいつの時代にも一定数いた。

 

■事件について

母親は離婚して別居、弟妹がある家庭で家事の負担や将来への不安感から、一人になりたい、別の人生を歩みたいと考えたのかもしれない。多感な高校生の時期にネット上での協力者との出会いをきっかけに家出が実行されたと見られる。素直に想像するなら、10年間もの間、男性からの支援で生活してきたものの、病気か何かで亡くなってしまったというところだろうか。

男性に殺害の疑いを向けることもできるが、自身やNさんとの将来に向けて思うところもあったには違いないが、家出少女に10年間尽くしてきた男性が急に殺害に転じるとはやや考えにくいものがある。重病者に対してそのまま放置すれば命の危険があると判断できているにもかかわらず病院に連れて行かない保護責任者遺棄致死などの可能性も想像できなくはないが、ほとんど周囲の人も知らない関係性と思え、遺族の意向などもあって立件されなかったのかもしれない。

裁判はおろか逮捕すらされなかった死体遺棄事件であるため、公開されている情報は多くない。そのため穿った見方はいくらでもできてしまうが、これ以上の詮索は自重したい。

 

都会であれば、水商売など金をつくる手立ても探せば見つかる。不良であれば縁故や金になる犯罪への手引きも身近にあるかもしれない。だが田舎の普通の学生が、不意に家出を思い立ったとき、手近にあったのが携帯電話のSNSだった。幸運にも協力者が現れ、彼女は家出を決行し、切ない最期を遂げてしまった。

だがこうした「普通の行方不明者というのは、もしかすると私たちが考えている以上に多く存在しているのかもしれない。若い内は大きな病気もせずに衣食住の心配だけで事足りるが、いざ病気に罹って働けなくなったり、協力者(人によっては交際相手、不倫相手など)との間に軋轢が生じたりすれば、すぐに行き場を失う弱い立場で生きている。

「家にいたくない」「お金が欲しい」といった素朴な感情は、老若男女を問わず誰しも生じる。見ず知らずの他人に一宿を求める家出少女や多額の金銭を法外に得ようとする「パパ活女子」などSNS上で自らの隙を見せるような行為は、犯罪者を増長させる愚行である。

家出少女を狙った栃木連続少女監禁(伊藤仁士)や、自殺志願者を狙った座間連続殺人(白石隆浩)のようなケースにいつ巻き込まれてもおかしくない。どれほど切実に「神待ち」をしていても、本物の神に出会える確率より神の顔をした悪魔の方がはるかに巡り合う機会は多いだろう。そうした自暴自棄にも近い状況に追い込まれた若者を悪魔は待ち構えているのだ。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

 たとえばDV等から逃れてシェルターの保護を受けて救われる人生もある。家出して金のためにと始めた商売で、努力して幸せをつかんだ人もいるだろう。「そのまま家に留まっていれば幸福だった」とは思わないし、家出の判断を強く咎める気もないが、結果的に見ればNさんに必要だったのは「家出に協力してくれるだけの人」ではなかった。自立の道を一緒に探してくれる人、どうすれば家庭生活を立て直せるかアドバイスできる人間が必要だった。

共に笑い苦しみを癒してくれる仲間、親身に寄り添ってくれる親友や近隣住民とのきずな、ときには叱ってたしなめてくれるバイトの先輩などの人間関係を築いていく方が、彼女の生活基盤を支えていくには理に適っていたかもしれない。

相談できる「リア友」、助力してくれる親類縁者、事情を理解して気遣ってくれる教師など頼れる大人はいなかったのだろうか。若さゆえの無謀さ、あまりにも身近になった「メル友」に頼り過ぎたことで外れた道から戻れなくなり、行き場を失った悲劇ともいえる。当初どうやって生きていくつもりだったのか、帰る意志があったのか等は分からないが、家出を支援し続けた知人男性にも大いに非はある。

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生活困窮やDV、ヤングケアラー(若年介護者)、トー横キッズなど、日本のこども・若者を取り巻く社会問題は山積している。保護者の問題、よその家の話と片付けるには忍びないが、一般市民が周囲の声なき声に対してできることはそれほど多くないのも現実である。だが、たとえば近所のこどもたちとの挨拶や他愛ない声掛け、お腹を空かせたこどもがいれば「こども食堂」の場所を教えたり、学校・警察・児相などの公的機関につないだりといった小さな「おせっかい」が彼らの窮地を救う命綱になるかもしれない。

「大人は信用できない」ではなく「信頼できる大人もいる」ことを示す、困ったときに少し頼っていいと気づかせてあげるだけでも、こどもたちの人生はそこから大きく変わる可能性がある。こうした悲劇を生まない社会に変えていくことこそが大人の務めである。

 

亡くなられたNさんのご冥福とご家族の心の安寧をお祈りいたします。

大雪山SOS遭難事件について

  1989年7月、北海道中央部に位置する大雪山系旭岳で発覚した遭難事件について、風化阻止の目的で概要などについて記す。

 山岳レジャーは老若問わず昔から非常に人気があり、夏山登山を楽しむ人も多いかと思う。だが年間3000人ほどの遭難者を出す危険と隣り合わせの娯楽でもある。

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■経緯

1989(昭和62)年7月24日、北海道警航空隊のヘリコプターぎんれい1号は大雪山系・黒岳から旭岳に向かう途中で行方が分からなくなっていた東京都在住の登山者男性(62)ら2名の捜索を行っていた。

登山ルートから大きく外れた旭岳南方の忠別川源流部の湿地帯に、白樺の倒木を組み上げてつくられた「SOS」の文字が発見される。

そこから2~3キロ北の地点で捜索中の登山者2名が発見され、18時50分頃に無事救助された。

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赤色線が主要登山ルート、桃色丸が「SOS」地点(画像・YAMAP)

■概要

道警は登山者たちが「SOS」の文字をつくったものと見て、救助後に事情を確認したところ、救助された両名は文字については知らないと話した。道警は他にも付近に遭難者がいる可能性を鑑み、翌25日午後から救助隊4名が再び現場へと赴いた。

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「SOS」から数十メートルの範囲に白骨化した大小3片の人骨がばらばらに見つかり、さらに70メートル程離れた地点にリュックサックが発見され、中にはポータブルラジオカセット(テープレコーダー機能付き)とカセットテープ、洗面器具などが入っていた。

骨や荷物が散乱していたのはキツネなどの野生動物が漁ったためと見られた。

 

北海道警・旭川東署は当初、「文字は登山者によるいたずらの可能性もある」としていたが、近くに人骨や遺留品が発見されたことから、詳しい鑑定作業を進めるとともに、遺体の見つかっていない過去の遭難者について調査するとした。

 

■初期報道

・「SOS」は一文字が約3~5メートル角の大きさで、長さ2~3メートルほどの倒木を三重に重ねて作られていた。一部は土に埋没し、枯れ草が絡みついている状態などから、少なくとも一冬以上は経たものと見られた。

(28日には、国土地理院林野庁が作成する航空写真にも「SOS」が確認された。撮影は5年毎に行われ、87年9月20日撮影時には文字が存在していた。)

・見つかった人骨3片は骨盤の一部、上腕骨、大腿骨で、発見時にも「死後数年は経過したもの」と報じられた。

 

・骨の鑑定は旭川医大で行われ、そのときの鑑定では骨盤の形状から「年齢20~40歳代(25~35歳との記載もある)」で「身長160センチ前後」の「女性」と推定された。

死後1~3年が経過しており、獣に食われた痕跡が認められた。山中にはヒグマも生息することから、襲われた可能性もあるとされた。

・白骨化した人物が「SOS」の文字をつくったとすれば、遭難時期は1986(昭和61)~87年頃と逆算された。

 

・遺留品のザックは縦27×横25センチ、灰色。録音機能付きのポータブルラジオカセット、カセットテープはポータブルラジカセに入っていたものと合わせて計4本。

山王神社交通安全守護」と記された朱色のお守り(東京日枝神社、山形山王神社、宮崎山王神社で取り扱い)。

石鹼シャンプー歯ブラシチューブ入り歯磨きなど洗面器具一式が入ったビニール袋。プラスチック製の緑色のコップ。

大阪市ー(不明)ー住友生命本社ビル七階小僧寿し本部」と書かれた薄いビニール袋が発見されている。(27日・毎日朝刊)

 

■男と女

 7月27日には遺留品のカセットテープが完全再生された。

ポータブルラジカセに入っていたテープA面の終わりには、およそ2分17秒間にわたって遭難者と思われる音声が吹き込まれていた。男性が声を目いっぱい張り上げたものなのか、一語一語はっきりとした、抑揚のない独特の喋り方で耳に残る。

 

「がけのうえで 身動き取れず

エス・オー・エス 助けてくれ

場所は はじめに ヘリに会ったところ

笹ふかく 上へはいけない

ここから つりあげてくれ」

 その内容からは、身動きが取れない場所にいることが示され、上空のヘリコプターに向けて発信しようと吹き込まれたものと推察された。

一般的に考えれば、テープレコーダーの音量より肉声の方が遠方まで届くのではないかと思われ、声がヘリの乗組員の耳に届くとは考えづらい。遭難してから何度となく叫び続けたが甲斐なく、ヘリを見掛けて「SOS」をつくったが気付いてもらえない。だが頭上を通過していくのを黙って見過ごせないという遭難者の切実な生への執着が吹き込ませた「心の叫び」と言えるかもしれない。

体力の消耗が迫る中で窮余の一策としてテープにありったけの声量を振り絞って録音したものと考えるのが妥当と思われた。

一方で7月28日の毎日新聞朝刊では、旭川東署のコメントとして、「録音するのが目的ではなく、助けを求めて叫んでいる際、何かのはずみでカセットテープのスイッチが入り、声が録音されたことも考えられる」とも報じられている。

 

・カセットテープ4本の内訳は、60分テープには『超時空要塞マクロス』主題歌などアニメソング、46分テープにはマクロスについて語られたディスクジョッキー風の男女の会話(ラジオ番組の録音?)。90分テープ2本の内のひとつはアニメ関係の曲ばかり。

残る1本のA面終わりに音声が吹き込まれ、B面にはテレビアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』主題歌などが録音されており、カセットケースにも『ミンキーモモ』の絵柄が使用されていた。(28日・毎日夕刊)

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・1989年当時、東京埼玉連続幼女誘拐殺人(宮崎勤)によって“オタク”カルチャーに注目が集まっていたこともあり、テープの主はアニメオタクだったのではないかと見られた。手塚治虫鉄腕アトム』の話中で、月に不時着してサバイバル生活を送るアトムが地球からの救助を求めて巨大な「SOS」の文字をつくるシーンが登場することから、そうしたエピソードを真似たのではないかとの憶測を呼んだ。

 

・1989年の直近では6月27日に東京の会社員(46)が旭岳に向かったまま行方不明となっており、4月6日に札幌・丘珠空港から網走女満別空港へ向けて立ったまま消息不明となった三人乗りプロペラ単発機のルートも付近上空だったと見られている。

大雪山系での当時の遭難者は、86年に9人(死者1)、87年に7人(死者2)、88年に3人(死者0)が確認されていた。(26日・朝日朝刊)

・それ以前では、84年7月に旭岳で消息不明となった愛知県江南市の会社員Aさん(当時25)がおり、両親に音声テープを聞いてもらったところ、「息子のようにも聞こえるが、そうでもないようにも聞こえ、確認できない」と述べている。

 

・28日の捜索では、新たに「女性らしい一人の頭蓋骨」、「カメラ用三脚」、「サイズ27センチの男性向けバスケットシューズ(左)」、その他Tシャツやトレーナーのような繊維片を発見した。

・女性と見られる白骨は推定25~35歳、死後1~3年が経過しており、身長は160センチ前後と見られ、歯には2か所の治療痕が確認された。血液型はA型。該当する年代に行方不明となっている入山届は確認されず、未提出で入山したものと考えられた。(30日・朝日朝刊)

 

Aさんは宿泊先に身分証などの荷物を残したまま単身で旭岳へ出掛け、夜になっても戻らないことから84年7月に行方不明の届け出が出されていた。発見された遺留物の多くはカメラを愛好し、アニメ文化に嗜みのあった男性会社員Aさんのものと推定され、「SOS」やテープの声もおそらく同一人物によるものと見られたが、白骨の一部が「女性」と推定されたことで、事態は謎めいたものに感じられた。

男女が山道で知り合い、一緒に遭難してしまったのか。はたまた男性と女性は別々のタイミングで遭難していたものなのか。なぜ女性のものらしい遺留品は発見されないのか。当時の鑑定技術や限られた遺留品から状況を把握することは困難を極めた。

 

■地形 

付近に詳しい旭川山岳会会長・速水潔さんによれば、旭岳山頂から約200メートル下方に「金庫岩」と呼ばれる岩があるという。金庫岩を(頂上側から見て)左折し50メートル程行くとまた大きな岩があり、正規ルートであればこの「ニセ金庫」と呼ばれる岩を右折して下山する。SOS遭難者は「おそらくこのニセ金庫岩に騙されて直進してしまい、約4キロ離れた現場まで迷い込んだのではないか」としている。 (28日・毎日夕刊)

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赤色線が正規ルート、桃色矢印は遭難者が進んだと見られる方向(画像YAMAP)

旭岳は標高2291メートルながら1600メートル付近までロープウェイで一気に上ることができ、登山ルートはほぼ一直線で片道3キロにも満たないことから人気の高い山である。山頂から金庫岩付近にかけては見通しがきく状態であれば緩やかな登山道で危険は少ないように見える。

だが足元はガレ場(岩礫地)でもともと登山道(踏跡)が不明瞭なうえ、付近は濃霧が発生しやすく方向感覚を失う恐れもあるとされる。下の『YAMA HACK』記事では、初級者でも挑戦しやすい山ながらも気象条件によって視界が遮られ、「金庫岩」「ニセ金庫」によって遭難するリスクがあることを分かりやすく説明している。

yamahack.com

 

山岳遭難の原因の約40パーセントは「道迷い」であり、「滑落」「転倒」の約15パーセントを大きく上回る。おそらくSOS遭難者もはじめに道に迷ったと思われる。

登山で道に迷ったときは、元の道を引き返して「ルートに戻る」ことが最重要である。しかし下山の際には、疲労により「再び上る」という選択肢が選びづらくなるとされ、「もう少し下れば目印が見えてくるだろう」と進むうちに遭難に繋がりやすい。山頂から遠のくほど周囲のひと気がなくなり、上空救助からも発見しづらくなる。

また暗くなってから行動すると、余計に元来た道や自分が進んでいる方向感覚が定まらなくなり怪我などのリスクも大きい。雨風のしのげる場所へ退避して焦らず夜明けを待つことが肝要とされている。

 

テープの声が示していた「がけ」がどこを指すのかは分からないが、「SOS」地点は川に近い湿地帯、地形図で言えば「谷」に当たり、上空からの捜索には不向きな、目に付きづらい場所に遭難していたことが分かる。

またSOS周辺の「笹」は頂上方向からは掻き分けて下っていけるが、下からは上りづらいものだったとする指摘もある。もしかすると飲み水などを求めて川に近づいたことも考えられるが、沢歩きは体温を奪われるおそれや不十分な装備では怪我のリスクが大きくなるばかりである。

 

■見直し

8月にも再捜索が行われ、人骨、毛髪、腕時計、衣類などが発見された。遺留品は男性会社員Aさんのものと見られたが、毛髪、30点にも及んだ人骨については性別不明とされ旭川医大で関連が調べられた。

8月4日、旭川東署は計4回の捜索で可能な限り調べたこと、現場状況から犯罪性は認められないことなどから、新たな有力情報がない限り捜索を打ち切ることを宣言した。

 

1991年2月28日、旭川東署は「SOS」付近で発見された人骨の全てについて、84年7月に行方不明となった愛知県江南市の会社員Aさんのものと断定。当初、骨盤は「女性」のものと見られていたが再鑑定などにより覆される格好となった。

 

現在であれば毛髪などからDNA型鑑定で個人の特定につながるものと考えられるが、日本での導入開始は89年から、本格運用は92年からとされており、当初は凶悪刑事事件において血痕から被害者を特定するといったもので、本事件は該当しないものと考えられる。再鑑定がどのように行われたのか、どういった経緯で“見直し”が行われたのか充分な詳細は得られていない。

 

2012年11月~12月にかけて、匿名掲示板でAさんの元同僚という「中の人」なる人物がいくつか書き込みを残している。信憑性は分からないがかいつまんで内容を記しておく。

・(失踪当時)勤務先だけでなく全社でカンパを募ったが、民間の捜索ヘリは費用が高額で30分~1時間、2~3回しかチャーターできなかったため十分な捜索ができなかった

・(骨について)遭難者Aさんは「ずっくりむっくり」(腰回りの大きい)体型だったため、社内では「女性に間違われている可能性はある」と考えられていた

・(遺留品について)アニメキャラ、「SOS」の文字、テープ録音などから警察発表より前にAさんで間違いないと社内では皆が確信していた

・(オタクだった?)オタク気質だったが知識欲が旺盛で(宮崎勤のような)反社会的な印象はなかった

・(仕事ぶり)業務では非常に難解なエネルギー関連の熱量計算もやすやすとこなす優秀な人物だった

 

はたして私たちにはAさんの骨格は確かめようがなく、発見された白骨を見ることも適わない。平野部とは異なる極めて過酷な風雪を5年間浴び、野生動物による食害もあったとなれば相当な損壊や風化はあったにちがいなく、骨格から性別を推定することも困難を極めたであろう。

「女性」と断定されていたものがそっくり覆されたというより、当初の「女性」という推定も「どちらかといえば女性の骨盤の形状に近く見える」というような曖昧な判断だったかもしれない。

後から発見された(おそらくは更に細かな)骨片、Aさんの体格から推定される骨格などとの比較、女性ものの遺留品が発見されなかったことから、「男女」の骨ではなく「Aさん」ひとりの骨と見て差し支えないと判断された。

なぜ見直しが行われたのか、女性の骨も混じっているのではないか、と疑い出せばきりはないものの、女性がいたことを指し示すものはそれらしく見える骨の一部しか見つかっておらず、Aさんの存在を示す証拠だけが残されていた。無論、動物がどこからか女性遭難者の遺体や骨の一部を運んできたりした可能性は否定しないが、同時期に「男女が存在した」とするのはやはり難しいと思う。

  

■類似

 本筋とは逸れるが、似たようなエピソードをいくつか記す。 

イギリス南西部に位置するシリー諸島のひとつサムソン島。2004年4月12日、観光客30人の観光客を降ろした船が、ある夫婦を置き去りにして帰ってしまった。

ふたりは砂にSOSを書いて救助を待ち続け、90分後に訓練中だったボートチームに発見されて無事救出された。シリー観光局によれば“置き去り”は滅多にないことだが、30年ほど前に遭難者が火を焚いて助けを求めたこともあったと話した。

置き去りにした船頭はその後二人に謝罪し、許しを得たという。

 

2005年10月、本件と同じ旭岳で帯広市に住む自衛隊員の男性(42)が遭難する事故が起きている。9日、「19時には戻る」と告げて8時に一人で家を出た男性が戻らなかったことから、10日5時20分に妻が通報。ロープウェイ駐車場には男性の車が発見され、山中で遭難したものと見られた。

男性はテントなど宿泊装備は携行しておらず、山頂では最大10センチ程度の積雪があったことから捜索活動は急を要した。13日10時30分頃、遭難男性の携帯電話から断続的に3度の110番通報があり、現在地などを伝えた。はっきりした口調だったが53分を最後に連絡が途絶えた。翌14日にはヘリ8機を動員したが、発見には至らず。移動している可能性もあるとして困惑を示した。

17日9時30分頃、旭岳ロープウェイ姿見駅から約4キロ南、忠別川上流の谷底で男性を発見した。軽い凍傷と肋骨にひびを負っていたが命に別状はなかった。

9日に紅葉を撮影するため入山し、下山中にアイスバーンで30メートル程滑落し、ガスで方向を見失い沢筋に迷い込んだと説明。携帯電話は滑落により使えなくなったという。トレーナーに上下ウインドブレイカー、足元はスニーカーという軽率な装備で食料もごく少量だったが、沢水を飲み、「沢を下れば人里に出る」と考えて一日4~5時間できるだけ歩いたと話した。

男性は88年に隊のレンジャー資格を取得していたというが、下の記事では「体力を過信しているだけのレンジャーで、登山に関しては初心者以下」と辛口な指摘を行っている。事実、通報した地点から動き続けたことは発見の遅れにつながった。現役自衛隊員だったからこそ手厚い捜索を受けられて救出されたが、民間人であればそうはならなかった可能性が高い。

taisetsuzan.web.fc2.com

 

2012年、ロシア・トムスク州で男女3人がコケモモ採集に針葉樹林に入り、そのまま遭難する事件があった。自力での脱出は不可能と判断し、白樺の幹でロシア語のSOSに類する救助信号をつくった。

偶然にも近隣の森林火災の消火活動中だった航空機が発見し、遭難から5日目に救助されている。こちらも不幸中の幸いで救出につながった事例。日本でいえば山菜取りで遭難というところだろうか。

 

珍事件・怪事件ライターで『日本怪奇事件史』等の著者穂積昭雪氏によれば、本事件と似たように最期に「」が残されていた事件として1972年に起きたバス遭難事故を挙げている。

古い事件のためウェブ上では情報は得られなかったが気になる内容である。

 

下は2017年10月19日に旭岳で遭難していた男女4人が救出された様子。横浜市在住の高齢夫婦とマレーシア国籍の男性会社員、シンガポール国籍のデザイナー女性で4人は登山中に知り合いになったという。 

 

 

 

本稿で触れることはできなかったが、2009年7月のトムラウシ山遭難事故も旭岳が縦走ツアーのスタート地だった(旭岳ロープウェイ姿見駅→旭岳→白雲岳→忠別岳→化雲岳→トムラウシ山トムラウシ温泉を目指すルート)。整備されているとはいえ大雪山はその名の通り夏山であっても所々に残雪が見られる厳しい環境だ。

遭難したとき平静でいられる人間はそうはいない。山の掟、登山家の心得、日々の心構えがいざというときに生命を左右する。私たちにできることは絶対に同じ過ちを繰り返さないこと、遭難しないことが犠牲者に対する弔いだと思う。

きれいな景色や季節の花々、トレーニングや撮影目的で各地の山へ赴く人もいると思うが、「最低限の装備」ではなく可能な限りの装備を整え、素人でも経験者でも低山でも人出のある山でも、家路につくまで心して、素敵な山の思い出を増やしていきたいものである。

 

亡くなられたみなさまのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

ルイジアナ州ナネット・クレンテルさんの不審な死

死亡した主婦が自殺なのか、他殺なのかも定かではない、2017年にアメリカ・ルイジアナ州で発生した極めて不可解な未解決事件である。

事件からすでに4年余りが経過し、新たな情報も途絶えつつあるため、風化阻止の目的で記す。

 

下は被害者の姉ら遺族によって立ち上げられたFacebookページ。

https://www.facebook.com/justice4nan/?ref=page_internal

 

■概要

2017年7月14日、ルイジアナ州ラコンブのコヴィントン北・セントタマニー教区第12地区消防署長スティーブ・クレンテルさん方で母屋が全焼する火災が発生した。

焼け跡から元幼稚園教諭でスティーブさんの妻ナネット・クレンテルNanette Krentelさん(49)と愛犬ハーレーが焼死体となって発見された。しかしナネットさんは火災で死亡したものではなく、頭部には銃撃の跡が残されていた。

警察は、彼女自身が家屋に火を放ってから「自殺」したものと見立てを行ったが、遺族は捜査の不手際や見解に疑問を呈し「事件」であると訴えた。

 

町から離れた田舎にある100エイカーという広々とした土地に立つ3000平方フィートの平屋には9台の監視カメラが設置されていた。夫婦は「射的(ターゲット射撃)」の愛好家でライフルや拳銃など30丁もの銃器を保持し、ナネットさん自身も使い方を熟知していた。

生前彼女は「銃とカメラがあるんですもの、家にいる限り安全よ」と父親ダン・ワトソンさんにも話していたという。

 

■当日

金曜の朝、ナネットさんは普段通り夫スティーブさんに軽食としてピーナッツバターサンドをもたせて7時45分に送り出した。スティーブさんは朝のルーティンとして独り身の母親に電話を掛け、8時過ぎに母の安否をナネットさんにも伝えていた。

そのあと彼女はノースショア大通り近くのマクドナルドで自身の朝食をドライブスルーで購入し(画像は不鮮明であったが、約7ドル相当のカード履歴あり)、9時11分に帰宅。ナネットさんが運転するメルセデスSUVには愛犬のチワワも同乗しており、近隣の監視カメラ映像により確認されている。

10時3分、地元のKマートの薬局へ電話し、常用していた処方薬を補充する注文を行っている。

13時30分頃、彼女は携帯電話から発信したことが判明しており、これを最後に外部の人との接触があった形跡はない。

しかし電話先の相手は、ナネットさんもスティーブさんも知らないと言い、警察の調べでは“間違い電話だった”と家族に説明された。

14時30分頃、近所の少年が火災を発見し、隣人が911(消防局)で通報。

各署から消防隊が集められたが母屋はすでに全焼状態。16時頃に消火活動が落ち着き、現場の調査確認が要請された。

消火活動にも加わっていた夫スティーブさんは、18時37分にアイオワに住むナネットさんの父ダン・ワトソンさんに火災と娘の死を伝えた。

現場から遺体の搬出が行われたのは21時過ぎだった。

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■消防・警察への疑惑

事件当初、セントタマニー教区保安官事務所は死因について一週間明らかにしなかった。

火災についてブッチ・ブラウニング消防本部長は、出火元の特定や原因調査のために時間が必要だとし「現場の状況から見て数日はかかるでしょう」との見解を示した。

 

翌日の検死によって遺体の右こみかみ上に銃創が確認されていたが、捜査当局はその事実をすぐに家族に伝えることをしなかった。

邸内は全焼状態で瓦礫と灰に埋もれて有力な物的な証拠は得られず、警察は「自殺」との線で捜査を進めていた。

その後、正式発表は行われなかったものの捜査筋に近い情報によると、遺体のあった主寝室が先に燃え広がり、監視カメラの映像を記録するデジタルレコーダーに発火促進剤(灯油など延焼の触媒となるもの)が使用され、発火地点が少なくとも2つあることが伝えられた。

 

火災から5日後、捜査当局は現場の瓦礫の中から、ナネットさんが日頃から護身用に身につけていた40口径スプリングフィールド拳銃を発見した。後に凶器の断定こそ避けたものの、「被害者に使用された武器の可能性を否定できない」と説明している。

これについてナネットさんの姉でアイオワ州検事キム・ワトソンさんは、スティーブさんもサイズの異なるバージョンを所持していたと述べている。

 

7月21日、独立系メディアLouisianaVoiceがオンライン記事を通じて遺体に銃創があったことを明らかにし、現場捜査には認定資格を持った火災調査員が派遣されていなかったことを報じた。

LOSFM botches two fire investigations, with one involving suspicious death, aother producing bogus criminal charges | Louisiana Voice

遺体の銃創について非公式情報から知ることになったナネットさんの家族は捜査当局への不信感を顕わにし、郡保安官ランディ・スミスは同日ニュースリリースを発表して、遺族らへの情報公開の遅れについて陳謝した。この日まで現場保管の境界は設けられていなかった。

夫スティーブさんは現場保存や捜査体制に対する疑念から、放火専門の捜査官を外部から雇い入れた。専門捜査が開始されると埋もれていたショットガンや2匹の猫の死骸が新たに発見されるなど、火災直後の捜査体制の甘さ、現場管理の杜撰さが示される格好となった。

 

警察の捜査がナネットさんを「自殺」とする向きへと傾いたことから、遺族は弁護士を雇って捜査の再検証を求めた。

法医解剖で12000件の実績を持つトーマス・ベネット博士は、遺体の肺に火災による炎傷や煤が認められなかったことや血液反応から「自殺ではなく他殺だ」と断言する。博士は過去に飛行機墜落事故など焼死した遺体を数多く見てきている。

 

その後、「自殺」ではなく「殺人事件」として捜査する方針で固まったものの事件は未解決のままである。「事故」「自殺」でないとすればはたしてだれがナネットさんをなきものにしたのか。

 

 

■夫への疑惑

事件から2か月後の9月、夫スティーブが重要参考人として取調べを受けている。スティーブに消防署の女性部下との不倫関係があったことから結婚生活に問題を抱えていたと見て当局は疑いを強めていた。しかし自らポリグラフテストを要求し、潔白を証明し、当局は2017年中に「現時点で容疑者から除外された」と発表している。

 

2018年5月、消防局の内部調査によりスティーブさんが2人の職員と不適切な性的関係があったこと、設備の一部を誤って処分したこと(盗難や流用には当たらないと判断された)が判明し、600ドルの払い戻し命令と60日間の無給処分を受け、降格処分とされている。

合わせて20件の調査申し立てがあり、多くは彼の脅迫的な行動(おそらくパワハラ)に関するものであったが、ほとんどは報復的告発として調査を退けられている。

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本人は不倫の過去(10年前と2年前)を認めた上で、結婚生活においてそうした問題を乗り越えてきたと説明。またスティーブさんは火災同時刻には勤務中で同僚や勤務先のカメラなど確固たるアリバイが存在した。一方で、ナネットさんの家族は、ナネットさんが離婚を考えていたとも述べている。

 

ナネットさんの姉ウェンディさんは捜査当局に対し、「妹の追悼の夜、スティーブは私の兄弟に電話で“捜査当局の考えは『自殺』に傾いている”と言いました。私はそんなわけないじゃないの、妹が自殺なんて絶対にできるはずがない、我が子を賭けてもいい、と言った。なのに、あなた方警察は、女性でも自分自身を撃つことができる、ペットだって撃てるだろう、と言う。それで私はあなた方を信頼できないのです」と語った。

 

たとえばアリバイがあったとて第三者に殺害を委託すれば可能だとする向きもある。しかし彼自身が事故ではなく「事件」として外部調査、真相究明を率先して進めてきたことから見ても依頼者、犯人とは考えづらい。

2018年9月、スティーブさんは消防署行政長官を辞職。第三者による圧力ではなく、かねてから50歳での早期退職を考えており自発的な辞職だと説明した。

 

 

■不審な男

捜査機関によれば、事件の半月前の6月末、ナネットさんは父親に電子メールを送って不安を訴えていた。メールには見知らぬ不審人物の画像が添付され、「郵便物を取りに家を出たら、この男がこっちに近づいてきたの。不気味に見えたわ!」と書かれ、彼女が何者かに尾行されていた可能性を示した。

敷地内でナイフと煙草の吸殻を見つけたと言い、誰かが敷地内に入ってきたと訴えていた。不審人物は特定されていないが、もし脅迫のためにナイフや吸殻を残していったと考えると、夫スティーブさんの職業柄を考えると家族とは無関係な放火犯が一方的に逆恨みしていたのではないかとも考えられた。 

 

■危険な義弟

ナネットさんは長年、義弟に当たるブライアン・クレンテルさんに懸念を示していた。ブライアンさんは飲酒運転や警察官への暴行など大小合わせて36件逮捕歴があり少なくとも15件の有罪判決を受けた荒くれものの常習犯だった。

ナネットさんの友人ロリ・ランドさんはFacebook上で「逮捕の晩にブライアンはスティーブに“出所したらお前らを殺して自殺する”と言っていた」とナネットさんが怯えていたと記している。詳細は不明だが、ナネットさんがブライアンさんの問題に首を突っ込んだことが原因で恨みを買ったとされている。

さらに遡ること6年前の2011年3月には、1年の服役が明ける間際だったことからブライアンさんに「家を出たら火を点けて殺してやるなんて言われたらとても恐ろしいわ」と父親にメールで相談していた。

それを心配する父親に対し、防犯モニターを設置したことを伝え、施錠や銃、唐辛子スプレーもある、と気丈に返信していた。そして「家にいる限り安全」という彼女のセキュリティー意識につながるのである。

しかし彼にもまたアリバイが存在した。出所後は母親に軟禁されており、事件当日にも監視カメラで所在が確認されており、彼もポリグラフテストを志願して合格した。

 

■義理の息子 

また友人ロリ・ランドさんによれば、ナネットさんはスティーブさんの前妻との息子ジャスティンさんにも恐怖を感じていたと明かしている。

ジャスティンは昔も今も反抗期のこども。責任ある大人の行動がとれるとは限りません」とロリさんは言う。

しかしジャスティンさんについても事件当時は州外で生活しており、ナネットさんを脅迫したような証拠もない。

 

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上の記事で夫スティーブさんは、朝食を買いに出掛けていたのは往復30分程度、犯人はその間に家に近づいて待ち伏せていたのではないかと推理している。また邸内には警報システムも設置されていたが、日中の在宅時には起動させていなかっただろうとも語っている。

 

 

アメリカでは郡の住民によって選出されるsheriff郡保安官が裁判所の令状執行権と警察権を握っている。スミス保安官の失敗を受け、2019年の保安官選挙でティム・レンツ候補は30日以内の事件解決を公約に掲げて大きな注目を集めた。スミス氏はそうした未解決事件や被害者を利用した候補者に対して遺憾の意を表明している。

また事件の情報を漏洩した罪で担当刑事が懲戒免職されるなども起きており、現在は厳しい統制のもと事件の進捗はしばらく聞かれていない。現在もスミス氏が再任されているが、次期選挙でも本事件は俎上に上げられると思われる。被害者やその都度意見を求められることになる遺族の身になって考えれば愚劣で嘆かわしいことである。

 

 

■所感

火災当初の捜査の杜撰さ、「自殺」説に傾いたことなどについて、捜査当局は消防局との関係性から夫スティーブさんを擁護しているのではないかとする陰謀説まで挙がった。もはや何を信じ、何を疑えばよいのか分からないほどに繊細な、疑惑だらけの事件である。ここでは他殺だったとした上で、個人的な私説を述べて終わりにしたい。

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放火犯による逆恨みという説は理屈に沿った推理のように思えるが、単なる放火犯が専業主婦に逆恨みして銃殺までするだろうか。通常の放火であれば人目につかない場所、監視カメラの死角を狙って行う「陰湿な」性質であって、監視カメラの存在を知ったうえでレコーダーを燃やしてまで、という大胆不敵な犯行にはかなり飛躍があるように思われる。

日本のデータだが、犯罪のタイプは大きく3つに大別される。ひとつは強姦や恐喝、暴行や強盗といった対人的な「暴力犯罪」、ふたつめは侵入窃盗、放火、器物損壊など「対物犯罪」、みっつめが毒物、偽造、道交法違反など「その他の犯罪」である。たとえば義弟ブライアンさんのようにいずれのタイプも横断的に行っている犯罪経歴の持ち主も多くいるが、連続放火犯に限って見れば87%が対物犯罪の経歴を持ち、暴力犯罪やその他犯罪歴は3割しか持たない。つまり放火犯のほとんどは対物犯罪に向かう傾向が認められるのである。

 

状況について考えてみると、ナネットさんは郵便物を取りに出る際にも携帯電話を手にしていたなど日頃からかなり警戒心が強かった。画像に写り込んだハーフパンツ姿の“不審者”など、筆者にはどう見ても散歩する老人にしか見えない。字面だけ追っていると、主婦は何か被害妄想にとりつかれているのではないか、神経症の昂ぶりによって自殺に及んだのではないかとすら思えてくるが、周囲からそうした声も聞かれないので詮索は止そう。

夫スティーブさんは消防署勤め、ナネットさん自身も射撃経験者となれば、一般的な主婦よりも運動能力や防御力はそれなりに高かったと考えられ、犯人も相当に腕力に自信があったと見てよいのではないか。また遺体状況に刺し傷や骨折などが認められていないとなると、スタンガンのようなもので脅されたか、はじめから銃を突きつけられて何も抵抗できなかったのかもしれない。

こめかみを撃ち抜いていることから逆算すると、主婦は一時的に拘束されていたと推測するのが妥当である。身動きが取れない状態にして金品の所在やカメラのレコーダーについて聞き出していたかもしれない。

広い邸宅で様々なセキュリティを備えていたことは侵入者の目にも明らかであったろうことから、はじめからカメラ対策や放火による証拠隠滅も念頭に置いて近づいたと考えられる。単独の強盗となればリスクの低い侵入を好むと考えられ、筆者としては、あえてリスクの高い物件に目を付けていることから犯人は男性の複数犯で強盗に押し入ったものと考えている。

DNA鑑定の徹底によって、もしかするとこうした痕跡もろとも消去しようとする犯罪は世界的に増える恐れがある。筆者の想定するような複数犯の強盗であれば、他所の地域、全く別のメンバーで再犯に及ぶ可能性もあり、こうした犯罪を跋扈させないためにも今後地道な捜査を実らせてもらいたい。

 

被害に遭われたナネットさんのご冥福とご家族の心の安寧をお祈りします。

 

 

 

■参考

www.stpso.com

www.wwltv.com

www.nola.com

・男性連続放火犯の特徴(2006,科学警察研究所

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/70/0/70_1EV067/_pdf/-char/ja