いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

三重県四日市・加茂前ゆきちゃん失踪事件と怪文書について

1991(平成3)年3月15日、三重県四日市市富田にて加茂前芳行さんの三女・加茂前ゆきちゃん(小学2年生,当時8歳)が失踪した行方不明事件。事件から3年後に届いた不気味な怪文書は人々の関心を集めるも、2006年に未解決のまま時効を迎えた。

未だ消息の分からない不明者の無事を願いつつ、以下では事件の概要、不審点をおさらいし、怪文書の解読等を行いたい。

 

捜査活動へのご協力のお願い ゆきちゃんを捜しています(三重県警,ウェブアーカイブ)

 

■経緯

14時頃、ゆきちゃんは友達と別れて帰宅(最後の目撃)。父・芳行さんは在宅だったが夜勤仕事のため熟睡中であった(普段から父親を起こさないように物音を立てずに過ごすため気付かなかった)。

14時半、母・市子さんがパート先から入電。「今日は遅くなる」「分かった」と会話し、ゆきちゃんの在宅を確認している。

15時半、小6の次女が帰宅。ゆきちゃん不在。テーブルには飲みかけの(まだ温かい?)ココアが残っていた。

16時頃、父・芳行さん起床。遊びに出ていると思い気に留めなかった(普段はランドセルを置いて校庭などで友達と遊ぶため)。

その後、高校生の長女が帰宅。父が夜勤へ。

母が帰宅。20時に警察に連絡し、家族・教員らで付近を捜索。

 

 ■不審点

・その日、友人の遊びの誘いを断っていた(理由は不明)。

・まだ寒い時期であったが、普段外出時に着用するジャンパーが家に置いたままだった。

・外遊びの際に乗る自転車は家に置いたままだった。

・ゆきちゃんの消息が分からなくなったのは、母親が電話でやり取りした14時半から姉が下校する15時半までの約一時間。家には就寝中とはいえ父親がいた。

・家族がTV出演やビラ配りなどで情報を募る。無言電話は多くあったが、身代金の要求といった犯人からの脅迫電話はなかった。

・目撃情報は多く寄せられたがいずれも有力な手掛かりには至らなかった(学校のジャングルジム、学校近くの十四川、近鉄富田駅での目撃、自宅から15m付近の四つ角で白のライトバンに乗った男と話していた等の情報あり)

・事件から約3年後、「加茂前秀行」(実際の父の名は芳行)と宛名書きされた差出人不明の3枚の怪文書が届く。詳細は後述。

・福岡在住の「緒方達生」と名乗る人物の手紙。ゆきちゃんはすでに亡くなっており、ゆきちゃんの顔見知りだった男女2人が誘拐したとして、ゆきちゃんの霊と交信して調査に協力する旨が書かれていた。後に「他の霊が邪魔するためこれ以上協力できない」と撤回。

・2003年10月、若い男性からの不審電話。「身長170㎝前後」「俺の髪型はパンチパーマだ」といった自身の身体的特徴を語ったとされる。「白のライトバンに乗った男」の目撃情報で、男の特徴がパンチパーマだったこと、当時その特徴については非公開であったこと等から関連を疑われた。

 

 ■犯人像

 家族の留守と父親の就寝時間の隙をついた誘拐事案と思われる。たとえば犯人は以前にゆきちゃんと面識があり、この日の15時頃、加茂前さん宅付近で待ち合わせの(あるいは呼びに行くと)約束をしていた可能性が高い。母親がパート勤務、父親が夜勤で就寝中ということまで犯人が聞き知って、「おうちの人に気付かれないように」15時頃に行くから家の外で合図を送ったら出てきてね、といった約束をしていたと思われる。警戒感を抱かせずに接触、約束をしていたとすれば、顔なじみでなければ20歳代から40歳代女性(ゆきちゃんから見れば、「おねえさん」から「ママくらい」の人)などは比較的接触しやすく、周囲からも(母親に誤認されて)注意を向けられにくいであろう。またゆきちゃんはふくよかな体格だったことも踏まえて考えると、女性単独ではなく、抵抗や逃走などに備えて(目撃証言のように)男女で攫いに来ていたと考えるのが妥当かもしれない。

 

■不気味な怪文書

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 平仮名カタカナ漢字が入り混じり、独特な語が用いられ、意味の通じにくい文章で、現物は鉛筆で下書きまでしてボールペンで書かれていた。この怪文書の存在が事件から30年近く経ち時効となった今なお注目を集める契機になっているともいえる。これまで多くの方によって解読を試みられており、現在では提唱者が判然としないため、気になった説を適宜紹介させていただく。

 

[1]

ミゆキサンにツイテ

ミユキ カアイソウ カアイソウ

おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ

コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス

股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポ(ボ?)ウ ニツトめた

イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口二立ツヨウニナッタ

イまハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル

ツギニ

スゞカケのケヲ蹴落として、荷の向側のトコロ

アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。

ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。

感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イ

【トミダノ股割レ】

→「股割れ」という慣用句は存在せず、独自の言い回しである。内容を追ってみるに、女性器や性交渉を示唆する語として用いられている。「淫婦」「売春婦」を示している印象を受ける箇所もある。ではなぜ「売女(ばいた)」「淫売」「あばずれ」のような一般的な語句を用いなかったのか。さらに一部で固有名詞のようにも用いられていることから、他の方も指摘されているように「マタワレ」という語句の中にすでに人名等を示唆するヒントが隠されている可能性も考えられる。たとえば意味的にマタが分かれている(「三俣」など)、形象的に漢字の下方が枝分かれしている(「入来」「大木」など)、氏名に「マ」と「タ」が含まれている(名前にマとタが含まれる「マミヤタエコ」「マエカワタロウ」など)、「マタ=真田」といったような音訓を入れ替えてできた呼称かもしれない。

【カアイソウ カアイソウ】

宮沢賢治が生前発表した数少ない児童童話のひとつ『猫の事務所』の草稿版では、文章末に「みんなみんなあはれです。かあいさうです。かあいさう、かあいさう。」という表現が存在していた(雑誌『月曜』発表版には存在していない)。『猫の事務所』本文は事件と無関係と思われるが、怪文書中で繰り返し使用される「カアイソウ カアイソウ」とよく似通ったフレーズである。『猫の事務所』草稿は筑摩書房から出された『校本宮沢賢治全集』にのみ収録されたもので、この全集には本文のほかに推敲異文、補遺などが付されており(市販の文庫本などよりも)専門的な内容も含まれる。個人的には、怪文書に漂う独特のリズムも宮沢賢治の文章にやや近い印象を受けた。もし『校本宮沢賢治全集』を送り主が読んで真似たとすれば、文学部学生(卒業生)や国語・現代文の教諭など宮沢賢治に比較的関心・造詣があった人物と推測することもできる。

中にはカタカナの多さや文中の「ゝ」や「ゞ」等の使用から旧仮名遣いを連想し、高齢者による文書ではないかとする説もあるが、上で見たように「カアイソウ」ではなく旧仮名であれば「かあいさう」、「(アサヤンノ)イフトオリ」ではなく「イフトホリ」であり、旧仮名遣い“風”に見えるだけである。

【シュンガの表の反対のパーラポ(ボ)ウ】

→これを素直に解せば、春画(和製ポルノ映画の看板?) の裏のパーラー(喫茶店あるいはパチンコ店)。「春霞の裏」と解釈して、近隣の地名「霞ヶ浦」と結びつける見立てもある。また関連はないかもしれないが、「ポウ」に比較的音が近いPAO(パオ?)というパチンコ店は松阪市内に存在している。さらに四日市に昔から馴染みのある企業“東洋紡”に掛けて、パーラ(ー)ボウではなくトーヨーなのではないかという説もある(場所等は明示されていないがトーヨーらしき店の裏手にポルノ映画館がかつて存在したとする記事がある)。

【裏口に立つようになった】

→立ちんぼ(素人売春)するようになった。あるいはパーラーをパチンコ店とする解釈では、店の裏口=換金所の役回りになったという見立てもある。

【今はケータショーのあたりで四つ足を操っている】

→「四つ」「四つ足」は、「人間以下の動物」「畜生」を意味する古い差別用語。今はケータショー(警察署?北署?北小学校?)のあたりで被差別部落民を使って商売をしている、となる。アメーバブログmaeba28氏による事件考察ブログ『雑感』で紹介されていた地域を特定する説(ケータ=鶏太→昭和の作家・源氏鶏太→源氏小学校)も非常に興味深い。

【スズカケのケヲ蹴落として】

鈴鹿

【荷の向側のところ】

→「荷向(のさき)」と読んで「鈴鹿の先」という意味か。四日市から見て「鈴鹿の先」にあるのは津・松阪方面(または亀山・伊賀方面)である。あるいは「荷(二)の向こう側=サン(山)」と解釈して、滋賀近江と四日市鈴鹿方面とを分かつ「鈴鹿山脈」とする見方もあるが、かなり広域であり、遠回しな暗号を用いる意味が薄れてしまう。

【アヤメいっぱいの部屋】

→女郎部屋?ホテルの部屋?股ワレの部屋?あるいは犯人の家紋や暴力団組織の代紋として「菖蒲紋」や菖蒲と比類する「杜若紋」等を示す表現か。

【コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ】

→コーヒーには『クリープ(※)』や砂糖など「白い粉」がつきものである。「白い粉」はすなわち覚せい剤を連想させる。諭吉はその代金であり、股ワレはアサヤンにシャブ漬けにされていたと考えられる。

(※1961年森永乳業が発売した粉末状ミルククリーム。インスタントコーヒーの輸入自由化と普及、『クリープを入れないコーヒーなんて』のCMキャッチコピーによって今日よりも爆発的人気を博していた商品であったため、そうした連想も成り立つ)

いずれにせよトミダノ股ワレは家事を忘れてアサヤンとの肉欲・快楽に溺れた、言いなりの妾関係と見てよいだろう。

【アサヤン】

→“〇〇やん”といった愛称か、“ヤーさん(ヤクザ者)”のアナグラム(言葉遊び)、あるいは「朝」の字から“朝鮮人”“朝鮮系ヤクザ”なども連想される。

 

[2]

タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル

モウ春、三回迎エタコトニナル

サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ

ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ

ミユキノハゝガ力弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、

広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

股ワレハ平気ナソブリ

時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

ソレヲ忘レタイタメ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ

カムチャッカの白雪】【八寒地獄に落としたのである】

→寒さ厳しい大陸方面へ売り飛ばした?八寒地獄は仏教語で、八大地獄(八熱地獄)の周囲にあるとされる。「死ぬほど凍える思いをしていること」の比喩か。

【サカイの薬屋の居たところ】

→「サカイ」は地域の“境界”を示すのか、あるいは酒井、逆井、堺、坂井など地名・人名の固有名詞か。「堺の薬商人」の倅であった戦国武将・小西行長を指し、豊臣秀吉に命じられた“朝鮮出兵”を意味しているとの説もある(小西は釜山から上陸し、漢城を経て平壌まで進軍した)。

【韃靼(ダッタン)海峡をてふ(蝶)が越えた】

→一見唐突に感じるが、安西冬衛(1898-1965)による処女詩集『軍艦茉莉』(1929)収録の一行詩『春』「てふてふ(蝶々)が一匹韃靼海峡を渡っていった」を引用しており、その前の「モウ春、三回迎エタコトニナル」と掛かっている。韃靼海峡はユーラシア大陸樺太間にある最狭7㎞ほどの「タタール海峡」「間宮海峡」のこと。安西は三重の隣県・奈良出身であり、この詩は小学生年代でも取り扱われることもある比較的よく知られた代表作のひとつ。

安西は1920年父親の赴任先だった満州・大連に渡り、1921年関節炎から右足を失い長い闘病を余儀なくされた。「一匹のてふてふ」は(漢字の「蝶々」よりも)か弱く儚い生命を表し、「韃靼海峡」は(地図上では)近く思えるが(「間宮海峡」とするよりも視覚的・音韻的に)荒涼とした厳しい海によって遠く隔たれた場所、という対比が際立っている。「てふてふ」には、身体的に不自由となった安西自身をはじめとする満州市民らの日本本土への帰郷という“すぐには叶いそうにない願い”が反映されていたと解釈でき、東アジアの“平和希求”にも通じる詩といえるかもしれない。

【コンナ 平和希求トハチガウ】

→「(ミユキサンの日本へ帰りたいという切実な思いは)『春』の詩にあるような平和希求の淡い願いとはちがう」となる。

だが「平和希求」で私が思い浮かべたのは「憲法九条」である。「九条=窮状」と読ませて、「ミユキサンは安西冬衛の窮状よりももっと過酷である」という意味とするのは強引か。

あるいは、アサヤンは「平和希求」を表明する活動や仕事をする人物だということを示しており「アサヤンのやったこと(誘拐→人身売買?)は(彼がいつも言っている)平和希求なんかじゃない」という意味か。なお事件と同じ1991年初頭に湾岸戦争が勃発し、翌1992年に日本はPKO(国連平和維持活動)法が可決して自衛隊を派遣する等、当時は今以上に憲法九条の議論が目立った時期でもある。

いずれにせよ書き手は、「ミユキノハゝ」当人と面識はなく、必死の思いで我が子を探しているさまをTV等で知ったような印象を受ける。念のため、実際に母親が韃靼海峡を越えたという事実はない。

【時には駅の立て看板に~】

→股ワレは平気な素振りだが、駅の(ゆきちゃんの載っている)立て看板を見て心痛めることもある。

【それを忘れたいため~】

→罪悪感から逃れたいために性交渉の相手を探し続ける(すでにアサヤンとは別れている?)

 

1枚目に比べると2枚目では暗号・なぞかけ的な要素がやや薄れ、詩的とも抽象的ともとれる表現を多用して、ゆきちゃんが大陸、朝鮮半島あたりに連れて行かれて寒い思いをしているかのような書き方をしている。

 

[3]

股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生マレタコトハマチガイナイ

確証ヲ掴ムマデ捜査機関ニ言フナ

キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

ヤツザキニモシテヤリタイ 股ワレ。ダ。ミユキガカアイソウ

我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ

コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ

 【我が股を割るときは命がけ~】

→「我が子を産むときは命懸け これが人だ このときが女の一番 尊いときだ」ならば一般的にも通じる価値観として比較的納得できるが、これまでの文意で読むと「股を割る」は「性交渉(とくに売春のニュアンスを含む)」となるはずである。手紙の最後になって「股割れ」の意味が「性交渉」と「出産」に分裂したのか、あるいは送り主には「性交のときは命懸けであり女の一番尊いとき」といった信念があるのだろうか。

最後ついに「我」が文章に登場し、さらに続く文で「女」という語を初めて使っている。「股ワレ」が単に「女(という性別)」を示すだけではない(蔑称のようなニュアンスが含まれている)ことが明らかになる。送り主が女性であれば、わざわざ「我が股を割るとき」「女の一番」等と書くだろうか。「股を割るときは命懸け これが人だ このときが一番尊いときだ」でも書き手の信念としては意味は通じるはずだ。私には、ご丁寧に「私(送り主)は女ですけど」とわざわざ付け加えたような、「送り主は女である」と読み手に印象付けたい狙いが感じられてならない。

 

 さらに送り主の人物像について憶測を続ける。

送り主は「富田の股ワレ」自身であり、罪の呵責から告発めいた文書を送りつけつつ、自らの逮捕を免れたい気持ちとのアンビバレントによって遠回しな内容表現になった、捜査機関への口止めをしたとの見解も存在する。だが私の見方としては、“このときが女の一番尊いときだ”とする独善的な見解、さらに固有名詞をなぞかけのようにして故意に捻じ曲げて表現するきらい、詩の引用などの印象から、男性によるものではないかという印象を持っている(女性である可能性を否定できるものではないが)。

平仮名カタカナの混在した表記や、日本語として通じにくい表現が目立つこと等から、外国人説(在日朝鮮人など)を唱える者も少なくない。だがこれも詩の引用や熟語表現、なぞかけを駆使する点から見て、少なくとも日本の中・高程度の学校教育を受けた者、だと考える。

下書きをしながらも読みやすく清書せずに今にも途切れそうな弱々しい筆致は、丁寧・慎重な性格というより直接長文を書くことへの「自信のなさ」を感じさせる。筆圧や文字の癖を意図的に判別されにくくするために用いた筆致であろうという印象を持つ。稚拙な語り口に似つかわしくない難解な語句や唐突に断定的表現が散逸する文は、俗に“電波系”と呼ばれる精神障碍者が神から使命を“受信”して書いた文章の特徴とも類似した印象を受ける。だがここでは送り主は精神障碍者ではないと仮定しよう。

既述したように、宮沢賢治の全集や安西冬衛の詩、戦後から1970年代にかけての流行作家・源氏鶏太など、日常生活では用いられない引用を好んでいることから送り主には「文学かぶれ」の色を出している節がある。また地名など伏せれば済む固有名詞についてアナグラムやなぞかけのような暗号めいた言い回しを多用している点は、ある程度の知能の高さを示す一方で、「読み解けるものなら読み解いてみろ」と言わんばかりの幼稚さや「私が誰だかわかるかな?」といった挑発的態度すら醸し出しているように思える。

怪文書が送られてきたとされる1994年頃は、まだ一般家庭にはPCがあまり普及しておらず、文書作成は専らワープロが主流だった。一般企業のオフィス、役所や学校など文書作成を要する職場ではデスクに一台普及しており、こうした身元を明かしたくない、やや長い文書であれば手書きよりもワープロを用いた方が簡便に思える。おそらく思うまま一気に書きあげた訳ではなく、アナグラムやなぞかけに長らく(少なくとも一か月以上)の推敲を要したであろうし、書き直しをする上でもワープロでの作成の方が適している。怪文書らしい不気味な雰囲気をあえて出したかったという理由でなければ、あまりワープロを使わない職種(農業などの第一次産業の一部、現場作業員や工員などいわゆる肉体労働者)や高齢者、学生などの若年層は手書きになるかもしれない。

この怪文書の送り主は、下書きまでして苦労して書いているように見える反面、あまりに饒舌すぎはしないだろうか。そこに怪文書の真意が透けて見える。自分が犯行に関与したことを知らせたいのであれば、公開されていないゆきちゃんの特徴(会話から得られた情報や動作の癖など)を示せば文書の信ぴょう性が増すのにそうはしない。売名行為や嫌がらせの類であれば福岡の「緒方達生」のように名を出してゆきちゃんの行方・安否を知っているとでも騙りそうなものだが、はっきりとそう書き示す訳でもない。アサヤンや富田の股ワレを知っている第三者であれば、3枚に渡って靄もやとした長文ではなく「何処の誰があやしい」で済む話ではないか。あくまで文書の送り主は、TV報道や情報募集を訴える母親の姿を見て思いついた自分の“ストーリー”と創意を凝らしたギミックを披露したい、さらに「捜査機関にいうな」とわざわざ秘匿すべき重要情報であるかのように匂わせているのである。さらわれたミユキサンがヤクザらしい男・アサヤンを介して大陸方面に身売りされてもう3年が経つ、本人は辛かろう、苦しかろうし、母親は富田の股ワレ(送り主)を殺してやりたいほど憎かろう、と同情する素振りまで見せる。くどいほどに遠回しな言葉遊びの諧謔性に自ら酔っているようにさえ思える。この怪文書は関係者や誘拐に関与した人物によるタレコミなどではなく、明らかに愉快犯による警察に対しての挑発である。

とするならば、宮沢賢治安西冬衛源氏鶏太を引いたのは、単に自分が好きな作家ということよりも、実年齢を想定させづらくする意図があったと推察する。個人の憶測にすぎないが、この怪文書の送り主は三重県に土地勘のある当時十代後半から二十代半ばの男性で、文学やミステリ小説などに造詣のある(あるいは作家志望の若者のような)人物と考える。宮沢賢治の全集は高価なため、図書館を利用した可能性もあるだろう。

 

 はたして私の想像では、怪文書は直接犯人へと結びつく代物ではない。怪文書の送り主が示唆した国外への人身売買についても、私はないと考えている。たとえば「日本人の子どもは病気の心配が少ない」等の理由で海外では高値で取引されるといった都市伝説めいた噂もインターネット上では散見されるが、わざわざ危険を冒して8歳児を密入国させても、渡航費や仲介手数料がかさみブローカーの実入りは大きくならない。認識能力が未発達で逃亡などのおそれの少ない幼児を、性的搾取等が目的だとしても現地で調達する方がリスクやコストの面から見て無難なのだ。

では国内への人身売買としたらどうか。比較的近年まで置屋(遊郭、管理売春を行う飲食店)の文化が残っており“売春島”とも呼ばれた渡鹿野島と絡めて論じる者も少なくない。この島の存在は、1998年に起きた三重県伊勢市女性記者失踪事件でも言及されるほか2016年の伊勢志摩サミット会場に近かったことなどでも話題となった。2019年に『売春島「最後の桃源郷渡鹿野島』(彩図社)を著した高木瑞穂氏の文春オンライン掲載のインタビュー記事によれば、最盛期は1970~80年代前半で大型ホテルや遊興施設が立ち並び、島民200人のうち60~70人が娼婦であり、人材の斡旋は暴力団が取り仕切っていたとされる。現在では島の売春産業は風前の灯火だが、失踪事件のあった90年代は地方からの団体旅行客などでまだ比較的栄えており、高木氏によれば80年代から90年代後半にかけては暴力団員などに騙されて送られる女性が多かったいう。だが二十歳前後の娼婦であれば、島民たちも「彼女らは訳あって稼ぎに来ている」と良心の呵責も薄らぐものだが、置屋に8歳児が暮らすようになったとなればさすがに事件性を疑わざるを得なくなる。客にしても8歳児が選べると知れば「どういうこっちゃ」「さすがにやばい」とたちまち外へ漏れて通報されるであろう。いかに地元警察と癒着していようとも国内の店舗式性風俗の類へ即送られるとはなかなか考えにくいのだ。小学生から性的搾取を行う場合、2003年に起きたプチエンジェル事件のように需要が見込まれる大都市部でデートクラブやデリバリーのような無店舗型の業態でなければ、常に摘発のリスクに晒される。当時は携帯電話も普及しておらず、1980年代後半から若年代の売春の温床となっていたのは「テレクラ」であり、さすがに8歳児に電話で交渉させるのは考えにくい。マンションの一室に顧客をとるような極小規模な会員制売春に従事させられていた可能性などは排除しきれないものの、もし性的搾取による金儲けが目的だったとすれば(要望などがなかったとすれば)8歳児よりも需要が見込める10代前半から半ばの少女などを狙うのではないかと考える。

news.yahoo.co.jp

違法臓器売買については、死後の臓器保存や冷凍輸送等ができないこともあり、すでに述べたように国外であれば現地で調達されるであろうことから、ありうるとすれば国内需要であろう。1979年の角膜及び腎臓移植に関する法律から1997年臓器移植法成立までの間は角膜・腎臓以外の臓器移植は国内では認められず極限られた渡航手術に頼っていたため、ニーズは高かったはずだ。しかし1968年和田心臓移植事件を受けて世論の脳死判定への厳しい反発、法整備の遅れから、国内の臓器移植医療は世界的に見て大きく遅れをとっており、90年代前半の事件当時ではまだ限られた国立医大病院・一部の医師にしか設備やノウハウは普及していなかった。したがって臓器移植に使われたとする説もないと考えてよい。なお国内で初めて臓器移植に関する売買が事件として露呈するのは、失踪事件から15年後の宇和島徳洲会病院での臓器売買事件(2006年)である。

失踪当時8歳という年齢から、個人的には性的搾取が主目的とされた可能性は比較的低いと考え、養子目的の誘拐だったように思われる。実行犯(おそらく男女)が養子を求めていたのか、あるいは依頼者の要望に偶然合致したのかは分からない(依頼者が性的虐待を目的としている可能性はある)。もしかすると言葉巧みに彼女を騙して、加茂前ゆきではない人間として生きることを納得させてしまったかもしれない。30年の月日のうちに、元の家族の面影や声も記憶からは薄れてしまったかもしれない。それでもどこかで強く生きていてほしいと願っています。

茨城県境町一家殺傷事件について【ポツンと一軒家】

 茨城県境町一家殺傷事件について、風化阻止を目的として事件の概要説明およびその考察を行う。www.pref.ibaraki.jp

 

 

■事件の概要

 3連休の最終日2019年9月23日未明、茨城県境町は強い雨

深夜0時38分頃、110番に「何者かが侵入してきた」「助けて」「痛い痛い痛い痛い痛い」と女性が通報。ようやく自分の名前を答えられるような取り乱した状態で、救急車は必要ですかの問いに「いらない」と答えるも再度確認すると「やっぱりいる」と混乱があった(疑問①後述)。通話は1分ほどで途切れ、警察から掛けなおすが応答なし。物音はしたが他の人物の声は入らなかった。

 

およそ10分ほどで警察が現場に到着するも、2階寝室で会社員・小林光則さん(48)、パート従業員・小林美和さん(50)の夫婦2人が遺体となって発見された。通報は、発見時2階寝室に転がっていた子機から美和さん自らが掛けていたものとみられる。

当時小林さん宅には夫婦と3人のこどもがいた。2階別室で寝ていた中学1年・長男(13)は手足を刺され重傷、小学6年・次女(11)は催涙スプレーのようなものを手にかけられ両手に痺れなどの軽傷を負った。1階で寝ていた大学3年・長女(21)に怪我などはなかった。

 

■遺族の証言

長男と次女によれば、犯人は部屋の電気を点けてベッド(机の上にベッドがある一体型のもの)から降りるよう指示したという。「いきなり襲われた。怖かった」「(自分たちを)襲ったのは一人だったと思う」「暗くて顔はよく分からなかったが男性だと思う」「サイレンの音が聞こえると“ヤバイ”と言って(部屋から)出て行った」、また犯人の服装について「帽子とマスク姿、腰に黒いポーチ」と説明している。

長女は事件当初「物音やサイレンの音で気付いた」と報道。

「長女は事件のショックが大きく、しばらく事情を聴くこともできなかった。長女には女性の捜査員が付き『大変だったね』などと声を掛けるところから始めた。その様子を見る限り、彼女が事件に関わっているとは到底思えない」(関係者)(2019年10月3日東スポweb)

のち「2階でケンカのような言い争うような声が聞こえた」「恐くて部屋から出られなかった」との報道(10月3日東スポweb)があり、証言が変わったとの指摘もある(疑問②後述)。その後、長女が交際相手に助けを求める電話をしていたことが分かっている(10月24日朝日新聞)。

 

■住居、家族について

家の周囲は木立に囲まれており、外からでは家があるのかないのかもよく分からない。出入口は住宅の北側と東側の二か所。北側は釣り堀の駐車スペースと重なっており、当時は境界ロープが張られ、足元は雑草が生い茂った状態。東側を通常の出入り口としており、こちらには見知らぬ相手によく吠えるとされる飼い犬がいたもののこの晩は吠えなかった(※)。

地図を見れば、住居の周囲は林、その周りを畑と水路に囲まれており、一番近い隣家まで釣り堀池を隔てて約200mはある孤立した立地であることから「ポツンと一軒家」と形容するメディアもある。そんな農村地域の一角ではあるが、家の前の町営釣り堀はヘラブナ釣り師たちには知られた存在で、シーズンの週末ともなると県内外から100人近く集まる人気スポットだという。

(※事件当時、小林さん宅南手にある中古車販売業者で住み込みの従業員2人が起きており、犬の鳴き声はなかったがサイレンの音は聞いたと証言。)

 

この家は元々美和さんの実家で、かつて美和さんのご両親は自宅敷地内で鯉の釣堀、金魚養殖などを営んでいた(現在の町営釣り堀とは別)。美和さんの父親が亡くなり、母親の一人暮らしを案じて、10年ほど前に埼玉から一家で引っ越してきた(事件当時、母親は体調を崩しており入院中、と近隣住民の談)。

光則さんは引っ越しを機に実家のクリーニング店から会社勤めに転職。美和さんは郵便局にパート勤め。長男は父・光則さんがコーチを務める地元野球チームに所属し、試合では両親揃って応援する姿も見られた。長女は車と電車を乗り継いで県外の大学に通学しており、最近近所で恋人の男性が目撃されることもあった。長女の友人という女性は、「お父さんは雨の日、子どもの送り迎えをしていた。お母さんも真面目な人。家に遊びに行くこともあったが普通の家庭で、トラブルは考えられない」と話した。 

 

(上のmapでは見通しがきく状態で撮影されているが、9月の事件当時は木々や下草が鬱蒼と生い茂り、池の向こうからでは家屋があるとさえも分からない、よもや「通路」としては殆ど使えない状態となる。犯人が入念な下見を行っていたとすれば冬から春にかけて訪れていた可能性が高いと思われる。)

 

 ■警察の捜査

警察は100人体制で捜査本部を設置。当初は「土地勘があり、住居の構造を知っていた可能性もある」「夫婦を知る人物」による「怨恨目的の犯行」とみて捜査を開始。

・1階、2階とも無施錠の箇所があり、カギを破壊した形跡などはなかった。住居1階浴室脱衣所の窓に出入りした痕跡があることから警察は外部による犯行とし、1階の部屋に立ち寄った形跡がないことから素通りして2階へ直行したとみられる(疑問③後述)。

・寝室の遺体は光則さんがベッドにうつ伏せ、美和さんがベッドに右向きの状態。死因は失血死。背中に傷はなく、防御創があり、顔、首、上半身をめがけて十数か所の傷があった。損傷の大きかった光則さんは肺にまで達するほどの深い刺し傷、美和さんは首の切り傷が致命傷になったとみられる。

・金品を物色した形跡がない。

・雨天で周辺はぬかるんでいたが、屋内に土足痕はなし。

・北側の藪で血痕の付いた一組のベージュ色のスリッパが発見される。現場に駆け付けた警察は東側出入口からアプローチしており、犯人は北側を通って逃走したと思われる(疑問④後述)。

・凶器に使われた刃物、スプレーは発見されていない。

・長女の交際相手は重要参考人として呼び出しを受けるが早々に関与を否定されている。

・長女は恋人に助けを求める電話を掛けている(10月24日朝日)。

・夫婦の携帯電話の通信履歴、近隣住民や勤め先への聞き込みなどで、2人がトラブルを抱えていた様子や、だれかに恨みを買うといった話は全くなかった。近隣住民は光則さんは温厚、美和さんは子どもたちのために働くしっかりもので、夫婦仲も良好だったという。

・屋内外に家族・警察・救急関係者のものではない足跡が複数発見されたが、犯人との関連性は不明。事件当日の大雨でタイヤ痕などの捜索は難航したとの報道。

・事件から約1か月で延べ1500人の捜査員を導入。170件以上の情報が寄せられた。

・事件から約2か月で捜査範囲を隣の坂東市に拡大。

・事件から約6か月で延べ5300人の捜査員を投入。約230件の情報が寄せられた。

・小林さん宅のすぐ南側にある中古車業者の防犯カメラに手掛かりになるものは写っていなかった(警察・救急車両のみ)。

付近の防犯カメラ(※)の解析を終えているが容疑者特定には至っていない。(※境町9か所、隣接する坂東市7か所、現場から2.5㎞離れたコンビニエンスストアなど。コンビニのある国道354号は数十秒に1台ほどの交通量だったとされる)(また2020年9月現在、北面のポンプ小屋や釣り堀受付所裏手にも防犯カメラが設置されているが、事件当時それらの防犯カメラ情報は出なかったため事件後新たに取り付けられたものと考えられる。)

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画像の人物は、別の強盗事件の犯人

・上の防犯カメラ画像の人物は、一部でこの事件の犯人などとされているが、本件発生より前に別件で逮捕されている。

 

 これより疑問、他の事件との類似性などを検討しつつ、すでにある諸説を参考にしながら想定される犯人像などについて考えていきたい。

 

疑問①「やっぱりいる」…侵入者が間近に居り、警察に今すぐ来て助けてほしいあまりに動揺して出た発言と思われる。また「何者かが侵入してきた」趣旨の通報をしているという報道から、「侵入者をほとんど見ていない」あるいは「(すぐには思いつかない)見知らぬの相手」であったと考えるのが妥当。文字にされると不可解に見えるが、身内や知人をかばっている等の発想は不自然である(知人等であれば通報する前に話し合う)。

寝室・寝具の様子、声のトーンなど詳細は分かりかねるが、犯人が夫を切りつけている最中に、真横のベッドから電話を掛けていたとは考えにくい。おそらく犯人が夫を襲撃している間に、部屋の奥隅か、あるいはクローゼットや押し入れ、ベッドの下のような場所に籠って電話を掛けたと推測する(夫の状態が視界にないため通報時に救急車という発想に結び付けづらかったのかもしれない)。「痛い痛い」と発したことも切りつけられた痛みというより、犯人に無理矢理引きずり出されてベッドに押し付けられる際に発したものと推察され、通報を切ったのは犯人によるものと思われる。

(追記;あるいは、犯人が夫を殺害後、妻には手出しせずに一度寝室を出た。すると妻の通報の声が聞こえて、寝室に電話があったことを知った犯人は慌てて戻ってきて、妻を歯牙にかけた。「いたいいたい…」という流れも考えられる。)

 

疑問②長女の証言について…文言だけを読むと趣旨が変わったような印象を受けるが、長女は極度の心神喪失状態であったことを考慮に入れておかなくてはならない。また①②に関連して『週刊実話』2019年10月17日号に気になる記事がある。

それにしても、同事件は謎ばかりで情報も錯綜している。

「通報があった時、警察官が『救急車を呼びますか』と聞くと、美和さんとみられる相手は『いらないです』と報じられているが、『そんなことは言っていない』という話もある。また、“マスクをつけた人物に襲われたと長男と次女が話している”と早い段階で出たが、事件が事件だけに県警も慎重に捜査しており、“被害者とは面会しただけ。まだ事情聴取していない”と、当初は否定する情報も取材現場で飛び交った。

これは事件に当たった社会部記者による証言とされるが、地元境署の事件直後の混乱を象徴した記述である。

警察は、公にすべき情報と、犯人しか知りえないような秘匿すべき情報とを精査してからマスコミ各社に発表するが、事件直後の段階では整理がつけられなかったのである。たとえば事件直後はまだ長女と外部犯(交際相手など)の線などが潰しきれておらず、情報統制が難しかったのではないか。

そうしたことを加味すると、長女の発言は趣旨が変わったというよりも、上の10月3日東スポ記事のように警察から長女への調査対応が変わったことが考えられる。「事件に気づいたのはいつ?」「2階から人の声、物音を聞こえなかったか?」など質問の仕方によって返答が変わっただけのようにも思える。

「言い争うような声」については、おそらく父親が抵抗したり、通報時の母親の悲鳴が含まれていると思われるが、2階にいた弟妹が目覚めず1階で目が覚めるような声量だったのか、あるいは事件当時、長女は(たとえば交際相手とのメールなど夜更かしをして)熟睡しきっていなかったため物音や声が聞こえていたのか、など疑問が残る。

 

疑問③犯行について…犯行の流れを想定してみたい。犯人ははじめに2階にある夫婦の寝室へ向かう。寝た状態の父親に対して、肺まで突き刺さる一撃を加え、さらに執拗に攻撃を続ける。横で目を覚ました母親は慌てて受話器を持って、2人から距離を取り110番通報をする。電話は祖母が入院中だったため緊急連絡用に枕元にあったと推測される。犯人は父親が事切れたことを確認し、次に母親をベッド上まで引っ張り出して電話を切る。金銭など殺害以外の目的があればこのとき何か会話が交わされていたかもしれない。犯人はベッド上で母親を殺害。子ども部屋へ移動し、電気を点け、ベッドにいる2人を確認。引きずり下ろすようにしたのか口頭で命令したのかは定かではないが2人をベッドから降ろし、威嚇のため刃物とスプレーで危害を加える。サイレンの音を聞いて「ヤバイ」と呟き部屋を後にする。

家族の就寝時間は不明だが、どの部屋に誰が寝ているかまで分からなくても外から見て室内灯の消える様子などで「2階に寝室があること」は視認できる(おそらく犯人は消灯を確認してから寝入るまで1時間程度は待機したのではないか)。あるいは深夜に何度か通い、何時ごろどの部屋で寝ているといった就寝習慣を把握していたかもしれない。いずれにせよ犯人は家に人がいない時間帯ではなく、人が確実にいる時間帯を狙っており、「居空き」「忍び込み」などの窃盗目的とはやや考えづらい(※自動車窃盗については後述)。

 

長女だけが無傷だった、犯人が接触すらせず2階に上がったのはなぜか。もし長女が目的であれば、まず1階にいた長女を拘束してから他の家族に接触しなければ、通報や逃亡のおそれがある。また合理的に考えれば一人でいるところを狙う方が苦労しない(交際相手がおり、外出は車移動となるため狙う機会は限られるかもしれないが)。

たとえば「長女が両親への不満を口外していたのを聞きつけて代理で殺害するようなストーカー」でもいれば長女にだけは危害を加えずに…ということもあるかもしれないが、相当に倒錯した偏執者であり、こうした事件になる前に多くの兆しや余罪があって然るべきである(ストーカー説は後述)。

筆者の考えでは、犯人が外から小林さん宅を下見した際、1階で寝る習慣のある人物(長女)の存在に気付いていなかったのではないかとも思えるのだ。たとえば大学生と聞くと夜更かししてもおかしくないイメージだが、長女は車と電車を乗り継いでの遠距離通学だったため消灯・就寝時間が親弟妹と同じタイミングだったかもしれない。また長女の寝室が遮光カーテンや死角に当たっていたなどして、犯人の目に入らず、親と子が2階の二部屋に別れて就寝しているかのようにイメージされた可能性もある。報道では家の内部を熟知した者による犯行かのように伝えられているが、犯人は必ずしも小林さんの家族構成・3か所の寝室を熟知していなかったことも考えられるのではないか。

 

また夫婦を殺害した後、なぜ子ども部屋に入ったのか。夫婦殺害が主目的であれば立ち寄る必要性はあまり感じられない。ここで注目したいのは長男・次女に対して与えた危害に関してだ。犯人は、2人をベッドから降りるよう指示し、長男には手足を切りつけ、次女には手に向けてスプレーを吹きかけている(ベッド上の妹の手にスプレーを噴射して降りるように指示したとする解説もある)。これについて犯人は子どもたちに対して危害を加えてはいるが、殺意は見られないとみなすことができる。単に逃走の邪魔をされないために危害を加えるのであれば、ベッド上で顔に向けてスプレーを吹きかけてしまえば20秒で済む話で、ここでの犯人の目的は単なる足止めではない。また「予備の凶器」を準備するのであればスプレーよりもサバイバルナイフ等刃物の方が携行にかさばらずに済む。犯人の行動は子どもに対しては初めから殺意がなく、あえて自分の存在を見せしめたかったかのような印象を受けるのだ。スプレーは負傷などに備えた「予備の凶器」ではなく、子ども相手にビビらせる用途(せいぜい目くらまし用途)としてわざわざ準備したものだったのではないかと感じている。

 

疑問④逃走について…北側出入口でスリッパが発見されたことは非常に疑問ではある(後述)が、ぬかるみや生い茂った草、境界ロープに引っ掛かるなどして脱げたものか、運転のためにスリッパが邪魔になって捨て置いたとも考えられる。警察犬で念入りに確認しながらも追跡には繋がらなかったことからも、犯人は小林さん宅北側にバイクないし自動車を停めていたと思われる(豪雨の深夜に、自転車や徒歩でいる方が目立つ)。

距離までは推測できないが、強雨のなか部屋でサイレンが聞こえる時点ですでに救急車両は数百m圏内にまで迫っていたとも思われ、犯人はほとんど警官の到着と入れ違うようにして現場を去ったのであろう。敷地内に潜み、警官の挙動を見計らってから現場を離れた可能性もある(目と鼻の先に警官がいたためスリッパを回収する余裕がなかったとも考えられる)。だとすればパトカーは東側出入り口を通って、小林さん宅の南手に駐車してあることから、犯人は心理的に追跡を恐れて北西へ向かうものと推測される。

ごく近場の人間であれば別だが、おそらく計画殺人であることから警察の捜査の遅れを狙ってまず茨城県から離れることが考えられる。境町はその名の通り茨城・千葉・埼玉の県境に位置し、日本三大河川のひとつ「利根川」によって隔てられているため、規制線が敷かれる前に川を越えれば初動捜査の網をかいくぐることを期待できる。語弊があるかもしれないが茨城県西エリアは北関東連続幼女誘拐殺人事件、今市小1女児殺害事件のような“越境犯罪”に適した地理的条件に適っている。あるいは隣県から越境して犯行に及ぶために、この家に狙いをつけた可能性すらある。

周到な計画であれば、自動車ナンバー読み取りシステム(Nシステム)や防犯カメラのことを考慮に入れて幹線道路や高速道路を避けたい心理が働いたかもしれない(最寄りの高速道路インターチェンジとなる境古河ICは境警察署の目の前でもある)。だが一刻も早く県境を超えることを考えて動いたとすれば現場から10分強の「境大橋」から埼玉県幸手方面へ逃走するのではないか。境大橋近辺は古くは交通の要所に当たり、現在も深夜営業を行う大型小売店(ドン・キ〇ーテ)や温浴施設、道の駅などが集中しており、夜でも交通量は多い。なお一部サイト等によれば境大橋を通過する際にNシステムが存在するという。

 

ヘラ師トラブル説

 ヘラブナ釣り愛好家を俗にヘラ師と呼ぶが、北出入口に境界ロープを張っていたことから、過去にヘラ師とのトラブルが生じていたのではないかとする見方がある。シーズンには日の出から日の入りまで長時間営業で不特定多数の人間が出入りするため、不法投棄や騒音被害などあったかもしれない。引っ越してきてから10年も経って今更ロープを張るのだから何か近々にきっかけがあったと考えるのは自然だ。

地元のヘラ師にでも聞けば小林さん宅の家族構成くらいはすぐに分かるかもしれない。釣り堀の客層までは分からないが基本的にヘラブナ釣りは高齢者が大多数を占める趣味で、三十代四十代でも若くて印象に残る。ベテランのヘラ師は“連れ”とまではいかずとも共通の釣り場や釣具店へ通ううちに“顔なじみ”ができる。トラブルメイカーのような人物であれば余計に多くの人が記憶しているであろう。釣り掘再開から客への聞き込みも度々行われる中、「そういえばあの若いヘラ師来なくなったなぁ」「あの人、一時期よく来てたけど見なくなった」などと、事件を境に姿を現さなくなった人物が後々浮上してきてもおかしくない。

 

自動車盗難と外国人説

 2019年7月16日午前3時頃、蕨市内の自宅2階にいた高校2年生男子が窓から入ってきた男に首を切られる事件があった。侵入者は一階に駆け下り玄関から逃走。男子生徒と部屋に駆け付けた父親は「面識のない男」と証言。11月15日、技能実習生として2017年に来日し翌年在留期限が切れたにもかかわらず偽造在留カードを使用したとして逮捕されていた住所不定無職・柳偉強容疑者(22)を男子高生切りつけの強盗殺人未遂容疑で再逮捕した。調べに対して柳容疑者は「高そうな車がとまっていたので狙った」「車を奪って売るつもりだった」「殺すつもりはなかった」と一部容疑については否認。捜査関係者によると、事件当初、男子高生は男に「車のカギの場所」を聞かれたと証言している。柳容疑者は、近隣の防犯カメラの映像などから浮上した。

 疑問③でも述べたように大人が確実にいる時間帯を狙った関連性から自動車盗難の線を考えてみる。2019年の都道府県別の「住宅侵入」盗犯罪遭遇率(どれくらいの割合で住宅侵入盗犯罪に遭っているか)を確認すると、ワースト1が茨城県で639軒に1軒が被害に遭っている(ワースト2位福島県1/1073軒、ワースト3位千葉県1/1087であるから群を抜いて被害が多いといえる。北から福島、茨城、千葉と隣接する県である)。これらの県では古くから続く農村地域が多く、そうした家々は敷地が比較的広く隣家と離れており、施錠意識が低い傾向がある。また家族構成によっては自家用車を複数台所有していることが多い。マスコミ報道では「4年くらい前にトラクターなど農業用機械の盗難が多発した」「大きな犯罪は少ないが泥棒は多い」といった近隣の窃盗被害に関連付けた報道もある。

しかし茨城県警察2019年市町村別【乗り物盗】【住居侵入窃盗】件数を確認すると、自動車盗難はつくば市土浦市牛久市といった「県南地域」の被害数が際立っており、住居侵入窃盗についても境町は特段被害が多い地域とはいいにくい。また上で挙げた蕨市の場合、隣接する川口市に中国人などのエスニックコミュニティが非常に発達しており、在留カードの偽造や盗難車転売などに「犯罪グループ」が背後に関わっていたと考えられるが、茨城県西、千葉県野田市、埼玉県幸手市など近隣地域では(各市町村に数百から3000人程度の在留外国人は存在しているが)埼玉県南地域ほど大規模なエスニックコミュニティはなく、茨城県南部のような目立った自動車盗難の頻発は確認できない。

また他の方の仮説で、子ども部屋でサイレンの音を聞いて言い残した「ヤバイ」が、はたして「ヤバイ」だったのか、「やべぇ」だったのか、「やっべ!」だったのか、報道では分からないがその細かなニュアンスで日本人か外国人かの印象は大きく変わると述べられており、印象的だったので紹介させていただく。

 

農業技能研修生(農業実習生)説

 同じ2019年の8月24日、茨城県八千代町平塚で刃物で腹部胸部を複数箇所刺すなどして大里功さん(76)を殺害、妻・裕子さん(73)に重傷を負わせる事件があった。県警は9月2日、現場から2㎞ほどの場所に住むベトナム人農業技能研修生グエン・ディン・ハイ(21)を逮捕(刃物購入は認めたが犯行は否認。大里さん夫婦との接点や動機も不明)。逮捕の決め手とされたのは現場に残された「足紋」であり、そのことは逮捕後の9月5日頃には報道されている。

この事件では「足紋」が有力証拠とされ、先に挙げた蕨市切りつけ事件(同年7月)も事件直後、侵入の際にフェンスやベランダに遺した「靴跡」が押収されたことは報道されている。境町事件の犯人は「雨天時」を狙ったであろう計画性や「侵入の際スリッパを用いていた」ことからも、近々に起こった蕨市、八千代町の事件報道を参考に「足跡」「足紋」にかなり注意を払っていたと思われてならない。

境町と八千代町の現場は13㎞程度の距離に位置し、車で30分程とそう遠くはない距離である。時期や地理的に近しいこと、また来日外国人による犯罪のワーストが近年ベトナム人となったこと等から“農業実習生”説が注目される。また共に「刃物を使った残忍性の高い殺傷事件」であること、茨城県はアジア圏からの農業の技能研修生受け入れが多いこと等もそうした説を補強している(参考:『農業の外国人依存度、1位は茨城県 20代は半数』2018年8月9日日本経済新聞)。茨城労働局によると、県内の農林業に従事する実習生は2019年10月末時点で6378人に上る。そもそもが貧困層をターゲットにした出稼ぎ労働の斡旋であり、現地送り出しブローカーの悪質さや国内の監理団体による不正、雇用先での搾取などが露見し、制度自体が問題視されるようになって久しい。また妊娠すると帰国させられることから堕胎遺棄する事件技能実習生同士のトラブルによる殺人事件など凶悪な事件も近年増加している印象はある。しかしながら、いわば“金目当て”で来日している技能実習生による犯行ならば、1階を物色せず真っ先に2階寝室に向かうだろうか。

もしかすると周囲の畑などで接点があり、帰国前に凶行に及んだ等とも考えられなくはないが、小林さん夫婦は会社勤め、郵便局パート勤めでそもそも農業研修生や外国人コミュニティとの接触の機会がほとんどなさそうな点や、近隣住民の聞き込みには周囲の畑の持主にも及んだと考えられるがそうした線が浮上していない点からも、技能研修生による犯行もゼロとは言わないがやはり薄い。

 

ストーカー説

 2019年9月26日放送のフジテレビ系番組『バイキング』の近隣住民への取材によれば、小林さん宅入口には以前より防犯灯があったがその先にもつけたいと要望があり検討してつけることになったこと、2019年になって美和さんが北側駐車スペース沿いに(上述の)境界ロープを設置していたことを紹介。元警視庁刑事で防犯コンサルタントの吉川祐二氏のコメントによれば、自分の知らぬ間に相手の恨みを買うこともあるとし、美和さんや長女へのストーカーが存在した可能性に言及。番組では美和さんの自衛ともとれる行動はその存在に気付いていたからではないかとの見方を示した。

しかし実際に女性が男性からストーカー被害に遭ったとすれば、今日ではすぐに警察や身内に相談するであろうし、(単身世帯で頼れる人間がいないのであればまだしも)周囲のだれにも明かさず自力で解決しようという発想には至らないだろう。防犯灯やロープの設置も発案や手続きしたのは美和さんかもしれないが、もちろん光則さんに相談の上と考えられる。さらに美和さんにストーカーへの恐怖があったとすれば、とくに娘たちを守るためにも警察への通報や子どもへの注意喚起などあってしかるべきと考える。またストーカー対策が必要と考えたとすれば、容易に侵入できてしまう境界ロープよりも防犯カメラを検討するだろう。「森の中」ともいえる住宅環境から、夜に帰ってくると周囲が暗くて不便に感じていたり、過去に釣り客が管理事務所と誤って北側通路から訪ねてくることがあったりといった「防犯」以外の設置理由も考えられる。防犯灯や境界ロープの設置は、ストーカー対策というよりは、小林さんたちの住環境整備の意識によるものかと推察する。

また仮にストーカー目線で考えてみても、元々は夫婦のどちらか一方を狙っていたとすれば自宅に押し入るよりは、待ち伏せなどして単独でいるところを狙う方がリスクは小さい。はじめから夫婦両方の殺害を目論んでいたとすると、自分の愛情を踏みにじられたと感じて夫婦への憎しみへと転じる前に、一方的な愛情を募らせる(相手にアプローチする)接触段階がそれなりの期間あったと考えられる。だとすると、やはり既述のように警察や周囲の人間に何かしら相談する可能性は高まる。

犯行についても、居住地を知っているのであるから相手の反応を見るために手紙を送りつけたり、嫌がらせをするにしても脅迫状、不法投棄、窓ガラスを割る、車をパンクさせる、不審火といった細かいアクションを重ねてから発展していくのが通例ではないだろうか。一方的に敵意を募らせた偏執的精神障碍者による逆恨み的犯行の可能性ならゼロとはいえないものの、一方的に好意を募らせ過剰行動に出る“一般的なストーカー”の線はないように思う。

 

不倫相手説 

 この仮説を裏付ける証拠は何も明らかにされておらず、故人の名誉を傷つける意図はないが、夫婦に恨みをもつ人物、当人同士しか知らない(家族や周囲の人間に明かしたくない)人間関係、といった状況から妄想しうる犯人像のひとつとして紹介する。

夫婦のいずれかに不倫相手がおり、恨みを買ったとする仮説。当人たち以外に家族や周囲の人間は誰も認識しておらず、過去に出入りがあったため夫婦の寝室を知っており、子どもに罪はないとして殺さなかった。不倫相手本人による犯行か、あるいは実行犯に依頼したとするもの。

「夫婦仲は良さそうだった」とする近隣住民の証言を除けば、そういった人物が存在したと仮定すると事件へ発展してもおかしくないようにも思える。“田舎の人目”を思えば「過去に(小林さん宅に)出入りがあった」とまでは納得しづらいものの、既述のように下見に訪れていれば寝室が2階であることは分かる。しかし不倫関係があれば、定期的に直接コンタクトをとれる相手(仕事関係など)でなければ、基本的には携帯電話でやりとりをすることになる。職場への聞き取りや通信履歴を確認しても浮かんでこないとなると可能性はやはり相当薄い。

 (不倫相手が携帯電話を持たせていれば両親の携帯電話にも通信履歴が残らない、という意見も目にしたが、それもやや考えにくい。殺害後に携帯電話を回収したとすれば血痕など何かしらの形跡が残りそうなこと。また通信各社の回線情報・通信時間などによって契約端末も抽出可能と考えられる)

(本件とは無関係だが、2013年、境町塚崎で就寝中の夫が妻の浮気相手の男性に殺害される事件もあったため想起されやすい。)

 

元夫説

 2019年10月某サイトに書かれたカキコミ。

奥さん、再婚なんだってね。
長女は奥さんの連れ子で下2人が夫婦の子。

 2020年8月某サイトに書かれたカキコミ。

この家に長年牛乳配達をしているおばちゃんの話では、犯人は元夫だと言ってました。長女は自分の子だから無傷なのは当然だし姿も長女には見られてない。再婚したときも相当揉めたらしいと。そして元夫は家から出されてしまったらしい。この辺りは夜真っ暗で余程の家の構造を熟知してない限りピンポイントで夫婦の寝室にたどり着くのは無理と言ってました。犬も普通知らない人にはものすごく吠えると。ちなみに犬も大変可愛がってたと。現在まったく捜査ところか放置状態になってると言ってました。

 常識的に考えて牛乳配達員に家庭内の事情まで知る由はない(分かるのは家族構成程度)。「牛乳配達員」を騙ったデマであろう。仮に地元でこうした噂が存在するとすれば、長女と長男の年齢が少し離れており、長女だけが無傷だったことから立った妄想的中傷・陰口の一種と思われる。あるいは犯人がどこのだれだか分からない(自分もいつ危害に遭うかもしれない)状態よりも「自分とは無関係な人物」と想定することで安心感を得るような一種の防衛本能が生み出した噂とも捉えられる。元夫の存在を確認することはできないが、もしも嫉妬や恨みを抱くような元夫が存在するとすれば逃走する意味もなく早々に最重要参考人に上がっているはずだ。

 

 最後に、筆者としては「誰でもいいから殺してみたかった」類の妄執につかれた20~30歳前後の日本人男性を犯人像と見立てている。はなから子どもを殺害する気がないように見える点とあえて姿をさらしている点、通報されてからサイレンが聞こえるまで少しタイムラグが生じている点が引っ掛かるのだ。

子ども部屋では「ヤバイ」以外は無言だったことからしても子ども部屋での滞在時間は2~3分ほどの短時間と思われ、そう考えると母親に刃を向けて(通報を切って)から7~8分ほど過ごしていたことになる。刃物で十数回も切りつける犯行も、刃物の質にもよろうが随分悠長に感じなくもない。上野正彦『死体は語る』で書かれていたように、非力なためとどめを刺すことが容易ではなく事切れた後も切りつけていたのだろうか。だが見方を変えると、人を切りつける感覚を味わっていた(いたぶっていた)ようにも見受けられる。殺害直後の放心もあったかもしれないが、母親が失血死に至る様子を眺めるなどしばし感傷に浸っていたのではないか。あるいは、八千代の事件の犯行を真似て捜査の目を逸らすカモフラージュのためにそうしたのでは…と考えるのは穿ちすぎであろうか。

またサイレンが聞こえて「ヤバイ」発言は、普通に考えれば「もう警察が来た。捕まったらヤバイ。逃げなきゃ」の意味と捉えられる(外国人説含め語彙力の問題と言われればそれまでだが)。何が何でも復讐してやるといった夫婦への怨恨が主目的であれば、目的を遂げた後になって今更「ヤバイ」という発想には至らないようにも思える。言い換えれば大人(2人)を殺害し逃亡まで完遂することまでを目的に計画していた印象を受ける発言なのだ。いずれにしても前述のような近々の事件や犯罪、小林さん宅の立地について多少の知識はあるが、強盗殺人の経験はない者による犯行と考える。

 

 事件からすでに時間が経過し、情報の更新も停滞しており捜査の行き詰まりを思わせる。亡くなられたおふたりのご冥福をお祈りするとともに、ご遺族のみなさんの心の安寧のために一刻も早い事件解決を願います。

 

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(2020年9月20日追記)

9月19日茨城新聞クロスアイに「犯行当時の外見」と「スリッパ」について追加情報があったので引用する。

中肉の黒っぽい長袖と長ズボン姿で、黒っぽいマスクのようなものと帽子を着け、目だけ見える状態だった

県警は住宅の母屋につながる北側の小道で、血痕が付いたスリッパが見つかっていたことも明らかにした。家族の証言から、小林さん宅のものと確認された。捜査関係者によると、血痕は被害者のものである可能性が高く、犯人は小道を通って逃げたとみられる。 

 事件当時はコロナ禍以前ということもあり、現在ほど黒っぽいマスク(白ではないマスク)は広く流通していなかったため、犯人は「闇に紛れての犯行」を余程意識していたことが窺える。筆者は上述「疑問4」の項について、スリッパは犯人が事前に持参していたものと想定して執筆しており、「小林さん宅のもの」であったことは想定外であったため若干の加筆をしてみたい。

 

北側駐車スペースに車を停めていたという考えは依然として変わりない。犯人は林を抜けて侵入し、泥の付着などがあったため靴を浴室の外に置いていったか、あるいは浴室で靴を脱いでおいた。通常のスニーカータイプであればウェストポーチ・ヒップバッグの類では入れる容量がないため、屋内で携行はしなかった。あるいは携行していたと考えると、地下足袋やいわゆる「アクアソック」タイプの履物、薄手のサンダルなども考えられる。

スリッパの血痕の存在については発見当初(事件直後の2019年9月24日)から報道されていたが、一晩雨ざらしの状態だったこともあり正確な検証が難しいのかもしれない。しかし発見してただちに血痕と判明するほどの状態から推察するに、ポツリポツリとした少量のシミではなく、現場寝室で凶行の際に直接付着したものではないかと思われる。夫妻が就寝前に履いていたスリッパを寝室で調達した可能性もゼロとはいえないが、そうであれば屋内各所に足痕を残すことになる。侵入時に「足音」や濡れた「足跡」、滑りやすいこと等を嫌って1階(玄関や廊下など)で調達し2階へ上がったと考える方が自然であろう。

またなぜ投棄していったかについては、上述の脱げてしまって放置した可能性に加え、万が一検問などで止められた際に「小林さん宅のもの」を所持していては言い逃れできないという心理も働いて乗車前に靴に履き替えたのかもしれない(そもそも車中に泥にまみれたスリッパがあるだけでおかしい)。そう考えるとスプレー缶は処分に困るものの、犯行に使った刃物は逃走時に釣り堀池、あるいは越境の前後に利根川などで投棄している可能性もあるだろう。

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(追記)

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(2020年9月19日、23日追記)

事件発生から1年を機に、「境町大字若林地内における殺人・殺人未遂事件捜査に協力する会」によって「令和2年9月23日から令和5年9月22日まで」の3年間に事件解決等に結び付く情報を提供した者に最高限度額100万円の私的懸賞金を支払うことが発表された。この「事件捜査に協力する会」は地元の防犯協会や町民、警察OBらで構成する有志の会である。

家族を襲ったのは中肉の男で、黒っぽい帽子とマスク、それに黒っぽい長袖と長ズボンを身につけ、日本語を話していた。

亡くなった小林光則さんの父親はFNNの取材に対し、「ほとんど、なんだかわからない状態。区切りがついたような、つかないような出来事ですから...」と複雑な胸中を語っている。更にその後の取材で、現場周辺で作業着姿の不審な人物が目撃されていて、警察が聞き込み捜査を行っていたことがわかった。(2020年9月18日FNNプライムオンライン)

 

2020年9月23日,茨城新聞クロスアイでは、長男の元同級生が今も連絡を取り合っている様子や、近隣住民の犯人への怒り、コロナ禍で地域の結びつきが減ってしまい事件の風化を危惧する声などを紹介している。町が推進する家庭用防犯カメラ補助制度は、昨年度40件、今年度32件の申請があったとしている。

町が設置した防犯カメラは昨年度までに79台、本年度までの累計では129台に達している。

 

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(2021年1月6日追記)

現時点で関与は認められていないものの、本事件との関連が疑わしいとされる逮捕劇が2020年11月にあった。容疑者が過去に起こした事件、また本事件との関連について下のエントリを参照されたい。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

(2021年5月9日追記)

5月7日午後、昨年から県警が身柄を押さえていた岡庭由征(26)を夫婦殺害の容疑で逮捕した。詳細は上のリンク・埼玉・千葉連続通り魔事件についてをご参照されたい。

本稿は事実と異なる記載、筆者の見当違いも大いに含まれるが、ニュースサイト、アフィリエイトサイトではない個人のブログなので、事件の流れや筆者の考えの過程を残す意味でこのまま保存する。

今後、裁判などの進捗は機会があれば別記事としたい。 

 

夏のオススメ!怪談系YouTubeチャンネル10+4

《2023年8月、一部追加・改訂》夏はやっぱり暑かった!ということで、ちょっぴり涼しくなれる(かもしれない⁉)“怪談”のYouTubeチャンネルや番組を勝手にご紹介。

見て後悔するか、見ずに後悔するかはあなた次第。

 

 

城谷の世界城谷怪談

舞台演劇の道から落語や講談・弁士の語りを独学我流に研究し、ノスタルジックで独特な語り「城谷節」を確立。

昨今の怪談ブームの流れと一線を画する長尺で、場面描写や情緒を聞かせる唯一無二の語り部である。じっくりとその世界に没入したい方や怪談を聞き流しながら寝入りたい方におすすめ。

  

 

竹内・市朗 オカルト解体新書

「竹内・市朗 オカルト解体新書」 心霊、UMA、UFO、超能力、魔術、都市伝説、猟奇事件、地底人、未来人…… オカルトの真髄を二人の重鎮が軽妙かつ重厚に語り合う新感覚のYouTube番組ここに!

おたく第一世代にして『サイキック青年団』の兄貴である作家の竹内義和氏と『新・耳・袋』で知られる作家・オカルト研究家の中山市朗氏による天衣無縫なオカルト四方山談義が2021年末からオンエア。

実話怪談のみならず鬼から未来人、陰陽師から冝保愛子まで多岐にわたって縦横無尽に語り尽くし、軽妙洒脱さと博識に裏付けられた重厚さを併せ持つ大人のオカルト番組として異彩を放っている。

 

 

怪談ぁみ語

 芸人で怪談家としても活動している「ありがとう」というコンビの「ぁみ」が語るYouTube怪談番組。 ぁみと、ぁみの怪談仲間と語ろうというコンセプトのもと、タイトルは怪談をぁみが語ると書いて「怪談ぁみ語」。 そしてアミーゴ(仲間・友達)と語るという意味も込めていますので、怪談仲間やゲストを招いて皆さんに聴いて楽しんでもらえたらと思います。 心霊・怖い話・不思議な話など、体験談や取材した話を語ります。

渋谷怪談夜会など近年の怪談ブームの牽引役ともいえるぁみ氏。盟友のDJ響氏、風来坊・伊山亮吉氏らとともに蒐集した怪異を語り合い考察を出し合う。ガチだツクリだ誰が一番だといったことを抜きにして、様々な怪奇現象をみんなで楽しみたい初心者におすすめ。

個人的には、見える元セクシー女優・優月心菜氏とのコラボや、ユタの血を引く芸人ヤースー氏による“日常系心霊体験談”がほのぼのしていてすき。

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島田秀平のお怪談巡り

島田秀平ホリプロコム所属 / 業界屈指の”怪談・都市伝説マニア” / 島田秀平が送るチャンネル「島田秀平のお怪談巡り」※2019年8/1(木) より配信開始 様々な怪談・都市伝説・たまには開運・たまには号泣(島田のお笑いコンビ)情報などをお届けいたします。 怪談好きの皆さまやゾワっとスッキリしたい皆さまの日々の活力になれるようなチャンネルを目指しております。 ☆公開は水・金・土(19時〜)公開を目指しています。

手相占いでもおなじみの芸人・島田秀平氏による怪談チャンネル。語り手としては正直“ニガテ”な部類だったので(『13階段』とか疑惑あるし)載せていなかったのですが、豊富なゲストマネージメント、島田氏の“聞き手”としての引き出し方が素晴らしい。聞き手のビビり症も手伝って、ゲストの語りがノッてくるのが分かるほど。

下は直属の後輩にして怪談新世代ホタテーズ川口さんゲスト回。

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OKOWAチャンネル

▼『OKOWA』とは? 怪談・実話・都市伝説・陰謀論など、ジャンルを問わず、プロ・アマも問わない「怖い話のNo.1」を決定するトーナメントである。優勝者には『OKOWAチャンピオン』の称号が与えられ、公式ランキング上位者との〝タイトルマッチ〟が義務づけられる。提唱者は事故物件住みます芸人・松原タニシYouTube Live番組『おちゅーんLive!』から2018年に誕生した。

 オバケ怪談だけではない“色んな意味で怖い話”の異種格闘技戦。初代王者・三木大雲氏による聞かせの法話術、二代目・中山功太氏による圧巻の緊迫感は厳正かつ真剣勝負だからこそ味わえる賜物。先日の『稲川淳二の怪談グランプリ2020』ではOKOWA発の躁鬱芸人・石野桜子氏が優勝。発起人でもある芸人・松原タニシ氏の著書『怖い間取り』も映画化され大きな話題となった。

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Channel恐怖

心霊・ホラー・怪談… 「怖い」を楽しむ恐怖専門チャンネル 心霊系ドキュメンタリーやホラー映画作品はもちろん、おどろおどろしい怪談や身近に潜む恐怖の実話、 そして〈恐怖〉をテーマにしたトークバラエティまで、あらゆる「恐怖」を提供。

 『住倉カオスの怪談★語ルシス』などから選りすぐりの本格怪談をはじめ、心霊アイドルりゅうあ氏とマスコットキャラ・こわスギちゃんによる脱力系怪談バラエティ番組など幅広く配信中

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日本ホラーチャンネル (旧・十影堂ホラーチャンネル)

映像・書籍出版・玩具メーカー「十影堂エンターテイメント」の公式チャンネルです。 (※十影堂(とかげどう)と読みます。) このチャンネルでは主に心霊投稿映像、ホラー映像を中心にアップしています。 更新は毎日を予定しておりますが、都合により更新しないときもありますのでご了承ください。

 怪談師による語りのほか、心霊映像や人怖ドラマなど映像メインで怖がりたい、楽しみたい人向け。更新頻度の高さもありがたい。

 

 

住倉博之(住倉カオス)

出版社カメラマン時代に数多くの心霊スポットや取材に同行、怪談界と密なつながりを持ち、現在多くのイベントを手掛けるフィクサーであり愛犬家。

竹書房presents怪談最恐戦”コミッショナー、OKOWA審査員も担い、自ら発起した投稿怪談“百万人の怖い話”も公開中。『怪談★語ルシス』など怪談番組・イベントの進行役としても活躍。チャンネル内容は雑多だが氏の動向には注目しておきたい。

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モノガタリ

ホラー・怪談・心霊。サブカルコンテンツを制作するモノガタリYouTubeチャンネル モノガタリ ニコニコ生放送chはこちら https://ch.nicovideo.jp/horror-monogatari

  ニコ生で人気のホラーチャンネル。代表木村茂之(🐪)氏らによる映像制作会社。愉快に怖い事故物件バラエティ番組『大島てる×松原タニシの事故物件ラボ』が一部公開中。OKOWA等と合わせてみていただくと分かりやすいと思うが、怒りを隠そうとしない大島てる氏が一番怖い。

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【公式】茶屋町怪談MBSラジオ

2015年から北野誠氏が進行役となり後輩松原タニシ氏、サイキック時代からの怪談ブレーン『新耳袋』の中山市朗氏、ゲストたちが怪談を披露するラジオ特番。毎回夥しい再生数を弾き出し、独立チャンネルに。

サイキック青年団(1988~2009,ABCラジオ)時代から北野氏の冷静なツッコミと怪現象に対する適度な距離感はなぜか怪談と相性が良かった。2010年から開始された西浦和也(にしうらわ)氏らとの心霊スポット凸番組『お前ら行くな』シリーズも人気を誇り、その後の“事故物件住みます芸人”を生み落としている。今夏CBCラジオで北野氏は新栄真夏の怪談と題する特集、MROラジオでは松原タニシの本多町怪談が組まれるなど増殖を続けている。

 

 

稲川淳二メモリアル「遺言」

怪談は怖いだけじゃない。 怪談には想いがある。 怪談には愛がある。 稲川淳二が「人生の終演」に 「怪談噺」だけにとどまらず 「INAGAWAイズム」を語り尽くす 公式YouTubeチャンネル。 この世を去り あの世に逝くまで配信し続けます。

生きる怪談レジェンド・稲川淳二氏が2020年夏、満を持して公式チャンネルを開始。 昭和を駆け抜けた怒涛のマシンガントークもなければ、平成で円熟味を増した擬音芸も控えめになり、それでもなお深化を続ける座長“淳G”令和のラストダンスをこの目に焼き付けようではないか。

筆者の怪談熱が再燃したのも稲川怪談や『恐怖の現場』シリーズに嵌ったことがきっかけだった。あなたはいつのどんな淳二が好きですか?

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オカルトエンタメ大学

「オカルトを楽しく学ぶ!」 怪談、心霊、村の風習、異界駅、都市伝説などなど。 様々なオカルト情報を、その道の専門家たちによる授業を通して、どこよりも詳しく!どこよりも楽しく!学べるチャンネルです。 授業の時間は毎週土曜~水曜の夜7時です。

 こちらは怖い話で冷えッとするチャンネルではなく、“大学”の名の通り毎週講師をゲストに招いての講義形式。怪談や都市伝説の生成過程の探究や背景を深堀するなど、みんなが知っているアノ話の理解をさらに深め、オカルト周りの知識や歴史をみんなで学べる、やや中級者向けの内容になっている。

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伊山亮吉の怪談チャンネル

はじめまして。伊山亮吉と申します。 大の怪談好きです。 この度、怪談チャンネルを開設しました。 毎週2本、水曜と土曜の夜9時に更新されます。 眠れない夜にでもぜひ聞いてくだされば幸せです。 twitterアカウント @incidentsTF (風来坊 伊山)

怪談ビギナーの筆者の目で見ても、ここ数年で「明らかに語りの質・怪談の腕が上がってる!研ぎ澄まされてきたな!」と感じているのが怪談ぁみ語や渋怪の弄られ役・孤高のチャーリー、ゲロメガネこと風来坊・伊山亮吉氏。

2020年8月、満を持して個人の怪談YouTubeチャンネルを開設。ビビり症で人見知り、怪談でしか人とコミュニケーションが取れないと自嘲しながらも、相手の懐にスルリと入り込むキャラクターも完全に武器になっている。朴訥とした伝聞調のようでいて、言葉選びや構成の妙が随所にピリッと効いてくる。

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怪談ライブBarスリラーナイト

怪談ライブBarスリラーナイト公式YouTubeチャンネル スリラーナイト所属の怪談師たちが様々なことに挑戦していく動画をアップロードしていきます! 怪談だけでなく、都市伝説や美味しいスポット情報も

札幌すすきのと新宿歌舞伎町に店舗を構える怪談ライブバー・スリラーナイト公式チャンネル。モノガタリチャンネルによるバックアップの元、コロナ禍の20年3月に配信スタート。当時の配信はやや既存ファン向けかなーと思って掲載していなかったが、月1の怪談トークバラエティ『コワイテレビ』や恒例となった百物語でひとびとを魅了し、その足を異界(お店)へと誘う。

 

 

 

 自分好みのチャンネルや語り手さんは見つかったでしょうか?

ちなみに筆者が一番グッと心に刺さっている怪談は、山岳怪談の名手、作家・安曇潤平氏の語り。山屋(山岳愛好家)同士だからこそ聞けた話を山を知らない人にも伝わる平易な言葉で丁寧に物語(聞く人のイマジネーション)に落とし込みつつ、過剰な演出を削ぎ落して描ききる力量&柔和な語り口が心地よい余韻を与えてくれます。

語る人や内容で印象が変わるのはもちろんのこと、怪談を見聞きする私たちの経験によっても聞こえ方・感じ方も千差万別である。だれがいつ聞いても怖い怪談というのは一概には決められませんが、あなたにとって最恐の怪談と巡り合えるといいですね。

 

岩手17歳女性殺害事件について

岩手17歳女性殺害事件(2008年7月発生)

 

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◇被害者 佐藤梢(17)…無職。当時若者に人気だったプロフィールサイトではギャル文字で日常を綴っており、蝶と薔薇のタトゥー写真、結婚や自立への願望、リストカットなどの記述がある。

◇容疑者 小原勝幸(28)…無職。田野畑村出身。170センチ、瘦せ型。粗暴な性格。弟2人。

 

概要

2008年7月1日16時半頃、岩手県川井村(現・宮古市)松章沢、県道171号線の下鼻井沢橋の下、水深10~20センチにうつ伏せ状の遺体を道路工事作業員が発見。死因は扼殺(「手」で首を絞められたことによる窒息)で、橋の上から遺棄したとみられる。

岩手県警による死亡推定時刻は6月28日深夜から7月1日までと発表。

岩手医科大学による死体検案書では、死後硬直や胃の内容物から6月30日から7月1日までを死亡推定時間としている。

 

 経緯

2007年2月、宮城県登米市のショッピングセンターで小原と後輩が女性2人組をナンパ。女性2人はともに佐藤梢という同姓同名の同級生。小原と佐藤梢さんは交際に発展した(後輩たちは親密交際には至らず)。小原たちはすぐに同棲を始め、やがてもう一方の佐藤梢さんとは疎遠になっていく。しかし本件で殺害されたのは容疑者の交際相手ではない、“もう一方の”佐藤梢さんだった。

同年5月1日、小原は弟(三男)と共にある男性・Z氏のもとに詫びに行った。前年秋、小原はZ氏に型枠大工の職を世話してもらったものの1週間で逃げ出しており、紹介したZ氏は「面子を潰された」として関係が悪化していた。

立腹したZ氏は小原の口に日本刀を入れ、「出刃包丁で指を詰めろ」と恐喝し、迷惑料として120万円の借用書を請求。さらに「保証人」を求められた小原は交際していた梢さんの電話番号を渡す(このとき梢さんは車中で待機していた)。Z氏は以前「家を焼くように言われている」と実家に訪れたこともあった。(※三男による証言。黒木昭雄氏の調べ)

小原は迷惑料を支払わず、男から逃亡するため車中泊生活を送ることになる。その後、Z氏は人探し専門の携帯掲示板サイト(08年7月閉鎖)に顔写真・実名・身体的特徴などをカキコミして小原の行方を追っていた(その後、黒木昭雄氏の聞き取りに対して、金額は10万円、2・3発殴っただけと恐喝は否定)。

2008年6月3日、カキコミの存在を知った小原は身の危険を感じ、当時交際相手だった梢さんを伴って岩手県久慈署に被害届を提出。同月22日には三男も久慈署・千葉警部補から事情聴取を受けている。 

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事件前後のながれ

2008年6月28日10時頃、小原と梢さんは前日から盛岡競馬場を訪れていた。以前から粗暴な小原と別れたいと考えていた梢さんは、小原が寝ている隙に電車で宮城の実家へ逃げ帰る(残金やガソリンの残りが乏しくすぐに追ってこられないことを事前に確認していた)。このとき小原の右手に怪我はなかった。

同日14時すぎ、小原は「よりを戻したい」「被害届を取り下げたい」「一緒じゃないと取り下げができないと言われた。お母さんと一緒でもいいから来てくれ」と電話やメールでしつこく食い下がるも、梢さんは面会には応じず。「家に着いたらワン切りしてくれ」という懇願に対して21時頃、小原の携帯にワン切りを入れた(ワン切りは携帯電話に通話目的ではなく「合図」として数秒間だけ発信する行為のこと)。

同日21時頃、小原は「恋の悩みについて相談したい」と“もう一方の”佐藤梢さんに連絡を取る。このとき同棲していた男性に冗談めかした口調で「私、殺されるかも。そのときは電話するね」と意味深な発言を残していた。22時頃、梢さんは“小原から逃げた梢さん”に入電し、0時半まで電話やメールでやり取りしている。23時ごろ、小原の呼び出しを受けた佐藤梢さんが宮城県登米市コンビニの防犯カメラに確認されている(ここから7月1日遺体発見まで不明)。

 

6月29日2時すぎ、岩手県盛岡市ガソリンスタンドの防犯カメラに小原が確認。右手には白い布が巻いてあった。7時頃、小原から元交際相手の梢さんに対して自撮りメールを送信(右手に外傷あり)。9時頃、小原は田野畑村に戻り、弟(次男)宅へ。19時、弟夫妻と岩泉町・済生病院へ往診。原因を「酔ってコンクリート壁とケンカした」と説明。担当医師は、右手は機能障害が出るほどの重症(握る・開くことができない状態)とし、専門外科がないため他院での診療を勧めた。

30日昼頃、小原は久慈署・千葉警部補に「被害届の取り下げ」を申し出るが退けられる。高校時代の恩師(下の動画、山田さん)宅を訪問。その夜も次男宅へ。小原は父・一司さんを説得し、一司さんから警察へ被害届取り下げを再度求めるが、「あと2,3日で逮捕するから被害届は取り下げないでほしい」「家族の身の安全は保証するから」と却下。一司さんも、小原の右手の様子を、人差し指と中指で煙草を挟むこともままならなかったと確認していた。

7月1日、小原は朝から再び恩師のもとへ。同日16時半頃、岩手県川井村の河川で女性の遺体発見(翌日の朝刊では「10代後半から30代前半の身元不明の女性」)。田野畑村から遺体発見現場までは車で約2時間かかる距離だが、黒木氏によれば29日以降で小原が4時間以上にわたって村を離れた事実はないとされる。

同17時ごろ、佐藤梢さんの両親が捜索願を届ける。

 

同じく1日21時半頃、羅賀から北山崎に至る県道44号線で小原が乗った車が電柱に正面衝突。車で通りがかった地元男性(下動画、田所さん)が目撃し、小原を実家まで送り届けた。膨れ上がった右手の傷について聞くと「事故じゃない、女を殴った」と答え、酔った状態で「もうおしまいだ、死ぬしかない」と口走ったという。

また小原から「仙台で裏デリヘルをやっている」「今は仙台に住んでいるが、仕事関係がうまくいっていなくて、いろんな組関係者と揉めている」という発言もあったという(2008年7月12日産経)。男性はその後、小原が指名手配されたことを知って、自ら情報提供に出向いたが警察の捜査の杜撰さに疑問を抱いている。

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7月2日5時頃、宮古署警官を名乗る人物から元交際相手・梢さん宅に安否確認の電話が入る。

同7時すぎ、小原は親類に頼んで鵜ノ巣断崖近く(断崖から約3キロ地点)まで送ってもらう。断崖の写真を添付して、元交際相手・梢さんに「俺、死ぬから」、弟に「サヨウナラ、迷惑なことばかりでごめんね」とメール。友人に「飛び降りる」と電話。知らせを受けて断崖に駆け付けた件の恩師は、携帯電話でだれかと談笑している小原の姿を見て安心し、缶コーヒーを渡して別れたという(正午ごろ、最後の小原目撃情報)。

同17時頃、千葉警部補から元交際相手の梢さんに「小原が鵜の巣にいるから確認しに行ってほしい」と言われるが、梢さんは赴かず。

同日夕方頃、前日発見された遺体の確認を求める連絡が家族に入る。

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7月3日午前、遺体の身元判明(被害者の親が確認)。

同日夕方、清掃に訪れた村職員が小原の財布・サンダル・ハンカチ・免許証・タバコ・車のキー・携帯のバッテリーを発見。→黒木氏の調べによるとサンダルは本人のものではなく、親類によれば朝タバコを持っていなかったとされる。日没近かったため翌朝から捜索。

4日、地元警官15人で周辺捜索。「警察犬は分単位で金がかかる」と父親に説明。地元男性の届け出により、事故車両から女性ものの靴、血痕のある発泡酒の缶などを押収。→黒木氏の調べによると、殺害された梢さんが履いていたのは「キティちゃんのサンダル」であり発見されたものと異なる。

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7月5日、遺留品以外に飛び降りの痕跡が発見されず、遺体が上がらないことなどから県警は“偽装自殺“と判断。

同月29日小原を殺人容疑で全国指名手配。情報提供ビラには「17歳の少女を殺害した犯人です」と記載(翌年「17歳の少女が殺害された事件です」に変更)。

10月31日、捜査特別報奨金制度で上限100万円と公告。

2009年5月13日、小原親族・被害者遺族、小原の元交際相手佐藤梢さんら関係者8名が岩手県警公安委員会らに対し70枚に及ぶ情報提供書を提出。記者会見を開き、事件の再捜査と真相の究明を訴えた。

2010年5月、ザ・スクープの特集が放映される。

同年6月30日、小原の父・一司さんらが県や国に対して指名手配差し止めと賠償を求める訴訟を起こす。

同年11月1日、捜査特別報奨金の上限が300万円に増額。

黒木昭雄氏、Twitterで「税金が警察の犯罪隠しに使われています」と投稿。

2010年11月2日、千葉県市原市の寺院駐車場の車内で黒木昭雄氏の遺体が発見される。現場状況から練炭自殺と断定。司法解剖なし。

2014年4月11日、盛岡地裁は一司さんらの請求を棄却。公開捜査の相当性を認めたものの、指名手配ポスターの小原を「犯人」と決めつけた表記について「無罪推定に反する」と結論付けた。控訴せず。

 

 

黒木昭雄氏について

警視庁在籍23年で23回の警視総監賞を受賞した元巡査部長。探偵業のほか、捜査するジャーナリストとして多くの事件について執筆。とくに警察組織の隠ぺい体質、裏金問題等に対して批判的な立場を貫いた。口癖は「俺が死んだら警察に殺されたと思ってくれ」。

2008年9月にテレビ番組の取材で本件とかかわりを持つようになると、09年、Yahooブログに“黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」”を立ち上げ、警察リリースやマスコミが報じてこなかった独自取材を公開。週刊朝日での執筆、関係者証言をYouTube動画で発信するなどし「警察の誤りと再捜査」を広く世に問うた。

www.tsukuru.co.jp

未解決事件には数多の尾ひれがつきもので、2010年11月の黒木氏の自殺も組織や警察による謀殺であるかのように流布された(ている)。 

 長い時間、私財と命を削って警察の不正究明に明け暮れた黒木氏であったが、大手マスコミはほとんど氏の主張を相手にせず、リサーチを続けるほどに生活は困窮した。奔走しても義憤で人は駆られない、真実で組織は動かせない、この世に正しさなんて必要とされていないのではないか。上のtweetは氏の最後のつぶやきであり、公に放たれた最期の言葉である。黒木氏が遺書を送った清水勉弁護士は、小原の父・一司さんらと共に裁判に立った人物である。

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「梢ちゃんは私とまったく同じ名前だったばっかりに、恐喝事件に巻き込まれて、私の身代わりに殺されてしまったんだと思います」

「彼女がなぜ死ななければならなかったのか。私は真相が知りたいんです」

事件の一年後、小原の元交際相手・佐藤梢さんのことばである。黒木氏の活動ははたして岩手県警やマスメディアを動かすに至っておらず、その記事が事件の真相であると断定することはできない。

しかし氏の活動がなかったとしたら、残された人たちは「警察の描いた絵」を鵜吞みにする以外なかった。警察が語る以上のことを知ることも考えることも許されなかった。

 

 ーーーーー

筆者は、黒木氏が提示した情報にはある程度の信憑性があると考えているが、全容を掴んでいたのか、真犯人にたどり着いていたのかについては些かの疑問も抱いている(明言を避ける意図や誤認などもあったように思う)。関係者の証言についても、それまでの黒木氏とのやりとりを踏まえた上での発言(黒木氏の見立てに沿った内容)とも考えられる。だが警察組織の不審な動き、杜撰な捜査は事実であろうと考えている。

以下で筆者なりの考えを記したい。

 

小原は殺害遺棄に関与していなかったと考えている。

ーーーーーー

 

 

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上は被害者プロフTOP画。

「年収 昔のぁたしだったら500万前後」

「前の仕事ゃってたら金に不自由しなかっただろぅな」

明確にされてはいないが、レジ打ちなどの一般的なバイトとは考えられず、法外な稼ぎ口があったと考えるのが妥当ではないか。

452 :203:2010/05/27(木) 02:03:41 id:ui8z3A17 さっき載せたブログからの引用だが

>さらに男は「仙台で裏デリヘルやっている」「今は仙台に住んでるが、仕事がうまくいって
なくて、いろんな組関係者ともめている」などと身の上を話し・・・

と、梢さんの

> ぁたしゎぁんたらの玩具ぢゃなぃょ?誰にでも股開くゎけじゃなぃょ?
 (三月二十六日)
 どうしよ・・・ 今日妊娠検査薬ゃってみたら陽性だた・・・ 
 (四月一日
 苦しいよ~ 昨日結局95錠飲んじゃった リスカリストカット)も
 しちゃった~はぁ~ まぢ具合悪
 (四月二十五日)
 ○○○のぉ父さんと初めて話した ちょっと近づけた気がしたぁ 産婦人
 科行ってくる また注射だ 痛す
 (五月八日)

 が、なんか頭に残ってしまう。

警察はこれチェックしたんでしょうかね?
黒木さんは、この辺どう思っているんだろう?

同姓同名や被害届とはまた別のトラブルがあったのかも。

どちらも、視点が小原或いはZに対して集中しすぎていてる気がす。

こちらは被害者のブログ(現在は閉鎖)を読んだ人物(452)による掲示板カキコミ。

例によって地元男性の証言も全て鵜呑みにはできないが、自殺にせよ事故にせよ自暴自棄に近い、憔悴しきっていた小原に救いの手を差し伸べてくれた人物に本音を漏らした可能性は大いにあるだろう。

07年5月のZ氏恐喝から08年6月被害届提出までの1年間、車中泊での逃亡生活の資金の出処は明言されていないが、小原が“裏デリヘル”の女衒だったとすれば納得は行く。プロフの発言にどれほどの信憑性があるのか、単なる冗談のようにも思えるが、そうした点と点をつなぎ合わせると2人の少女も関与していた可能性が浮かび上がる。だとすれば黒木氏が事件の核心部に触れず、未成年の少女たちの尊厳を守るためにセンセーショナルな話題とせずに「警察の不祥事」として訴え続けていたことにも合点がいくのである。

 

根拠のない妄想だが、東北にネットワークを持つ反社会組織等がデリヘルやケータイ向け出会い系サイト(実質的売春サイト)を運営しており、カタギの仕事が続かない小原はその末端としてスカウトや送迎役をしていたのではなかろうか。欲が出たのか、Z氏からの逃走資金捻出のためか、知り合った少女らを動員して個人(闇)で営業を取るようになった。

所持金が尽きた小原は、盛岡で客を取った。小原が待機している隙に、元交際相手は実家に逃走。所持金も金づるもなくして万事休した小原は元いた組織に金を借りようと連絡を取る。小原の闇営業を把握していた組織は、二度と同じような真似はしないと約束させるため、小原の右手を潰し、今までのカタとして「逃げた女」を連れてくるように要求。小原は逃げた元交際相手を誘い出せず、やむなくもう一人をコンビニへ呼び出す。

 

 ここで被害者について、452のカキコミと残存する魚拓等の断片的な情報とを照らし合わせてみる。

被害者は、07年年末に彼氏ができたが08年元日にフラれてリスカ、2月には新彼氏ができてリスカ、36錠服薬(薬種不明)、3月半ばにフラれ、“やり目”の男ばかりで憤慨し「自分って何なんだろ?ぁたしわ体だけの女なのかな?体だけか…」と苦悩。妊娠が発覚。4月半ば、事件当時の交際相手あつしさんと「大事にしたい人ができました 幸せになりたいです」と宣言。その3日後、95錠服薬、リスカ。5月に産婦人科、という流れになる。長らく情緒不安定で自傷傾向にあったことが窺える。交際相手(多くは“やり目”)を立て続けに変えていたことで妊娠の相手が判然としなかったからか、精神的不安もあって堕胎に至ったと推察される。

被害者がいつまで小原と係わっていたかは想像の域を出ないが、下のブログコピペなどは売春に際しての事柄ではないかと思われる。

213 :名無しさん@九周年[]:2008/07/08(火) 10:22:39 id:nqUimGvo0
被害者ブログより - 塩釜の男に蹴りをいれられた記事

2008/02/02 16:28 痛LI★★
今日ゎ朝から最悪。
塩釜の人が なんか 機嫌悪くなて
ぅちに 「てめ-ぉもて出ろゃ」 って言ってきた-
で 出る前に 階段から落ち 腰と尻負傷。
で 外に出て 口論しながら少し歩ぃた
そして坂を下ってる時 壁に突き飛ばされた
ぶつかった 蹴りが膝に。
流血 内出血
涙,足の震ぇが 止まらなぃ
なんでぁたしが ここまでされなきゃぃけなぃの? って思った。
てか まず女に暴力振る-とかなしだょね-
男として最低だょね-
まぢ 足の震ぇるし
暴力振る-奴ゎ 大嫌ぃだ
ぁあ 痛ぃ
------------------------------------------------------------------

同棲相手がどのような人物で、どこまで彼女を理解し、行動を容認していたかについては知る由もない。梢さんは情緒不安な面があり、そのとき小原の誘いに乗ってしまい、盛岡に拉致されたものと考えられる。小原は少女と引き換えに、ガソリン代とひとときの自由を得た。

小原は身代わりであることがバレないと考えていたのか、だれでもよかったのか。もしかすると人違いと分かれば帰してもらえるものと考えていたかもしれない。組織は少女を風俗に沈めようとしたのか、一時的な人質として預かったのかは分からない。だが別人だと発覚すると野放しにもできず、口封じに殺害された。あるいは扼殺という殺害方法や野ざらしでの遺棄から、「少女の逃走」「激しい抵抗」などに対する突発的な犯行だったかもしれない。遺体は小原への見せしめとして、田野畑との中間地点である松草沢に遺棄された。

金づるを失った小原はしばらく地元で金を稼がなければならなくなり、これ以上Z氏から追われ続ける訳にいかず被害届を取り下げようと躍起だった可能性もある。金をつくって身代わりの少女を取り戻そうとしていたのかもしれない。しかし7月1日夕方、小原の元に連絡が入り、翌朝、方々へ自殺をほのめかして急に姿を消すことになる。その性分を鑑みるに、自ら断崖から飛び降りることは想像しづらいものがあり、仮に殺害遺棄に関与していたとすればこれ以上の「逃走」ではなく「自首」を選ぶように思われる。

1日夕方、組織は少女を殺害遺棄したことを小原に告げ、その代償を小原自身で取る(偽装自殺する)ように命じたのではないか。組織は高飛びや匿うことなどを約束して、小原を断崖から連れ去った。生きて国内にいれば家族や知人に連絡をとるものと考えられ、事故や事件によりすでに生存していない可能性もある。

 

岩手県田野畑を地図で見ると、東は険しい三陸海岸、周囲は山に囲まれた“陸の孤島”であり、見たところ漁港も小規模で産業に乏しいように思われる。仕事が長続きしない小原は親兄弟や旧友を頼りつつその日暮らし、地元で頼れる相手は10年以上前の地元恩師か、顔の広い先輩(Z氏)。佐藤梢さんの地元・宮城県栗原市は地図上だと仙台市などにも近いが、市の半分は栗駒高原、残りは広大な田畑がほとんどを占め、人口統計を見ると人口は急速に減り続けている(大都市が近い分、人口流出が著しい)。

被害者の夢が「大阪でひとりぐらし」だった点を見ても、彼女たちにとってやはり地元は“何もない田舎”だった。2人は高校を1年でドロップアウト、いわゆる“ヤンキー”や“ギャル”の風体をしていた。事件後、彼女たちのプロフや画像が流出すると、ネット掲示板等では揶揄や罵倒、自業自得といった非難が相次いだ。

だが当時の彼らに社会不適合者のようなレッテルを張ることはできない。学業や就職でミスマッチが起きたときにやり直せる場所や機会、選択肢、就業支援などの社会的受け皿が充分になかったことも事件の背景・遠因だと感じられるからだ。家庭の事情は分からないが救済できる余裕はなかったのであろう。

都市部であればバンドや演劇といったサークル活動、オタクや引きこもり、フリースクールや短期労働者など他の選択肢もあったかもしれないが、彼らが田舎の不自由な日常から脱出するための手段はヤンキーやギャルになって外に出ることだった。もちろんそうした経歴でも就業して成功したり、平穏な家庭を築いたりといった若者は現在も多く存在する。

地方社会とのミスマッチ、手早く金を稼ぎたいといった共通項が彼らを接近させ、悲劇に向かわせてしまった印象がある。黒木氏の調査や恩師の証言などを聞いても、地元警察とヤンキー(家出少女も含まれる)との係わり方は、監視の目を光らせつつも一人一人に救済の手を差し伸べるでもない、つかず離れずといった特異な“距離・近さ”を保っている。

警察にそれを望むのは間違いかもしれないが、“非行少年少女≒犯罪者予備軍”ではなく、たとえば就業支援団体や職業訓練施設、シェルター等へつなぐなど若者が思わぬ危険に嵌らないような地元の支援があれば、地域の未来を育むことにもつながる。少年少女が不自由に悶え、将来への不安を抱えたとき、その声を掬い上げられる“場所”がこれからの社会にはもっと必要になる。

小原が生きていれば加害者・共謀者として大なり小なり事件の責任を問われることになるが、彼もまた社会から見過ごされてきた・見放されてきた被害者といえないだろうか。

被害に遭われた梢さんのご冥福をお祈りしますとともに、再捜査と真相解明を求める関係者のみなさんの想いが報われることを願います。

 

和歌山毒物カレー事件について

1998年に和歌山県で起きた無差別大量殺人、和歌山毒物カレー事件について記す。

被疑者とされた主婦は無実を訴えたが、2009年に最高裁で死刑が確定。2020年現在も死刑確定囚として再審請求を続けている。

 

■概要

1998年7月25日、和歌山市園部で行われた第14自治会の夏祭りで多数の住民が吐き気や腹痛等の症状を訴えて救急に通報。

当初、大人こども合わせて10名程度の「集団食中毒」と見られたが、その後も被害は拡大。異変を訴えた住民らが共通して口にしていたのが「カレー」だった。味におかしなところはなかったが、食べ進めるうちに腹の具合に異変が生じたという。

 

県科捜研が残っていたカレーや複数人の吐瀉物を調べたところ「青酸化合物」の反応が検出され、翌日の会見で県警は何者かによって混入された事件性を示唆した。急性中毒症状を起こした被害者は合わせて67名に上り、うち自治会長男性(64)、副会長男性(53)、高1女子生徒、小1男子児童の計4名が死亡した。

7月26日、県立医大では死亡した自治会長の胃の内容物などから、死因を「青酸化合物」中毒と判断。しかし他の3人の遺体からは青酸化合物は検出されず。

8月2日、和歌山県警は犠牲者4人の体内から若干の「ヒ素」を検出したと発表。6日には「混入されたヒ素は、亜ヒ酸またはその化合物」と発表された。

警察庁科警研はその後も毒物の特定調査を続け、10月5日、4人の死因は「ヒ素」中毒と変更された。含有していたヒ素は、カレールーを約50g食べれば致死量に達するほど極めて高濃度であることが分かった。

ヒ素は無味無臭だが生物に対する毒性が強い。そのため古くから毒薬や化学兵器に使用され、農薬や殺虫剤、木材の防腐剤に利用されることもあったが人体への影響から事件当時にはほぼ使われなくなっていた。

 

祭りの現場は多くの地域住民が行き交うため、部外者が鍋に近づいて薬品を混入するのは難しい状況にも思われた。不特定多数の住民を毒牙にかけておきながら、犯人は今も住民として平然と過ごしているかもしれない。住民相互の疑心暗鬼を招く中、警察は聞き込みや実況見分を続けた。捜査は難航したが、祭りの約1か月後、ひとりの女に焦点が絞りこまれていった。過去に知人男性をヒ素中毒で入院させて保険金詐欺をした疑いがもたれた林真須美(37)である。

自宅周辺は昼夜を問わずマスコミが囲い込まれ、煩わしい記者たちを嘲笑うかのようにホースで水を掛ける様子が繰り返しワイドショーを賑わせ、過熱報道はエスカレートしていった。視聴者の多くは、不敵な態度をとる元保険外交員の主婦に疑いを強めた。

テレビインタビューに応じた際には、保険金詐欺の疑惑について「自信をもって何もしていない事実がありますので堂々としているんですけれど」と強く否定し、祭り当夜の騒動についても「あくる日の朝まで全然知りませんでした」と述べ、カレー鍋に近づくことはなかったと主張。ヒ素や亜ヒ酸を扱ったり見たことはないと言い、シロアリ駆除業をしていた夫の仕事でも一切扱っていないとしてヒ素事件との関連を否定した。警察発表もされていないのに犯人扱いするマスコミ報道に対して涙ながらに怒りを示し、無実を訴えた。

しかし10月4日、保険金詐欺の容疑で県警による強制捜査のメスが入り、夫・林健司氏とともに逮捕される。その日は長男の小学校の運動会当日だったという。

夫婦は複数の詐欺および詐欺未遂容疑で再逮捕と追起訴が続けられ、取り調べは無論カレーの毒物混入にも及んだ。そして事件発生から138日目となる12月9日、殺人と殺人未遂容疑で林真須美が再逮捕され、ようやく事件の真相が明らかにされるかと思われた。

 

■「決定的な証拠」の曖昧さ

しかし捜査当局は林真須美による犯行を裏付ける「直接証拠」を得られてはおらず、黙秘権の行使により犯行の自供もなかった。彼女が一人で当該のカレー鍋の見張り番をしていた時間帯があり混入する機会を有していたこと、彼女が調理済みの鍋の蓋を開けるなど不審な挙動をしていたとする目撃証言、97年から4度に渡って亜ヒ酸(シロアリ駆除剤)を用いた保険金詐欺を夫婦で繰り返していた類似事実などが逮捕理由とされた。

その後の捜査で林家にあったミルク缶容器に入った薬品と現場に捨てられていた紙コップの付着物、カレーに混入された毒物が同一のものと鑑定されて「決定的な証拠」になったと伝えられた。

 

1999年5月に和歌山地裁で開かれた一審初公判には、5200人以上が傍聴抽選に集まった。検察側は上述のように状況証拠や関連性を積み重ねて林被告の単独犯行の立証を行う。黙秘によって供述が得られなかったことから、それまでのテレビインタビューを転用して証拠とするほど立証の材料は充分とは言えなかった。弁護側は無実を主張した。開廷数95回、一審は約3年7か月の長期に及んだ。2002年12月、和歌山地裁小川育央裁判長は、求刑通り死刑判決を言い渡した。即日控訴。

尚、一審でインタビュー素材が証拠として採用されたことを受け、民放6社とNHKは「国民の知る権利・報道の自由の制約になりかねない」として大阪高検に対して証拠申請の取り下げを要請、大阪高裁に対しても熟慮を求める上申書を提出している。

その間、3件の詐欺で総額約1億6000万円を詐取した罪で起訴された林健司は、2000年10月に懲役6年の実刑判決を下された。双方とも控訴せずに刑が確定し、健治は2005年6月の刑期満了まで滋賀刑務所に服役した。4人の子どもたちは児童養護施設で育った後、それぞれ仕事や家庭を持つなどして自立した。

2004年4月から05年6月まで開かれた控訴審では林真須美自らの言葉で無実を主張したが、証言の信用性を否定される。動機について、検察側は主婦たちから疎外されたことを理由としたが、断定は困難とされた。大阪高裁・白井万久裁判長は「犯人であることに疑いの余地はない」と原審を支持し、控訴を棄却した。即日上告。

2009年4月21日、最高裁は林の上告を棄却して死刑が確定した。

 

だが有罪の決定打とされた東京理科大学・中井泉教授らによる大型放射光施設spring-8での異同識別分析データは、被告人が自宅に隠し持っていたヒ素をカレーに混入したと結びつけるには証拠不十分であった。

その分析結果からわかることは、林家にあった薬品と紙コップ付着物とカレーに混入された毒物が、中国の同一工場で同時期に精製された起源を同じくする亜ヒ酸といって差し支えないという点だけである。専門家でなくても、それらを「同一」といわないことは明白だった。

また中井教授が起訴前に鑑定結果を公表し、悪事を裁くために鑑定した旨を公言するなど鑑定人の中立性、鑑定自体の公正性についても疑問がもたれている。

http://www.process.mtl.kyoto-u.ac.jp/pdf/Shinpo43pp49-87.pdf

分析化学の専門家である京都大学・河合潤教授は、上の論文で鑑定内容を再検証し、中井教授らの証言についても信頼性に疑義を唱えている。

判決が正しかったとすれば、林家で発見された「ミルク缶容器に入った薬品」(亜ヒ酸純度64%。デンプン、セメントまたは砂が混じっていた)よりも、カレーへの混入に使ったとされる「紙コップに付着していた残留物」の方が高純度(99%)となる矛盾を指摘している。

鑑定不正---カレーヒ素事件

純度・成分がほぼ同じか、紙コップの方がやや純度が低いならばまだ理解できるが、ミルク缶から紙コップに移す際に不純物がすっかり除去されたとでもいうのであろうか。

 

■冤罪の問い

2018年7月には歴史社会学者・女性学者の田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)が発表され、帯文の通り「動機なし、自白なし、物証なし」の冤罪事件として再び注目を集める。

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

  • 作者:田中 ひかる
  • 発売日: 2018/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

更に2019年4月、Twitterに和歌山カレー事件 長男@wakayamacurryがアカウントを開設、同年7月に著書『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を発表。その名の通り(匿名ではあるが)林死刑囚の長男自らが、世間を騒がせたカレー事件や「母親」について、事件後の自身の生い立ちなどについて語っている。母の手紙を公開し、TV番組へも出演するなど、両親の保険金詐欺は事実と認めつつもカレー事件への関与については冤罪を訴えている。

もう逃げない。

 未解決事件の謎に迫るネット番組・だてレビ【ミステリーアワー】でもこの事件を取り挙げ、spring-8の実験装置の稚拙さ、目撃証言や物証への疑惑など、素人目線ならではの忌憚ない意見が交わされている。

https://www.youtube.com/watch?v=Vj_RvA9y5nA

 

 

「冤罪」といっても、痴漢冤罪のように被害者の訴えで無実の人間が誤認逮捕されてしまうケースとは趣が異なる。警察、検察、裁判所、見方を広げればマスコミや世論もその冤罪に加担したことになるかもしれない。

刑事裁判において裁判官は、被疑者を真犯人かどうか裁いているのではなく、検察が被疑者の犯行を特定する(有罪とするに足る)立証が成り立っているか否かを裁いている。有罪が確定するまで被疑者・被告人であれ「疑わしきは罰せず」、“推定無罪”として扱われるのが近代司法の原則となっている。言い換えれば、検察が立証できなければ被告人は自ら無罪を立証するまでもなく無罪とする考え方だ。

この事件で“冤罪”が指摘されるのは、警察の捜査や検察の立証が明らかに不確か・証拠不十分でありながら、裁判所が「判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」という林眞須美“推定有罪”に固執するかのようなおかしな裁判に対しての疑義なのである。

www.youtube.com

ジャーナリストの神保哲生氏は、証明しようがないため陰謀論的立場はとらないとし、警察も検察も裁判官も「自分が正しいと思って」それぞれの本分を果たしているだけかもしれない、と冤罪問題の難しさを指摘している。

 

現場捜査員たちは被疑者をあぶり出すことに躍起になり、取り調べの段には被疑者から“自白”を引き出すことが手柄とされる。グレーを“クロ”にするための強権的な捜査手法は警察組織に永遠に付きまとう課題と言える。

マスコミによる過熱報道が世論を膨張させ、有罪判決への加担になったともいえなくはない。事件の深刻さだけでなく、国民的注目度の高さも、捜査当局や裁判官を絶対に「失敗」が許されない窮地へと追い込んでいたのではないか。

実態の危うい「最新の科学鑑定」で証拠の不十分さを誤魔化そうと、科学の名のもとに結論ありきの非科学的な検証結果を示してはいまいか。

いくつかの冤罪事件を振り返るたびに悲劇は、歴史は繰り返されるのだと感じる。

 

2020年3月、大阪高裁・樋口裕晃裁判長は「自宅などにあったヒ素が犯行に使われたとするもとの鑑定結果の推認力が、新証拠によって弱まったとしても、その程度は限定的だ。新旧の証拠を総合して検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」として、和歌山地裁に続いて再審を棄却。

この決定に対し林死刑囚の弁護団主任弁護人・安田好弘弁護士は「大阪高裁は新たに提出した意見書により捜査段階の鑑定による証拠の価値が弱まることを認めながらも、ほかの事実と合わせれば依然として犯人であることに疑いを差し挟む余地はないという。これは争点を意図的にずらして確定した判決や和歌山地裁の決定を維持しようとしたもので不当だ」と最高裁へ特別抗告する意向を示している。

 

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(2021年6月追記)

2021年6月10日、林真須美死刑囚(59)が新たに和歌山地裁に再審請求を申し立て、5月31日付で受理されていたことが報じられた。

 

ノンフィクションライター・片岡健氏は現在ほど冤罪報道が多くない時期からマスコミの報道姿勢や林冤罪説を記事にしてきた人物である。片岡氏は、いわゆるロス疑惑で冤罪となった三浦和義氏による疑義をきっかけに本事件について調査を進め、直接林と面会して「他に真犯人がいる」という考えに行きついたという。

 下のYouTubeチャンネル・dig TVの動画では、夫・健治さんをはじめ6人に食べ物にヒ素を混ぜるなどしていたものの、うち4人は単なる被害者ではなく保険金を受け取る共犯者でもあったことから、無差別殺人の様相を呈したカレー事件とは根本的に違うと説明。ヒ素に関する知識がそれほどない人物が衝動的にやった可能性を示唆している。

 

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 私見を述べれば、保険金詐欺を繰り返す人間が疑われやすい状況下で金にならない殺生を図るとは些か考えづらく、母親が娘の犯行を庇うとすれば「自分がやりました」と罪を認める自供をするように思われる。

自宅にヒ素が保管されていたのが事実であれば家人による犯行の可能性は当然高くはなるが、他の住民が誰一人としてヒ素を隠し持っていなかったかははたして分からない。極刑に値するだけの十全な立証が為されたのか、検証方法に不備はなかったのか、といった点は不満に思う。

 

名古屋市西区主婦殺害事件について

1999(平成11)年11月13日(土)に発生した愛知県名古屋市西区稲生町5丁目主婦殺人事件(通称・名古屋市主婦殺害事件)について。

 

白昼の自宅アパートで主婦・高羽奈美子さん(当時32歳)が何者かに刃物で首複数箇所を刺され死亡、そばにいた長男の航平さん(当時2歳1か月)は無傷で、部屋が物色された形跡は見られなかった。犯人の血痕や足跡、遺留品や目撃情報があるものの犯人特定には至らず、2020年2月愛知県警は有力情報に対して最大300万円の報奨金をかけると発表した。

www.pref.aichi.jp

 

ながれ・現場の状況

・当日9時頃、夫・悟さん(当時43歳)は普段より少し遅めに出勤

・悟さんを見送りつつ、奈美子さんも出掛ける支度をしていた(悟さんは“図書館に行く”と聞いていた)

・同アパート3階に住むママ友に電話(熱のある航平さんを病院に連れていく話、ママ友の夫に補修してもらう約束の車の話をしていた)

・9時30分付け、宅配便の不在票あり

・午前中に人が争うような音を聞いた、との住民証言あり

・10時すぎ、ママ友が電話するも応答なし

・11時10分、長男・航平さんを連れ、きとう小児科へ来院

・11時40分、奈美子さん帰宅(アパート住人が目撃。正午ごろまで駐車場で車の手入れをしていたが不審者は見ていない)

・正午から13時までの間に、被害者宅から「タンスを引きずるような大きな音」「階段を駆け下りる音」を住民が聞いた

・12時15分、12時20分頃、稲生公園付近で2件の不審な女性の目撃情報

・12時30分から14時頃にかけて、ママ友が3回電話するも応答なし

・14時30分頃、各部屋に柿を配っていた大家さんが来訪。応答なく、無施錠だったため戸を開けると廊下で流血して倒れている奈美子さんを見つける。慌てて大家夫を連れてきて再確認。

・騒ぎに気付いたママ友が大家さんとともに119番通報。救急隊は変死と判断し110番通報。連絡を受けて15分ほどで悟さん到着。遺体はトレーナーにジーンズ姿、着衣の乱れはなかった。

・死因は失血死(死亡推定時刻は正午から13時ごろ)。現場の状況から、玄関右手の洗面所で致命傷を負い、廊下をまたいで居間へ這っていく途中で息絶えたとみられる。

・居間では幼児イスに腰かけた航平さんが玩具で遊んでいた。テーブルには航平さん用のおみそしる、奈美子さんが普段は食べないカップラーメンがのびきった状態で置かれ、掃除機が廊下に出しっぱなし、居間のTVもつけっぱなしの状態。部屋を物色された形跡はなかった。

・悟さんの出勤直後からきとう小児科に行くまでのおよそ2時間の足取りはつかめていない。返却予定だった本が残っていたので図書館に行っていないと考えられている。

 

不審人物・遺留品

・目撃情報やDNA鑑定により、40~50歳代B型女性(現在60~70歳代)、身長160センチ程度、当時黒いコート、肩にかかる黒髪のゆるいパーマ、凶器は発見されていない

・量販品の女性向け韓国製スニーカー24㎝サイズ

・被害者宅から500mほど数m間隔で血痕を残しながら、庄内川方面に北上し、稲生公園で血を洗った痕跡。

・12時15分および12時20分頃、「手を怪我した女性」が、稲生公園付近から東進したとみられる目撃情報2件あり。

 

・その後、長男・航平さんが3歳当時、「ママとおばちゃんが喧嘩してた」、4歳当時「犯人はコンビニのおばちゃんだ」といった証言を残しているが目撃証言としての確証は得られず。

・居間テーブルに乳酸菌飲料ミルミルEが飲みかけのまま放置され、玄関には内容物の一部が吐き出されたかのようにこぼれていた。高羽家では過去に購入したことがないことから犯人の遺留品ではないかとされている。製造番号により30㎞以上離れた西三河地区内で販売されたものと特定。

 

当日の天候は晴れ。アパート付近は密集した住宅街だが犯行が昼時ということもあり往来は多くなかったと思われる。

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血痕が続いていた稲生公園へはアパートから北へ徒歩10分もかからない。『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』(2003,宝島社)柳川文彦氏の記事によると、奈美子さんは稲生公園を何度か訪れたことがあったがなんか感じが悪いんだと話し、あまり立ち入らなかったと夫・悟さんの証言を得ている。また犯人の血痕は、公園への最短ルートを辿ってはおらず、公園を目指して移動していたのか、たまたま公園の水場を見つけて立ち寄ったのかは定かではないものの、土地勘がなかったのではないかとする見方もある。

奈美子さんらが11時過ぎに訪れた「きとう小児科」は、稲生公園方面とは逆方向。アパートの南にある用水路を渡って南東方向に位置する。

 

 夫・悟さんは実家に戻り、事件から20年経ってなおアパートの部屋を当時の状態のままにして借りている。長男・航平さんは母親についての記憶はほとんど薄れ、2019年に親元を離れて就職。犯人特定につながらないまま、時計の針は進んでいく。

www2.ctv.co.jp

 

下の記事では、夫・悟さんが奈美子さんの性格などについて語っている。

憧れだった赤い車を買ったこと、家族揃ってのディズニーランド、母を迎えてマンションに引っ越す予定だったこと、飲食店を営むひとり親の手伝いをしながら育ったため普通の主婦(専業主婦か)に憧れていたこと。

アパートを事件当時のまま維持していることも手伝って、悟さんはメディアにも度々登場して情報提供を求めてきた。その際に提供されるご夫婦や一家の写真は、奈美子さんがレシピのファイリングや航平さんの育児記録とともにまめに整理していたものだという。どの写真も“家族の幸せ”を刻んでおり、奈美子さんの航平さんへの愛情や夫婦・家族の「いま」を大切にしていた気持ちが伝わってくる。

www.jprime.jp

 

部屋を荒らされた形跡もなかったことなどから怨恨の線で捜査は進められ、夫婦の交友関係を念入りに調査されたが、ともに恨みを買うような相手は見つからなかった。

悟さんの前妻にも捜査は及ぶも、静岡在住でアリバイがあり血液型も不一致。目撃された不審な女性の特定は困難を極めた(奈美子さんより一回り以上年長で、悟さんと近い年代と見られたことからして、当初は悟さんの女性関係の線も追及されたであろう)。

 

疑問 

疑問点を抽出してみると、

①奈美子さんの午前中の行動

②犯人の遺留品とみられるミルミル

③犯人とみられる女性の逃走経路 

④犯行動機  などが挙げられる。

 

①午前中の行動について。朝の段階で長男・航平さんが熱だった(奈美子さんは育児を疎かにするタイプではなかった)ことから考えても、「図書館に行く」のは後回しにし、まず病院に向かったとするのが妥当と思われる。9時ごろ悟さんを見送った直後(9:30の宅配前)に家を出たものとすれば、かかりつけの小児科へは自宅から自転車で約5分にも関わらず、病院側の来院記録から「11:10」に来院が確認され、空白の2時間が生じている。9時過ぎに小児科を一度訪れたが混雑していた、どこかで時間潰しをして再訪した等の理由が考えられる。この間にトラブルに巻き込まれた説もあるが、それならば小児科ではなく交番へでも向かうだろう。また付近の公園や店などで2時間近く滞在していれば、目撃情報や接触者がもっとありそうなものである。9時過ぎに小児科の混雑を見て、他の病院を転々としてみたが結局戻ってきた、周囲はその様子を気に留めなかった(ずっと移動中だった)といった可能性も考えられる。

11時40分ごろ奈美子さんの帰宅が目撃されており、そこではだれかと一緒だった様子は認められていない。午前中の宅配の不在通知があったこと、室内が掃除機(個人的に「タンスを引きずるような音」の正体は掃除機だと考えている)やTVなどで慌ただしかったことから、ドアをノックされ、うっかり確認を怠って(あるいは再配達などと勘違いして)慌てて玄関を開けてしまったシチュエーションが想像できる。

 

②ミルミルについては、第三者が渡していた可能性もある。病院は年配者も多く、そうした方にすれば幼子を抱えたお母さんを見れば「どうしたの?お熱?」など声を掛けやすい。製品の特性上、家族の分や数日分をストックする家庭が多く、ペットボトルよりも少量パッケージであるため高齢者が携帯しやすい印象があり、子ども向けなどちょっとしたプレゼントに重宝されると考えられる。チャーミングなネーミングや体に良さそうなイメージから、懐に携帯してきたものを「あげるから飲んで」と好意的にプレゼントしている場面が容易に思い浮かぶのだ。「あれは自分が渡したミルミルかも」と心当たりがあっても黙秘してしまった可能性も大いにあるし、捜査に対して渡した本人ではなく家族の他の者が対応していて捜査線上から消えてしまった可能性もある。当時の航平さんくらいの乳幼児が口に合わずベェッと吐き出す様子ならイメージできるが、「犯人が自ら持ち込んで事後に自ら吐き捨てた」というシチュエーションはなかなかに奇怪である。奈美子さんが病院かどこかで善意の第三者に貰い、帰宅してテーブルに出していたものに犯人が口を付けた、という方が私にはまだ自然に思われる。

 

③の逃走について。現場ドア付近の足跡から、立ち去る前に外の様子を窺っていたとも考えられている。駐車場にいた近隣住人に発見されなかったことも、周囲に警戒しながら忍び寄ったからと考えられる。現場アパートからすぐ東の通りに出て北上すれば最短ルートで公園にたどり着くものの、犯人らしき女性はアパート西側の住宅街を彷徨うようにして公園に向かった。その道筋を示すのは数mおきに血痕があったからだ。その女性は手に大きな怪我を負いながらも、現場で止血しようとはしていない。事件の晩、マスコミの動向を嫌がった県警本部は警察犬による捜査を一時中断し、その後の降雨によって血痕が消されてしまった。目撃情報では公園方面から更に東へ向かっていたともいわれている。移動手段が徒歩であること、駅に向かっていないこと、目撃情報が2件しかないことなどから、徒歩圏内に暮らしていた人物と捉えることはできるが、車で逃亡を協力した者がいた可能性もゼロではない。

また柳沢氏の調査で挙げられた「なんか感じが悪いんだ」という奈美子さんの稲生公園評も気掛かりではある。訪れたときは大きなトラブルには至らなかったが、もしかすると犯人らしき女性が公園に滞在していて遊んでいたら注意を受けたとか、女性が寝ていて騒がしくならないようにしないとならず利用しづらいと感じたのかもしれない。現地の事情に明るくないため、地元の方には不快な思いをさせてしまうかもしれないが、名古屋という大都市圏であることと「川べり」ということから妄想するに、犯人らしき女性が界隈を根城にしていた浮浪者という可能性もあるのではないか。全体の数こそ少ないものの、以下④でも述べるように精神疾患などで社会復帰しづらかったり、男性と離別して行き場をなくした等で浮浪者になる女性はいる。警察は浮浪者の動向もある程度は把握しているはずだが、浮浪者仲間が隠蔽したり逃亡を助けたりといったこともないとは言えない。

 

④犯行動機が非常に見えづらい。当時、新車購入やマンションへの引っ越しも決まっており、「こわいほど幸せ」と知人に話していたことから、(夫や友人が関知していない)交友筋で妬みを買っていた可能性も疑われている。

www.tokai-tv.com

上の記事で、7年間捜査に携わった元愛知県警捜査一課・岡部栄徳さんは「どっかで奈美子さんに逆恨みした人物」ではないかと目星を語っている。セールスの来訪で嫌な経験があった奈美子さんには日頃から来訪者を窓から確認する習慣があったことも“知人”説を裏付けている。

だが一般的思考力のある人間であれば、逆恨みして刃物を手に住宅街の真ん中にある家に押しかけてくるだろうか。知人であれば電話などで、それこそ公園や河原、人目につきにくい場所に呼び出して事を行うのではないか。また家を知っているほどの関係、過去に来訪歴のある人物がいれば、(不倫などやましい関係でなければ)夫やママ友らに「この前こんな人がうちに来て…」と言い伝えていてもいいがそれもない。たとえ恨みを抱いた知人としても、まともな人間であれば相手の頸動脈ではなく人間関係を切ろうとする。またそれ以前に奈美子さんに関する悪口を周囲に漏らしているはずである。

交友関係に怪しい人物が見当たらないとなると、周囲に他言しない人間関係として「不倫」などの可能性も疑われる(たとえば不倫相手の嫁が関係を知って襲撃など)訳だが、航平さんに手がかかる時期だったことや人並み以上に家族への愛情を注いでいることからもこの事件ではその筋はないと考えてよいだろう。

 

 私の考えでは、犯人は奈美子さん個人に恨みを持っていなかった赤の他人、妄執につかれた精神疾患くらいしか想像できない。たとえば「自分よりも若い女性」や「小さな子供のいる母親」に対して強い妄執に駆られ敵愾心を抱く人物が、人通りの少ない昼の街路で奈美子さんを見かけて家までつけていったのではないか。あるいは岡部元警部の言うよう、公園や街角で以前ささいな接触を持っており、次第に妄執が肥大化して凶行に及んだというものかもしれない。とはいえ捜査に行きつくほどの重要情報が集まっていないことから、普段はほとんど外出していない(多くの住民から把握されていない)とも考えられる。

犯人とみられる女性が当時40~50歳前後とすれば、配偶者や高齢の親などと暮らしていた可能性はあり、責任の追及を恐れ身内の凶行を隠蔽しようと考えてもおかしくない。独り者であれば病院や施設に収容されているかもしれないし、すでに人知れず亡くなっている可能性もある(孤独死や自殺、精神疾患持ちとなれば手に大怪我の跡があったとてそれほど気に留められることなく処置されたとしてもおかしくない)。地域の病院利用や保護施設、警察への通報履歴(精神疾患者には「〇〇が嫌がらせをする」等と警察へ頻繁に通報・相談する者も多い)などによって、そうした疾患者の情報はある程度リストアップされていることと思うが、確証が得られず追及できないといったことも懸念される。現場でDNAが採取されていることから、余罪で逮捕されているという可能性は低い。

 

犯人の目星さえつかないまま、遺族は感情のやり場を失っている。夫・悟さんが自らの境遇を語るときに使う「中途半端な被害者」という表現には胸が締め付けられる。記事上でも危惧しておられる通り、犯人とみられる女性も存命であれば70歳代に差し掛かり、現実的にリミットは迫っている。奈美子さんのご冥福を祈るとともに、ご遺族の心の安寧のために一刻も早い犯人特定を願うばかりである。

 

 

 

※心当たりのある方は、愛知県警西警察署へ(電話052-531-0110

 

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[2020年11月12日追記]

週刊女性PRIMEにて週刊女性2020年11月24日号掲載の関連記事。

テレビで被害者・奈美子さんについて人から恨まれる性格だったのではないかという見方を強める報道がされたことに対して、夫・悟さんと奈美子さんの友人が周囲の人間が知る彼女の性格について語っている。

www.jprime.jp

2016年フジテレビ系番組『最強FBI緊急捜査!日本未解決事件完全プロファイル』の中で、友人3人のコメントとして以下のような文言が紹介され、推理は“怨恨”の線へと向かっていく内容だった。

《悪気がなく言ってしまうことがあるので、こっちが落ち込んでいるときにすごく楽しいことを言ってくるんです。ある意味、やっかみはあった》

《赤い車に乗り、派手っぽい感じ。ミニスカートをはいていたりとか、周りからやっかみを買い、誤解される》

《こちらが傷ついちゃうことを言ってくるんです》

そのコメントの使われ方、番組内容が偏向的だとして悟さんは抗議し、局側も「被害者の人物像を描く際に一部配慮に欠ける表現があったため、関係者の皆様にお詫びしました」と認めている。

記事中では、奈美子さんの知人たちから下のような印象や人柄が紹介されている。

「明るくてテキパキと仕事をこなす。スラッとしてスタイルがよく、仕事場で上司から好かれやすかった」(高校時代の友人)

「頑張り屋で情に厚い。何か悩み事があると聞いてくれ、職場でも慕われていた」(会社員時代の後輩)

「奈美子はいつもキラキラしています。背筋がまっすぐで胸を張って歩いている。凛としていて、不平不満がほとんどない。ひょっとしたら苦しいときも、そんなイメージを作ってきたのかな。彼女は他人に見せたい自分があったのかな」(奈美子さんの友人)

「奈美子さんは恨まれるような人ではありません。ママ友やご近所とも仲よかったし、誰かとトラブった話は聞いたことがない」「ただ、お母さんとマンションで暮らせるのを幸せいっぱいに話していたので、人によってはそれが『自慢』に聞こえ、反感を買われてしまったのかな……」(会社員時代の後輩)

 

また以前すでに上に紹介していた2019年の週刊女性プライムの記事で、奈美子さんは「女手一つで育てられ」て店の商売を手伝っていたため、いわゆる“普通の主婦”に対する憧れが強かったと書かれていたが、今回の記事では奈美子さんの生い立ちや母親についても記述がある。

奈美子さんは二人姉妹で、中学時代に両親が離婚。高校卒業後は製造系の会社に就職し、数年勤めたのち歯科助手となり、20歳代前半では母親の営む居酒屋の手伝いもしていた。それから悟さんの勤める不動産会社に就職し、平成7年7月7日に入籍。しかし新婚生活から約一年、市内で一人暮らしをしていた母親が薬事法違反容疑で逮捕。不起訴となり、母親は北海道に転居。毎年夏になると奈美子さんも顔を出しており、航平さんもそちらで生まれた。来春にはその母親を呼んで一緒に暮らせるよう新築マンションを購入した矢先で起きた事件だった。

事件のおよそ3年前、奈美子さんの母親が健康食品会社の販売員として無認可の清涼飲料水を「がんに効く」健康食品と謳って販売したことが明らかにされ、もしかすると奈美子さんが来訪者に対して注意を向けるようになったのはこの件がきっかけだったのではないかとも思われる。おそらく奈美子さんの母親が販売していたのは名古屋市内が中心であろうし、近隣住民や旧知の間柄であれば居酒屋時代などに娘である奈美子さんを見知っていた可能性もなくはない。だがこの件が元で3年経って母親ではなく奈美子さんに矛先が向けられたと考えるのもやや難しく、県警もその筋は当然洗っていることと思うが両事件を結びつけるに足る証拠は何も出ていない。

 

最後に。

筆者もこのような文章を書くにあたって誹謗中傷やむやみな偏見は避けようと注意しているつもりだが、ご遺族や関係者の目に触れればやはり不快な思いをさせかねないという自覚もある。ミステリアスな犯行や加害者・被害者などについて少なからず興味があって執筆するものだが、事件の周知、早期解決、亡くなられた方たちに思いを馳せる内容であるべきと念頭に置いておきたいと思う。

NHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』について

2013年にNHKで放映されたNHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』の感想など。

 

この番組はNHKで2011年から放映開始した大型シリーズプロジェクトの第3弾であり、どうして事件は起きてしまったのか、なぜ防ぐことができなかったのかという側面をテーマにしている。

内容は主に、作家高村薫さんによる尼崎での取材リポート、関係者の証言、再現ドラマVTRといったパートで構成されている。

 

www.nhk.or.jp

 

尼崎殺人死体遺棄事件(通称・尼崎連続変死事件、尼崎事件)を簡潔に説明することは難しいが、1980年代後半から2012年にかけて兵庫県尼崎市および香川県高松市で起きた複数家族の傷害致死死体遺棄事件であり、そのすべてに角田美代子(逮捕当時64歳)が主犯格として関わったとされる。

2011年11月事件が発覚し、逮捕。しかし翌2012年、美代子は多くを語らないまま兵庫県警留置所内で自殺し、余罪などの全容解明は困難となっている。

 

■人物関係 

逮捕者は、美代子のほか、

角田正則(美代子の戸籍上の従兄弟)

角田三枝子(美代子の義妹)

角田瑠衣(美代子の義子、仲島茉莉子さんの妹)

角田健太郎(美代子の義子、I家四男の息子)

角田優太郎被告(美代子の義子、三枝子が出産したとされる)

東頼太郎(美代子の内縁の夫)ら。

  

事件の特殊性として、美代子が被害者家族を恫喝し、家庭内で虐待を行わせていたことが挙げられる。

逮捕者には、健太郎、瑠衣ら傷害や死体遺棄等に加担した元被害者家族も含まれており、被害者/加害者の単純な線引きが難しく、本文では追及の必要はないため一部だけを明記する。

 

死亡者は、

大江和子さん(尼崎貸倉庫でコンクリート詰めドラム缶で遺棄)

仲島茉莉子さん(瑠衣の実姉、尼崎の住宅床下に遺棄)

谷本隆さん(瑠衣の伯父、尼崎の住宅床下に遺棄)

安藤みつゑさん(尼崎の住宅床下に遺棄)

橋本次郎さん(岡山県沖にコンクリート詰めドラム缶で遺棄)

皆吉ノリさん(茉莉子さんの祖母、高松市の小屋下に遺棄)

その他、角田久芳さん(三枝子の夫)ら、関連するとみられる不審死や失踪も多く起こっている。

 

美代子は、養子縁組や姻戚関係などで戸籍上の家族関係を次々と結んでいる。苗字の変更や複数の家族が関わることによって人間関係が字面上理解しづらくなっている。

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■手口

再現ドラマでは、2000年代に関係を持った谷本家、遠縁にあたり1990年代後半に取り入った門脇家(仮名)・横地家(仮名)(下の相関図における「I家」にあたる)に焦点を当てており、標的となる家族になにがしかの因縁をつけて家庭内に混乱を引き起こして、さも自らが仲裁者であるかのように介入していく様子を描いている。

 

美代子元被告は、暴力団関係者らしき“得体の知れない存在”の影をちらつかせがら「落とし前を付けろ」と因縁をつけて“家族会議”をさせ、家庭内にある各人の不満や綻びをあぶりだす。

恫喝の一方で、ある者に借金があると聞けば「肩代わりしてやる、自分に任せておけ」といった“アメとムチ”を使い分け、次第に家庭内の実権を掌握し、一家全体を主従関係へと導いていった。

 

大人に対しては恫喝で冷静な思考判断を奪い、親子関係・夫婦関係を破綻させていき、こどもは自分の手許に置いて手なずけることで人質にした。

自らの手を汚さず、逆らう者を家族に虐待させること、自分や身内を“加害者”に仕立て上げることで逃走や告発を困難にさせた。逃亡すれば何度でも連れ戻されて見せしめに懲罰を加え、被害者らは抵抗する意欲を一層萎縮させていった。最終的に家族の全資産を収奪し、一家離散へと追い込む一連のながれはどの被害家族にも共通していたとみられている。

家庭内に取り入り、家族同士で虐待し合うよう仕向ける、いわばマインドコントロールともいえる手法から“北九州監禁殺人事件”との類似性を指摘する声もある。

 

■生い立ちとながれ 

美代子元被告の生い立ち、事件の順序を大まかに整理しておく。

・小学生時代に両親は離婚、父母や親戚間を行き来した

・父は手配師(人材斡旋業)で金回りはよく、人心掌握に長じていた

・10代から尼崎でスナックを経営。番組では店の2階で売春斡旋、ヤクザ者にケツモチをさせていたと紹介

・23歳で結婚、20代半ばで離婚し、横浜に移り住む。幼少期から付き合いのあった三枝子とラウンジ(飲食業)や輸入代行業を共同経営

・20代で内縁関係となる東頼太郎と知り合う

・事業に失敗し、1981年、33歳のとき尼崎に戻る。当初は内縁の東、三枝子と3人暮らし。その後、マンションの部屋を増やして10人ほどのとりまきを住まわせていた。

・近隣住民からは、因縁をつけるクレーマー気質・トラブルメイカーとして知られ、とりまきを連れた威圧的な素行や態度から「関わり合いになりたくない」人物と思われていた

 

・1980年代半ばには橋本家に関与

・1998年ごろ、I家に関与

・1998年、三枝子が美代子の母と養子縁組(姉妹となる)

・2001年ごろ、皆吉家、谷本家に関与

・2004年、正則が美代子の叔父と養子縁組(従兄弟となる)

・2007年、優太郎・瑠衣が結婚(瑠衣が義理の娘となる)

・2009年、大江家らに関与

・2011年、大江家長女が大阪府警に出頭。三枝子・瑠衣の供述により事件が大きく明るみとなり逮捕。

・2012年、美代子が留置所内で自殺

 

 

 番組では、美代子元被告の元夫が登場。中学卒業後10年生活を共にし(入籍は23歳、ほどなくして離婚)、子はいなかった。

「気の弱い、腹立ったら怒りよるし、泣くときには泣きよる」

「駅で迷子になって泣いたりする」

元夫から見れば、結婚当時は普通の女性だったと振り返った。

現在の写真の人相を見て、「(一目で当人とは)わからなかった」「鬼になっとる」と自分の記憶とは大きく異なる印象を淋しげに語った。

 

また自殺直前の2週間、同じ留置所で生活した人物が登場。美代子は、あとに入所してきた人物が“子殺し”の犯人だと知ると「あの人と喋ったらあかんで。子ども殺すなんて信じられない」と話しており、彼女の事件をあとで知って驚いたという。

 

インタビューした高村薫さんは、美代子の人物像について「ひとにいえないような罪をやって隠している自分の中に、寂しがり屋の普通の女の子だった自分も残っている。だからあえて切り離して、もう一人の何の心も動かなくなった自分がいたと思う」と語っている。

 

■所感 

美代子の犯行は凶悪だが、自らの手で暴力を加えたり、血を好む、死体を好むといった性格ではなく、もちろん金銭がその目的にはあるが、「よその家族を崩壊させること」を何より好んでいたような印象を受けた。

普段の生活でほとんど意識することはないが、生い立ちや人間関係や法律、社会的続柄といったものが抑制装置・ブレーキとなって、その人を社会的なエラーに至らぬように大体制御してくれている(だから滅多なことで人殺しはしないし、殺してはいけないと思って生きていられる)。

社会契約論ではないが、犯罪行為に身を染めず日常生活を送れているのは多くの人間関係と社会通念が私を束縛してくれているため“暴走”せずに済んでいる。だが彼女について思い巡らせると、親兄弟も友人も恋人も生い立ちも環境も、周囲からのブレーキ効果がなさすぎるあまり、加速し続け、そのまま止まれずに奈落の底まで行ってしまったようではないか。

 

美代子元被告がひとえに執着していたのは「家族」である。

自らが大黒柱とでも言わんばかりにとりまきを引き連れ、標的になる家族を乗っ取って破綻させ、他人と法的な家族になることを喜んだ。だが不幸なことに、理想の家族を夢見た女の子は本物の家族を知らず、自分のいいなりにしかならない“疑似家族”という犯罪集団共同体を生んだのだった。(彼女の父・母の生涯も非常に興味が湧く)

たとえば元夫や内縁の夫との間に子どもを授かっていたとしたら、離婚したり事業に失敗したとしても、我が子を前にしてこんなアホなオカンになる選択肢は選ばなかった(明示されてはいないが肉体的に出産できなかった可能性もある)。

のべ五十件以上の近隣住民からの苦情に対して、警察が“民事不介入”の重すぎる腰を何回か上げていたら、ここまで犠牲者は増えなかった。尼崎という土地柄も、警察の介入や周囲からの“救い”が乏しかった背景の一つである。

もちろん彼女たちが犯した数多くの罪は情状の余地もなく到底許されるものではない。だが同時に、友人や恋人に美代子元被告の“普通の女の子”としての苦しみを親身に分かち合える人物が一人でもいたならば、彼女にとっての悲劇だけで終わらせられたのではないか、とその不幸を哀れまずにはいられない。

 

 

最後に、再現ドラマの角田元被告役・烏丸せつこさんの演技は鬼気迫るものがあり、震え上がるほどの圧倒的存在感だった。他の出演作をググったら、NHKの朝ドラ『スカーレット』で主人公・喜美子を応援する美魔女(失礼!元・女優の)小池アンリ役をなさっているとのこと。機会があれば凶悪事件フリークのみならず、スカーレットファンの方にも是非烏丸さんの熱演をご覧いただきた(?)…いや、胸糞悪い事件なので興味がなければ見ない方がいいと思います、多分。