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【ネタバレ】最強おじいちゃんは今夜もあの娘の夢を見る 映画『ドント・ブリーズ』感想

 脚本監督フェデ・アルバレスはSF短編『Ataque de Pánico! Panic Attack!』(2009)をサム・ライミに評価され、『死霊のはらわた』リメイク版(2013)の監督に大抜擢されたものの、オリジナルの妙味であったユーモアの趣を排し、凄惨なスプラッター描写に徹した結果、旧来のホラーファンから大ブーイングを食らった前科あり*1。しかし本作では、前作での反省を生かして残酷演出を抑制し、肉迫するリアリティを探求した。一軒の建物に訪れた男女が得も言われぬ恐怖から逃げ惑うコンセプト、主演ジェーン・レヴィは踏襲されており、まさしく“はらわたリベンジ”を期す快作である。製作費10億円の低予算映画ながら160億円以上の興行収入を上げたアルバレス監督は、『ドラゴンタトゥーの女』シリーズをデビッド・フィンチャーから引き継ぎ『蜘蛛の巣を払う女』(2018)の監督脚本を担当した。

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女を引きずる老人の鳥瞰シーンから物語は始まる。

舞台は、荒廃した犯罪都市デトロイト。若い男女3人の窃盗団が、盲目の老人が隠し持つとされる事故死した娘の賠償金数十万ドルに狙いをつける。しかしその老人は驚異的な聴覚で人の気配を嗅ぎつけ、躊躇なく人を殺めることができる元海兵隊員の殺人マシーンだった。

 

窃盗団は、ホラーには定番ともいえる役割分担がなされている。妹を連れて育児放棄の母親からなんとかして逃げ出したいロッキーは“大胆さ”を象徴し、横暴な態度と暴力でロッキーを束縛しようとするマニーは“愚かさ”、悪いことだと理解しながらも犯罪に加担することでしかロッキーへの愛情を示せないアレックスは“臆病さ”を表している。日本でも貧困家庭は社会問題化しているが、即犯罪に結びつける論議が公には憚られることもあり、彼ら“招かれざる者”たちは観客の共感を得られにくい立ち位置でもある。だが貧困の連鎖から抜け出すことへの渇望は、彼女の若さと無垢な幼い妹の存在によって、想像以上に猛々しいものにちがいない。またデトロイトからの、貧困からの脱出こそが“自由”だとする彼女の指針は、そのまま“老人の家”からの脱出、“金庫”からの窃盗と入れ子構造になっている。はたしてロッキーは無事現金を奪い脱出することができるのか、自由を手にすることはできるのか。

 

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物語前半は、幾重にも施錠され、窓も板打ちされた家に閉じ込められて、暗闇の中を逃げ惑い、追い詰められていくシチュエーション・スリラーで、その名の通り観客も息ができなくなる緊迫感。カメラワークも秀逸である。

盲目×犯罪サスペンスという設定は、テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967)やリチャード・フライシャー監督『見えない恐怖』(1971)でも使われているが、ここではオードリー・ヘップバーンのような麗しい婦人でも、ミア・ファローのようなか弱いレディでもない。リアル・ジョセフ・ジョースターとも称される筋骨紳士スティーブン・ラングが演じる“絶対死なないマン”である。

 

後半、迷路のようになった地下室の奥に、真の恐怖が隠されていた。異様な空間に拘束される女、彼女こそ老人の娘の命を奪い、事故を金でもみ消した張本人・シンディだった。しかしロッキーたちの逃亡劇に巻き込まれ、老人が放った銃弾によって女は絶命。狼狽え、慟哭する老人。いよいよロッキーは捕まえられ、マウントを取られて鈍器のような拳でバチボコ殴打されるシーンなど、観客は擬似レイプされているような無力感と絶望を思い知らされる。老人はシンディへの報復と、それ以上におぞましい、神をも畏れぬ“計画”を託していたのだった。

 

「神などいないと受け入れることが出来れば、人はなんだってできるものだよ」

 

レイプはしない、としながら、倒錯した禍々しい“計画”を今度はロッキーの体で謀ろうとする。レイプという心身に傷を負わせる惨たらしい行為をイメージさせながら、その上を行く惨憺たる行為を是とする老人の発想は狂気以外の何物でもない。しかしそうした思考に至る原因は、最愛の娘を奪われる事件とその罪をだれも償わないことによるモラルの崩壊、神の不平等であり、傷痍軍人である彼自身も社会的立場からいえば“被害者”なのである。貧困の連鎖に陥るロッキーもまた社会が生み落とした“被害者”であり、観客は頼るべき精神的な支え(憎むべき敵)を全て奪われる。

 

アレックスの救出によって、最悪の事態は免れ、ロッキーは単身脱出に成功。外に出れば一安心かと思いきや、まさかのイッヌ!演出もあるだろうが、これだけ獰猛で荒々しい犬を手配したことで盲目の老人に足りないスピード感がプラスされている。

そして冒頭の引きずりシーンに戻ってくる。恐怖には立ち向かうことができても、絶望からは逃れられない。家のリビングへと連れ戻され、アレックスの遺体の横で、今度こそ死を覚悟するロッキー。そのとき彼女の手には、幸運の象徴・テントウ虫が、そしてアレックスの手には…

すかさずセキュリティマシーンを稼働させると、警報音が鳴り響き、間近にいた老人はその超人的聴覚が仇となり大パニック。ロッキーは老人を地下へと転落させ、九死に一生を得るのだった。

 

翌日、妹を連れて空港を訪れたロッキー。そこで目にしたTVニュースで、老人は命に別状なく、すぐに退院すると知って、何か不穏な気持ちがよぎる。ようやく彼女たちがたどり着いた“目的地”には、自由が待っているのだろうか。

 

 

 

つっこみどころは無数にあるものの(冷凍保存庫、切り裂かれたパンツ、セキュリティの意味…)、それを補って余りある恐怖と胸糞を堪能できる濃密な88分間だった。

別名『最恐じじいのホームアローン』は伊達じゃない(嘘)

 

*1:サム・ライミらオリジナル制作陣、ブルース・キャンベル主演によるドラマ版『死霊のはらわたリターンズ』(2015~2018。第3シーズンで終了)がHuluにて配信されており、こちらは主人公の30年後を描くコメディ・ホラーの装い。1stから見比べてみても面白いかも?